第177話

 アーニャが王女。

 お魚に目がない食いしん坊のアーニャが王女。

 気が付けば丸くなって寝ているアーニャが王女。

 時々毒を吐いてお仕置きされているアーニャが王女。

 お腹を空かせて情けない顔で食べ物をねだるアーニャが王女。

 耳と尻尾をモフられて気の抜けた顔でデレ~ンと伸びているアーニャが王女。


「納得……いや、理解できない」

「なんかとても失礼な想像をされたような気がするみゃ。とりあえず抗議しておくみゃ」


 俺の左隣に座ったアーニャが、尻尾でペシペシと俺の背中を叩く。全く痛くないどころか、モフリストである俺にはご褒美でしかない。ネコシッポはモフ味の中にしなやかさがあるな。


 集落の中で一番大きな家の、いちばん大きいと思われる板間に通された俺たちは、そこに持参の座布団を敷いて座り込んでいる。座布団は馬車に常備されているものだ。小さいけどクッションがよく効いている。

 いつもなら俺の右側にウーちゃん、左側にクリステラが座るんだけど、今回は左側にアーニャが座っている。クリステラが譲ったのだ。こういう配慮のできるところがクリステラの美点だな。


 現状は監視付きの待機状態だ。部屋の唯一の出入り口には、茶髪のネコ青年が二人立ってこちらを見張っている。ナマリ節あげたら食べるかな?

 アーニャのおかげでとりあえず剣先は降ろしてもらえたものの、まだ信用してもらえるところまでは至っていないらしい。集落の重鎮は別室で対応を協議中で、その間俺たちは軟禁されているというわけだ。


「とりあえずアーニャが王族なのは置いといて」


 両手で何かを右横へ移動させる。

 何かを目の前に持って来られたウーちゃんが不思議そうな顔でのぞき込む。何もないよ、気持ちだけ。


「どうも、単に挨拶するだけで済みそうにない展開になってきたね」

「置いておくと話が進まない気がしますけれど……なにやら揉め事に巻き込まれそうな気配はありますわね」

「まぁ、間違いなく碌でもないことになるやろうな」

「あらあら、困りましたね。今のうちにおいとまします?」

「……善は急げ。悪はもっと急げ」

「悪は無しで。うーん、でも、このまま出て行くのも禍根を残しそうだしなぁ」


 この状況は俺の気まぐれで生じたものだけど、アーニャの思惑も少なからず絡んでるんだよなぁ。

 俺がアーニャの故郷へ行くと言い出したとき、本当に嫌ならアーニャは拒むことができたはずだ。俺はそんなことで奴隷紋を発動させたりしないし、嘘の場所へ案内して誤魔化すこともできた。天然っぽく見えて、実は地頭も要領もいい娘なのだ、アーニャは。

 それなのに秘密てんこ盛りのこの隠れ里へ連れてきたということは、俺にこの現状を打破して欲しいという意思表示なのだろう。確かに、この集落の現状は末期的だ。


「それにしても、皆の歓迎っぷりは凄かったね。英雄の凱旋みたいだったよ」

「うみゃあ……あれはアタシが姫巫女だからだみゃ」

「姫巫女?」


 またアーニャとは縁遠い言葉が出てきたな。『姫』だけでも違和感があるのに、『巫女』なんて追加されたら理解の限界を軽く超えてしまう。ギガ単位のデータを同時に複数ドロップされて、コピー終了まで八時間とか表示されたPCの気分だ。


「シーマ王家は国を統べる統治者としての顔と、代々続く古代遺跡の守り人としての顔、ふたつの顔を持ってるみゃ」

「ほう、古代遺跡! それはどのようなものですかな!?」


 マードック爺ちゃんが身を乗り出してきた。ってか、シーマ王国を征服して三十年以上経つのに、そんなことも調べられてないのか。

 まぁ、イヌは主の命令には忠実だけど、それ以外は目に入らないってところがあるからな。戦争で勝つことだけに熱中しすぎて、それ以外はおざなりだったんだろう。この隠れ里の存在がその証拠だ。


「詳しいことはアタシは知らないみゃ。なんでも、海と生命の神の属神の神殿で、姫巫女だけがその神様と交信できるらしいみゃ。神殿はかつての王宮から続く地下通路の先にあるらしいみゃ」

