第192話

「母ちゃん、ただいま! もう生まれた!?」

「あんれまぁ、おかえりビート。んにゃ、まだだぁ。もうじきだと思うんだどもな」


 ボーダーセッツでの諸々を片付けた俺たちは、そのまま一路開拓村……もとい、ワイズマン子爵領の領都ダンテスの町へと向かった。

 もうそろそろ俺の弟か妹が生まれる予定だからだ。俺がお兄ちゃんになるのだ! いやぁ、メッチャ楽しみ!


 これまでの最高速で飛んだら、馬車の後方に飛行機雲が出来るのが見えた。この世界で初めて飛行機雲が出来た瞬間だっただろう。飛行機じゃなくて馬車だけど。

 町へ到着した俺たちは、門番をしていたセージさんたちへの挨拶もそこそこに、一目散に母ちゃんのところへと向かった。

 父ちゃんが村長の……じゃない、子爵の従士長になったから家の場所が町の中心近くに変わってたけど、気配察知の使える俺は、迷わず母ちゃんのところまで辿り着けた。

 新しい家は以前の木造土壁じゃなく、ドルトン風の平屋ログハウスだった。大森林から木材を伐り出して来やすくなったから、この形式に作り替えたんだろう。広さは倍くらいになってて、床もつやのある板張りだ。明らかにグレードが上がってる。

 村長宅改め子爵邸も、同様に大きく広く作り替えたらしい。後で挨拶に行かなきゃだし、どれだけ変わったか楽しみにさせてもらおう。


 俺の弟妹は幸い(?)まだ生まれてなかったようで、母ちゃんは安楽椅子に座って産着らしきものを縫っていた。流石にふたり目だ、落ち着いている。父ちゃんは町のパトロール中らしい。


 いつの時代でも出産は一大事、人生のビッグイベントだ。周囲のサポートは欠かせない。前世じゃ未婚だった俺でも知ってる。

 が、残念ながら男の俺や父ちゃんでは出来ることが限られる。デリカシーやらなんやら、女性独自のデリケートな問題があるからだ。

 幸い、俺の周囲には女手が多くある。彼女たちに手伝ってもらえば、多くの問題は解決できるはずだ。

 それに、彼女たちもいずれ経験するであろう事だから、事前に予習できるのは益がある。初めてと経験済みには大きな差があるからな。


「そっか。間に合わないかと思った。それじゃ、皆は母ちゃんのお手伝いを頼むよ。僕は村長……じゃなかった、子爵に挨拶してくる」

「お供いたしますわ。ルカさん、こちらはお任せしますわね?」

「あらあら。ええ、任せてください。ビート様、お土産はわたしからお渡ししていいですか?」

「うん、子爵邸に持って行く分以外は今夜の食事に出しちゃって。早く食べないと悪くなっちゃうから、お肉は全部使っちゃっていいよ」

「うみゃっ! やったみゃ、またごちそうだみゃ!」

「ああ、うちも行くわ。多分金の話になるやろうしな」


 うむ、皆の役割分担が完全に固まってるな。クリステラは俺の秘書、ルカがメイド長、キッカが会計でアーニャが腹ペコ。これはもう不動のようだ。

 ……それでいいのか、アーニャ? ブタネコになっちゃうぞ?



 ふむ、なるほど。


「子爵も大変だなぁ。こんなに大きな屋敷を構えなくちゃいけないだなんて」

「あら、ビート様のドルトンの御屋敷と左程変わりませんわよ?」

「あれは街の外れも外れ、こっちは町のど真ん中だからね。将来的な価値が違うよ」

「ふむ、土地転がしもええな。ドルトンに戻ったらやってみよか?」

「……ほどほどにね」


 村長……じゃない、子爵だ。どうも昔からの呼び方が抜けなくて困る。もう癖になってるんだろうな。気を付けて直していかないと。

 子爵の屋敷も、やはりドルトン風のログハウスだった。大きさは俺のドルトンの屋敷と同じくらいだけど、敷地の広さは遥かに広い。柵で囲われた庭の面積は、俺の屋敷の三倍以上ありそうだ。いずれ整備して庭園にでもするんだろう。子爵だもんな、それなりの格式が必要だし。

