第205話
「邪魔してるぞ、ビート」
「あれ、
屋敷に入ると、リビングで子爵ことダンテス=ワイズマン子爵が寛いでいた。服装は、丈夫な革のジャケットにパンツという辺境旅行者スタイルだ。
その向かいに皆が整列して立っている。俺が居ない間に対応してくれてたみたいだ。
来客用の応接室もあるんだけど、そっちじゃなくてリビングってことは、
子爵の座るソファの向かいに腰を下ろす。ジャスミン姉ちゃんは子爵の隣だ。
すぐにルカが俺とジャスミン姉ちゃんの分のお茶を淹れて持ってきてくれる。今日はフルーツ系のハーブティーか。香りも味もアプリコットみたいに甘い。
「領主館ではなく、自宅に住んでいるんだな。あちらには移らないのか?」
「うーん、あっちは広くていいんだけど、他人の家って感じで落ち着かないんだよね。こっちの方が散歩に行きやすいし」
街のほぼ中央、冒険者ギルドの裏あたりに、以前ドルトン伯爵の住んでいた領主館がある。伯爵の居館にふさわしく、庭も屋敷もかなりの広さだ。
伯爵の移封で今は空き家になっているんだけど、一応領主公邸という事になっているから、本当であれば俺もあちらに住まなければならない。でも、俺はちゃんとこの街に自宅を持ってるから、引っ越しせずにこちらで暮らしている。ここには温泉もあるしね。
散歩に行きやすいというのは、南門が近くにあるからだ。ウーちゃんとタロジロ、ピーちゃんを連れて大森林や暗闇の森へ行くのが毎朝の日課だから、街の外へ出やすいこっちの方が都合がいいのだ。街中で魔物を連れて歩くと、怖がられたり襲い掛かってきたりする連中がいないとも限らないし。
特に最近は新顔が増えたし、騒動が起きる可能性は高い。
襲われても返り討ちにして終わりなんだけど、代官としては積極的に事件を起こすわけにはいかない。面倒なことだ。結局、街の外れであるここが一番ということになる。
「今日はドルトンに泊まるんでしょ? 領主館の客間はいつでも使えるようにしてあるから。アーニャ、悪いけど冒険者ギルドで手配してきて」
「あー、それなんだが、今日はこちらに泊まってもいいか? いろいろ話したいこともあるしな」
「それは構わないけど……あっちの方がいいベッド使ってるよ?」
「しかし、あちらに温泉は無いのだろう?」
子爵がニヤリと笑う。なるほど、男だけの秘密のお話ってことね。
◇
どこからかお風呂SEである『カポーン』という音が聞こえてくる。いや、マジでどこから? 何の音? 桶は誰も触ってないよ? 謎だ。
「うおーっ! 子爵の背中、デカすぎ!」
「ははっ、歳をとると身体が硬くなってな。背中まで手が回らんのだ。誰かに洗ってもらうというのはなかなか良いものだな」
「旦那様の、背中は、スベスベです」
「後でバジルの背中も洗ってあげるからねー」
「恐縮、です。旦那様に、洗ってもらうのは、気持ちいい、ですから」
屋根と垣だけ付いた自宅の半露天温泉にて、子爵、俺、バジルは順に並んで背中の洗いっこをしている。
いつもは男女混浴だけど、今日は男だけだ。さすがにお客様のいるときまでは、ねぇ?
最初は皆で風呂椅子に座ってたんだけど、子爵の背中が大きすぎて、途中から俺は立って洗っている。マジデカすぎ。何この広背筋、オーガが笑いそうなんですけど?
