第195話
ロックマン子爵領は、新ワイズマン子爵領から北西に約三百キロのあたりにあるらしい。領都である小さな町がひとつと村をひとつ領するだけという、王国では珍しくもない零細貴族のひとつだ。
新ワイズマン子爵は領都ひとつだけという、更に零細な貴族だけど。
主な産業と言えるものもなく、強いて言うなら、暗闇の森の北西端にあるので、そこで採れる魔物素材が特産品と言えなくはない。一応、冒険者ギルドの支部もあるそうだ。その点も新ワイズマン子爵領は負けてるな。まだ立ち上がったばかりだから仕方がない。
距離的にはドルトンより近いけど、間に広がるのがゴロゴロと大きな岩の転がる荒れ地と魔物が住む森なため、直通の街道は通っていない。ボーダーセッツ経由の大回りなルートしかないそうだ。
そんな辺境の零細貴族が、なんでできたばかりの同じく辺境の零細貴族に戦いを仕掛けてきたのかというと、
「水利権だ」
だそうだ。
新ワイズマン子爵領は、大森林の
最寄りの街(ドルトン)から馬車で片道五日以上かかるうえ、その道中どころか、町の近くでも魔物の襲撃があるという人類居住域の最前線だ。
そんな危険極まりない場所ではあるけど、最低限、人が生活できる分の水だけは確保できる。だから開拓村を作ることができた。
王国南部、大森林より北側はサバンナと砂漠の中間的な気候で、この新ワイズマン子爵領もその例に漏れない。海から離れていることもあり、その傾向はより顕著だ。普通なら土地も空気も乾燥していて、とても農作業が出来るような環境ではない。
しかし、南に広がる大森林の、更に南にある竜哭山脈。そこに降った雨が地下に浸み込み、大森林の各所から泉として湧出しているため、小さな川があちこちに走っている。ダンテスの町で農業用水として利用されている小川もそのひとつだ。
そんな川の多くは乾燥した大地を流れるうちに涸れ川へと変わってしまうのだけれど、何本かは合流して大きな流れとなり、海やより大きな河へと注いでいるらしい。そんな川の一本が、新ワイズマン子爵領を通ってロックマン子爵領へと流れているというのだ。
「南部では水は貴重な資源だ。それを握られるということは命を握られるということに等しい。だから、今回のような小競り合いが起きることも予想していた。予想外だったのは、思っていた以上にロックマン子爵の動きが早かったことだけだ」
基本的に、川の水利権は上流側に優先権がある。この場合だと新ワイズマン子爵側だ。
今までは単なる開拓村だったから問題なかった。土地や川に関する権利がなかったから。
ところが、子爵に任じられて領地が認められたために、その領内を流れる川の権利も手に入ってしまったのだ。
ロックマン子爵にしてみれば、今まで当たり前に使えていた川の水が突然他の貴族の所有物になってしまったわけで、新しい権利者の意向次第で使用料を支払わなければならなくなるかもしれないのだ。零細貴族には死活問題である。
「国は領土問題以外、ほとんど口を出さん。今回のような利権関係の場合も、当事者だけで話をつけろと不干渉なのが通例だ」
「でも戦いなんだよね? 人が大勢死んじゃったら、国にとっても痛手なんじゃないの? 貴族家の当主が死んじゃうこともあるだろうし」
「うむ。だから『国内における貴族間の問題解決に関する法』という法律が定められている。この中に多人数での武力による問題解決に関する項目があって、戦闘に参加できるのは領民のみ、人数は全領民の一割以下、当主の戦闘への参加と他の貴族家の参加は禁止となっている。当主は指揮しかできん」
そんな法律があるのか。当主の戦闘への参加が禁止なら、負けても家が絶える危険はないってことだな。魔法使いの存在を考慮しないなら、より多くの領民を抱える方が有利な法律だ。
だからこのタイミングなのか。まだ立ち上がったばかりで領民が少ない新ワイズマン子爵領となら、戦いになっても負けることは無いと踏んだんだろう。ロックマン子爵は、なかなか優れた戦略眼を持っているようだ。
「俺としては水で金を取るつもりはなかったんだがな、ロックマン子爵はそうじゃなかったようだ。俺が戦争で大量の報酬を得たのを知って、戦いに勝てばそれを巻き上げられると思ったんだろう」
ロックマン子爵は、なかなかセコい金銭感覚を持っているようだ! ケンカを売って金を巻き上げるとか、やってることは丸っきりチンピラだ。きっと博士の研究費で台所が火の車なんだろう。
「でも、そんな法律があるなら、僕が手を貸すのはまずいよね?」
「そうだな。今回は
負ければ領内整備のための資金が奪われるけど、勝つと水利権の代金を取らなくてはいけなくなる。それが戦いの理由だからな。
でもそれは、新ワイズマン子爵家の懐は一時的に潤うかもしれないけど、ロックマン子爵家にとっては致命傷だ。それが原因で没落して改易されるかもしれない。
改易されて村や町が放棄されるとそこは未開地になるわけで、それは人の生活圏が狭まるということだ。
冒険者ギルドの支部まで作ったのに廃村になるとか、国としては何としても避けたい事態だ。その原因を作った
それなら、戦いに勝ってほんの少しだけ水の使用料を取ればいい、と思うんだけど、それは他の水利権を持つ貴族家の手前、やりたくてもできないそうだ。
一業者が価格破壊してしまうと既存の業者にも値下げ圧力が働き、結果、既存の業者の経営が苦しくなるってことだな。
つまり、この戦いには引き分け以外の選択肢がない。うわぁ、面倒臭そう。
勝つのも負けるのも、優秀な指揮官ならどうにかできるだろう。しかし引き分けにするには正確な戦況判断と指揮が必要で、少し優秀な程度の指揮官ではとても不可能だ。歴戦の勇士で戦闘指揮経験豊富な子爵なら、ギリギリなんとかできるかもしれない。
俺には無理だ。戦闘指揮の経験が圧倒的に不足している。指揮するより自分で突っ込んだ方が早いし確実だからな。
そうか、ロックマン子爵はそこまで読んだ上で仕掛けてきたのか。絶対負けることがないんだから、仕掛けない理由がない。自分の弱さまで武器にするとは、ロックマン子爵はなかなかに強かな性格をしているようだ。
「それで、戦いはいつどこで?」
「五日後、双方の領地の境付近にある荒れ地だ。距離があるから、明日には出発しなければ陣を敷く時間がない。帰ったらグレンに伝えておいてくれ」
ふむ、思ったより時間が無い。
この戦い、何から何まで子爵の圧倒的な不利だ。普通の戦争なら俺が助力すれば何とかできそうなんだけど、今回ばかりは……いや、やり方次第か?
要は、どちらにも助力せず、戦闘にも参加しなければいいってことだよな? よし、それならせいぜい派手に引っ掻き回して、戦いをうやむやにしてやろう。
しかし、こんな事態なのに暢気に寝てるうちの父ちゃんって……確か従士長だったよね? 子爵、クビにしていいよ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます