第211話

 というわけで、釣り竿片手に大森林の奥地へと来ております。

 俺とジャスミン姉ちゃんの目の前には広大……ではないな、そこそこの大きさの池(沼?)がある。えーっと、甲子園のグラウンドくらい? ドームほどじゃないな。


 池と沼の違いは河童が居るかどうかだそうだけど(違)、ファンタジーだから居ないとも言い切れない。今はまだ遭遇してないから、とりあえず池という事にしておこう。


 池の周囲は灌木と下草に覆われている。大木ばかりの大森林で、ここだけは丈の低い木が生えている。池のおかげで光が巨木に遮られないからだろう。

 水質はややマッディ、つまり薄く濁りがある。この辺りでは冬になると雨が降るから、最近降った雨で濁ったのだろう。

 温かいと微生物が繁殖しやすくなって、それで濁ることもあるんだけど、今は冬だからそれは無いはずだ。

 水が濁ると魚の活性は上がる傾向にあるから、釣りにはいい状況かもしれない。大物が釣れるといいな。


 ウーちゃんとタロジロは周囲の探検に行ってしまった。もうウーちゃんはソロで大抵の大森林の魔物を狩れるから、放っておいても心配はない。この間まで子供だったのに大きくなって。

 心配なのはタロジロだ。まだタッグでなんとか猪人オークを狩れる程度で、一犬前いちにんまえには程遠い。まぁ、ウーちゃんが一緒だから大丈夫だとは思うんだけど……年下|(たぶん)のメスに守られるオスか、プライドが心配だな。早く強くおなり。


「ちょっと、なんで釣りなの? アンタの魔法でちょちょいと掬い上げればいいじゃない」

「それじゃ楽しくないよ。どうせ暇なんだし、面倒臭がらずに楽しもうよ」

「えーっ? アタシ、釣りって退屈そうで好きになれないのよねー」


 到着した途端、ジャスミン姉ちゃんが文句を言い始めた。

 ジャスミン姉ちゃんはせっかちだからな。待つより自分から動くのを好むタイプだ。魚が喰い付くのをただ待つのが苦なんだろう。

 だがしかし、今日の釣りは退屈にはならない。なぜなら調査を兼ねているから。


「今日は待つ釣りはしないよ。釣れなかったらエサをどんどん変えて、それでも釣れなかったら場所を変えて、どんなエサでどんな魚が釣れるか、出来るだけ調べなきゃいけないからね」

「あら、そうなのね。てっきり、王都の港で寛いでるお爺ちゃんたちみたいな釣りをするんだと思ってたわ」


 まぁ、そういう釣りも嫌いではないけどね。ボーっと海や川面を見てると、自分が自然と一体化してる気分になれるし。いずれお爺ちゃんになるのも間違いないし。

 でも今日は手返しを早く、できるだけ多様な魚を釣りたい。その中から、養殖に適した食性の魚を探し出さないといけないからな。そう、これは遊びでもあり、仕事でもあるのだ。いやぁ、統治者は大変だなぁ(棒読み)。


「というわけで、まずは芋の練り餌からいってみようか。はい、これジャスミン姉ちゃんの分ね」

「あら、これって今朝作ってたやつ? てっきり今日のおやつだと思ってたわ」

「食べられなくはないけど、僕たちが食べる分は別にルカが作ってるから。これは釣りに使う分ね」


 今年はエンデ遠征で栗が手に入ったから、芋と合わせて栗金団くりきんとんを作れるようになった。と言っても、俺は正確な作り方を知らない。知っているのは、見た目と材料に何が使われているかってことだけだ。

 だから、大雑把な完成形だけをルカに伝えて、あとはいつものように丸投げしてきた。母ちゃんの薫陶を受けたルカなら、きっと再現してくれるだろう。

 栗は苗も貰ってきていて、栽培を始めている。でも『桃栗三年柿八年』というから、辺境産の栗が食べられるようになるのは三年以上先の話になるだろう。

 しかも、この亜熱帯気候で育つかどうかも分からない。まだいつでも食べられるというわけではないから、大事に食べたいものだ。


 この練り餌には、当然栗は入っていない。その代わり、大麦の粉を混ぜて練ってある。こうすると粘度が上がって、水の中でも溶け落ち難くなるのだ。

 ただ、あまり練り過ぎると、今度は全然溶け出さなくなって集魚効果が落ちてしまう。その辺の塩梅は、まぁ経験だな。

 よく『耳たぶの硬さ』っていう表現を聞くけど、あれはアナログ過ぎてよく分からないので、あまり好きではない。でも、じゃあどのくらいの硬さがいいのかと聞かれると、『なんかいい感じの硬さ』としか答えられない。難しいものだ。


