第275話

「オレは伯爵家の長男だ。将来はオレが領地と爵位を継ぐことが決まっている。だから、これまでそれに相応しい教育を受けてきた。読み書きや算術、剣術だって北派の初伝までもらえた。魔法は使えるようにならなかったけど、同じ年代の連中の誰よりも努力してきたと思ってる。実際、学園に入ったばかりの頃は、オレより強いやつも頭の良いやつも居なかった。オレは選ばれた人間だと思ってた」


 場所を魔法講義室の準備室に移して、ジャンポール君の告白を聞いている。なんか、懺悔っぽい。俺は神父じゃないぞ。

 そういえば、この国には教会がない。神殿ならあるけど、そこで懺悔とかしてるのかな? まぁ、俺はそんなに信心深いほうじゃないから、懺悔する機会なんてないだろうけど。


「学園へ入学する前に、父上から言われたんだ。『学園で自分の派閥を作れ。それが将来の領地運営に繋がる。可能であれば宮廷貴族の子供を引き込め。王城内での発言力を強くするんだ。それと新しい魔法の教師は王家派だから、お前が取り込まれるようなことには絶対になるな』って」


 おっと、ジャンポール君の独白はまだ続いてた。今の俺は先生だからな。生徒の主張に耳を傾けなければ。大人の監修が入っていない生の青年の主張は貴重だし。


「すぐにクラスではオレの派閥ができた。ブルーウォーター家の寄り子の子供だけじゃなくて、宮廷貴族の子供も入ってきた。オレは父上の期待に応えられている、そう思ってた」


 テーブルの豆茶からはまだ湯気が立っている。せっかく俺が手ずから煎れたのに、まだジャンポール君は口を付けていない。冷めるよ? あ、毒が入ってないか警戒してる? そんな訳ないか。お、一口飲んだ。美味いだろう? キッカの魔法で急速脱水、ルカの魔法で瞬間焙煎されてるから、風味が飛んでないんだ。これできな粉作っても美味しいかもな。大豆じゃないけど。


「けど、おま、教官の魔法の授業で何人か離れていって、武術の授業で負けた後は全員が俺から離れていってしまった。そのときは『馬鹿な奴らだ、魔法使いになれるだなんていう妄言に惑わされて。俺に付いてくれば将来優遇してやれたのに』って思ってた」


 今『お前』って言おうとしたな? 俺は年下だけど一応先生だからな? 礼儀は守れよ? まぁ、言い直したから突っ込まないけどさ。


「けど、この二ヶ月、三ヶ月で、奴らの中には本当に魔法使いになった奴もいて、武術ではあのソウにまで体力で負ける有様で……それが魔法の授業のおかげだってことは誰にでも分かる。授業を受けてない俺だけが落ちこぼれてるんだからな」


 ジャンポール君がカップを両手で握りしめる。割らないでね? まだ王都ではトネリコさんの商会でしか扱ってないドルトン陶器だから。最近開発しました。新しい産業になるかなと思って。


「落ちこぼれだ! オレだけが、伯爵家の跡継ぎなのに、オレだけが落ちこぼれている! このまま卒業になれば、オレだけが無能扱いされる! そうなればオレは廃嫡だ! 家を追い出されるだろう! それだけは耐えられない! ……だから、こうして恥を忍んで頭を下げに来たんだ」


 上がったテンションが急落したな。手に握りしめたカップが熱いことに今更気づいたのか、テーブルに戻して手を擦り合わせている。


「頼む、お願いします。オレに魔法を教えてくれ、ください。王家派に入れというなら、父上には秘密で入るから……だから、お願いします!」


 テーブルに頭をぶつけるかという勢いで、ジャンポール君が頭を下げる。


「なるほど、落ちこぼれることと廃嫡になるかもしれないということへの恐怖から、節を曲げてでも頭を下げに来たと、そういうことですか」

「そ、そうだ。それだけの覚悟をオレは」

「だが断る!」

「え……」


 この人生で何度目だかの『だが断る!』だ。けど、ちゃんと文脈的に正しく使ったのは今回が初めてかもしれないな。


「なんでだよ! オレが悩んで、我慢して頭を下げに来たのに! なんで教えてくれないんだよ!?」


 激昂っていうのかな。今にも掴みかからんという勢いでジャンポール君が立ち上がる。手を叩きつけられたテーブルが揺れて、倒れそうになったカップを平面魔法でさり気なく支える。こぼれたら掃除が面倒なんだよ。


「まず、君は三つ勘違いをしています」

「勘違い? オレが何を勘違いしているっていうんだ!」

「まぁ、とりあえず座りなさい。上から見下ろすのが癖になっているのかもしれませんが、君は今、頼み事に来ています。お願いする立場の者が見下ろすのは礼を欠きます」


 あくまで平静に、声を荒らげずに諭す。大人の余裕ですよ。肉体年齢が低いだけで、中身は中年のおっさんだし。何かあっても余裕で対処できる能力もあるしね。


「まずひとつめ、私は王家派ではありません」

「え? だって、陛下の懐刀って……」

「誰なんでしょうね、その噂を広めたのって? 私は王家派はもちろん、貴族派にも中道派にも属していません。いままで何処かの派閥に属したことは全くありませんよ」


 まぁ、圧倒的犬派ではあるけども、政治的には無派閥だ。政治の世界に犬派があるなら入る。ハト派には入らない。

 多分、噂の出処は王様だな。あの王様は抜け目ないから、利用できるものは何でも利用する。現に俺のことなんて利用しまくりだ。児童福祉法がないからって、子供を働かせすぎ。覚えてろ、いつかこのツケは払ってもらうからな!