 ついでに、使われてる木材も太い。うちのは近隣の普通の(?)魔境産だけど、こっちは大森林産の木材だからだろう。軽く一・五倍くらいの差がある。そう考えると、思ったより部屋は広くないのかもしれない。


 子爵は既に前線から帰還しているそうだ。門番をしていたセージさんがそう言ってた。気配察知でも、確かにそこの館から気配を感じる。では、早速ノックして挨拶をば。


「失礼します! この度ドルトンの代官に任命されましたビート=フェイス男爵です! 所用で近くまで参りましたので、ワイズマン子爵へのご挨拶にまかり越しました!」

「……なにをしとるんだお前は。早く上がれ」

「はーい」


 ちゃんと挨拶を言上したら、呆れた顔した子爵に出迎えられた。相変わらずのゴリマッチョだけど、着ている服は清潔感のある生成りのシャツと茶革のパンツだ。大きく開かれた胸元から見える大胸筋が逞しい。

 促されて、玄関から入ったホールに繋がる真新しい応接室へと通される。貴族っぽい、臙脂とウッドブラウン、ベージュを基調とした落ち着いた調度の応接室だ。以前通されたことのある、ボーダーセッツのブルヘッド伯爵邸の応接室によく似ている。

 どれどれ、ソファの座り心地は……うむ、いい具合にヒトを駄目にする柔らかさですな! クリステラとキッカはいつものように俺に後ろに立って、ソファには座らない。四人くらい座れそうな、大きなソファなんだけどな。

 ローテーブルを挟んで子爵が向かいに座ったところで、平面に載せて運んできた大きめ山盛りバスケットをテーブルに降ろす。


「先ずはお土産ね。エンデで取ってきた飛竜ワイバーンの肉と魚介の乾物だよ。お肉は凍らせてあるけど、早めに食べてね」

「おお、すまんな。どれもこの辺りじゃ手に入らんものばかりだ。ジンジャー! すまんが台所まで持って行ってくれ!」


 遠くから『はーい』という声が聞こえてしばらくすると、子爵夫人のジンジャーさんがやってきた。見慣れたエプロン姿だ。子爵夫人になっても家事は続けてるらしい。


「あら美味しそう! ありがとね、ビートちゃん! お料理のし甲斐があるわ」

「どういたしまして」


 ニコニコ顔でバスケットを持って行くジンジャーさん。結構重いはずなのに、軽々持ち上げて行ったな。もしかして、ジンジャーさんも身体強化を覚えたんだろうか?


 それはそれとして、こんなに広そうな子爵邸なのに、人の気配は俺たちと子爵、夫人だけしかない。


「お手伝いさんは雇わないの?」

「雇いたいのはヤマヤマだがな、単純に人手が足りん。土地と農地は広がったが、人は増えてないからな」


 子爵は広大な農地を持っている。つい数か月前に俺自身が開墾したから間違いない。

 しかし、 そこを維持する以上の人手はまだ獲得できていないらしい。子爵領とはいえ、辺境中の辺境だからなぁ。交通の便も悪いし、移住してくる人なんてそうそういないってことか。


「王様から褒賞を貰ったんでしょ? それでまた奴隷を買ったりしなかったの?」

「それも考えたんだが……奴隷ばかり多くてもな。金が回らないのでは町が発展せん。外から呼んでこれなければ先がない」


 だよねぇ。職人や商人が来てくれないことには経済が回らない。発展しない。

 森芋や大森林の魔物素材という特産品があるから、交通さえ何とかなれば徐々に発展していきそうではあるんだけど……辺境だからなぁ。


「どうやらケガは完治したみたいだね。大事にならなくて何より」

「うむ、これもお前の教えてくれた身体強化のおかげだ。半日維持していたら傷口から鉛玉がポロポロ出てきてな。アレには医者も驚いていた。今では薄っすら傷跡が残っているだけだ」


 なにそれ、ちょっと怖い。どこの暗殺拳継承者? 身体強化に回復促進や治癒補助の効果があるのは確かだけど、そこまで劇的なものじゃなかったはずだ。実は子爵もチート持ちだったのか?

