第093話

 それから一時間程ののち

 準備完了を知らせに来た若い男人魚に連れられて、応接室から少し離れたホールのような部屋へ移動した。そこそこ広い、四十畳くらいのホールだ。天井も高い。

 壁は相変わらずの白い石灰岩っぽい材質だけど、部屋の中央には白いクロスの掛けられた長テーブルと椅子、そしてなんと驚いた事に、天井にはシャンデリアが吊るされている。まるで貴族の屋敷みたいだ。


 テーブルには姫様人魚他数名が既に席へついており、テーブルには料理が数点置かれている。大皿から各自取り分ける形式のようだ。この世界のテーブルマナーなんか知らないから、こういう大雑把な料理はありがたい。

 もっとも、大皿料理である真の理由は、自分たちも同じ皿から食べる事で毒など入っていない事を証明する為だろう。少しは気を使ってくれているようだ。


 茹でられた山盛りのサザエに似た巻貝と、ワカメっぽい海藻のサラダ。マグロと思われる大きな魚の切り身は、塩とハーブの煮物っぽい。そして白身魚の御造り。

 生の魚を食べる文化があるとは、流石人魚。日本人には嬉しいチョイスだ。醤油があればなお良かったんだけど。

 魚醤だったら作れるかな? 今度試してみよう。


 上座には三十代後半くらいに見えるご婦人人魚が腰かけている。ウェーブのかかった黒髪で青い目、くっきりとした目鼻立ちの、どことなくラテン系な感じな美人さんだ。姫様人魚とちょっと似てる。おそらく当代の巫女と言う彼女の母親だろう。

 着ている物も、ムームーである事に違いはないけど、襟や裾にノルディック風の刺繍が入った特別製の衣装のようだ。ただしモチーフはトナカイや雪の結晶ではなく、ヒトデやクジラだけど。巫女服ってことか?

 そしてその向かって右側に姫様人魚、左側に壮年男性の人魚が座っている。短い茶髪で鷲鼻の、少し鋭い印象を受ける顔立ちだ。外国映画の切れ者エージェントを彷彿させる。着ているのはやっぱりムームーだけど。

 巫女や姫様と同席しているのだから、それなりの立場にある人なのだろう。あまり似てないけど、ひょっとしたら姫様人魚の父親かもしれない。ご婦人人魚の旦那という事にもなるか。

 その壮年男性人魚の隣にはふたりの男性が座っていたけど、このふたりはムームーを着ていなかった。というか、人魚じゃなかった。


「トーマのオッチャン!? それにケント兄ちゃんも!?」

「キッカ!? お前なんでこんなとこに居んねん!?」

「キッカちゃん、久しぶり!」


 椅子から立ち上がってこちらに駆け寄ってきたのは、褐色の肌に白い髪、長い笹穂耳を持った海エルフだった。

 どちらも長めのボブくらいの髪を、ポニーテールのように後ろで束ねている。服装もスタンドカラーの生成りシャツと薄いブラウンのボトムで同じ。細面の整った顔立ちもよく似ているけど、年齢だけが見た目四十代前半と十代後半という感じで違っている。まぁ、間違いなく親子だろう。


「ビー……やなかった、『ネズミ』はん、紹介するわ。こっちのオッチャンはオトンの兄貴でトーマのオッチャン、そっちの若いんはその息子でケント兄ちゃんや。オッチャン、ケント兄ちゃん、こっちの坊ちゃんが……」

「キッカ、もう本名出していいよ。キッカの身元がバレてるなら意味ないから」

「っ! ……せやな。ゴメン、うちのせいで……」


 キッカが珍しくしおらしくなる。いつものコテコテとのギャップがちょっと萌える。


 これはもう、しょうがない。キッカの事を知ってるならセンナ村の事も知ってるだろうし、そこで起こった出来事を調べれば、すぐに俺まで辿り着く。隠す意味が無い。

 それに、仲間の身内に偽名を使うのは道徳的にどうかと思うし。詐欺師じゃないんだから。


「そんでな、この坊ちゃんがウチの旦那様のビートはん! アツアツのイチャイチャやで!」

「「な、なんやてぇ~っ!?」」


 ふたりがハモった。タイミングばっちりな所が関西ノリだ。新喜劇が懐かしい。

 それにしても、ちょっとは可愛げがあると思ったのに、キッカはやっぱりキッカだった。

 旦那様は、まぁ、奴隷という立場からすると、呼び方としてはおかしくない。しかし、イチャイチャは不味い。誤解を招く。もちろん、それを意図しての発言に違い無い。キッカ、恐ろしい


