第228話
大歓声。
俺が競技台へと姿を現すと、物理的な圧力を感じる程の歓声が観客席から上がった。
訓練場の客席は満員御礼、通路までびっしりと立ち見が並んでいる。貴賓席のボックスの中も、貴族の関係者であろう客でビッシリだ。例外は王族専用のボックス席くらいか。
これ、火事とかで避難するような事になったら、将棋倒しで大惨事になるかもしれないな。次回開催のときには注意するように
混んでいるのは訓練場の中だけじゃない。訓練場の外も凄い人だ。建物の屋根の上とか、おそらくは属神の神殿の鐘楼であろう、一キロ近く離れた塔の上にまで人がいる。そんな遠くからじゃ見えないだろうに。
あ、望遠鏡持ってる? そこまでして見たかったのか。なら仕方がない。
そんな訓練場で、一か所だけ静かな場所がある。競技台の中央、
腕を組んで競技台中央に立ち、静かに俺を見下ろす子爵。その身に纏う魔力から、今日の気合の入り具合がよく分かる。
今回、子爵は本気らしい。ただでさえデカくてゴリマッチョな身体が、いつもより数倍大きく見える。格闘漫画でよくあるアレだ。『ゴゴゴゴ』ってやつ。
マジで起きるんだな、この現象。いや、俺がそれを知ってるからそう見えるだけかも。
よく見れば、競技台の上の子爵はいつもの子爵だ。戦隊ものの怪人みたいに巨大化してるわけじゃない。俺も合体ロボットを呼び出す必要はなさそうだ。そもそも作ってないから呼び出せないんだけど。
軽くジャンプして競技台に上る。うん、今までと同じ高さ、同じ広さだ。子爵が居る分、若干狭くなったようには感じるかも? 相変わらずデカいなぁ。
子爵は傷のあるいかつい顔に、いつもの太い笑みを浮かべている。服装もいつもの革服と革パンツだ。
外見はいつも通りなんだけど、その身に纏う雰囲気と魔力だけがいつもと違う。漲ってる。
ちなみに俺はアリサさん戦の時と同じく、上半身は裸でショートパンツにショートブーツというボクサースタイルだ。掴まれたら終わりだからな。布地は少ない方がいい。
「実のところ、魔法ナシではお前は勝ち上がってこられないだろうと思っていた。身体が小さいし、経験も浅いしな。だが、俺の杞憂だったようだ。よくそこまで力を隠してこれたものだな、ビート」
「いや、正直言ってギリギリだったよ。できたら決勝は棄権したいくらいだったんだけどね。契約書のせいでそうもいかなくて」
「ほう、そうか。だがオレにとっては有難い。いつぞやの雪辱戦の機会が巡ってきたわけだからな」
「えー? だったらあの時と同じ、魔法アリにして欲しいなぁ。武器も魔法もナシじゃキツくて」
「ははは、それじゃ試合にならんだろう」
競技台の上で子爵と言葉を交わす。笑いが出るくらい、表面上はいつも通りだ。
けど、子爵からは濃密な敵意? 殺意? いや、やる気が俺に飛ばされている。本気モードじゃない、超本気モードだ。
子爵の言う『いつぞや』というのは、俺が村を出るときにした勝負の事だ。あの時は魔法を使った立体機動で俺が勝たせてもらった。あの頃はまだ子爵は身体強化を覚えてなかったからな。
今日は魔法の使用も禁止されてるし。あの時のようには行かないだろう。厳しい戦いになりそうだ。
ゴオオォォンン……
選手紹介もアナウンサーによる煽りもなく、唐突に試合開始の銅鑼が鳴らされた。
俺は素早くバックステップで距離を取り、子爵はその場で腰を落として構える。
子爵は待ちの態勢だ。スピードは俺の方があるから、無駄に追いかけたりはしないってことだろう。けど、ジワリジワリと距離を詰めてきている。ゆっくりとコーナーに追い詰めようって腹だな?
それを分かってて付き合う理由は無い。俺は軽くステップを踏んで競技台を回り込む。子爵がそれに合わせて向きを変えるけど、そのタイミングで俺はステップを止め、軽く飛び込むフェイントを入れる。そしてまた回り込むように動く。
これは神経戦だ。
外野からは俺が攻めあぐねているように見えるだろうけど、主導権を握っているのは、実は俺だ。『飛び込むぞ』という動きを見せたり、子爵が向きを変えるタイミングで不規則な動きを入れることで、リズムを狂わせたり焦らしたりしているのだ。
これを長時間やられると、待つ側の精神は非常に消耗する。そして焦って手を出し、カウンターを喰らいやすくなる。ボクシングでアウトボクサーがよくやる戦法だ。
ボクシングだと非積極的だとして反則を取られることがあるけど、今回はそんなルールはないからいつまででも続けられる。
しかし、待つ側も無策ではない。
現に子爵も焦らずじっくり待ち、ジワリと距離を詰めてくる。
じっくり見られて待たれるのは、攻める側にとっては少なくないプレッシャーだ。焦って手を出しに行くと、やっぱりカウンターをもらったりする。
外野からすると派手な動きが無くて退屈な時間だろうけど、リングの上のふたりは既に精神の削り合いをしているのだ。
『これを楽しめるようになったら真のボクシングファンだ』と、大学時代の格闘オタクの友人が言っていたけど、まさか自分でそれを実践することになるとは。世の中、何が起きるか分からない。転生するとも思わなかったし。
子爵は全く動じる様子が無い。さすが歴戦の勇士だ、肝が太い。
仕方がない、ギアをひとつ上げるか。
軽く二度、その場でジャンプしてから、先ほどの倍くらいのスピードで移動を始める。瞬間的には百メートルを九秒切るスピードが出ているはずだ。高重力トレーニングで鍛えた俺なら、このくらいは朝飯前だ。
しばらく不規則な高速ステップで競技台をクルクルと回る。観客席からは大きな歓声が上がっている。まだ双方一発も手を出していないというのに、いったい何に興奮しているのやら。
子爵が鋭い目で俺を見る。まだ目で追いかけるくらいは出来るようだ。身体もまだギリギリ付いてきてるっぽい。身体強化はスピードも反射神経も上げてくれるからな。
ふむ、さすが子爵、この程度ではまだ崩れてくれないか。じゃあ、もうひとつ上げてみよう。ギア・サードだ。手足が巨大化したりはしないけど。
再び軽く二回、その場でジャンプしてから、子爵を中心にした時計回りにステップを踏む。多分、今の俺のステップは百メートルを七秒以下というスピードに達しているはずだ。メッチャ速い、はず。
実はまだスピードを上げられるんだけど、平面魔法の補助なしではこれが限界だ。これ以上スピードを上げると、ステップ後の着地の時に踏ん張れないのだ。摩擦が効かなくて、数メートルも滑ってしまう。
子爵が驚きで目を見開く。その視線はまだ俺を捉えているけど、身体はもう付いてきていない。ターンが遅れ始めている。よし、行けるな!
不規則に高速ステップを踏んで、子爵の視線を切る。そして背後に回り、全力で左足にタックル!
「うおっ!?」
子爵がたたらを踏んで耐えようとするのを、脚を掛けて阻止! よし、転んだ!
抱えた子爵の左足首を素早く右腋に抱え、うつぶせに倒れた子爵の身体の上に、寝転がるように俺も倒れ込む!
「ぐあっ!?」
子爵の太い足首を、渾身の力で捻り上げる! 柔術やプロレスでいうところの『裏アキレス腱固め』だ。子爵は今、足首に鉛の棒を突きこまれたような痛みを感じていることだろう。
試合前、子爵には打撃も投げも通用しないだろうと、俺は考えていた。間合いもパワーも違い過ぎるからだ。
俺が投げや打撃を狙っても、その間合いに入る前に捕まってしまい、そのまま場外へポイっと捨てられて終わりだろうと考えていた。
唯一の勝機があるとすれば関節技、しかも背中に回り込むようなタイプの関節技だ。背中に回り込めば、例え掴まれても十分な力は出せない。人間の身体は前面側にしか力を出せない構造になっている。
まして、村長は筋肉の付けすぎで背中まで腕が回らない。村長の周囲で唯一の安全圏、それが背中だ。
相手の背後に回っての関節技にはいくつかあるけど、俺が選んだのは裏アキレス腱固めだった。最初からこの技にしようと決めていた。理由はいくつかあるけど、比較的狙いやすいというのが最大の理由だ。なにせ、足首を腋に抱えるだけで技が極まる。
それでいて効果は大きい。極まれば試合中には回復できないくらいのダメージを与えられる。
「降参しないと足首が壊れるよ!」
「ぐうぅっ! まだだ、まだまだぁっ!」
子爵が脂汗を流しながら耐える。
本来、子爵ほどのパワーがあれば脚の力だけで俺を跳ね飛ばすことも可能だ。けど、今回は完璧に極まってるからそれはできない。俺が両足で子爵の右腿を抱え込んでいるのだ。これで体重移動や立ち上がる動作を、都度妨害している。もう逃げ出せる可能性は無い。時間の問題だ。
観客席は大盛り上がりで、飛行場もかくやというレベルの歓声が響いている。悲鳴も結構混じってるな。多分、子爵に賭けた人たちだろう。関節技は素人にはどう極まっているのか分かりづらいんだけど、痛がってる子爵がピンチだってことくらいはわかるだろうからな。
ボックス席に目を向けると、またもわんぱく姫が窓から身を乗り出し……って、王様も一緒に身を乗り出してるな。そしてふたりとも王太子殿下に引き止められてる。何してるんだ、あの人。
ビシッ!
え? 何、今の? ボックス席の、王様の下の石壁が弾けた?
ターン……。
っ! 銃声! 狙撃!? 王様は気付いていない! 今のは捨て撃ちか! 二撃目の本気撃ちが来る! どこから!?
あそこか、あの塔の上! あれは望遠鏡じゃなくてスコープだったのか! 駄目だ、もう第二射の体勢に入ってる!
くそっ、間に合え!
ギャリンッ!
間に合った! 王様の目の前で俺の平面魔法が展開し、銃弾を既のところで防いだ! 咄嗟だったのに、ライブラリのATフィー〇ドを呼び出して防御できた俺は凄いと思う。けど、
「ぐあぁあぁあぁっ!?」
「お、おいっ、どうしたビート!?」
痛ぇっ! くそ、契約書め! 試合中に魔法を使ったからって、律儀に反則取ってるんじゃねぇよ! 今のは試合に関係ないだろう!
突然技を解いて苦しみだした俺に、子爵他、観客も訳が分からず困惑している。
王様は……さすがに気付いたか、近衛兵に守られて奥へ下がって行った。あとは狙撃犯の確保だけだ。
「そんちょう、あの塔の上、銃をもった奴が、王様を狙って……」
「なにっ!?」
全身の激痛に耐えながら、右手で塔を指さしながら俺が答える。
マジキツい、もう周りで誰が何やってるのかも分からない!
目の前が真っ赤だ! 気絶したいのにそれすらも出来ない! これが契約書の痛みか、ヤバい、ヤバすぎる!
実際に痛みがあったのは十数秒くらいだったはずだけど、俺には数時間にも感じられた。 痛みが消えた瞬間、俺はその場で意識を失った。
大会は俺の失神KOで子爵が優勝したという話を聞いたのは、翌日の朝だった。
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