 いや、あの鍛え抜かれた肉体との相乗効果かも。筋肉は裏切らないって言うしな。


 実のところ、父ちゃんや母ちゃん、子爵が多少チートである件については、心当たりがないでもない。他でもない、俺の影響だ。

 魔法を使える貴族家に魔法使いが生まれやすいというのは、魔素や魔法が身近にあるため、その影響を受けやすいからではないかと俺は推測している。

 風に花の香りが溶けていることに気が付くように、濃い魔素に満ちた空気がそうでない空気と違って感じるとすれば、それが魔素の知覚を促しているのではないか、ということだ。

 そしておそらく、それは親から子供への影響に限った話ではなく、反対であっても同様の現象が起こりえるのではなかろうか?

 そう考えると父ちゃんや母ちゃんのチートに説明がつく。俺の一番近くに、一番長く居る存在だからな。俺から浴びた魔力の量は甚大だろう。

 また、しょっちゅう話をせがみに行ってたから、同じく子爵にも影響があり、それが驚異の身体強化と治癒能力に繋がっているということも考えられる。

 この推測が正しければ、ジャスミン姉ちゃんが魔力操作を早期に習得できたことの説明もつく。子供の頃はよく一緒に遊んでいたからな。

 大人になってから魔力操作を覚えても魔法は発現しないようだけど、ジャスミン姉ちゃんはまだ若い。遠からず発現するだろう。


「それはそうと、さっき代官になったとか言ってたな? 爵位も男爵とか」

「うん。エンデから帰った報告をしに行ったら、王様にそう言われて書状を貰ったんだ。ほら、これ」


 腰の小物袋から折りたたまれた書状を取り出し、子爵に渡す。


「お前、陛下から頂いた書状をそんな雑に……確かに、王家の印もある正式な書状だな。おめでとう、もう男爵とはな。来年には爵位で並ばれそうだ」

「ありがとう。これ以上の爵位は必要ないんだけどね」

「お前が望むと望まざると関係なく、陛下が押し付けてくるんじゃないか?」

「うーん、あり得そう。あんまり手柄を立てるのも考えものだなぁ」


 子爵が苦笑しながら書状を返してくれた。あの王様ならやりかねない。それでなくとも、既に大森林の中に町をひとつ作ってしまっている。あそこの住人が増えたら、否が応でも子爵に祭り上げられてしまうだろう。

 俺が領地持ちになってしまうと、ジャスミン姉ちゃんと結婚してワイズマン子爵領を継ぐことができなくなる。ということは、新ワイズマン子爵家の後継ぎがいなくなるということで、せっかく家を興したのに、新ワイズマン子爵家は一代で絶えてしまうことになる。それは問題だ。


「こっちのことは気にしなくていい。オレもまだまだ隠居するつもりはないから、お前とジャスミンの間に生まれたふたり目の男子を引き取って跡を継がせれば問題ない」


 それは暗にふたり以上の子供を作れと言っている?

 確かにそれはひとつの案ではあるけど……あ、クリステラがちょっと不機嫌な顔をしている。分かりやすいなぁ。つくづく貴族に向いてない娘だ。


 この国の貴族は基本的に男子継承だ。女子には跡を継がせられない。嫡子が幼くて政務がこなせないなどの事情がある場合に限り、一時的に当主代行を名乗ることがあるくらいだ。その場合も爵位を継ぐことはできない。

 現代日本ならジェンダーフリー団体が金切り声で抗議しそうな制度だけど、こういうのは伝統的な面もあるからなぁ。そういう制度になってるということは、それなりの理由と歴史的背景があるということだろうし。

 歴史を否定するなんて傲慢な行為は俺にはできない。そういうものは、必要であれば変えていくってことでいいんじゃないかな?

 まぁ、まだまだ子爵は若いんだし、もうひとり子供を作ってもいい。というか、それが堅実な気がする。夫婦仲はいいんだし、自然と生まれてくるだろう。うちみたいに。


「まぁ、それはそれとして、今日は早速お仕事の話をしにきたんだよ。すぐじゃないけど、さっき言ってた町の状況改善にもなると思うよ?」

「ほう? 興味があるな。聞かせてもらおうか、フェイス男爵殿?」


 子爵がズイッと身を乗り出してきた。顔つきもさっきまでの『近所のおじさん』ではなく、ちゃんと『王国貴族』の顔になってる。大人だなぁ。

 さて、それではNAISEI(笑)フェイズの始まりだ。ガッツリ儲けさせてもらいまっせー。まだ代官の着任もしてないけどな。

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