第099話
「もう旅に出てもいいよね? このふた月、特に何も起きてないんだし」
俺はギルドの応接室で支配人と交渉していた。ボーダーセッツの街から移動する為の許可を求めているのだ。
応接室に居るのは俺と支配人だけだ。他の仲間には旅立ちの為の準備をしてもらっている。許可が無くても出ていくつもりだからだ。戦局はまだ膠着しているようだけど、いつ状況が変わるか分からない。早めに動くに越した事はない。もう契約の期限だしな。
ちなみに、冒険者ギルドボーダーセッツ支部支配人の名前はダリオさん。初老で中肉中背の七三分け。元王都の下級官吏だったそうだけど、配置換えでボーダーセッツのギルドに異動になり、事務職の課長級からコツコツ積み上げて、三年前に支配人になったそうだ。
性格は謹厳実直で堅実。何事も手回しや下準備をしてから実行するタイプだ。人間的には面白味に欠けるけど、上役としては申し分ない。職員たちからの評価も悪くない。
本来、冒険者の移動をギルドが制限する事は、基本的にはない。魔物の大量発生等、状況がひっ迫しているか、王侯貴族が絡んでいる場合だけだ。
今回の盗賊ギルド壊滅作戦は、最長二ヶ月という契約だった。その間の遠征は控えるようにお願いされていたから、護衛依頼などはできなかった。できた依頼と言えば、ウーちゃんの散歩と餌取りを兼ねた付近の魔物討伐と薬草採取くらいだった。
これ以上引き留めるなら、ギルドは期間延長として処理しなくてはならなくなる。しかし、一連の騒動の対処でギルドも出費が多く、あまり高額の報酬は提示できない。緊急性も無いから、強制依頼にもできない。
何か盗賊ギルド絡みの大きな事件でもあれば話は別だけど、この一ヵ月の間では、せいぜい酔っ払いの喧嘩くらいしか起きていない。当初ギルドが懸念していた、無法者同士の大きな抗争は起きていないのだ。
これは、実は俺が手を回した結果だったりする。抗争が起きないように策を巡らせたのだ。
と言っても、
実は、宿再建の一環でバラまいたお金による副次的効果だったりする。マネーパゥワーだ。
犯罪は何故起きるのか。
それには様々な要因があって、一言で言い表す事は難しい。しかし多くの場合、根本にあるのは『現状への不満』ではないかと俺は考えている。
誰しも大なり小なり、心に満たされない欲望を抱えているものだ。それはごく当たり前の事で、人はそれを満たすために働き、学び、生きている。生きる原動力と言ってもいい。
しかし、稀にその欲望を短絡的な方法で満たそうとする輩が現れる。他人から奪い、
そんな奴らにしっかりした倫理観を植え付けるには時間が掛かる。年単位などという生易しいものではない。半生、もしかしたら一生かかるかもしれない大事業だ。
そんなもの、とても付き合っていられない。子供が子供で居られる時間は短いのだ。俺の中身は既にオッサンだけど。
しかし、犯罪を未然に防ぐ方法はある。心が満たされていればいいのだ。不満が無ければいいだけの話なのだ。
そして、往々にしてその欲を満たしてくれるのはお金だったりする。『♪お金さえあればぁ~何でも手に入るぅ~♪』と某人形劇でも歌ってたし。
犯罪者予備軍にはスラム在住者が多い。理由は簡単で、お金が無いからだ。お金が無いから教育を受けられないし、日々の暮らしにも困って犯罪に走るのだ。
そんな彼らに倫理観の大切さを説いても、腹の足しにもならないと見向きもしないだろう。『説教するより金をくれ』と言うに違いない。『同情するなら金をくれ』である。だから俺はそうしてやったのだ。同情も説教もしてないけど。
今回、俺は
学の無いスラム在住者には肉体労働者が多い。今回俺が宿の再建でバラまいた金は、直接あるいは間接的に彼らの懐を潤したことだろう。例え一時的にでも、彼らの欲は満たされたわけだ。
欲が満たされれば犯罪に走る理由もない。金持ち喧嘩せずだ。金持ちじゃないけどな。
一時的でいいのかって? そんな先の事は知らん。恒常的な犯罪の減少は領主やギルドの仕事であって、俺の仕事じゃない。頑張れとしか言えない。
「う、うむ、そうだな。できればもう少し残っていて欲しかったが……これ以上無理を言うのは問題になるだろうしな。仕方あるまい」
ダリオさんは不承不承ではあるけど、許可を出してくれた。引き留める理由も権利もないからな。これでようやく旅を再開できる。長かったなぁ。
◇
レストランは相変わらず盛況だ。コスプレを模倣する飲食店も何件か現れたけど、付け焼刃ではうちに
中には三十過ぎた自分の女房にミニスカメイドの格好をさせた店もあったそうだけど、逆に客足を落としてすぐにやめたそうだ。
飲食店の本質は美味い料理だ。うちにはうちでしか出せないメニューがある。それが本当の強みだ。本質を見誤った模倣店は遠からず消えていく事になるだろう。
そして、そのレストランの為に購入した農場も問題なく稼働している。扱っているモノがモノだけにすぐに結果が出る訳ではないけど、衛生管理の徹底は良い結果を生んでくれるだろう。多分。
