第176話

「ここがアーニャの故郷か」


 エンデの王都ミニョーラから西南西に約三百キロ。山深い谷間の集落『ナーバル』がアーニャの故郷だ。

 小川に沿って切り開かれた僅かな畑、そして十数軒の小さな家が肩を寄せ合うように密集している集落……それだけだ。あとは周囲に広がる山林以外、目に入るものはない。

 切り立った山肌に張り付く道は、馬車がすれ違えないくらい細い。真正直にあの道を走ってたら、どこかで脱輪して谷底へ落ちてたかもしれない。飛んできて正解だ。


「まだ村が残ってるとは思わなかったみゃ。もう潰れてると思ってたみゃ」


 率直に言って田舎だ。これほどの田舎は昭和の日本でもなかなか見られないだろう。一周まわって観光資源にできそうなくらいだ。

 若者アーニャが街へ憧れて飛び出すのも無理はない。俺でも『オラこんな村イヤだ、銀座でべこ飼うだ』と言って出て行きたくなるかもしれない。アーニャの辛辣な口ぶりもさもありなんという感じだ。


 現代、あるいは近代の日本なら、これほどの田舎でも農業や林業で細々と生きていけるかもしれない。しかし、ここは異世界だ。ちょっと事情が異なる。

 田舎、つまり周りに自然が多いということは魔物も多いということであり、それはすなわち、死が身近にあるということだ。大爪熊一頭で、小さな村なら数時間で壊滅してしまうだろう。日本の過疎化とは危機レベルの桁が違う。

 若者が街を目指すのは、お洒落な生活への憧れだけでなく、安全な生活に対する憧れでもあるわけだ。切実すぎる。

 もっとも、アーニャの憧れは都会ではなく魚だったみたいだけど。


「こんなところに集落があったとは……我が国の国勢把握もまだまだですなぁ」


 同行している案内人の紀州犬爺ちゃん、マードックさんがため息交じりにこぼす。案内人なのに知らなかったとか、もう案内人じゃないよね? まぁ、本当の役割は俺たちの監視なんだろうけど。


「知らなくても無理ないみゃ。ここは隠れ里だみゃ」

「隠れ里?」

「統一戦争で負けたシーマ一族の残党が隠れ住んでるんだみゃ」

「なんと!? シーマ一族ですと!?」


 マードックさんが驚いてる。案内人って……。

 シーマ一族っていうのは、エンデの南方にあった国の王家だそうだ。統一戦争で最後までグランツ爺ちゃんと争ってた国なんだとか。表向き、敗戦後に王族は皆処刑されたことになってるそうだけど、生き残りがいたんだな。


「血統的には微妙だみゃ。当時の王様の弟が、庭師の娘に手を出して生ませた子供らしいみゃ。敗戦直前に生まれたから、正式には認知されてないみゃ」

「なるほど、それで監視の網を潜り抜けたわけですか。確かに、私生児であれば追及の手も届かなかったでしょうな。それにその黒髪、もしやと思っておりましたが……」


 どこにでも堪え性のない奴はいるんだな。でもそのおかげで王家の血が途絶えずに残ったと思えば、その無節操な王弟は役に立ったと言えなくもない。生き残ったその庭師の娘の子も、他の王族全員が鬼籍に入っているわけだから、唯一の王族であることに間違いはない。


 失われた王家の復活を夢見て、山中の隠れ里で王族唯一の生き残りが雌伏の時を過ごす。物語の中ではありがちな設定だけど、まさか実際に目の当たりにするとは思わなかった。さすがは異世界、ベタな話が突然降ってくる。

 物語だと、里の外からやってきた敵あるいは来訪者によってストーリーが動き出すことが多いけど、もしかしたら今回は俺たちがその来訪者役なのかもしれない。

 ……ここでもやっぱり脇役か。由緒正しい(?)農奴出身の俺には、そういう王道ストーリーの主役は回ってこないとみえる。まぁ、いつものことだ。気にすまい。俺は俺の人生ストーリーの主役であればそれでいい。


 集落唯一と思われる広場に馬車を降ろす。テニスコート二面分くらいの小さな広場だ。隅のほうに共同と思われる屋根付き井戸がある。

 俺たちに気づいた村人たちが、畑から、家の中からワラワラと集まってくる。大体四十人くらいだろうか。老人から子供までいるけど、やや年寄りのほうが多いように見える。限界集落にはありがちだ。

