第134話
途中、リュート海北側の山脈を越えた辺りで一泊し、ギザンの町に着いたのは翌日の昼頃だった。結構な速さで飛んだはずだけど、やっぱり大陸の北の国は遠かった。多分、東京からアラスカくらいの距離だ。行ったことないけど。鮭でも釣ってくればよかった。
「おかえり、なさいませ、ビート様」
「「おかえりなさいませ!」」
「(ぺこり)」
ギザン西町の宿屋に辿り着くと、残していた子供四人が満面の笑顔で出迎えてくれる。皆、血色がいいし、体調に問題はなさそうだ。
「ただいま。何か変わったことはあった?」
「はい。アリスト様から、体調は、回復して、いるので、いつでも、出発できると、伝えて、欲しいと、連絡を、いただきました」
「卵はまだ孵ってないですよ」
デブカッパことシーザー=ヴェネディクトの不祥事で内部監査が入り、王国北東方面軍は現在活動を自粛している。開店休業状態だ。
そもそも先の海戦での大敗北から戦力が回復していないから、実は防衛もままならなかったりするんだけど。
幸い、俺たちが拠点を潰したのでノランの海賊も活動していない。ノラン本国の首脳部も混乱しているだろうから、しばらくは組織立った行動はないだろう。束の間の平和だ。
そんなわけだから、アリストさんがいなくなっても大きな混乱はない。元々死んだと思われていたしな。抜けても穴は開かない。いや、空いた穴が大きすぎて、少し欠けたくらいじゃ大差ないというところか。
「そう。それじゃ明日は旅の準備して、明後日の朝出発しよう」
ドルトンの家も長く空けているし、一度帰ってゆっくりしたい。子供たちに職場を紹介もしておきたいし、開拓村にも顔を出しておきたいな。
とりあえず侯爵家からの依頼を早く終わらせよう。
◇
リュート海南岸に沿って西へ進み、チトの街で一泊。翌日に北壁山地を越えて南下し、外海へ出て少し東へ戻るとヒューゴー侯爵領の領都サンパレスだ。ジャーキンとの国境が思っていたより近い。
ちなみに、全ての旅程は空路を船で進んだ。自分で言ってて意味が分からないけど、そういう事だ。何気に、この海賊から分捕った船は役に立っている。ドルトンまで持って帰ろう。
いきなり侯爵邸に行っても会ってもらえないかなと思ったけど、アリストさんが『私がいるから大丈夫ですよ』と言うので、船を港に降ろしてからアポなしで向かうことにした。
今日のアリストさんは煌びやかな金糸の刺繍も美しい、白い軍装だ。髪や眉も整えられて、イケメンに磨きがかかってる。俺が殺意の波動に目覚めそうなくらいだ。
空飛ぶ船がやって来たということで港は大騒ぎになったけど、アリストさんが手を振りながら桟橋に降りると一転、どよめきは歓声に変わった。どうやら侯爵家の跡取りは領民に人気があるようだ。ちっ、イケメンはこれだから……おっと、思わず『弱P弱P前+弱K』まで入力してしまった。危ない危ない。
船を港に係留していると、二頭立て六人乗りくらいの馬車が港にやってきた。侯爵邸からの迎えだ。アリストさんが姿を見せたことで、知らせが侯爵邸まで走っていたらしい。
「若様ぁ! お嬢様ぁ!」
馬車が止まるや否や、勢いよく開いた扉からジイことベンジャミンさんが飛び降りて来た。顔が涙と鼻水で大変なことになっている。
「やあ、ベンジャミン。元気そうだね」
「おお、若様! よくぞご無事でっ! ジイは、ジイは!」
「うん、心配をかけたね。でも大丈夫、そこにおられるフェイス準男爵閣下のおかげで、無事帰ってこられたよ」
「おお、準男爵閣下が! ……はて、その準男爵閣下はどちらに?」
いや、俺だよ爺さん。確かに、この歳で叙爵されるなんてことは滅多にないだろうけどさ。
「久しぶりだね、ベンジャミンさん。僕がビート=フェイス準男爵だよ」
「いつぞやの確か……ビート殿!? なんと、叙爵なされたのですか!?」
「まあね。まだ成りたてだけど」
「おお、それはそれは。お喜び申し上げまする。重ねて、若様をお助けくださったこと、ヒューゴー侯爵家使用人を代表して御礼申し上げまする」
にこやかに祝辞と謝辞を述べてくれるけど、目が全然笑ってない。俺が貴族だとクリステラを取り戻すのが難しくなるもんな。平民じゃ手を出せない。
まぁ、アリストさんが無事に戻って来たから、クリステラが侯爵家に戻る必要はないんだけど。
「ともかく若様、旦那様がお屋敷でお待ちでございます。ささ、馬車のほうへ。フェイス準男爵閣下とお嬢様もどうぞこちらへ」
遂にヒューゴー侯爵とご対面だ。どうも、人から聞く話だけじゃ人物像が掴めない人なんだよな。一筋縄じゃいかないみたいだから、気合い入れていかないと。
「いよいよ将来の伴侶を紹介するのですわね! わたくし、ドキドキしてきましたわ!」
いやクリステラ、仕事の報告をするだけだからね? 『お義父さんにご挨拶』じゃないからね?
