第101話
「クリステラさん、抜け駆けはズルいですよ!」
「せや、協定違反はアカン!」
俺がクリステラとベンジャミンさんの会話にツッコミを入れようとしたら、それよりも早くルカとキッカから待ったが掛かった。衝立を回り込んでふたりが応接スペースにやって来る。
ってか、協定って何?
「ルカさん、キッカさん! そうでしたわ、わたくしとした事がウッカリしておりましたわ! ジイ……いえ、ベンジャミンさん、申し訳ありませんけど、先程の話は無かった事にしてくださいませ」
「お嬢様……左様ですか、どうあってもお戻り頂けぬのですな。承知致しました。帰って皆にはそのように伝えましょう。……奥様と坊ちゃまが悲しまれますな」
肩を落としてベンジャミンさんが言う。ようやくクリステラを連れ戻す事を諦めてくれたようだけど、少しばかり気まずい雰囲気が辺りに漂う。
協定について問い質したかったんだけど、ちょっとそんな空気じゃないな。仕方ない、それは後回しにするか。いくつか他にも聞きたい事があるし、そちらから片付けよう。
「ベンジャミンさん、そもそも、侯爵様はこの件についてどう思ってるの?」
先程からクリステラ派とデイモン派の対立については話してくれているけど、後継者を決定する権利を持っている侯爵自身の意見は聞いていない。周りがいくら騒いだところで、跡継ぎと言うものは当主の鶴の一声で決定するものだ。最も重要な事をまだ話してもらってない。
「……旦那様は、先ずは
へぇ、冷静だな。嫡子が死んだかもしれないって状況なのに、感情に流されている様子が無い。至極真っ当な判断だ。
クリステラを勘当した時は激怒してたって話だけど、それは演技で計算だったのかもしれないな。国内有数の大貴族の当主なんだし、その位の腹芸はやりそうだ。
素直で裏表のないクリステラにはできそうにない。連れ戻さなくて正解なんじゃない?
「ふーん。それじゃ、次男のデイモン様ってどんな人? ベンジャミンさんが嫌がるほど性格が悪いとか?」
「滅相もない! デイモン坊ちゃまはまだ六歳ですが、聡明で心優しいお方ですぞ! なにより、家中の誰よりもお嬢様のお戻りを心待ちにしておられるのがデイモン坊ちゃまなのですぞ!」
六歳、まだ子供じゃん。俺が言えた義理じゃないけど。
……ああ、そういう事ね。単純な家臣の権力争いじゃないのか。まだ幼い次期当主を操って、間接的に侯爵家を乗っ取ろうとする勢力があるんだろう。それに対抗する為にクリステラを連れ戻そうとしてるんだな。
このベンジャミンさんは、今まで観察した感じでは悪人とは思えない。ちょっと感情が表に出過ぎてる。これが演技だとしたら大したものだけど、そんな腹芸ができるなら対抗勢力を上手くあしらう事もできるだろう。
この人は『御家大事』なだけの、只の老人だ。今回クリステラを連れ戻しに来たのも、元守役としての情もあるだろうけど、奸臣の専横で侯爵家が乱れるのを嫌ってって事だろうな。真面目な事で。今度『自分、不器用ですから』って言って貰おう。
ここで『僕たちには無関係ですので』と言ってスパッと切り捨てるのは簡単だけど、どうやら弟君はクリステラにご執心のご様子。どうにか綺麗な決着に持って行かないと、後々弟君が後を継いだ侯爵家を敵に回しかねない。この国で冒険者として生きていくなら、大貴族と揉めるのは得策ではない。
それに、その奸臣たちがこのままクリステラを放って置いてくれるとも思えない。奴らにとっては邪魔なだけだからな。何らかの措置……まぁ、十中八九、刺客が送られてくる事になるだろう。そして、クリステラが生きている限りそれは続くはずだ。さて、どうするべきか……。