 大人の男は全員、なにかしらの武器を手にしている。ほとんどは粗末な木製の鍬や鋤といった農具だけど、何人かは古いながらも手入れされた剣や槍を持っている。いつか来るその日・・・・・・・に備えてたんだろう。まだその時じゃないけど、たぶん。

 半面、着ているものはお世辞にも高級とは言えない。目の粗い麻布に僅かばかりの模様が染められただけの質素なものか、鞣した毛皮をなんとか服の形に縫い合わせただけのものだ。どれも年季が入ってくたびれている。俺の生まれ育った開拓村よりボロい。交易をしていないから、布が手に入らないんだろう。


 皆、身体は痩せている。上から見たあの畑の広さでは、これだけの人数を食わせるのはかなり厳しいはずだ。おそらく、付近の山林からの収穫でなんとか食いつないでいるんだろう。

 山には魔物がいるから、それには当然、命の危険が伴う。そうそう頻繁には入っていけないはずだ。危険を承知で山に入るか、それとも食事を減らして身を守るか。

 常にギリギリの選択を迫られた結果があの身の細さなんだろう。痩せたネコは見ていて痛々しい。愛護協会に怒られてでもエサをあげたくなる。

 そう、全員がネコ耳だ。山奥にあるネコの里、略してヤマネコの里だな。モフリストなら、一度は訪れる価値がある。

 髪色は白と茶色が多い。白黒ブチや、アーニャと同じ黒髪も数人いる。さすがに虎毛やヒョウ柄は居ないか。どうやら大阪のおばちゃんほどのバリエーションはないらしい。紫ラメとか居たらびっくりだけど。


「貴様ら、何者だ! 何をしにここへ来た!」


 ネコの群れの中から、黒髪の壮年ネコが声を張り上げる。周囲を武器を持ったネコたちが固めているところを見ると、この集落でも重要な地位にいるんだろう。


「怪しい者ではありません。僕たちはウエストミッドランド王国から来た冒険者です。僕たちの仲間がこちらの集落出身というので、近くにきたついでにご挨拶をと、寄らせていただきました」


 声を張り上げてはいけない。ネコは大声に敏感なのだ。興奮して警戒しているネコには、努めて静かに、優しく接するのが仲良くなるコツである。ギョニソか○ュールがあれば完璧。


「嘘を吐くな! そこにいるイヌ族はなんだ! 大方、エンデの犬畜生共の手先だろう! 我ら一族を根絶やしにするために送り込まれたに違いない!」


 聞く耳持たずか。まぁ、集落の成り立ちを考えれば、それもむべなるかな。

 周囲のネコたちも、警戒と緊張で身を硬くしている。尻尾が膨らみまくりだ。……可愛いなぁ。


「むう、申し訳ない。私は中に下がっているべきでしたな」

「いやいや、どのみち顔を出さないわけにはいかなかったんですから。後から顔を出して警戒されるより、最初から隠さないほうが信頼されるというものです」

「そう言っていただけると助かります。しかし、これはどうしたものか……」


 マードックさんが眉を寄せて考え込んでいる。責任を感じて、解決策を考えているんだろう。けど、別にこの程度は大した問題ではない。


「アーニャ」

「うみゃあ……仕方ないみゃあ」


 馬車の中に引っ込んでいたアーニャが顔を出す。

 集落出身者本人が出てくれば、嘘を吐いていないことは明白だ。潔白をこれ以上保証してくれるものはない。


「みんな、久しぶりだみゃ」

「なっ!? お、おまえは……アナスタシアなのか!?」

「うみゃあ~、その名前は好きじゃないみゃあ。今は子供のころと同じで、アーニャって名乗ってるみゃ」


 アナスタシア? それがアーニャの本名か。随分と大仰な名前だな。アーニャは愛称か通称ってわけだ。アーニャはここを出てからしばらく冒険者をしてたらしいし、冒険者なら短い名前のほうが通りがいいもんな。


「……姫さま?」

「アナスタシアさま?」

「姫様だ! 行方知れずだった姫様がお戻りになられた!」

「王女殿下! おかえりなさい!!」

「「「おかえりなさい、姫様!」」」


 アーニャが顔を見せた途端、広場に集まったネコたちが一斉に押し寄せてきた。おおう、ネコ塗れだ。今なら撫で放題だな! そこの子ネコを抱き上げてもいいだろうか!? お持ち帰りしても!?


 ……って、んん? 姫様? 誰が? アーニャが?


「……だから帰ってきたくなかったんだみゃ」


 えぇえぇ~っ!?

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