「アカン、アカンでぇ! オッチャンは、そんな何処の馬の骨とも知れん奴にキッカは渡さへんでぇ!!」

「そうだよキッカちゃん! 相手はまだ子供じゃないか、仔馬の骨だよ! もっと太くて硬い大人の骨の方がいいよ!!」


 案の定、トーマさんとケントくんは、逆上とまでは行かないけど、興奮して顔が真っ赤になっている。実際には、色黒だから赤黒くなってるんだけど。

 まるで『娘に恋人を紹介された父親』みたいなセリフを吐くトーマさん。ケントくんに至っては意味不明な事を口走っている。どことなくいやらしい。思春期真っ只中か。


「ハイハイ、どうやら知り合いみたいですけど、続きは食事しながらにしましょう。アタシ、お腹空いちゃったわ」


 ご婦人人魚がパンパンと手を打ち鳴らして注意を引く。どうやら助け舟を出してくれたらしい。助かった。


 突然始まったミニ修羅場に狼狽えていた案内の若い男人魚も我を取り戻し、俺たちを座席へと促す。ふたりの海エルフも席に戻る。

 俺の席はご婦人人魚の向かいの端だけど、他の皆は席に着かずに俺の後ろに並んだ。はて、なんでだ? クリステラに訊ねてみる。


「どうしたの? 座らなきゃ食事できないよ?」

「いえ、わたくしたちはビート様の奴隷ですもの。同じ卓で食事はできませんわ」

「「な、なんやてぇ~っ!?」」


 またふたりの海エルフがハモって叫んだ。

 ああ、そういやそうだった。普段は皆で食事してたから忘れてた。普通は奴隷は別に食事するんだよな。


「キッカ、奴隷ってどういうこっちゃねんっ!?」



 この後、逆上したふたりの海エルフに事情を説明し、宥めるのに一時間程かかってしまった。料理もすっかり冷めて、ご婦人人魚のご機嫌はかなり斜めになった。最早絶壁と言っていいくらい。

 険悪な雰囲気の中で食べる料理は美味しくなかった。味は良かったけど、全く食べた気がしなかった。やっぱ食卓には笑顔だよな。


 人魚たちとの食事会は、これ以上ないくらいの大失敗と言っていいだろう。

 なんでこうなった?



 海エルフのふたりがロングアイランドに居る理由、それは俺たちの旅の目的と無関係ではなかった。


 彼ら海エルフは海洋交易を生業とする一族だ。常に大陸中を行ったり来たりしている。王国や帝国、連邦はもちろん、大陸の西の端や北の果ての未開の地とも取引しているそうだ。その取引相手の中にここ、ロングアイランドも含まれていたのだという。

 人魚族は海洋生物由来の工芸品や塩を輸出し、代わりに鉄製品や穀類、布類を輸入するのだという。塩はロングアイランドが魔法で作っているそうだ。やっぱ便利だな、土魔法。


 そんなわけで、海エルフと人魚族は昔から交流があったらしい。お互い海で生きる流浪の身同士という親近感もあったかもしれないけど、割と親密な間柄のようだ。

 部屋の調度がやけに人間風なのもそれで納得だ。おそらく海エルフ経由で手に入れたのだろう。他でもない、偶に来る海エルフたち自身の為に。


 しかし今から半年前、交易の仕入れに寄った帝国のとある港町で、海エルフの船が拿捕されてしまったそうだ。

 拿捕したのはもちろん帝国軍。押し寄せる兵士たちは問答無用で海エルフたちを拘束し、積み荷も船も全て奪われてしまったそうだ。

 丁度仕入れの為にとなり町まで足を伸ばしていたふたりだけが難を逃れ、追いすがる兵士たちをなんとか振り切って、知己である人魚族の所へと逃げてきたそうだ。

 だから人魚たちはあんなに攻撃的だったんだな。追っかけてきた帝国兵と疑われてたのか。なんて迷惑な。


 拿捕した船の使い道には心当たりがある。海賊だ。何処で大型船なんか調達してきたのかと思ったら、海エルフから奪ってたのか。しかも半年も前に。計画自体はもっと以前まえからしてたんだろう。『炎陣』もそう言ってた気がする。

 あ、船売っちゃったな。そうと知ってたら貸出くらいで手を打ってたのに。


 こっちの事情も詳しく説明した。食事会の最中もずっと睨んで来るんだもん。特に息子。

 こいつアレか? もしかしてキッカに気があるのか?


