第265話

 ホットスプリング先生の説明が終わり、これで入学式の全日程は終了だ。いやぁ、長かった。気分的に。

 今日のこの後の予定は、生徒は寮へ戻って明日からの授業の準備、教師は教員待機室で終礼ということになっている。今日の反省と明日以降の連絡事項の通達だな。

 当然、俺は終礼に参加だ。個人的にはクラスの内情を知るためにクラスメイトとコミュニケーションを取りたいんだけど、教師としての仕事をさぼるわけにはいかない。仕方なくホットスプリング先生の後ろについて待機室を出る。


「フェイス先生は大変ですな」

「いえ、それほどでも……と言いたいところですけど、全てが初めての事ばかりで、実は正直戸惑っています」

「ハハハ、それはそうでしょうな! 生徒で先生なんていうのは、この学園史上初めてですから。教師生活二十年の私も経験したことがありませんよ。皆初めてというわけですな! ハハハハ」


 ホットスプリング先生と談笑しながら教員待機室へ向かう。

 ホットスプリング先生は、元は子爵家の次男だったんだけど、教師になって準男爵位を貰い、それから大過なく十年務めて男爵に陞爵したのだそうだ。つまり歴とした貴族家当主だったりする。

 というか、学園の教師は全員が貴族家当主か、その配偶者だったりする。

 これは学園に通う生徒の多くが貴族家の子女であるため、学園内では貴族であることは考慮されないという建前があったとしても、平民では生徒に強く当たれないという事情があるからだ。

 そもそも、貴族の出身でなければ教師になれるような高等教育を受けられないという事情もある。

 俺みたいに『教育を受ける側でありながら教育する側にも立つ』なんていうのは本当に例外中の例外だ。

 もっとも、そのせいで貴族間の派閥争いなんていうくだらないものを学園に持ち込んでしまった弊害もある。何もかも上手く行く事例なんていうのは極僅かってことだな。


 学園の教師は高給取りだから暮らしぶりは悪くなく、嫁とふたりの子供との生活に何の不満もないとのこと。聞いてもいないのに、出会って十分で全部話してくれた。ホットスプリング先生はかなり話好きらしい。

 あと、声がデカい。隠し事は、しようと思っても出来ないタイプだ。

 暮らしに不満がないから王家にも不満はなく、むしろ教師を厚遇してくれる代々の王家の政策には肯定的で、派閥的には王家派寄りの中立派に属しているのだそうだ。

 なので、ガチの王家派ということになっている俺にも比較的親密に接してくれる。ありがたいことだ。


「ワイリー主任も、悪い方じゃないんですがね。教育者としては至極真面目で指導にも熱心だ。ただ、派閥への勧誘というか、思想の伝道にも熱心なだけで」


 王家に雇ってもらっている学園教師なのに王家に反発する貴族派って、自分の立場をどう考えているのか理解に苦しむな。まるで、日本の国会議員なのに大陸や半島の国に便宜を図ることばかり主張している某政党みたいだ。どこの党とは言わないけど。

 ああ、お金か。何らかの利益供与があるんだな? あの党にも資金洗浄された半島や大陸からの資本が流れ込んでるって噂だったしな。

 この国の貴族派連中にも、同じように資金が提供されているのかもしれない。人間の考える事は、世界が違っても大差ないだろうしな。


 ホットスプリング先生がこれを俺に伝えたのは、俺にも釘を刺したかったからだろう。あまり王家派という思想を生徒に刷り込まないようにして欲しいということだな。


「そうですか。そうですね、我々教師は常に思想的中立であるべきでしょう。子供から思想の自由を奪うような行為は避けなければなりません、留意致します」

「いや、そこまでの深い意図は無かったんですがね。しかし、流石に聡明だ。そうですな、我らは子供に可能性を与える事はあっても、奪う事があってはいけない。私も肝に銘じましょう」


 そもそも、俺は王家派ですらないんだけどな。別に王家を信奉してるわけじゃない。王家とは仕事だけのドライな間柄だ。けど、姫様を婚約者に押し付けられたこともあってガチ王家派と周囲からは見られている。いい迷惑だよ、まったく。

 まぁ、いざとなったら全部放り出して大森林に引き籠るつもりだけど。あそこなら余計なしがらみが無いから自由に生きていける。教師なんていう、こんな面倒くさい仕事をする必要もない。

 ……もう今から引き籠ろうかな?


