第145話
確保したジャスミン姉ちゃんを連れて、山中の船で待機している皆のところへと戻る。
多分追手は来ない。普通は、街中で見失った容疑者が既に山へ逃げ込んでるとは考えないからな。今頃、兵士たちは懸命に倉庫街を捜索していることだろう。山狩りが来るとしても朝以降、昼過ぎくらいじゃないかな。
船は、小さな泉の畔に大きな岩数個で固定されている。甲板まで三メートル以上の高さがあるし、これならそうそう魔物は侵入してこれないだろう。テントを張る手間も要らないし、船の旅は意外と快適だ。普通の船は山へは飛んで来れないけど。
もう夜も遅い。〇ヨナカテレビが始まるくらいの時間になっている。眼鏡を用意していないからテレビには入れない。
今はアーニャとクリステラが夜番のようだ。甲板で火を焚くわけにはいかないから、船から下りて泉の畔で焚き火をしている。焚き火の傍らではウーちゃんも丸くなってる。
「ただいまー。ジャスミン姉ちゃんを捕獲してきたよ」
「おかえりなさいませ、ビート様。早かったですわね」
「ボス、おかえりみゃ」
「ちょっと、捕獲ってなによ! アタシ動物じゃないわよ!」
ジャスミン姉ちゃんの抗議は右から左へ受け流す。
着地しながら帰還の挨拶をしていると、起きたウーちゃんが一直線に俺に飛び掛かって来た。尻尾をブンブン振りながら、俺の顔をベロベロと舐める。よしよし、ただいま。
「魔物!? それにヒューゴー様!? ちょっと、どうしてビートがヒューゴー様と一緒に居るのよ! それにそれに、何この船!? どうして山の中に船があるの!」
「ワイズマン様、わたくしはもうヒューゴー家の者ではありませんわ。ただのクリステラですの。どうかクリステラとお呼びください」
「アタシはアーニャだみゃ」
「ちょっと、コレ、何がどうなってるのよ!?」
大分混乱してるな。ジャスミン姉ちゃんはクリステラが奴隷落ちしたことを知らなかったのか? 学年が違うから……じゃないな。王子の婚約破棄なんていう大イベントが学園内で噂にならないはずがない。きっと覚えてないだけだろう。
ジャスミン姉ちゃんは『自分の興味が向いたもの以外はどうでもいい』っていう性格だからな。今もアーニャが挨拶してるけど、多分聞いてない。ネコ耳はとてもいいモノなんだけどなぁ。
「詳しい説明は明日の朝にでも。今夜はそこの泉で体を洗って、何か食べて寝るといいよ。ここしばらく、ちゃんと寝たり食べたりしてないでしょ? アーニャ、クリステラ、任せていい?」
「はい。では着替えと手拭いを取ってまいりますわね」
「アタシはスープを温めておくみゃ。残り物で悪いけど、味は保証するみゃ。干し肉の出汁が森芋にしみ込んで絶品だみゃ」
「森芋があるの!? 凄い、もうひと月以上食べてないわ! アンニャさんだっけ、お願いするわ!」
「アーニャだみゃ」
ジャスミン姉ちゃんのお腹が大きく自己主張の声を上げる。
森芋に反応したか。開拓村じゃ主食だったけど、辺境以外じゃあんまり手に入らないもんな。久しぶりの故郷の味だ、体が求めるのも無理はない。年頃の女の子としては恥ずかしいだろうけど……全然恥ずかしそうじゃないな。鍋を覗き込んで涎を垂らしてる。
そうだ、そういえば昔から羞恥心のない娘だった。開拓村の小川で、ふたりとも真っ裸で水浴びとかしてたもんな。あの頃はツルペタだったのに、今はこんなに立派になって……見た目だけは。学園の教師でも、ジャスミン姉ちゃんの精神面を成長させることはできなかったか。
そして、やっぱりアーニャの名前は憶えてなかった。名前を間違えられたアーニャは若干不機嫌だ。あとでモフっておこう。
体を洗って暖かいスープを飲んだジャスミン姉ちゃんは、その後襲い掛かって来た睡魔に抗うことができず、焚き火の前であっけなく沈没してしまった。相当疲れてたんだろう。轟沈だ。
俺が抱きかかえて空いてる船室まで運び、ベッドに寝かせた。いつもは俺が使っている船室だ。偶にクリステラとデイジーが潜り込んでくるベッドも、今日はジャスミン姉ちゃんの占有だ。ちょっと羨ましい。
けど、それはそれで問題ない。俺はウーちゃんと一緒に焚き火の前で寝ることにする。暖かいウーちゃんの毛皮がベッド代わりだ。犬好きにとってこれ以上の寝床はない。至福。
朝、目が覚めると、何故かクリステラとアーニャも一緒に寝てた。ちょっとウーちゃんが苦しそう。ごめんよ。
夜番は夜明け前にルカとキッカに交代したようだ。目が覚めるとふたりが朝食を作っていた。
スープは昨晩ジャスミン姉ちゃんが全部食べてしまったから、今朝は新たに別の味で作り直してるみたいだ。ショウガと香辛料の香りが、寝ぼけた頭と胃を刺激する。
「久しぶりにグッスリ眠れたわ! やっぱりベッドはいいわね! それで、どうしてビートがここに居るのよ!?」
「説明するから、まずは朝ごはんにしよう。ほら、そこに座って」
起き抜けにジャスミン姉ちゃんが尋ねてきた。寝てる間に運ばれたことはスルーですか。細かいことを気にしないのも変わらないな。
でも、まずは朝ごはんだ。一日の計は朝食にあり。普段はひと仕事してから食べるんだけど、急いでやらなければならない仕事はない。食べられるときに食べるのも冒険者の仕事のうちだ。