いずれこの農場も拡大して、羊を育てるのもいいかもしれない。モフモフ王国だ。夢は広がるけど、某ボードゲームの貧乏牧場のようにだけはなるまい。
宿の方は少し落ち着いた。石鹸とシャンプーのレシピを商業ギルドに売ったからだ。権利料として、毎年利益の二割を受け取る契約を商業ギルドと交わした。
レシピを購入した商業ギルドは早速石鹸とシャンプーの生産を始め、すぐさま売りに出した。と言っても乾燥に時間が掛かったので、レシピを売ってから十日程後の事だったけど。
非売品だった人気の品が売りに出されたのだから、それはものすごい売れ行きになった。押し寄せたオバ……ご婦人方に買い占められ、初回生産分はあっという間に売り切れになった。
第二回入荷分も、ひとり一セットの制限をしたにもかかわらず、これも半日ほどで売り切れてしまった。
ひとりで数回並ぶご婦人や、家族総出で並ぶ剛の者も少なくなかったという。つき合わされたご家族にはご愁傷様としか言いようがない。
この事は、盗賊ギルドとの癒着問題で信用を落としていた商業ギルドにとっては天からの慈雨にも等しかったらしく、支配人のハッサンさんには泣きながら感謝された。
なんでも、癒着問題の責任を追及されて進退の危機だったとか。それが石鹸とシャンプーの功績で白紙に戻ったそうだ。
『成人の折には、是非商業ギルドへ』等と粉をかけられたけど、俺、冒険者だしなぁ。考えておきますと、曖昧に答えてお茶を濁しておいた。濁りが美味しいんです。
おかげで宿の方はキャンセルが多発したけど、権利料の収入でカバーできる予想なので問題ない。大きな風呂に入りたいという人の需要もあるし。
中には、商業ギルドの石鹸やシャンプーを使用した上で『こっちの方が質が良いわね』と言って宿に来てくれるお客さんも居る。宿のは俺の平面魔法を使った特別製だからな。分かる人には分かるらしい。リピーターゲットだ。ありがたい。
「じゃあロイドさん、宿とレストランの方はよろしくね。オーガスタ、旅先からも作って送るけど、石鹸とシャンプーの在庫が無くなりそうになったら冒険者ギルドに伝言しておいて」
「はい、オーナー。行ってらっしゃいませ」
「し、承知致しました、オーにゃあ。い、いってらっしゃいましぇ!」
ロイドさんが丁寧なお辞儀をし、オーガスタは相変わらずの緊張した様子であたふたと頭を下げる。
ロイドさんは元の宿を実質的に管理していた、例の中年男性職員だ。仕事ぶりと人間性に問題ない事が分かったので、この度、宿の経営責任者に任命した。所謂社長だ。
給与制の雇われ社長だけど、半期毎に利益に応じた特別報酬を出す事にしている。つまりボーナスだ。この世界には無い制度らしいから、頑張って働いて利益を上げて欲しい。
俺はただのオーナー、株主みたいなもんだな。従業員が稼いだ利益を貰うだけ。不労収入って素敵。
嚙みまくりの挨拶をしたオーガスタは、この件で購入した奴隷のひとりだ。元商家の娘で、ちょっと落ち着きは無いけど、読み書きと計算ができて意外に根性が座っているので、宿の裏方のまとめ役に任命した。クリステラに次ぐ二人目の奴隷頭だ。
行商をしていた父親が盗賊に殺され、収入を失い困窮した彼女と母親は奴隷へと身を落としたそうだ。
母親の方は既に別の買い手がついて行方が知れない。その事についてどう思っているのか聞いてみると『生きてればどこかで会えるでしょ。今は自分が生きる事が一番大事です』と返ってきた。あっさりしたものだと思ったけど、父親の件で至った境地なのかもしれない。強いな。
そうならざるを得なかったのだと思うと、この世界の冷酷さに背筋が冷たくなる。俺も強くならないと。
ふたりにひと通りの指示を出して宿の玄関を出ると、既に皆が待っていた。
「では参りましょうか、ビート様。ようやく、ですわね」
「いやぁ、えらい長逗留やったなぁ。商売はおもろかったけども」
「アタイは久しぶりに思いっきり服が作れて楽しかったぜ?」
「アタシはご飯が美味しかったらどこでもいいみゃ」
「……掃除のし甲斐があった」
「あらあら、うふふふ」
皆、この街での滞在ではそれぞれ思うところがあったようだ。
思う様その腕を振るったサマンサなどは、余程気に入ったのか、今も自作の小袖に袴といういで立ちだ。その上に革のマントを羽織っている。あまり旅向けの衣装ではないような気もするけど、似合っているのでいいだろう。可愛いは正義だ。
今後も偶にこの街には訪れる事になるだろうけど、今はしばらくのお別れだ。さらば、ボーダーセッツ!
宿の前まで見送りに出ている従業員たちに向き直り、俺は出立の挨拶を告げる。
「それじゃ、行ってk「おおぉお嬢さまぁああぁっ! 探しましたぞぉおおぉっ!!」……」
……なんやっちゅうねん!?
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