「話が戻るけど、侯爵様はアリストさんの捜索隊を出したりしてるの? 場所が前線だから、かなり難しいんじゃないかと思うんだけど」
「そうですな。何分、侯爵領は西の前線にも近いですからな。西の守りも堅めねばなりませぬ故、侯爵家から捜索隊は出しておりませぬが、冒険者ギルドには捜索依頼を出しておりますぞ」
お、これって好都合なんじゃね? まだ依頼残ってるかな? 残ってたらいいなー。残って無くても行く事に変わりはないんだけど。
◇
「まだ残ってるわよ。依頼が出された場所が侯爵領と王都だから、国境に近い辺境の依頼は嫌われたのかも。どうする? 受ける?」
「うん、今度はそっちに行こうと思ってたし、丁度いいから受けるよ」
冒険者ギルドでミーシャさんに訊ねると、その依頼は確かに発注されていた。既に誰かに受領されてたら面倒な事になっていたかもしれないけど、まだ残っているなら問題ない。ツイてる。
「あっちは相当酷い事になってるみたいよ。ビート君なら大丈夫とは思うけど、気を付けてね」
受付処理をしながら、ミーシャさんが珍しく神妙な顔で忠告してくれる。いつもは意地悪な笑顔で弄られるばかりだから、ちょっと新鮮だ。レア画像ゲットだぜ!
ミーシャさんだけでなく、それとはなしに話を聞いていた他の職員たちも心配そうな顔をしてくれている。
ほとんどが女性職員だ。石鹸とシャンプーの件で繋がりができたからな。多少心配してくれる程度の間柄にはなれたという事か。ありがたい。
まぁ、ミーシャさん以外は名前も知らないんだけど。名前と顔を覚えるのは苦手なんだよな。直接会話すれば特徴と一緒に覚えられるんだけど。
「うん、ありがとう。じゃ、行ってくる!」
「いってらっしゃい!」
手続きと依頼内容の説明を終え、まだ若干不安そうな顔のミーシャさん他数名の職員に見送られながらカウンターを離れる。後ろを振り返りながら手を振りつつ、待合スペースにいる皆の所へと向かい合流する。
そこには仲間たちとベンジャミンさん……だけじゃなく、何故かケント君とアンナさんたちも居た。
「あれ? アンナさんたち、どうして
「やあ、奇遇だね、ビート。アタシらはビンセントの旦那の護衛だよ。丁度ダンテス村から芋を運んで来たところさ」
「お久しぶり……という程でもありませんね、ビート君。親御さんはお変わりなく過ごしてましたよ。『偶には帰って来なさい』って
「「ちょっとぶり」」
アンナさん、ウルスラさん、リサさん、ミサさん。皆元気そうだ。ビンセントさんもこの街に来てるのか。でも俺たちはすぐこの街を出るから入れ違いになっちゃうな。
『偶には』って、前に帰ってからまだ半年くらいしか経ってないと思うんだけど。
魔物の多いこの世界では、旅は常に危険と隣り合わせだ。一度街を出たら十年以上音沙汰無しなんていうのも珍しい話じゃないのに……父ちゃんも母ちゃんもまだ子離れできてないようだ。
まぁ、普通は七歳で独り立ちなんてしないからしょうがないか。落ち着いたらまた里帰りしてみよう。
「僕はしばらく前から冒険者に登録して修行中だ。まだ見習いだけどね。すぐ君に追いついて、追い越してみせるよ。それまでは……」
ケント君はチラリとキッカを見てから俺を真っ直ぐ見つめる。うんうん、青春だなぁ。オジサンは若者のやる気を応援するよ。頑張って追いついて来なさい。できるかできないかはあなた次第です。
凛々しく拳を握り締めるケント君の様子に、俺たち以外の冒険者からため息を吐く音が聞こえてくる。
チッ、これだからイケメンは! と思わないではないけど、まぁ、その中に野太い男のため息が混じってるから見逃してやろう。せいぜい後ろ(というかお尻)には気を付けろよ。『ケンちゃん、後ろ、後ろ!』ってか。