平面でテーブルと椅子を出し、焚き火の傍らに設置する。ジャスミン姉ちゃんが驚いてるけど、それよりも朝ごはんが優先だ。
俺がお誕生日席に座り、反対側にジャスミン姉ちゃんを座らせる。配膳を終えたルカとキッカ、それに起きて来た皆も、それぞれ椅子に座り食事を始める。ウーちゃんだけは定位置の俺の足元だ。では頂こうか。
「今朝はショウガのスープなのね! あっ、このパン柔らかい! 挟まってるお肉もケチャップが効いてて美味しい!」
「あらあら、うふふ。ありがとうございます。パンは、昨日ここに来てから焼いたものなんですよ」
「ポークチャップっていうん? これはパンに合うな。自分で作ってアレやけど、メッチャ美味いわ。贅沢いうたら葉野菜が欲しいところやけど、野営では難しいか」
「野草は癖が強ぇからな。薄切りの根菜ならいけるんじゃね?」
「それですわね。玉ねぎを入れたら、甘くて美味しそうですわ」
「肉の代わりにアブラサバやアカシャケでもいけそうだみゃ!」
「……美味しいは最強」
ここが魔境かどうかは知らないけど、少なくとも魔物がいることは間違いない。気配察知にはいくつか引っかかってる。本来なら静かにするべきなんだろうけど……まぁ、しょうがないか。魔物が寄ってきたら威圧して追い返そう。
好きに話をさせておくといつまでも終わらないから、食べながらジャスミン姉ちゃんに現状の説明をする。
「まず、僕が冒険者になったことは知ってるよね? 僕がここにいるのも依頼を受けたからだよ。依頼主は村長で、依頼内容はジャスミン姉ちゃんの保護。村長もジンジャーさん(ジャスミン姉ちゃんのお母さん)も心配してたよ?」
「あう……ごめんなさい……」
「謝るのは村に帰って、ふたりに直接ね」
俺に謝られても意味が無い。俺も心配はしてたけど、親御さんほどじゃないと思うし。
次は皆の紹介だ。少しの間とはいえ旅を共にする仲間だし、多分、俺が里帰りするときには彼女たちも村へ同行することになる。お互いに知っておいて損はない。
「それで、ここにいるのは僕の冒険者仲間たちだよ。クリステラは知ってるからいいよね。主に料理を担当してくれてるのが一番年上のルカ、その妹で裁縫が得意なサマンサ。お金の管理や買い物のときに交渉をしてくれるのが海エルフのキッカ、掃除や洗濯、細々した雑事をしてくれるのがデイジーとネコ系獣人のアーニャ。それと、狩りと癒しで大活躍なのが草原狼のウーちゃんだよ。皆、あちらが開拓村の村長の娘さんのジャスミン=ワイズマン子爵令嬢ね」
「ジャスミンよ! みんな、よろしくね!」
「「「よろしくお願いします」」」
ジャスミン姉ちゃんの挨拶に合わせて皆も挨拶を唱和する。練習したかのように揃ってるのはなんでだ? まさか本当に練習したとか? いや、皆の仲がいいからだよな、きっと。
ジャスミン姉ちゃんは皆に挨拶したけど、多分半分も名前を覚えてないだろう。今は食べ物に注意が向いてるからな。ルカとキッカくらいは、料理繋がりで覚えたかもしれない。
「それで、領主襲撃ってどういうこと? 村長の仇討ちって話だったと思うんだけど、なんであんな辺境の領主を襲ったの?」
「しょうがないじゃない! そうしないと、またお父さんが襲われちゃうところだったんだから!」
おう? 村長が襲われるってどういうこと? ジャスミン姉ちゃんの話をまとめるとこういう事らしい。
現在、ジャーキンと王国の国境になっているエルツ河は、春の雪解けによる氾濫を起こしている。このため、両国は海からでしか行き来ができない。
しかし、ジャーキンは例の風の魔道具を量産したらしく、小型船による渡河作戦を準備中なのだそうだ。河が氾濫して流れが速くなっていても、魔道具を使えば流されることなく渡河できる。その小型船が今、ビフロントに集結しているのだそうだ。
ビフロントへ潜入したジャスミン姉ちゃんはそれを聞きつけ、前線を守っている村長への援護として領主を襲撃したのだという。
理由は分かった。手段は短絡的だけど。
「というか、船を焼いて逃げるだけでよかったのに。なんで領主襲撃なんてしたの?」
「一隻や二隻ならそうしたわよ! でも何十隻もあるんだもん、全部は焼けないじゃない!」
ああ、なるほどね。赤壁の戦いでもあるまいし、連環の計なんて使えないもんな。だから、軍を率いて前線へ向かう領主を狙ったのか。成功すれば、しばらくは侵攻を遅らせることができる。その間に増水が治まれば、水深の浅いエルツ河は小型船でも渡河が難しくなる。
なんだ、一応考えてはいたんだな。結局失敗して、夜の街を逃げ惑うことになったみたいだけど。
ふむ、そういう理由なら、俺も協力するにやぶさかではない。国境を越えられたら、王国軍は撃退のためにまた厳しい戦いを強いられる羽目になる。苦しい思いをするのは、前線に戻った村長だ。もし無理して村長の身に何かあったら、村の父ちゃんや母ちゃんたちがどうなるか分からない。
よし、ここはひとつ、アレを使うか。ずっと温存してきたけど、いよいよ実戦投入だ。ふふふ、ジャーキンの奴らの度肝を抜いてやるぜ!
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