 教員待機室で終礼をしたら今日の仕事は終わり。今日はゆっくり休んで明日からの学園生活に備えよう。

 はぁ、本当に長い一日だったなぁ。



「今夜はアタシの番よ! いっぱい気持ち良くしなさいよね!」


 ……まだ俺の本当に長い一日は終わらないらしい。



 入学式が終わって、今日は一月十六日。学園が始まる日だ。

 と言っても始業式はないし、授業もまだ始まらない。授業開始は二十一日からだ。

 今日は生徒たちに本年度の全教科の授業日程が書かれた紙が渡され、それを元に生徒たちは受ける授業を選択する。選択したら、それを十九日までに担任へ提出する。授業を受けるのはその後だ。なんか大学っぽい。

 とはいえ、授業の科目は多岐にわたっているけど、学年ごとの必修科目もあるから、実はそれほど自由度は高くない。選択制なのは全体の二割程度で、ほとんどの授業では同じ顔触れが並ぶことになる。

 俺はというと、必修以外では、あまりクラスメイトと一緒に授業を受けることはなさそうだ。一年生の選択授業の裏に俺が講義する二年生や三年生の魔法学の授業があったりするから仕方がない。


 俺の魔法学の授業があるのは、日付の末尾が二、三、四の日の午後。月に九回だ。

 ちょっと少ないような気がするけど、学園の授業は一日にふたコマ、午前と午後にひとコマずつしかないから仕方がない。

 大体十時くらいからお昼までがひとコマ目で、お昼から十五時前くらいまでがふたコマ目。

 なんというゆとり教育! なんて思ったりもしたけど、よくよく考えれば当たり前だった。

 この国では一日に二回、朝と夕方しか食事を摂らないのが普通だ。朝起きてひと仕事してから朝ごはんを食べ(八時頃)、夕方まで働いてから夕飯を食べる(十七時頃)。

 このサイクルは平民も貴族もほぼ同じだから、食事の合間に勉強をしようと思ったらこういう時間割にならざるを得ないというわけだ。生徒に仕事は無いけど、教師や親には仕事があるからな。

 ちなみに、学園ではお昼に軽食が食堂で振舞われる。育ち盛りだからな。お腹が減っていては午後の授業に支障が出るだろうという配慮だ。

 ああ、ジャスミン姉ちゃんが在学中に急成長したのは、このお昼の軽食のせいもあったのかもしれない。十分な栄養が供給されたんだろう。またひとつ謎が解けた、かも。


 というわけで、俺も待機室で皆とワイワイ授業の選択を……していない。

 待機室にはいるんだけど、教員待機室のほうだ。皆とじゃなくてひとりだし、しているのは授業の選択じゃなくて自分の授業の資料作り。

 三学年分だから結構な分量がある。授業が始まる前に、初回分だけでも作っておかないとな。去年までとは全く違う内容になるだろうし。


 そもそも、俺には選択できる授業がほぼない。十日に一度の『茶道』『音楽』『刺繍・裁縫』『絵画』の芸術系からひとつ選ぶだけだ。それ以外は必修科目と魔法学の授業で既に埋まってしまっている。

 『絵画』にするか『刺繍・裁縫』にするか迷ったんだけど、やはり元デザイナーということで『絵画』にしておいた。一番不人気の授業だそうで、担当の先生に泣きつかれて仕方なくという理由もある。教師間の付き合いも大変だ。ともあれ、これで授業選択は終了。簡単なものだ。


「さてと、こんなものかな?」


 つい独り言が零れてしまうのは、きっと疲れているからだと思う。休みが欲しい。具体的には夜のおやすみが。切実に睡眠が欲しい。

 共用の机の上には三学年分、通年の授業計画と初回授業用のアンチョコが広がっている。一通り再チェックして……うん、多分大丈夫。


「た、大変だ!」


 さて、それじゃまとめて帰ろうかと思ったら、その絵画の教師であるパブロ先生が待機室に駆け込んできた。また何かアクシデントらしい。


 はぁ、学校ってこんなにイベント多かったっけ? 教師と生徒の両方やってるから多く感じるだけ?

 やれやれだぜ。

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