 仕掛けは、五メートルほどの延べ竿に大蜘蛛の糸から作ったテグス、木製の棒ウキにジョン作成のガン玉オモリ&釣り針という、至ってシンプルな構成だ。シンプルなだけに、エサと棚(ウキから釣り針までの長さ)を変えれば幅広いターゲットを狙える、とても優秀な仕掛けだ。

 とりあえず、棚は一メートルくらい、練り餌は釣り針が隠れるくらいの二センチ大に丸めて、魚が隠れていそうな水中の立ち木の傍に仕掛けを送り出す。岩陰やせり出した木の下なんかも狙い目だ。

 そこへ、五センチ大に緩くまとめた練り餌を投げ入れる。緩くまとめてあるから着水の衝撃で砕けて、バラバラにほどけながらゆっくりと沈んでいく。これが水中に拡散することで、周囲から魚が引き寄せられてくる。いわゆる撒き餌というやつだ。

 ほどけていく撒き餌が不規則に揺らめいている。小魚が啄んでいるのだ。どうやら草食あるいは雑食の魚が居るのは間違いなさそうだ。

 しかし、あまりに小さな魚は養殖に適さない。ある程度大きくないと可食部が得られないからだ。鯉くらいとは言わずとも、銀ブナくらいの大きさは欲しい。


 気配察知を使えば大きさも居る深さも分かるんだけど、今は使っていない。最初は純粋に釣りを楽しもうという遊び心からだ。

 でも、あまりにも釣れなかったら気配察知も魔法も解禁して、釣りならぬ漁へと移行するつもりだけど。遊びだけど遊びじゃないからな。


 棒ウキが小刻みに揺れている。エサを小魚がつついているんだろう。

 魚種にも依るんだけど、総じて小魚は水面近くの浅い層にいることが多く、大物は比較的深場を好む傾向がある。食べるものが違ったり、捕食者から身を隠す必要があったりという理由からだ。

 エサを小魚がつついているということは、そこはまだ小魚のいる層だという事だ。もう少し深い層を探った方が良さそうだな。

 竿を上げて仕掛けを手繰り寄せる。エサは付いていない。小魚に食べられたようだ。まぁ、一投目で釣れるなんてことは滅多にないことだ。気にしない。悔しいけど。

 なんだかやけに静かにしているなと思ってジャスミン姉ちゃんを見ると、なんと練り餌で小魚を作っていた。


「これなら美味しそうに見えるでしょ!」


 いや、確かに魚っぽいけど、それ練り餌だから。魚を喰う魚は練り餌に喰い付かないから。

 ……まぁ、好きにすればいい。もしかしたら『魚の形をした水草を専門に食べる魚』なんてのがいないとも言い切れないし。

 けど、その絵面、どこかで見たことがある気がするんだよな……ああ、およげ〇いやきくんだ。オジサンに吊り上げられて、ぺろりと食べられちゃうやつ。まだ小学生だった頃に、昭和の懐かしソング特番で見た。子供心に『ばっちい、不味そう』と思ったものだ。

 ……ジャスミン姉ちゃん、食べちゃダメだからね?


 気を取り直し、ウキの位置を調整して百五十センチくらいにする。エサの大きさと狙うポイントは変えない。

 滑らかなスイングで立ち木ぴったりに仕掛けを送り込むと、寝ていた棒ウキがオモリとエサの重さで真っ直ぐ立つ。岸からそれほど離れてないのに一・五メートル以上の深さがあるのか。結構急深なんだな。落ちないように気を付けよう。


 十数えるくらいの時間が経過すると、ウキがピクピクと上下し始めた。先ほどまでの小刻みな動きとは違い、やや大きめの動きだ。

 フッと消えるようにウキが水中へ引き込まれる。来た!