「属神というと?」

「確か、潮流の神様って言ってたみゃ。神殿で神様と交信した姫巫女が次代の女王になるのがシーマ王国の伝統みゃ」


 世が世なら、アーニャが女王だったってこと? なんとも不安な……いや、漁業関連だけはしっかり保護されてそうだ。そこを守るためだけに全力で統治しそうな気がする。アーニャはそういう娘だ。

 属神の神殿か。そういえば今まで行ったことがある神殿って、法と商売の神様の本殿と分殿だけだな。

 王都にはいろいろな神様の神殿があったらしいけど、結局何処も行ってないんだよな。

 潮流の神様は知らないなぁ。名前からすると、海流を司って豊漁にご利益のある神様ってところかな?


「シーマ王国って海洋国家だったんだ?」

「そうだみゃ。漁と海洋貿易で稼いでたみゃ。ボーダーセッツから黒山脈を越えて運ばれる貿易品の中継地だったみゃ」

「うん? だったら、王国とは友好的な関係だったんじゃないの? なんで王国はシーマ王国じゃなくてバンドーと手を結んだんだろう?」

「シーマ王家は調子に乗ったのですよ、フェイス閣下」


 マードック爺ちゃんが説明してくれたところに依ると、統一戦争初期には王国とシーマ王国は協力関係にあったそうだ。そのおかげで圧倒的優位にあったそうだけど、それがシーマ王国を天狗にしてしまったのだとか。ネコなのに天狗。

 シーマ王国は統一後の友好関係維持の条件として、王国の正室にシーマ王家の姫を入れること、援助物資の代価支払い契約の無効化を申し入れてきたそうだ。

 当時の王国の王様は既に三侯爵家のひとつから嫁を迎えており、それを廃して他国から正室を迎えるというのはあり得なかった。そんなことをすれば侯爵家との確執を産むことになり、国内に政情不安の火種を残すことになる。

 支払い契約の無効化にしても、かなり大きな損失を被らなければならなくなり、国力を大きく落とすことになりかねなかった。影響力を及ぼしたいがために援助したのに、それでは意味がない。

 一方的に損失を被る条件を王国が飲むわけがない。結局、王国はそれまでの支援は損切りして、新たにバンドーと手を結んだというわけだ。

 そこで損切りできるところが当時の王様の凄いところだよな。普通は『投資分だけでも回収を』とか考えてズルズル決断を先延ばししちゃうんだけど。

 バンドーの出した統一後の条件は、旧シーマ王国経由の貿易に税をかけないことと引き換えに、側室でいいからバンドー王家(現エンデ王家)の姫を王国の王室へ入れること。シーマ王国とは比べるべくもない好条件だ。特に税の免除は、それまでの援助での支出を取り返すのも容易な破格の条件と言える。

 終戦後は復興で大量の物資が必要になる。国内で購えない分は外国から輸入するしかなく、持っていくものが言い値で、しかも課税なしで売れるのだからぼろ儲けだ。儲けた商人が落とす金で国内も潤う。エンデにとっては辛い決断だったかもしれないけど、背に腹は代えられなかったんだろう。ワンコは真面目だから、からめ手は苦手なのだ。


「そんなわけで、増長したシーマ王家は滅びた……はずだったんですが」

「海洋国家の王族が、まさか山中で生き延びているとは思わなかった、と」

「ここは旧シーマ王国の領地でもないしみゃ。父ちゃんが入植したときは、ゴブリンも棲まない未開の秘境だったらしいみゃ」


 今でも秘境だとは思うけどね。人が住んでるのが不思議なくらいだ。


「小さい頃から、王国の復興とエンデ王家に対する恨みばかり聞かされてたみゃ。図鑑でお魚の名前を教えてもらっても、小さな川魚しか食べられなかったみゃ。それでもアタシは王家の証である黒髪で生まれたから、将来の女王として優遇されてたみゃ。他の家の子供は、五歳までに半分が病気で、生き残った半分も三人にひとりが飢えて死んでいったみゃ」


 アーニャが床の一点を見つめながら、当時の記憶を吐き出す。


「母ちゃんが病気で死んだときに思ったみゃ。アタシがこの村にいると、年寄りたちは王家復興を夢見続けるみゃ。そして子供が病気で、飢えて死に続けるみゃ。たったひとりの姫巫女であるアタシがいなくなれば、きっとバカな夢から目覚めるみゃ。それに、優遇されてるアタシがいなくなれば、その分他の子供たちが飢えなくて済むみゃ。そう思って、十歳になった日の夜に村を抜け出したんだみゃ」


