第283話

 学園の寮には、喫茶室と呼ばれる部屋がいくつかある。生徒同士がクラスや学年の垣根を越えて親交を深めるために用意されているそうだ。

 学園の規則では誰でも利用可能ということになっているけど、実際には広さや調度品によって格付けがされており、親の身分や所属する派閥によって利用できる部屋が決まっているらしい。

 例えば、王族やそれに近い血筋の生徒とその取り巻きしか使用できない『薔薇園』と呼ばれる最上級の喫茶室がある。そこに入室できるということが一種のステータスらしいけど、現在は王族やその近親者が学園に在籍していないので閉鎖されているそうだ。

 他にも上級貴族の子女とその取り巻きだけが使用できる『山麓』や貴族家の女性のみが使用できる『湖畔』と呼ばれる喫茶室などがあるそうだ。


 俺とコリン君が入ったのは、ランク的には最低の誰でも使用可能な名もない喫茶室だ。他の生徒は授業を受けている時間なので、中には誰も居ない。

 広さは十畳ほどで、ローテーブルの周りに革張りのソファが置かれているだけのシンプルな構成だ。

 調度品も、王立学園の品位を落とさない最低レベルの品……って、それでも商業ギルドの応接室レベルだな。テーブルもソファも、そこそこ良い素材を使っている。壁に掛けられている絵についてはよくわからないけど、額縁に彫られたゴシック調の彫刻は細かい。


 俺とコリン君がテーブルを挟んで対面に座る。

 ここに来るまで、コリン君の足取りには全く危なげがなかった。もう日常生活にも支障はなさそうだ。気配察知を教えた甲斐があるというものだ。

 コリン君がテーブルに置かれていたハンドベルへ迷いなく手を伸ばし鳴らすと、喫茶室のドアがノックされた。コリン君が許可を出すと、ワゴンを押してメイドさんが入ってくる。


 このメイドさんは学園所属の職員で、喫茶室専任だそうだ。常時数人が控えていて、薔薇園や山麓には専従のメイドさんがいるらしい。多分格付けとかがあって、上級喫茶室付きのメイドさんは給金が高いとかがあるんだろうなぁ。

 だとすると、このメイドさんは最下級の部屋担当だから、一番給金が安いのかもしれない。まだ若いしな。十七〜八ってところか? 頑張ってのし上がってくれ給へ。


 メイドさんがややぞんざいな手付きで俺とコリン君の前に紅茶の入ったカップを置き、その間に焼き菓子の入ったバスケットと砂糖の入った壺を置く。


「ありがとう」

「ありがとうございます」


 俺とコリン君が笑顔で礼を言うと、メイドさんが少し驚いた後、顔を赤くして無言でお辞儀をし、パタパタと慌ただしく出ていった。笑顔にやられたか。コリン君は美少年だもんな、さもありなん。


 砂糖を入れずに紅茶を口へ運ぶ。ふむ、茶葉はそこそこ、淹れ方はまだまだだな。少しエグみが強い。あのメイドさんが淹れたんだろうけど、上級メイドさんへの道はまだ長そうだ。


「それじゃ、今朝何が起こったのか説明してもらえるかな?」


 砂糖をカップにせっせと運んでいたコリン君に話を促す。見ているだけでスプーン四杯入れてたな。結構な甘党なのかもしれない。いや、子供なら仕方ないか。紅茶は渋いからな。


「はい。と言っても、今日の朝起きた時に少しいつもと違う感じがして、寝ぼけたままボーっとしていたら、急に目の前からあの石やガラクタが出てきたんです。ですから、まだ何がどうなったのか、自分でも分かってないんです」

「ふむ」


 まだ自分で制御できてないのか。そうだよな。制御できているなら、あのガラクタを手で運んだりしていないはずだ。あの魔法が使えるのなら。


「教官、僕の魔法って、いったい何なんでしょうね?」

「……推測で良ければ、いや、おそらく間違いないでしょうね。亜空間魔法ですよ」

「え?」


 俺は勿体ぶる質ではないからズバリ宣言すると、コリン君が少し呆けた顔で反応した。歳相応の無邪気な顔だ。なんか微笑ましい。


「この世界の裏側にある空間への扉を開ける魔法だと思えばいいです。あのガラクタはその中に入っていた、無意識に入れていた物でしょう」

「裏側の空間?……」


 ちょっとこの世界の人には難しい話だったかな? まして、まだ十二歳の子供だ。理解が追いつかなくても無理はない。


 コリン君の魔法はおそらく、ゲームやライトノベル等で『アイテムボックス』あるいは『インベントリ』と呼ばれている魔法もしくは技能だ。多分間違いない。物や人を亜空間と呼ばれる現実とは別の空間へ入れたり出したりすることが出来る。異世界ものの定番だな。