歳とって硬くなったんじゃなくて、絶対、筋肉の付けすぎで届かなくなったんだと思う。この肉量だもんなぁ。腹側筋なんて、まるで
俺が立ってるから、バジルも中腰になってる。性格を反映しているのか、手つきが優しくて丁寧だ。俺、見た目より遥かに丈夫だから、もっと乱暴でも平気なんだけどな。
丁寧に子爵の背中を洗って、石鹸の泡を流す。
うむ、完璧だ。明かりの魔道具の光に、日焼けした赤い肌がオイルを塗ったように煌めいている。全然ムダ毛がない。栄養を全部筋肉に取られているんだろうか? 将来禿げないか心配だ。禿げゴリマッチョは怖すぎる。
前面は自分で洗ってもらって、子爵を湯船に送り出したら、次はバジルだ。
主人が使用人の背中を流すというのは問題がありそうだけど、俺たちはまだ子供なので関係ない。というか、ワンコの体を洗うのは主人の仕事だ。
イヌ系獣人の特徴なのか、バジルの背中は結構毛深い。と言っても、太くて濃い体毛ではなく、背骨に沿って産毛がサワサワという感じだ。毛の流れに沿って掻くように洗ってあげると気持ちいいらしい。時々、背筋がピーンと伸びている。
丁寧にバジルの泡を流したら、自分の体の前面を洗ってから俺も湯船へと浸かる。子爵の隣だ。バジルは気を利かせて、俺たちから少し離れて腰を下ろしている。
屋根と垣の間から見える、冬曇りの夕方の空は既に暗い。ふたりでしばらくその黒灰色の空を見上げる。
「……ジャスミンのことなんだが」
「うん」
立ち昇る湯気に溶けるような、穏やかな声で子爵が話し出した。
「九月に卒業パーティがあっただろう?」
「ああ、うん。送って行ったよね」
「あのときに担任の先生と話してな」
「うん」
「とてもじゃないが、このままでは貴族の嫁にはさせられないと言われた」
「ぶっ!」
驚いて身じろぎしたら、滑って鼻まで湯に浸かってしまった。我ながらコントみたいだ。しかも昭和の。
「学業と運動関係はともかく、礼儀作法が致命的だそうだ」
「あー、分かる気がする」
昔から大雑把だったもんなぁ。動作の中に込められた細やかな心配りとか、気付いていても面倒臭くて投げ捨てるタイプだ。
料理も致命的だったな。謎物体量産装置だった。
ぶっちゃけ、普通の貴族の令嬢なら礼儀作法だけ出来ていれば問題ない。学業や運動は二の次三の次だ。ジャスミン姉ちゃんは真逆。
まぁ、昔から目指すところは子爵みたいな冒険者だと公言していたからな。自分なりに取捨選択した結果、礼儀作法を切り捨てちゃったんだろう。捨てたらダメなものを捨てちゃった。
子爵の目が遠くの空を見つめている。親としては目標にされて嬉しくもアリ、貴族としては悲しくもアリ……といったところか。一人娘だし、強く当たれないのも辛いところだろう。
「実は、いくつかの伯爵家や子爵家から縁談の話は来ていたんだが、後々問題になるのが分かっているから全部断らせてもらった。普通の貴族では、アレを受け入れるのは無理だろう。すまんが、よろしく頼む」
「うん、僕は問題ないよ。元からそういう話だったしね」
子爵は先の戦争での勲一等だ。武闘派の家なら繋がりを持ちたいと思うところも多いはず。
けど、得てしてそういう家は礼儀に厳しく、女性蔑視の風潮も強い。『女は家を守っていればいい』なんて家にジャスミン姉ちゃんが嫁げば、揉め事の種にしかならないだろう。
「すまんな。お前のところにも縁談は多く来ているだろう? うちのお転婆は側室でも構わないからな」
「えっ? いや全然? 縁談なんてひとつも来てないよ?」
「むっ? そんなはずは……いや、なるほど。陛下が裏で動いているのか。おそらくは侯爵家もだな」
王様が俺の縁談を阻止している? ああ、貴族派に取り込まれないようにってわけか。王様としては、このまま子爵との縁を強くして王家派に組み込みたいんだろう。子爵は王家派の重鎮扱いになってるみたいだから。
侯爵家っていうのはクリステラの実家か。こっちは中立派だ。クリステラとの縁で自派閥に取り込もうって魂胆だろう。余計な手出しをされないように手を回してるんだな? いずれなんらかのアプローチがありそうだ。
どちらも俺ごときにご苦労なことで。
「成り上がりの小僧なんて放っておけばいいのに」
「お前が先の戦いで活躍したことやエンデでのアレコレは、知っている者は知っているからな。取り込みたい連中もいるさ。特に落ち目の貴族派連中ならな」
「権力争いか。なんだか面倒くさい話だね。僕はのんびり冒険していられたらそれで充分なのに」
「力ある者の宿命だな。上手く受け流せるようになるしかない」
相変わらず遠くを見ながらこぼす子爵。子爵も通ってきた道か。実感が籠ってるなぁ。
ため息と共に見上げた雲の隙間から見える歪な月は、妙に黄色く光って見えた。
◇
俺たちが出た後の温泉は非常に騒がしかった。女性陣の入浴だったから。女三人寄れば姦しいと言うけど、三倍以上いるとそれどころではない騒ぎだった。
なにやら怒声も飛び交ってたようだけど、上がってきたときには皆笑顔だった。いや、キッカとサマンサの笑顔は引き攣っていた。なんらかの順位付けがされたんだろう。何かは知らない。知らない方がいい、きっと。
そして、やはり謎の
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