「なので、君が旗幟を変える必要はありません。貴族派でも中道派でも好きにしなさい」

「は、はぁ」


 少し落ち着いたというか、毒気を抜かれた感じかな。まぁ、都合がいいからこのまま進めよう。


「ふたつめ、私は教師です。学ぶ意志のある生徒を拒むことはありません。あの誓約書に記名さえしていただければ、いつでも授業を受けることが出来ます」

「でも、あのときは授業を受ける気がないなら出ていけって……」

「そりゃそうです。学ぶ気がないなら教えても身に付きません。誰にとっても時間の無駄です。誓約書を書いてもらうのは、そうしないと危険だからです。貴方だけでなく、周囲の人や街、国にまで危険が及ぶからです。だからといって、学ぶ事自体を禁止したくはありません。これでも教育者ですので。それ故の誓約書なのです」


 危険なものを子供から遠ざけようというのは、子供を思う親心だ。それ自体は悪いとは思わない。

 けど、何が危険でどんな影響があるのか、それは教えなければならない。そうしないと、知らずに危険へと足を踏み入れてしまう。しかも対処する方法を知らなければ、余計なことをして状況を悪化させる危険すらある。

 危険だからといって何でも隠してしまうのが良いとは、俺は思わない。むしろ危険なことほど、よく知っておく必要があると思っている。

 これから先、魔法が広く使われるようになれば、それを研究したいと思う人だって出てくるだろう。教育者としては、それを止めたくないし、止められない。

 そんなとき、ここまでは研究しても大丈夫というボーダーラインがあれば歯止めが効く。それがあの誓約書だ。最後の一線を越えないための防御壁。

 あの誓約書は必要だ。魔法使いは絶対に書かなくてはならない。

 ただし俺は除く。俺は既に禁忌の詳細まで知っているから、書いても無意味なんだよな。それが禁忌であることも知っているから、研究する気にもならないし。


「そして三つ目、不幸なつもりになって浸ってんじゃねぇぞ小僧」

「っ!」


 若干の殺気を混ぜた魔力を放出しつつ、低めの声でジャンポール君を静かに見つめる。口調も若干粗野にしてみた。小僧は俺だけど。

 ジャンポール君が息を呑んで身を固くする。最近は上手く調整出来るようになってるから、漏らしたり気絶したりしない程度に抑えられてる。はず。


「落ちこぼれる? 廃嫡される? それは甘えです。自分で行った選択の結果です。その結果に責任を持ちなさい」

「う……」


 学校っていうのは、勉強をするだけじゃなくて社会に出るための訓練と準備をする場所でもある。

 そして、社会に出てまず求められるのは、決断だ。何かをする、しないを自分で決めないといけない。大人だからな。他人任せ保護者任せでいいのは子供の間だけだ。

 そして、その決断には常に責任がついてくる。貴族で領主ともなれば、その責任の重さは学生の比じゃない。その肩に領民と領地の未来が伸し掛かってくる。何千何万という命を背負う覚悟が必要だ。

 俺みたいに無理やり背負わされたとしてもね。はぁ、面倒臭い。


「将来領主になるのであれば、仕事での甘えはもちろん、失敗など絶対に許されません。そして学生の仕事は勉学と鍛錬です。決断を誤って落ちこぼれるなら、それは当然の結果です」

「……はい」


 ジャンポール君が目に見えて小さくなっている。結構堪えたっぽい。まぁ、やり込めるのが目的じゃない。このくらいにしておくか。


「しかし、君は運がいい。学生はまだ準備期間です。やり直しはできますよ」

「え?」

「社会に出ると失敗は即処分の対象になりますが、学生の間なら猶予期間が与えられるものです。その間ならやり直しの機会が与えられます。まだ手遅れではありません」


 とは言え、なにも考えずに手を出しまくるのは間違ってるけどな。

 何をするかしないか、何をしてはいけないかを考えて結果を予測し、最善最適じゃなくても後悔しない選択をする。それが大事。


「そ、それじゃ!?」

「はい、この誓約書に署名して、次回の授業から参加しなさい。大丈夫、やる気があればすぐに追いつけます。君も魔法使いになれますよ」

「は、はい! 書きます! よろしくお願いします!」


 スッと、ジャンポール君の前に誓約書とペン、インクを差し出す。ジャンポール君はすぐにペンを取って誓約書にサインをする。

 どうやら問題児がひとり更生しそうだ。


 あ、お茶が冷めてる。やれやれ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る