 手首のスナップを利かせて、竿先をしならせながら素早く上げる。糸、そして竿を伝わって、ビリビリと振動が伝わってくる。針がしっかりと魚に食い込んだ感触だ。

 竿先が大きく曲がり、糸が水中へ引き込まれる。さっきのウキの消し込みといい、底へ潜ろうという動きがグレっぽくてなかなか楽しい。

 グレはメジナともいい、その独特の引き具合から磯釣りで人気のある魚だ。食べてもそこそこ美味しい。個人的には冬場の釣れたてを塩焼きが一番美味いと思っている。


 そんな楽しい魚との格闘も、一分ほどで決着する。疲れた魚が抵抗をやめて引き寄せられてくる。竿を立ててゆっくり岸へ手繰り寄せ、最後は一気に引き抜く。

 吊り上げられた魚は、これまたグレに似た魚だった。濃い青色の体色は同じで、グレより僅かに体高が高く、微妙に縦縞が入っている。グレとブルーギルを足して二で割った感じだ。

 まぁ、見た目はどうでもいいんだ。肝心なのは食べられるかどうかってことだ。ということで、マクガフィン先生、よろしくお願いします!


 青縞ブルーストライプスナッパー

 比較的温暖な淡水域に広く分布する雑食魚。毒は無いが、長く生きたものの内臓には有毒物質が蓄積することがある。


 むう、毒が蓄積することがあるのか。

 けど、これは内臓を食べなければ大丈夫ということでもある。もしかしたらフグみたいに、水槽養殖であれば毒を持たないという可能性もある。

 雑食ならエサは何でもいけそうだし、養殖の候補に入れてもいいだろう。平面で生け簀を作って、その中に放り込んでおく。


「む、ビートのくせに生意気ね! 見てなさい、アタシも大物を釣ってやるんだから!」


 ジャスミン姉ちゃんがジャイアニズムと対抗意識を燃やしている。確かに、そのたいや〇くんに喰い付くのは超大物だけだろうけど……釣れるといいね。


 その後もう数匹、同じポイント、同じ棚で吊り上げた。エサを干し肉の欠片に変えても、釣れたのはやはり青縞鮒だった。このポイントにはこいつしかいないようだ。

 俺がその数匹を釣っている間に、ジャスミン姉ちゃんはポイントを移動していた。そこは菱のような水草が水面を覆う一角で、いかにもバスや雷魚なんかの魚喰いフィッシュイーターが居そうなポイントだった。この世界にバスや雷魚がいるのかどうか知らないけど。

 それじゃ、俺も移動しようかなと思ったその時だった。


「来たわーっ! 大物よーっ!」


 ジャスミン姉ちゃんの声が上がった。まさか、あのた〇やきくんに喰い付く魚がいるなんて!? 根掛かりじゃないよなと思って糸を見ると、確かに前後左右に動いている。地球じゃなくて生き物なのは間違いない。


「ちょっと、これ大きすぎるわ! 竿が折れそう!」


 ジャスミン姉ちゃんが必死に足腰で力を分散させてるけど、大きくしなった竿は今にも折れそうだ。


「無理に引っ張らないで! 自分も左右に動いて、糸を緩めたり沖に行かないようにだけ気を付ければいいから!」

「分かったわ、いざと言うときは助けなさいよ!」

「任せて!」


 自分の竿を置いて、ジャスミン姉ちゃんのところへ駆け寄る。

 糸が切れる心配はない。何といっても、猪人ですら吊り上げられる大蜘蛛の糸だ。百キロくらいまでは耐えられる。問題はやはり、只の竹を加工しただけの竿だろう。今度ジョンにカーボンロッドを作ってもらおう。

 ジャスミン姉ちゃんは、身体を使うことに関しては天性の才能を持っている。釣りは初めてのはずなのに、竿が折れないギリギリのコントロールで上手く魚をあしらっているのがその証拠だ。いつぞやのジャーキン遠征で身体強化も覚えてるから、体力負けすることも無いだろう。


 格闘すること十分以上、ようやく体力が尽きたのか、魚がゆっくりと手繰り寄せられてくる。

 水草の間から見える魚影は、確かにでかい。余裕で一メートル以上、もしかしたら二メートルあるかもしれない。超大物だ。


「わっ!?」

「きゃっ!?」


 岸まで残り一メートルを切ったあたりで、急に魚が跳ね上がり、水面に大きな水しぶきが散る。俺とジャスミン姉ちゃんは、思わず顔を背け眼を瞑る。目に水は入らなかったけど、かなり濡れてしまった。

 そうだ、魚は!? さっきのがエラ洗いだとしたら、針を外されたかも!?

 そう思って魚を確認すると……岸辺に二本足で二本の腕を持つ生物が立っていた。その口にはジャスミン姉ちゃんの持つ竿先から続く糸と針が。


 え? まさか本当に河童? そのフラグ、立ってたの?

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