第276話

 やばい、ちょっと忙しすぎる。

 先生をしながら生徒もして、更には領主や経営責任者までやるというのは、ちょっといろいろ欲張り過ぎたかもしれない。


 自分の講義が無い日は文字通り領地へ飛んで帰って、溜まった決裁書や指示書にサインを書いたり、留守を任せているイメルダさんでは判断できない案件の裁決をしたりしなければならない。

 まだ公共工事も終わってないから現場での土木作業もしなければならないし、ワイズマン伯爵そんちょうと合同で行ってるお酒の製造もあるから、ダンテスの町にも顔を出さなければならない。

 大森林の拠点も放置できない。飼いネコを放置するだなんてとんでもない! ちゃんとお世話しないと。


 王都、領地、現場、さらにはダンテスの町と大森林の拠点とを一ヶ月の間に行ったり来たり。


 マジチート魔法の平面魔法がなければ、とてもじゃないけどこんな生活はできない。領地や拠点の運営を代官に丸投げするか、学園の仕事を受けないかのどっちかだろう。

 色々と出来すぎるのも考えものだな。


 今日も今日とて、領地のドルトンに戻ってきて決裁書類のチェックだ。

 一応、俺のところに回ってくるまでにイメルダさんとクリステラ、キッカのところでチェックされるから、サインをするだけの簡単なお仕事だったりはする。

 けど、結構な枚数がある上に印鑑じゃなくて手書きだから、地味に重労働だ。終わる頃には、腱鞘炎になるんじゃないかってくらいに手首が熱を持ってたりする。大森林で猪人オークを狩ってるほうが絶対に楽だ。


「はぁ、やっと終わった」

「あらあら、お疲れさまです。はい、疲れがとれる黒柑蜜茶ですよ」

「ありがとう、ルカ」


 温かいカップから立ち上る湯気に乗って、柔らかな柑橘系の香りが執務室の中に広がっていく。

 一口含むと、完熟黒柑の酸味に大森林産のミツバチの巣から採った蜂蜜の甘みが、舌から喉、食道を通って胃へと、優しく流れていく。確かに疲れが取れそうだ。

 このお茶も特産品にしようと思って作ったものだけど、まだ商品化はできそうにない。

 黒柑は開拓した土地で果樹園が作られてる最中だから、いずれ安定生産できるようになる。けど、蜂蜜が希少過ぎて販路に乗せられない。売るほどの数量が確保できない。

 うーん、果樹園併設で養蜂場もつくるべきか? でもドルトンで作ると大森林産って言いづらいんだよなぁ。若干は大森林の花からも蜜を採ってくるだろうから、なんとか言い訳はできる?

 いや、商売には誠実さが必要だ。それなら南部辺境産で売りだした方がいい。よし、それでいこう。

 早速用地を確保して……おっと、いけない。こうやって仕事を増やすから、いつまで経っても楽にならないんだよな。

 別に俺がやらなきゃいけないわけじゃないんだから、誰かに任せよう。あとでイメルダさんと相談だな。


「さて、それじゃ屋敷に帰って温泉にでも……」

「はーい、おかわり持って来たでー!」


 キッカが行儀悪く肘とお尻で扉を押し開き、両手には書類を抱えて部屋に入ってきた。どうやらまだ帰れないらしい。


 うーん、本気で仕事を減らさないとな。



「はぁ〜、生き返るぅ〜」

「ビートあんた、なんだかオジサンっぽいわよ?」


 夕方、口から魂が出そうな気分で自宅の露天風呂に浸かっていると、一緒に入っていたジャスミン姉ちゃんにツッコまれた。いいじゃん、中身は紛れもなくオッサンなんだから。

 この露天風呂も、屋敷の改築に合わせて改修されている。浴槽の大きさは面積的に約五割増しの楕円形になり、他にも極浅く石枕付きの寝ころび湯、逆に小さくて少し深めのツボ湯、高い位置から細く落ちる打たせ湯を増設した。もはや自家用スーパー銭湯だ。あとはマッサージとサウナがあれば完璧。やはり日本人たるもの、風呂にはこだわらねば。


「そうは言うけど、その辺のオジサンの倍くらいは働いてると思うんだよね、僕」

「それはそうかもしれませんわね。体感ですけど、領内は以前より活気があるように感じますわ。これもビート様の働きがあったればこそではありませんかしら?」

「体感やないで。実際、今年ここまでのフェイス家の収支は去年のこの時期の三割増しや。この調子やったら、年末決算のときは五割以上上回るんちゃう?」

「すげぇな! 今までもすげぇって思ってたけど、今年はそれ以上なのかよ!」

「お魚の水揚げも増えてるみゃ! これはボスのおかげで間違いないみゃ!」

「あー、獲らぬ狸の皮算用って言ってね。先のことはまだ分からないから、決算のことはまだいいよ。まぁ、魚が食卓に並びやすくなったのはいい事だよね」


 来年の話をすると鬼が笑うって言うけど、半年以上先一年未満だと子鬼ゴブリンが笑いそうだ。あの下品でいやらしい笑顔は見たくない。

 漁獲高上昇は、ビッグジョー退治と港湾整備のおかげだろう。魚市場も整備したら、もっと活気が出るかな? 加工工場を作って干物や乾物を特産品にしてもいいな。

 おっと、また仕事を増やすところだった。危ない危ない。これも適当な誰かに丸投げしよう。投げてばっかりだな、俺。


「今は皆が手助けしてくれてるからなんとか回ってるけど、もういっぱいいっぱいだと思うんだよね。誰かひとりが倒れたら回らなくなっちゃう。もうちょっと、いやもっと仕事を誰かに割り振って、僕たちの仕事に余裕を持たせようと思うんだ」

「うーん、それはええと思うけど、ちょっと難しいんちゃう?」

「ですわね。ドルトンここには人が集まってきていますけど、多くは学のない平民ですわ。商人に任せるにしても、信頼できるのはトネリコ様とビンセント様くらいですし。仕事を任せられる人材が足りませんわ」


 だよねぇ。

 お役所的役割の冒険者ギルドも、今は業務多忙でパンク寸前だし。

 本来、独立領主なら自前の統治機関を持ってるのが普通で、冒険者ギルドは国の出先機関としての役割しか担わない。突然領地持ちになってしまった俺にはそんな機関を用意する時間がなかったから、仕方なく代行してもらってるだけだ。いずれは自前で人を揃えて、全ての業務を引き取らなければならない。

 そもそも、国の機関である冒険者ギルドに役所としての機能を任せている現状は、フェイス家の内情が国にダダ漏れということでもある。うちの台所事情が、田舎の井戸端会議並に筒抜けになっているわけだ。これは非常によろしくない。早急に文官を集めて組織しなければならない。

 けど、それが難しいんだよなぁ。


「ああ、どこかに読み書き計算や交渉ができて、ついでに信頼できる人材が沢山いないものかなぁ」

「あらあら、ずいぶんと欲張りな希望ですね。うふふ」

「せやな。そんな人がおったらうちらはずいぶん楽になるけどな」

「だよねぇ……あっ!?」

「「「えっ?」」」


 なんとかなるかもしれない!



「いやぁ、よう声かけてくれたな、マジで助かるわ!」

「いやいや、こちらとしても皆が雇われてくれると大助かりだよ。よろしくね、トーマさん」


 差し出されたトーマさんの右手を握る。契約成立だ。


 トーマさんはキッカの伯父で、海エルフのちょい悪親父だ。ケント君の父親でもある。

 先の戦乱では多くの海エルフがジャーキンに捕まっていた。それを俺が開放し、戦後はトーマさんが彼らのまとめ役になり、ボーダーセッツを拠点に商売をしていた。今回、それをフェイス家へ引き抜いてきたというわけだ。

 元々海エルフたちは、自前の船で航海しながら一生を過ごす生粋の海の民だ。それがジャーキンに捕まったときに船を奪われ、戦後も返ってはこなかった。そのため今はボーダーセッツでコツコツ稼ぎ、新しく船を買うための資金を貯めているところだったそうだ。


「けど、ええんか? ワイら海エルフやで? 一時の雇われとはいえ、貴族の家臣やらになったら、他所から何か言われへんか?」

「いいのいいの。新興貴族ってことで、陰で色々言われるのは今更だから。そんなことより優秀な人材確保のほうが優先だよ」


 表立っての差別はないけど、やはり貴族の中には純粋なヒト種以外に対する差別意識がある。獣人やエルフ、ドワーフを格下に見る風潮だ。『皆(大多数)と違うから』という、理由とも言えない理由による差別。

 そんな幼稚な考えに構っていられるほど、俺は暇じゃない。メチャ忙しいのだ。

 そもそも、海エルフは国を股にかけての貿易を生業とする、生粋の商売人でもある。当然、交渉にも計算にも長けているし顔も広い。文官としては申し分ない。

 また、キッカの親族ということで一定の信頼もおけるし、魔法を使える者も少なくない。

 人材としては、一級を越えて特級だ。そんな人材を活用しない選択肢は、この人手不足のフェイス領にはない。


 本来、海エルフにはどこの国にも人にも仕えない、独立独歩の気風がある。今回俺に雇われてくれたのは、助けたことへの恩義という理由もあるだろう。人助けはするものだ。

 とはいえ、雇用にあたって、いくつかの条件は出されている。


 ひとつは、船の確保だ。大型の外洋船をフェイス家で用意し、その運用を海エルフたちに任せてほしいというもの。

 なんでも、どうしても船での貿易がしたいという連中が一族の中に少なからずいるらしく、仕事はするから交代で乗させて欲しいのだそうな。

 俺としては、貿易もまた利益になるから全然問題ない。王都の造船所に掛け合って、大型で例の魔道具付きの船を発注済みだ。


 またひとつは、雇用契約解除の自由だ。自前で船を買えたら、また海の生活へ戻りたいのだそうだ。

 この国では、一度貴族家に仕えたら末代までその貴族家に仕え続けるのが普通だ。だから父ちゃんもずっと伯爵そんちょうに仕え続けてる。

 貴族から解雇を言い渡されるならともかく、自分から辞めるというのはありえない。そのありえない事を認めてほしい、もし辞めずに働きたいという人がいれば、それはそのまま雇用継続してほしい、という条件だ。

 元日本人にとっては当たり前の『職業選択の自由』だから、俺は当然の権利として認めた。もちろん、辞めるときにはフェイス家の内情を秘匿するという『守秘義務』の契約書にサインしてもらうけどね。元日本人なら当たり前。


「いやぁ、すまんなぁ。こっちの我が侭聞いてもろてばっかりで。おまけに家まで用意してもらえるやなんて、至れり尽くせりやん。この恩は働きでバッチリ返させてもらうわ」

「うん、期待してるよ。しばらくは冒険者ギルドで職員見習い班と、僕の商売の引き継ぎ班に分かれてもらうから。船ができたら貿易班を作って運用してね」

「おう、まかしとき! あんじょうやらせてもらうわ」


 ふう。

 すぐにとはいかないだろうけど、なんとかなりそうだ。これで少しは楽ができるようになるだろう。

 自由を作るのって難しいな。

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