 この秘境からたったひとりで、夜中に抜け出したのか。よく魔物に襲われたり迷ったりしなかったな。とんでもない幸運だ。


「本当に大変だったみゃ。猿の魔物に追い回されて滝つぼに飛び込んで逃げたり、山の中で道に迷って食料が尽きて、山に生えてる木の実でなんとか食いつないだり……旧シーマ王国の王都だったパイントに着いたときには、お腹が減って倒れる寸前だったみゃ。そのときに商隊の護衛だった冒険者のオッチャンに助けてもらって、ご飯を食べさせてもらって、一緒に王国へ連れて行ってもらったみゃ。オッチャンにもアタシと同じくらいの年頃の娘がいて、放っておけなかったって言ってたみゃ。冒険者登録もオッチャンに付き添ってもらったみゃ。オッチャンには感謝しかないみゃ」


 襲われてるし迷ってるし! それなのに生き延びてるなんて、ちょっと宿業と冒険と幸運が半端ない。

 この娘、実はクリステラとは別ストーリーの主人公なんじゃないか? このまま王国復興編開始か? 全軍突撃ヤシャスィーン

 そのオッチャンはアーニャの恩人だな。探してお礼しないといけないだろう。またやることがひとつ増えたな。まぁ、別にスケジュールが埋まってるわけじゃなし、それくらいはいいか。


「ボス、この村には未来がないみゃ。こんな僻地に引きこもってて、王国復興なんてできるわけないみゃ。みんなの目を覚まさせて欲しいみゃ」

「僕が王国復興の手助けをするって方法もあるよ?」

「フェ、フェイス閣下、それはっ!?」


 マードック爺ちゃんが慌てて会話に割って入る。

 それに対してアーニャが首を振る。


「無意味だみゃ。もう旧シーマ王国の人たちはエンデ王国の民として生活してるみゃ。今更昔には戻れないみゃ」

「だね。僕もそう思うよ」


 どうやら王国復興編はないみたいだ。マードック爺ちゃんがホッとため息を吐く。しないよ、だって面倒臭いし。


 人はたくましい。十年も経てば戦乱は過去のものだ。三十年以上経った今は世代交代もしているだろう。

 今を生きている人たちにとって、既に旧王国は過去の遺物だ。もはや何の価値もない。


「ボス、アタシはボスの奴隷だみゃ。一生解放されなくてもいいみゃ。その代わり、この村から、シーマ王国の呪縛から皆を開放して欲しいみゃ」


 アーニャがいつになく真剣な顔で訴える。こんな真面目なアーニャを見るのは初めてかもしれない。それだけこの集落の現状に危機感を持ってるんだろう。

 この集落に来るまでの言動を見る限り、アーニャ自身は集落が既に滅んでいることを望んでいたはず。復興の夢を捨てて、皆が山から降りていればと。家族の行方は分からなくなるけど、それならそれで仕方がないと考えていたのだろう。

 しかしまだ集落が存続してると知って、助けられるなら助けたいと考えてもおかしなことじゃない。一度は捨てた家族でも、憎んで捨てたわけではない。それが最善だと思っただけだ。

 そうか、アーニャが子供に優しかったり食べ物に執着したりするのは、この集落での経験があったからか。納得。


 アーニャが飛び出してから約六年。この集落は驚くほど変化していないらしい。つまり現状維持が精いっぱいで、発展や拡張する余裕はないのだ。ほんの少しの外圧、例えばそこそこ強い魔物の襲撃ひとつで衰退へと一直線に向かうだろう。

 今までは運が良かっただけで、とっくに、いや、最初から限界だったのだ。もう復興への希望もないはずなのに、諦めきれずに先延ばしにして滅びへ向かうだけ。


 家族を助けてほしい。

 シンプルで分かりやすい希望だ。俺としても助力するにやぶさかではない。

 ただ問題なのは、『助ける』の意味と『助けられる側の意思』なんだよなぁ。


 ウーちゃんが耳をピクリと動かし、伏せていた頭を上げる。うん、あちらの話し合いは終わったらしい。数人の気配がこの部屋へ向かっている。

 さて、どんな話にまとまったのかな。

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