第248話

 蓬髪に長いヤギ髭、袖と裾の長い生成りのローブ、先の膨らんだ木の杖。何と言うか、仙人っぽいお爺ちゃんだな。

 いや、髪と髭が緑色だから、やっぱり仙人には見えないか。やっぱり白髪白髭じゃないとね。禿頭に亀の甲羅でも可。


「えっと、お爺ちゃんは『ドライアド』でいいんだよね?」

「うむ、そうじゃな。この暗闇の森に四百年生きておる『黒柑こっかん』の木の現身うつしみじゃ」


 ドライアドは歳経た木の精だ。魔物化した木だとも言われている。付喪神みたいなもんだな。

 普通は妙齢の女性型らしいんだけど、今回は珍しく男性型だ。しかもお爺ちゃん。

 黒柑は、よく料理で使われる酸味の強い柑橘だ。実が生ってしばらくは緑色だけど、熟れてくるとアボカドみたいに黒くなるから黒柑と呼ばれている。

 実を緑色のうちに絞って料理に使うことが多いんだけど、黒く熟れると酸味の中に甘さと渋みが少し入って、グレープフルーツみたいな味になる。

 街の中や畑で栽培されてるけど、森の中にも野生種が生えていることがある。このお爺ちゃんは、そういった野生種のドライアドなんだろう。


「お主らヒトから見れば魔物という事になるじゃろうが、森の中で静かに暮らしておるだけの無害なじじいじゃ。どうか伐るのは勘弁してもらえまいか?」


 この世界のドライアドは、前世のファンタジーのドライアドとはちょっと違う。

 前世のファンタジーのドライアドは、妙齢の女性の姿で男を惑わし、取り込んで養分にするという恐ろしい魔物だった。エッチな魔物として登場することもあったな。

 一方この世界のドライアドは、樹木が魔素を蓄えて知性と現身を得ただけの比較的大人しい性質の魔物だ。誘惑したりエッチしたりということはない。

 もっとも、食虫植物型のドライアドは人を惑わせて捕り殺しちゃうらしいから、ドライアド全部が大人しいとは言えない。いい奴も悪い奴もいる。人と同じだな。

 このお爺ちゃんが黒柑の精なら、無害というのは本当だろう。黒柑は食虫植物じゃない。

 けど、ちょっと疑問も残る。


「確かに暗闇の森は魔境だけど、ドライアドが生まれる程、魔素が濃いわけじゃないよね? なんでお爺ちゃんはドライアドになったの?」


 ドライアドは、云わば植物版のゴーレムやダンジョンだ。魔素の非常に濃い場所に自然発生する。それほど魔素の濃くない暗闇の森に発生する道理は無いはず。


「それは、ワシが黒柑の樹じゃからじゃよ。ワシの実を目当てに魔物や魔族が集まってくるんじゃが、それを狙って肉食の魔物も集まってくるんじゃ。魔物は魔石まで喰わんからの。喰い残しの魔石がワシの周囲には多く残されておるんじゃ。それでワシの周りだけ魔素が濃くなったんじゃよ」


 なるほど、理屈は通ってる。人や魔物を取り込んで大きくなったわけじゃなさそうだ。それなら無害っていうのも頷ける。

 けど、言葉だけで信用するのは危険だ。実際に現場を見てみないと、本当かどうか分からない。魔境での油断は命取りだ。


「ふーん。でもとりあえず、お爺ちゃんの本体を見てみたいな。話はそれからだよ」

「むう、そうじゃな。では案内しよう」


 そう言って踵を返したお爺ちゃんの後を、俺とウーちゃんたちがついていく。まぁ、案内されなくても気配察知で場所は分かるんだけど。

 森の中は下生えが地面も見えないほど鬱蒼と茂っている。そんな灌木と下草の中を、お爺ちゃんは葉を揺らすこともなく進んでいく。実体は無いみたいだ。

 俺とウーちゃんたちは、灌木と下草を掻き分けて進んでいく。平面に乗って宙を飛んだ方が早いし楽なんだけど、ウーちゃんたちは草を掻き分けて走る方が好きなのだ。

 毛に絡みついた草の実や枯れ葉を取るのが大変なんだけど、遊ぶのもペットの仕事だ。後で苦労するのは飼い主の楽しみと思えばいい。


「お主の強さは見せてもろうた。ワシ程度では手向かいもできんじゃろう。じゃから、恥も外聞もなしに慈悲を乞いに出てきたのじゃ。草木はいつも耐えることしか出来んからの。頭を下げて生き残れるなら、いくらでも下げるわい」

「見てた? さっきのイノシシの魔物との戦いじゃ、僕は防いだだけだよ? アレだけで僕が強いって思ったの?」

「ワシはこの森にも街にも子や孫がおっての。その子や孫とは意識が繋がっておるのじゃよ。それで、随分前からお主のことは知っておったのじゃ、『首狩りネズミ』殿」


 なんと!? 魔物式定点カメラってわけか。それは凄いな。

 そして久しぶりに聞いたな、そのふたつ名。領主になっちゃったから、今は閣下とか領主様としか呼ばれないんだよな。あまり好きなふたつ名じゃないけど、呼ばれなくなるとちょっと寂しい。我儘だな、俺。


