第172話

 ケモ耳を二百九十三まで数えたとき、やじ馬(でもイヌ耳とネコ耳)の群れを割って馬車が港へ入って来た。四頭引きで豪奢な黒塗りの箱馬車だ。その前後には数名の兵士と人足らしき男たちもいる。どうやらお迎えが来たみたいだ。


≪ようこそフェイス準男爵! 我が国は貴殿を歓迎い……≫

≪失礼、大きな声を出さずとも聞こえておりますので、普通にお話しください≫


 馬車から降りた身なりの良い白髪イヌ耳の初老男性が、大きな声でこちらへ語りかけてくる。短髪で中肉中背だからか、なんとなく紀州犬っぽい。

 よく通る太い声だけど、平面魔法製のマイクとスピーカーがあるから大声を出す必要はないんだよね。ちょっと失礼かなとは思ったけど、話を中断して普通に喋るように促す。


≪これは……いや、魔法使いの方でしたか。こちらこそ失礼致しました。では改めて、我が国は貴殿を歓迎致します。ささやかながらおもてなしの用意をしておりますので、どうぞ我らとご同道ください≫

≪ご丁寧に痛み入ります。喜んでお受け致します。その前に荷下ろしを済ませたいのですが、馬車を降ろせる広場などをご用意いただけますか? それと道中、盗賊と遭遇いたしまして、これを捕獲しております。警吏の者をお呼びいただけるとありがたいのですが≫

≪なんと!? これはとんだご無礼を! 直ぐに衛兵を呼びますので暫しお待ちください! 荷下ろしにつきましてはこの岸壁を開けますので、こちらに降ろしていただければと思います。あとは我が国の者が行いますので≫


 紀州犬爺ちゃんはペコペコと頭を下げている。遠目でも分かるくらいの恐縮っぷりだ。いいんだよ、ワンコをいじめるつもりはないから(ただし盗賊は除く)。

 ああ、この国だと俺、凄く優しい人になれそう。モフリストの聖地だな。



 突然消えたギガント、そして、それにもかかわらず宙に浮いている馬車や人間たちに、港に集まっていた人たち全員が驚いていた。『イリュージョン!』とか言ったら受けただろうか? いや、滑る予感しかしないな。やらないのが正解だろう。


 岸壁に降ろした荷物と盗賊共は騎士のふたりに任せ、俺たちは紀州犬爺ちゃんの先導でミニョーラの街へと入る。

 紀州犬爺ちゃんは右大臣補という役職で、この国の外務のナンバー2だそうだ。大物じゃん。名前はマードック=ギャバンさんだそうだ。

 マードックさんは一緒の馬車に乗るよう言ってくれたけど、俺の言う事しか聞かない従魔がいるからと、固辞させてもらった。実のところは、マードックさんの用意してくれた馬車はサスペンションのない乗り心地の悪そうな馬車だから乗りたくなかったというのが本音だ。うちの子は皆聞き分けのいい子ばかりだから。お尻痛いんだ、アレ。


 中から見るミニョーラの街は、やはり雑然としている。土がむき出しで舗装されていない道は、馬車二台すれ違うのが限度という幅しかない。これが街のメインストリートのようだ。

 その道の両脇には木造二階建てや三階建ての家がみっしりと建ち並んでいる。ところどころに人がすれ違えるくらいの路地があり、その先にはまた家がみっちりと建っている。

 奥の見通せない壁面が立ち並ぶ様は、さながら巨大迷路のようだ。これは慣れないと迷子になること確実だな。俺にはカメラを使ったマップがあるから平気だけど。

 一軒一軒の家はそれほど広くなさそうで、間口が狭い。京都の町家づくりに通じるものがある。

 だからだろうか、どことなく日本を思い出させる雰囲気だ。窓も格子窓だし。屋根が瓦葺きじゃなくて板葺きなのが違うくらいか。定期的に交換しないとキノコが生えそうだな。

 そして、衛生状態はあまり良くないようだ。時折路地からムッとする臭気が漂ってくる。ゴミや汚物が放置されてるんだろう。

 王国ではそういったものを処理する魔道具が民間にもある程度普及してるけど、エンデはほんの数十年前まで小国の乱立する戦国時代だったらしいから、まだインフラが回復してないのかもしれない。

