第269話

 魔法の授業が一巡したと思ったら、今度は武術の授業だ。

 と言っても、急に決まった担当だから、準備なんてほとんど出来ていない。

 しょうがないから冒険者学校方式を丸パクリだ。いや、冒険者学校方式も考えたのは俺だからパクリじゃない。

 そして、またしても最初の講義は一年生から。そういう時間割になってるんだから仕方がない。


「武術の基礎は体力、そして足腰の力です。つまり走る力。これが基礎にして全てと言っても過言ではありません。ということで、今日の講義は運動場を走ります。はい、よーい、どん!」


 手を叩いて生徒に走るよう促すと、戸惑いながらも体操着の一年生たちが走り始める。同じく体操着の俺も一緒に走る。


 生徒は長袖長ズボンなんだけど、何故か俺だけ半袖半ズボンだ。

 今日が武術の初回講義だって言ったら、ルカにこれを着ていくように強要、いやお願いされた。超寒いけど、あの血走った目でお願いされたら断れない。後が怖い。


 冒険者学校の武術の授業では、先ずは徹底して走り込みをさせることになっている。一ヶ月くらいは延々走るだけだ。武器や素手での戦闘術はその後に教える。

 というのも、冒険者として最も重要な能力が『持久力』と『足腰の力』だからだ。


 この世界にはアイテムボックスやストレージ、空間魔法なんていう便利な輸送魔法はない。なので、荷物があるなら鞄に入れるか荷台に乗せて運ぶしかない。

 冒険者は魔境で獲物を狩り、その素材を持ち帰るのが主な仕事の一つだ。

 そして魔境では地形の問題等で荷車を使えないことがほとんどだから、必然的に手に入れた素材は自力で持ち帰らなければならないということになる。

 であるならば、できるだけ多くの素材を持ち運ぶことができる、より大きな重量に耐えられる足腰の強靭さは不可欠だ。


 それに、魔境は人間の手が入っていない自然のままの環境だ。当然整地なんてされていない。上り下りに凸凹、沼地や岩地なんていう歩き辛い地形ばかりだ。

 そこに分け入れば、当然のように平地を歩くよりも体力を消耗する。そんな中を、素材や獲物を探すために一日中歩き回ることもあるのだ。体力がなければできることじゃない。


 そんなわけで、走るのは最重要の鍛錬だ。走り込みは脚力も持久力もついて一石二鳥だし。


「きょ、教官、これ、いつまで、走るんですか?」


 バイデン君が俺に尋ねる。走りながらだから、息が苦しそうだ。


「この講義の時間いっぱいまでです。速さは問わないので、可能な限り走り続けてくださいね」

「「「ええぇ〜っ!?」」」


 生徒たちから絶望と不満の声が上がる。まぁ、そりゃそうか。けど必要なんだよ。冒険者じゃなくてもね。


「やってられるか!」


 反抗の声を上げたのは、やっぱりジャンポール君だ。


「オレは伯爵家の嫡男だ! 戦いでは馬上から指揮する立場だ! 雑兵みたいに走り回る必要なんてない!」

「そ、そうだ! 貴族は走らなくてもいいんだ!」

「アタクシも汗を掻くのはちょっと……」


 それに数人が同調する。まぁ、言ってることは分からないでもない。

 貴族は冒険者じゃないから、魔境に踏み入ることは殆ど無い。領内に魔物が出ても大抵は部下が対応するから、貴族が魔物と戦うことはほぼない。俺や村長は例外。

 貴族が戦うのは戦争や紛争くらいで、それも後方で指揮を採ったり部下を鼓舞するのが役目だ。ジャンポール君が言う通り、馬から降りることは殆ど無い。なんなら、武器を手に取って戦うことすら殆ど無い。

 けど、


「死ぬよ?」

「えっ?」

「今の戦争で馬になんて乗ってたら、戦いが始まってすぐに死ぬよ?」

「な、なんでっ!?」


 おっと、口調が平常モードに戻ってしまっていた。講義中だから大人モードに戻さないと。


「ジャーキンが銃という武器を開発したのは知っていますか?」

「それくらい知っている! 先の戦争でも使われたのだろう? 弓より遠い間合いから矢よりも速い鉛玉を飛ばす武器だと、あっ……」

「気付いたみたいですね。そう、馬に乗っていると銃で狙われるんですよ」


 前世でもそうだったけど、銃の登場は戦争の在り方を一変させる大事件だった。

 それまでの個人の武勇が戦況を左右した『英雄の戦争』から、大量の弾幕が戦況を支配する『群衆の戦争』へと時代を変えてしまった。

 この世界でも同じことが起きるだろう。魔法がある分、少しだけ変革には猶予があるかもしれない。けど、それも時間の問題だ。魔法より強力な銃やミサイルが発明されるのは、そう遠い未来じゃない。