「あっ! それじゃ、今日伐った木の中にも子供や孫がいたんじゃ?」

「仕方のないことじゃ。それもまた草木に生まれたものの運命さだめ。しかし、抗えるならその運命にも抗わねばならん。それが今生きている者の性よ。幸い、ワシはこうしてお主と話すことが出来る。故に命乞いに出てきたというわけじゃ」


 お爺ちゃんが首を振りながら言う。


「やっぱいたのか、ゴメン」

「構わんよ。しかし願わくば、有効に活かしてくれるとありがたいの。ほれ、着いたぞい」


 そう言ってお爺ちゃんが指さした先には、樹高十メートルを超える大きな黒柑の樹があった。夕日を浴びて艶やかな濃い緑の葉が輝いている。

 初夏だというのに、既に真っ黒な実が枝先にいくつもぶら下がっている。完熟みかんだな。花の咲いている枝もあれば、小さな緑の実を付けている枝もある。

 魔物化した樹だ。季節通りに実をつけるわけじゃないのかもしれない。年中実が採れるなら、魔物が集まって来るというのも納得だ。

 樹の周囲は少し拓けた空き地になっている。草がチョロチョロと生えているだけだ。柑橘の葉は厚いから、陽が射さなくて他の植物が育ち辛いんだろう。

 地面を見ると、なるほど、鳥の羽や獣毛、骨に混じって魔石の欠片も落ちている。お爺ちゃんの言った事に嘘はなさそうだ。

 あっ、マッディスライムが何かの死骸にたかってる。こいつら、俺の魔力フラッシュバンに反応して逃げなかったのか。思考してなさそうだもんな。

 落ち葉が少ないなぁと思ったんだけど、スライムがここをエサ場にしてるからだな。ってことは、水場も近くにありそうだ。

 黒柑が実をつけ、その実を草食や雑食の魔物が食べ、その魔物を肉食の魔物が食べ、魔物の死骸をマッディスライムが土に還し、それを栄養に黒柑が実をつける。ここがひとつの生態系になってるみたいだ。


 そうか、前世じゃないんだから、ただ切り拓くだけじゃダメだよな。この世界にはこの世界独自の法則や生態系がある。それを無視して開拓しても上手くいくはずがない。取り入れていかないと。

 特にマッディスライムと紙の木だ。このふたつは辺境の生活に欠かせない。

 マッディスライムはいつの間にかやって来るからいいんだけど、紙の木は植えないと増えない。種から育てると時間がかかるから、森に生えている天然木を移植した方がいい。全部切っちゃうのは駄目だ。

 黒柑もそうだ。『桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十八年』っていうくらい柑橘系の木は育ちが遅い。種から三、四年で実は採れるらしいけど、美味しくはないそうだ。美味しい実が獲れるまで十年以上かかることも珍しくないらしい。既に育ってる樹があるなら、それを植え替えて育てた方がいい。すぐに美味しい実が食べられる。


「分かった。お爺ちゃんの樹は伐らないよ。それに、お爺ちゃんの子供たちもこれ以上伐らない。植え替えでどうにかするよ」

「おお、本当か!? ありがたい!」

「うん、こっちにも益がある事だからね。それで、この森にお爺ちゃん以外のドライアドは居る? もし居るなら教えて欲しいんだけど」

「いや、ワシの知る限りでは居らんのう。もっと奥に行けばるやもしれんが、そいつらは人とは交わらんじゃろう」

「どういうこと?」

「人を知らんからの。周りに居るのは魔物や魔族ばかりじゃ。人の姿も言葉も分かるまい。ワシは人里に子が居るからの」

「なるほど」


 確かに、人との接触が無いなら人の姿を取る必要はないよな。むしろ周りに居るゴブリンや猪人オークの姿を取った方がいい。

 妙齢のメス猪人型のドライアドか……異世界ファンタジー恐るべし!


 お爺ちゃん的には、自分とその子孫以外はどうなってもいいらしい。むしろ、他の木や草が無くなった方が栄養と陽の光を独占出来てありがたいんだとか。自然界の厳しさだなぁ。

 というわけで、大木のお爺ちゃんの樹はそのまま、子供たちは日当たりのいい開拓地の一角に植え替えすることになった。森の中で見つけた紙の木も同様だ。その他の木や草は伐採。

 このあたりは新市街になる予定だから、ランドマーク的な大木があってもいいだろう。王都にお城、ドルトンに黒柑の樹。うん、いいんじゃないかな?



「あら、それは黒柑の木ですわね。庭に植えますの?」

「うん、森に生えてたんだ。新しい屋敷に植えたら、いつでも新鮮な黒柑が食べられるでしょ?」


 黒柑の若木を一本、イノシシの魔物と一緒に持ち帰ってきた。もちろん、あのお爺ちゃんの子供だ。背は低いけど樹齢十年以上の成木らしい。もう花が咲いてるから、晩秋には美味しい実が採れるだろう。


「あらあら、助かります。お料理によく使いますから」

「汁は染物にも使えるらしいぜ! アタイ、工房で使い方を聞いてくるよ!」

「……お世話する」

「うみゃあ、魚に絞るのはいいけど、あの飛び散る汁は苦手だみゃ」


 一部を除いて、概ね好意的だ。


「まぁ、また魔物を拾ってきたわけやないし、ええんちゃう?」


 くっくっくっ。それはどうかな、キッカ君?

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