◇
ヒューゴー侯爵邸は、サンパレスの港から北へ、緩やかな坂をずーっと登ったところにあった。傾斜自体は全然きつくないんだけど、この侯爵邸からは遥か眼下にサンパレスの街が見渡せる。六百メートルくらい登ってるかも。気温の低下が肌でわかるくらいだ。
港からの距離も十キロ以上あるだろう。普通の人は馬車じゃないと登って来るにも一苦労だ。俺は飛べるから全然平気。
侯爵邸に向かっているのは俺とクリステラ、それにウーちゃんだけだ。ウーちゃんは馬車と並行して走ってる。大型犬の散歩にはいい距離かな。
他の皆は、サンパレスの街で適当に宿を取ってもらうことにした。報告だけだから皆で行く必要ないし、俺たちも報告が終わったら合流する予定だ。どこに泊まるか相談してないけど、気配察知を使えば見つけられるから問題ない。
侯爵邸の周囲に住宅はなく、南側には背の低いブドウの果樹園が広がっている。特産品はワインとかかな?
北側は山林が続いてるみたいだけど、自然のものじゃなさそうだ。木の植わっている間隔が一定すぎる。間引くか植えるかした、人工的な庭園の一部なんだろう。
「ヒューゴー侯爵領では昔からワイン作りが盛んでして、特にこの侯爵邸前のブドウ園でとれるブドウから作ったワインは『侯爵ワイン』として王都でも人気なのでございます」
あれ、顔に出てたかな? 俺の疑問にベンジャミンさんが答えてくれた。
以前と多少口調が違うのは、俺が準男爵になったからだろう。相手によって態度を変えるのは悪い事じゃない。それが礼儀やマナーってものだからな。
新人教育でも、技術や知識より早く教えられるのが職場マナーだ。言葉遣いや電話の応対講習にもちゃんと意味がある。
それが分からない、出来ないうちは社会人として半人前だ。なんでもフランクなのがいいと思ってたら、そのうち痛い目を見ることになる。マナーが人を作るのだ。
開け放たれていた屋敷の正門をくぐり、さらに馬車を走らせること約五分。ようやくたどり着いた車寄せから見上げる侯爵邸は、武骨な石造りの五階建てだった。今まで見た建物の中では、王都のお城、パーカーの神殿の次にデカい。流石は王国に三家しかない侯爵家というところか。
建物の隅の方には、周囲を見張るためと思われる尖塔まである。屋敷というより、もはや砦だ。何と戦うつもりなんだか。
馬車から降りてベンジャミンさんの先導で玄関に向かっていると、観音開きのその玄関扉が開き、五、六歳くらいの子供が走り出してきた。
「お姉しゃまーっ!」
「デイモン!」
その子供は一目散にクリステラへ駆け寄ると、そのままジャンプして首に縋りつく。身体強化で体力の上がっているクリステラは、危なげなく受け止める。
ふむ、その子が腹違いの弟のデイモン君か。腹違いだからか、あまり似てはいないかな? 髪はミルクチョコ色だし、肌の色もちょっと濃い。似ているのは蒼い目の色くらいか。
確か六歳って聞いてたけど、その割には舌っ足らずで幼い感じだ。純粋培養のお坊ちゃまだとこうなるのかね?
「おかえりなさい、お姉しゃま!」
「デイモン、元気にしてましたか?」
「はいっ! 今日もいっぱい剣のけいこをしました!」
ひとしきりクリステラの胸に顔を押し付けた後、デイモン君は満足げな笑顔でクリステラに話しかけている。
なるほど、あれが子供の特権というやつか。勉強になる。見習う気はないけど。
それにしても、こんな子供のころから剣の稽古をしてるのか。確かに、デイモン君は左腰に短い剣を差している。俺の剣鉈と同じくらいの長さだけど、拵えは普通に片手剣のものだ。
家督を継げなかった貴族の次男以下は騎士団に入ることが多いって話だから、それに備えて今から鍛えてるのかもしれない。侯爵家も意外と大変そうだ。
ん? 俺とデイモン君の目が合った。みるみるうちにデイモン君が不機嫌になるのがわかる。なんだ?
そして俺の前まで来ると腰の剣を抜き……
「おまえがお姉しゃまをさらったわるものだな! ぼくがせいばいしてやる!」
おおう、子供勇者現る!?
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