「そ、それなら鎧兜よろいかぶとで守れば!」

「馬を狙われたら? 落馬して身動き取れなくなりますよ?」

「それなら馬も鎧兜で」

「すぐに馬が潰れて走れなくなりますね。いざってときに逃げられませんよ?」

「に、逃げずに戦って勝てばいい!」

「重い鎧を着たままで? それ、ものすごい体力が必要になりますね」

「なら、身体を鍛えれば……あ……」

「そういう事です。足腰を鍛えないと、これからの戦争では貴族から死んでいくことになるんです。そのための走り込みです」


 結局、最後に頼れるのは鍛えた自分の身体だけってことだな。鍛えた筋肉は決して裏切らない。絶望の中に残された最後の武器、絶体絶命のピンチでも頼りになる最高の戦友、それが筋肉なのだ!

 ……マッスルブラザーズを肯定するようでちょっと悔しい。


「でも、アタクシたち女性は戦場になんて行きませんし……」

「痩せられますよ」

「えっ!?」

「足には全身の半分近い筋肉が存在しています。そして筋肉は存在するだけで大量の栄養を必要とする上、運動すると更に大量の栄養を消費します。つまり、足を鍛えると栄養を消費して痩せやすくなるのです」

「そ、それは本当ですのっ!?」

「はい。それに、走るという行為は身体に溜まった脂肪、つまり贅肉を減らす効果があります。つまり、走ると痩せやすいということですね」

「アタクシ、走りますわっ!」


 この娘はどことなくクリステラに似てるな。いや、貴族の令嬢というのは、これがスタンダードなのかもしれない。

 数人の貴族令嬢が同意を示す。どの世界でも、女性の痩せたい願望というのは一定数あるようだ。


「さて、走ることの重要性は理解していただけたかと思います。しかし、それでも納得できない人はいるでしょう。武術の講義なのだから武術を教えて欲しいという人たちですね。いいでしょう、教えましょう」


 そう俺が言うと、場が一瞬ザワつく。まぁ、走るだけの単純な運動より、剣や槍を振るほうがカッコいいし楽しそうだもんな。

 でも、当然それには条件がある。


「ただし、私に模擬戦で一撃でも入れられたらです。それくらい熟達しているなら、いまさら走り込みをしろとは言いません。いえ、今後の武術の講義自体を免除しても構いません。とはいえ、一対一では勝負にならないでしょうから、走りたくない人全員対私ひとりでいいですよ。誰かひとりでも私に一撃を入れられたら、参加者全員を受講免除にしてあげます。その代わり、誰も一撃を入れられなかったら、次回からは重りを背負って走ってもらいます。その条件でいいなら、私に挑んでください」


 再び場がザワつく。必要性が分かったところで面倒なものは面倒だもんな。人間は楽な方へ、低い方へと流れる習性を持つ生き物だから。

 悩んでる悩んでる。自分ひとりでは無理でも、集団でならなんとかなるかもと考えているんだろう。それで楽ができるならと。

 一方で、負けたときのリスクも考えているはず。重りがどのくらいの重さかは分からないけど、それを今後も背負って走るのは辛くないか、リスクとリターンは見合っているのか。


「いいだろう、オレはやるぞ! お前に一撃入れて、こんなくだらない講義なんておさらばだ!」


 最初に参加を表明したのは、やっぱりジャンポール君だ。いいね、ブレがない。

 それに続いて数名が参加を表明する。全部で八名か。女子はいないな。皆痩せたいらしい。


 さてと。躾は最初が肝心。体罰は以ての外だけど、力関係の刷り込みは必要だ。

 さて、それじゃ小僧共に世の中の厳しさを叩き込んでやるとしますか。

 俺が一番の小僧だということは棚に置いておくけどね。

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