 田舎なら掃除屋スライムがいるからまだマシなんだけどな。この世界でしばしばある、大きな街の方が田舎より不潔という妙な逆転現象だ。病気が怖い。

 街中の住民も港のやじ馬と同じく、やはりケモ耳が多い。全体の七割くらいはケモ耳だ。

 けど、イヌ耳とネコ耳を分けた場合、イヌ耳が四、ネコ耳が三くらいで、若干イヌ耳が多い程度になる。確か今の国王がイヌ系獣人だって話だから、それも関係あるかもしれないな。イヌは群れる生き物だから。


 十分程馬車を走らせると、他とは違う立派な土塀と門が現れた。まるでお寺か武家屋敷みたいな、白い漆喰塗りの土塀だ。

 太い木材で出来た門は開かれており、左右に槍を持った兵士が立っている。まるで時代劇の武家屋敷だな。塀の屋根が瓦じゃなくて板葺きで、兵士の鎧が胴丸じゃなくて革の胸当てだけど。

 マードックさんの馬車に続いて俺たちの馬車も門を抜けて塀の中へ入って行くけど、兵士からはチラリと視線を送られただけで何も言われなかった。あらかじめ通達があったんだろう。命令系統はしっかりしてそうだ。

 門をくぐると石畳の道が真っすぐ伸びており、その先に重厚な木造りの玄関が見えた。どうやらここが王宮というか、居城らしい。

 ふむ、訂正。門を見た時に武家屋敷みたいなと思ったけど、みたいじゃなくて、これは武家屋敷そのものだ。純和風の木造平屋建築。玄関の扉がドアじゃなくて引き戸だし、石畳の道の左右は柿や桜が植わった庭園になっている。


「変わった建築様式ですわね」

「バンドー風建築だみゃ。ここからずっと東にあるバンドー地方の建物だみゃ。この国の王様は、元々バンドー地方出身なんだみゃ」


 おお、めずらしくアーニャが賢い! って、そうか、アーニャはこの国の出身だったな。どの辺りの出身かは聞いた事はないけど、案外ミニョーラの出身だったりするのかもしれない。


「バンドー地方は、小領主がずっと小競り合いをしてた野蛮なところみゃ。だから屋敷も戦うための造りになってるみゃ。あそこに植わってる濃い緑の葉っぱの樹は、秋に黄色い実をつけるみゃ。あっちの薄い緑の葉っぱの樹は夏のはじめに赤い実をつけるみゃ。どっちも食べられるから、籠城のときの足しになるんだみゃ」

「あらあら、食べられる実を付けるのね。でも今は夏の盛りだから、どちらも手に入らないわね。残念だわ」


 ふむ、桜は花桜じゃなくて実桜なのか。柿も渋柿じゃなくて甘柿っぽい。どっちも久しく食べてないな。種を貰って帰って植えてみようかな? あ、でも、桃栗三年柿八年って言うから、今から植えても食べられるのは八年後か。それまで待てるかな? ある程度育った苗木を持って帰るほうが良いいかも。


「長旅でお疲れでしょう。暫しこちらの部屋でおくつろぎください。準備が整い次第、お泊りいただく部屋へ案内させます」


 馬車を馬丁に預けると、俺たちは母屋の一角にある応接室と思しき一室へと通された。建物は純和風だったけど、部屋は流石に畳じゃなくて板間だった。土足オッケーだし、座布団じゃなくてソファとテーブルが置かれている。基本が和風建築なだけに、なんか妙な感じだ。この国じゃこれが普通なんだろうか?


「これは……窓に紙が貼ってありますわ。外の光が柔らかく差し込んで……だから暗くないんですのね」

「雨が降ったらどうすんだろうな、コレ? 破けちまわねぇか?」

「外側にもう一枚、板の窓があるみゃ。雨のときや夜にはそれを閉めるみゃ」


 珍しい建築に皆も落ち着かないみたいで、あちこち見て回っている。障子を破らないようにね。

 いつもなら率先して破きそうなアーニャが、今回は一番大人しいという不思議。エンデは不思議な国だなぁ。

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