 ただし、この世界の魔法は結構応用が利いたりするから、単なる亜空間倉庫としての機能だけではないだろう。もっと他の使い方ができるはずだ。


 元理系の知識によると、時間と空間は等価であるらしい。つまり、空間を操作できるのであれば時間も操作できる可能性が高い。

 ただし、時間の経過は空間内では不可逆であるというのが定説だったはずだから、出来るとしても時間経過の遅滞や加速程度だろう。逆行は出来ないかもしれない。

 いや、もしかしたら、ファンタジー世界なら出来るかもしれないな。亜空間ならそんな制限はないかもしれない。現実世界の物理法則に縛られる理由はないんだし。

 だとしたら……壊れた物も時間遡行で元通りに出来る? おお、クレイジーな金剛石じゃん! 髪型、リーゼントにする?

 けど、時間に関しては教えても使いこなせないかもな。なにせ、この世界にはまだ時計も無いんだから。時間の認識がルーズ過ぎる。


 まぁ、単に亜空間との扉を開くだけの魔法って可能性もある。

 だとしても、あの量のガラクタが入るなら十分だ。荷物を持ち歩かなくて済むから、馬を使っての高速移動や貴重品の安全な移送なんかもできる。戦いに明け暮れるこの世界では重宝されるだろう。

 べ、別に、荷物の持ち運びくらいなら俺にも出来るし! 悔しくなんてないもんね!


「おそらく、これまで認識できなかった『空間』を認識できたことで、亜空間魔法の発現に必要な条件を満たしたんでしょうね」

「空間……」


 コリン君は盲目だから、これまで世界を音と触覚でしか認識できていなかった。非常に限定的な認識だ。ただし、それは一部で健常者よりも深い認識だったかもしれないと、俺は考えているけど。

 そこへ、気配察知による視覚に近い空間認識が加わった。ある意味で視覚よりも広く深い認識だ。

 さらに、気配察知はこの世界の深淵である魔素を知覚する技術でもある。神秘の一端に触れることが出来る技術だ。

 ここまで条件が揃えば、如何に時空間魔法の取得条件が厳しかろうと、達成は時間の問題だっただろう。


「ジェイコブ君が言っていました。大きな怪我をしたことがないコリン様は運が良いって。実際は運が良いのではなく、大きな怪我をしそうになった時、無意識にその原因である危険物を亜空間に収納していたのでしょうね。だから掠り傷で済んでいたのでしょう」

「なるほど……だとしたら、どうすればこの魔法を使いこなせるようになるのでしょう?」

「ふむ……あのガラクタは、おそらく接触した瞬間に亜空間へと取り込まれたものと推測されます。であれば、手に触れて取り込む感覚で魔力を操作すれば良いのではないでしょうか? 取り出すときは、その逆操作ではないですか?」

「なるほど! ではやってみます!」


 コリン君がテーブル上の焼き菓子をひとつ手に取る。ラングドシャみたいな薄焼きクッキーだ。

 右手の上にそれを載せ、魔力を纏わせる。


 十秒、二十秒……コリン君の額に汗が浮いている。魔力は渦巻いたり脈動したりしているけど、クッキーに変化はない。


「ぷはぁっ、駄目だぁ」


 コリン君が大きく息を吐く。どうもあと一歩及んでいないみたいだ。


「何がいけないんでしょうか……」

「ふむ……物を移動させる時、移動させる先を見て認識してからそこへ置きますよね? もしかしたら、移動先の亜空間を意識していないと動かせないのかもしれません」

「移動先の亜空間……」


 コリン君が呟いた瞬間、クッキーが消えた。

 うおっ、マジか!?  割と適当なアドバイスだったのに!

 消えたクッキーが、再びその手のひらに現れる。取り出しも問題なくできるみたいだ。

 ……汗で湿ってるな。それ、バスケットに戻さないでね?


「っ! やった! 出来ました、教官! 初めて、初めて自分の意志で魔法が発動できました!」

「おめでとうございます。私も教師としての役目を果たせて嬉しく思います」


 やれやれ、初めて受け持った固有魔法属性の生徒が、無事発現までこぎつけた。一段落だ。

 けどコレ、ちょっと手順が難しいな。他の固有魔法使いに活かせる気がしない。マニュアル化が今後の課題だなぁ。

 なんにせよ、ひとつ肩の荷が降りた。当面の課題はクリアできたんじゃなかろうか。


「ありがとうございます、ありがとうございます! これで我がソウ家も改易されずに済むかもしれません!」

「……え? 改易?」


 なにそれ?

 ソウ家って子爵に移封昇爵されたばかりじゃなかったっけ? なんで改易なんて話になってるの?

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