「そうやったんか……モグモグ……アイツは逝ってしもたか。グスッ、モグモグ……すまんかったな、ビート君。弟夫婦の仇とってくれて、それとキッカを守ってくれてありがとう。兄として、伯父として礼を言うわ。……この煮物美味いな。ええ出汁だし出てるわ」

「モグモグ……そしたら、皆は今頃、もう奴隷にされて売り払われてるかもしれんな。なんとか助けたいけど、難しいか……なんとかならんかな? モグモグ……この貝の歯ごたえもイケルで?」


 控え室になっていた部屋に戻り、ようやく仲間たちの食事時間だ。ずっとお預け喰らってたアーニャの、刺すような視線からようやく解放された。

 小説などではよく『射殺すような視線』という描写を見たけど、『喰い殺すような視線』というのもあるんだな。初めて知った。

 ちなみに、メニュー自体は先程と同じだ。余り物かもしれない。俺も軽くつまませてもらっている。さっきは食った気がしなかったからなぁ。


 そして、そこには何故か男海エルフふたりも居た。まぁ、食事会じゃあまり話できなかったからな。そしてやはり何故か一緒に喰っている。


「あんな空気悪い中でメシが食えるかい! 全然喉通らんかったわ!」


 まぁ、それは俺も同じだけど、その悪い空気の原因が自分だという事は棚上げか。このくらいの図々しさがなければ交易なんてできないのかもしれない。


「そんで、どないするのん? いつまでもここでお世話になるわけにはいかんやろ?」


「それやねんけどな……ビート君、ワイらをボーダーセッツまで連れてってくれんやろか? それなりのお礼はするで?」

「ボーダーセッツ? 帝国には向かわないの?」

「今のワイらは丸腰や。このまま行っても捕まるんは目に見えとる。それなりの準備して行かなあかん。一応王国の商業ギルドには登録しとるから、何かあった時の貯えも伝手もある。それに今の帝国は王国と戦争しとるっちゅう話やし、上手い事話せば軍を動かしてもらえるかもしれん。まぁ、あんまり望みはないけどな」


 なるほど。商業ギルドを動かしてなんとかしようって腹か。それなら僅かでも希望はあるかもしれない。


「……船はええねん。金稼いでまた買うたらええ。けどな、仲間はどうにかして助けたいんや」


 食べる手を止めて、トーマさんが俯き加減で話し出す。見つめる先にあるのは貝の塩ゆでだけど、トーマさんの目にはもっと遠い所が映ってるような気がした。


「海エルフは数が少ない。せやから仲間同士の繋がりは太うて濃い。今も仲間の助けを呼ぶ声が聞こえる気がするんや……頼む、ワイらに手を貸してくれ」


 トーマさんが座ったまま深く頭を下げる。

 この下げられた頭は重い。一族の未来が乗っている。ひとりが抱えるには重すぎる。キッカの身内だし、できる限り力を貸してあげたい。俺の力なんて微々たるものだろうけど。


「まぁ、ボーダーセッツに連れて行くくらいなら。他人事じゃないしね」

「ホンマか!? いやぁ、おおきに! ここ来るときに使った船は沈んでしもたから、どないしよ思てたんや。助かったわ、ほら、食べ食べ!」


 トーマさんが俺の背中をバシバシ叩いて来る。食べますよ、人魚の作ってくれた料理だけどな!


 なんか一向に旅が進まないけど、それだけ戦禍が広がってるって事かもしれない。あちこちに影響が出てる。早くケリをつけないと、ますます影響が広がりそうだ。急がないとな。


「……若」


 デイジーが困った顔でこちらを見つめて来る。何か思うところがあったのかと思ったら、巻貝の塩ゆでから中身が取り出せずにいただけだった。相変わらずの平常運転だね、君。


 蓋を少しこじ開け、根元に串を差して、ねじりながら引くと肝まできれいに取れた。デイジーのキラキラした目がちょっと眩しい。

 この緑の肝が通の味わいなんだよな。


「あの、ビート様、わたくしも……」

「アタシも食べたいみゃ! ボス、お願いするみゃ!」


 おずおずと差し出すクリステラと、勢いよく皿ごと差し出すアーニャ。君たちもブレないね。

 ……アレ? ネコに貝って駄目じゃなかったっけ? アワビだけか? 獣人なら平気? どうだったっけ、ねぇウーちゃん?


 ウーちゃんは、大量にもらったマグロの切り身を食べ終えて、幸せそうにお昼寝中だった。

 ……皆、ブレないね。

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