「そっか、ゆっくり話を聞かせて欲しかったけど、僕たち、依頼でリュート海の方へ行かなきゃならないんだよね。終わったらドルトンに戻るからさ、その時にまた話聞かせてよ」
「そうかい、ちょっとタイミングが悪かったね。ビンセントの旦那にはアタシから伝えとくよ。気を付けて行っておいで」
「うん、ありがとう。そうだ、まだ宿が決まって無かったら『湊の仔狗亭』って宿屋に行くといいよ。僕の知り合いって言えば格安で泊まれるから」
そう言ってまたミーシャさんの所へ戻り、紙と筆を借りて紹介状を書きアンナさんたちに渡した。ケント君はトーマさんと定宿にしてる処があるとかで、不要と言われた。良い宿だと思うんだけどな。
ちょっとグダグダになりつつも、その後はあっさりと別れてギルドを出る。この辺は冒険者らしい淡白さだ。こういうのも悪くない。
「それでは、ワシは一足先にサンパレスへ戻るとしましょう。吉報をお待ちしておりますぞ、お嬢様、ビート殿」
そう言うベンジャミンさんとギルド前で別れる。今回の依頼は直接侯爵に報告しなければならないから、ベンジャミンさんとはまたサンパレスで顔を合わせる事になるだろう。
既にアリストさんが行方不明になってからかなり経過してるから、吉報は無理かもしれないけど。
最悪の報告をしなければならない可能性は高い。しかし、色々と決着をつける為には必要な事だ。誰かがやらなくちゃいけない。いや、他の誰でもない、俺がやらなきゃいけない事だ。
クリステラを買った時に、もめ事は覚悟していた。クリステラだけじゃない、他の奴隷たちもそうだ。奴隷を買うという事は、その人の人生を買うという事だからな。しがらみや因縁は有って当然だ。その程度の事は既に織り込み済み、覚悟完了だ。何も問題ない。
『諸共に散華!』はしないけど。脱がないし。
「よし、それじゃ遅くなったけど、僕たちも行こうか!」
「「「はい!」」」
わふっ!
元気に返事をした皆(特にウーちゃん)を連れて、湊へと歩き始める。今回はそこから河を渡り、対岸から陸路を北上して中央運河沿岸の街、パーカーを目指す予定だ。いつもの平面馬車を使って。
王都は経由しない。あまりあちこちに足跡を残すと、移動速度の速さを訝しがられてしまうかもしれないからな。俺の平面魔法を使った移動は異常な速さだから。
それにクリステラが狙われる危険がある以上、あまり人の多い所へは行きたくない。俺の気配察知が使い辛い。特に王都のような人混みは鬼門と言ってもいい。辺境の方が魔物しかいないから安全なくらいだ。普通は逆なんだろうけど。
それはそれとして……
「ねぇ、協定って何?」
歩きながらキッカに聞いてみる。ずっと気になってたんだよね。
「そ、それはやな? え~っと……」
困った様子のキッカはクリステラに視線を送る。キッカのこういう様子は珍しい。
「そ、それはですわね、あの、そのぅ……」
話を振られたクリステラも困った様子でルカを見つめる。そんなに言い辛い事なのか?
「あらあら。それはですね、ビート様」
ルカが足を止め、真剣な眼差しで俺に話しかける。俺も同じように足を止め、ルカに向き直る。どうやら重大な告白のようだ。俺も緊張してきた。
「うん、それは?」
「それは……」
ゴクリとキッカとクリステラが息を飲む音が聞こえる。
「それは秘密です。うふふ」
可愛くウインクしながらルカが言った。その時、俺には某未来人の『禁則事項です』という声が聞こえた気がした。そうか、それならしょうがない。禁則事項ならな。
んなわけあるかーい!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます