第225話

 競技台中央のケント君との間合いをジワリと詰める。

 飛び込んだりはしない。冷静に、確実に摺足で間合いを詰める。顔の両サイドに上げた両腕ガードも下げない。

 一方のケント君は、奇もてらいもなく、無造作に間合いを詰めてくる。

 それを右に回り込んで、踏み出してきた左腿に左ローキックを打ち下ろす。

 前進を止められて少し怯んだケント君の隙に、更に右に回り込んで膝裏へ右ローキックを放ち、素早く下がって間合いを広げる。

 こちらにふり向いて再び近付いてくるケント君の、今度は左に回り込んで、左足の内腿に左ローキックを叩きこむ。

 二度も出足を挫かれたケント君は警戒したのか、今度はその場から動かない。

 なのでこちらから間合いを詰め、軽く顔面に牽制のジャブを打つ。

 一瞬目を閉じて隙のできたケント君の左腿にまたもローキックを打ち下ろす。

 流石に左足を狙われていることに気付いたんだろう、ケント君は俺から大きく距離を取る。

 この間十秒足らず。

 昨日の派手な戦いを知っている観客は首を捻ってるかもしれない。あまりにも地味だからな。

 けど、これが俺のケント君、いや、勝利の女神への対抗策だ。これしかない。


 とoてもラッキーマンなケント君に勝つためにはどうすればいいか?

 それには『運が介在しようのない、完全な実力の勝負に持ち込む』以外にない。麻雀じゃなくて将棋や囲碁。必要なのは実力だけ。そういう勝負にするしかない。

 相手の出方を冷静に見極め、的確に確実に反撃し、可能であれば一切の反撃をさせず、着実にダメージを与え、最後まで油断せずに倒しきる。

 そういう堅実さの勝負を挑むのだ。

 それを格闘技で行うと、ミドルからロングレンジでのジャブまたはローキックの差し合いという、とても地味な勝負になる。派手さは全くない。

 どれだけ場数や鍛錬を積んだかが分かるから玄人は喜ぶんだけど、素人には受けが悪い戦い方でもある。今日の観客は不満に思ってるかもしれない。

 けど、派手に見える大振りのパンチやキックは隙も多い。ケント君に味方する勝利の女神は、その隙をきっと見逃さない。出した瞬間、俺の負けが確定してしまう。

 観客には悪いけど、この試合に関しては我慢して欲しい。


「どうしたの? 前に出てこないと試合にならないよ?」

「……やっぱり強いね。見た目に騙されないように気を付けてたのに」

「それはどうも。でも、その覚悟はしてたんでしょ? 手を出さないと僕には勝てないよ? それとも時間切れくじ引き狙い?」

「まさか! ちゃんと戦って勝つ! そのためにここまで来たんだから!」


 時間切れくじ引きになると圧倒的に俺が不利だから、何としても時間内で決着させたい。運じゃ敵わないから、煽って時間内決着を挑ませる。

 幸い、ケント君は挑発耐性が低かったみたいだ。簡単に引っかかってくれた。青いなぁ。

 両手で頭をガードしながら、低い姿勢でケント君が突っ込んでくる。そうそう、ラッキーが出やすい競技台端から離れてね。

 姿勢を下げると腰が曲がって足が遠くなるからローキックを当て辛い。なので、まともに相手をせずに左へ回り込んで距離を取る。

 それはケント君も読んでいたのか、逃げる俺を捕まえようと右手を伸ばしてくる。ウェイト差があるから、捕まったら俺が不利だ。まぁ、グラウンドの攻防もラッキーは起こり難いから、それはそれでアリなんだけど。

 だが残念、俺のスピードはまだまだこんなものじゃない。伊達に高重力トレーニングしてきたわけじゃない。

 一瞬でケント君の真後ろにまで回り込んでケント君の手をかわした俺は、またもケント君の左膝裏に右ローキックを放つ。

 蹴った瞬間、俺は更に左へ回り、打ち下ろしの左ローキックを左腿に放つ。

 俺を捕まえようと両手を伸ばすケント君の鼻面にジャブを放ち、右へ回り込み左内腿にローキック。

 ローキック。

 ジャブ。

 ローキック、ローキック。

 ジャブ、ローキック、ローキック、ローキック、ジャブ、ローキック、ネコだまし、ローキック、ローキック……。



 競技台の上には、鼻血を流したケント君が左足を抱えて転がっている。

 革パンの左腿はパンパンだ。内出血で腫れているんだろう。腫れ過ぎて脱がせられないかもしれないな。切ることになるかもしれないから、替えの革パンを贈っておこう。

 会場は水を打ったように静まり返っている。ドン引き? そんなことは知ったこっちゃない。格闘技にはこういう戦いもあるのだ。

 まぁ、ここまで徹底してローキックとジャブだけっていうのはなかなか無いだろうけど。


「そ、そこまで! 勝者、ビート=フェイス!! 担架、担架だ! 早く!!」


 わぁーっ!!


 おおう、びっくりした! 審判の宣言で急に歓声が爆発した! あれか? 息を飲んで見守ってたってやつか? ドン引きじゃなかったのか。

 今日の初戦で会場を冷ましちゃったら、後で王様にネチネチ嫌味言われるところだったから助かったかな。

 時間を計るでっかい砂時計の残りは僅か。あと三分くらいで落ち切っていただろう。なんとか時間内に倒せて良かった。ケント君はよく粘ったよ。

 俺は観客と王族の席に向かって一礼し、足早に競技台を降りる。まだ歓声が凄い。

 わんぱく姫が窓から飛び出しそうになってるのを、王太子殿下が引き留めてるのが見えた。あれ? 始まる前もあんな体勢だったよね? ひょっとして、ずっとあのまんま?

 ケント君は担架に乗せられて競技台から降りて行った。泣き喚くくらい痛いはずなのに、歯を食いしばって痛みに耐えてるのは称賛に値する。意地だよな。男だよ。氷も差し入れよう。


 競技台を降りて控室へと向かう途中、次の試合に臨むアリサさんとすれ違う。


「良いものを見せてもらいましたの助。次で当たるのを楽しみにしてますの助」

「それはドーモ。でも、次の相手は僕じゃないよ。山を登る(トーナメントを勝ち上がる)なら、上ばかり見ていないで足元にも気を付けないと」

「なるほど、確かにそうですねの助。ご忠告、かたじけないですの助。では気を引き締めて行ってまいりますの助」

「うん、健闘を祈ってるよ」


 ふわりと笑って、アリサさんは競技台へと歩いて行った。上ばっかり見てるのは俺だけどな! だってウーちゃんたちとの楽しい生活のためだもの!

 気を付けてとは言ったものの、まぁ、順当にアリサさんが勝ち上がってくるんだろうな。対抗できるのは俺か子爵くらいしか思い当たらない。只の力自慢じゃ武術家に勝つのは難しい。

 そういえばこのトーナメント、なんか俺ばっかり強敵と当たってる気がする。何時の間に主人公ルートに進んだんだろう? そういうのは子爵の役目だと思ってたんだけどな。俺はもっと楽に生きていきたい。


「す、凄かったですわ! ビート様が何人にも見えましたわ!!」

「何よあれ! 魔法無しでなんであんな動きができるわけ!? ちょっと、教えなさいよビート!」

「うみゃぁ、アタシが魔法使ったのと変わらない速さだったみゃ」

「……速さは強さ」

「納得」

「ピーッ! パパすごーい!」

「(こくこく)」


 控室へと続く廊下で皆に出迎えられた。賞賛の言葉が面映ゆい。

 なるほど、リミッターを外した俺の動きは、外部からはそんな風に見えてたのか。攻撃が地味でも、動きが速かったから派手に見えてたんだな。観客が沸いた意味が分かった。


「ありがとう。ケント君が手強かったから本気になっちゃったよ」

「あらあら? そんな風には見えませんでしたよ?」

「そうだよ。坊ちゃん、一発も貰ってねぇじゃん」

「一発でやられるかもしれなかったからね。油断したらきっと負けてたよ」

「ふーん、そういうものなの? アタシにはよく分からないわ!」


 マジで、こんなにやりづらい相手も無かった。何せ、油断どころか僅かな隙も見せられないんだから。大森林の大爪熊よりラプター島の飛竜より、よっぽど手強かった。


「キッカ、あとでお見舞いに行ってあげて。きっと落ち込んでるだろうから」

「せやな、あそこまで何もさせてもらえんで負けてもうたら、メッチャ落ち込んでる思うし。ちょっとハッパ掛けてくるわ」


 とりあえず、チャンスはあげたよケント君。これで進展が無かったら、もう手助けはしないからね!


「まぁ、ケンちゃんモテるし、今頃は看護の姉ちゃんに元気貰っとるんとちゃう? あははは!」


 そういやあいつもイケメンだった! もう二度とチャンスはやらん!

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