第086話
天井になってしまった壁面の一部を触ってみると、思ったよりツルツルとしていて硬い。軽く掌で叩いてみると、ペチペチと音が出るだけで
この壁はつい先ほどまで薄っすらと黄色い魔力光を帯びていたんだけど、今はそれも霧散して消えている。魔法、それも土魔法が使われたようだ。
しかし一体誰が? 何のために?
疑問はともかく、先ずは皆に無事を報告しとかないと。ホウレンソウ(報告・連絡・相談)は仕事の基本だ。
気配察知によると、皆は穴だった所の縁辺りに固まっているようだ。
カメラとマイク平面、スピーカー平面を、その近くに作り出す。同じく、対応するマイク平面とスピーカー平面、そしてモニター平面を自分の目の前に作り出す。
≪ビート様、ビート様ぁっ!≫
うわっ、ビックリした!
いきなり聞こえてきたのはクリステラの叫びだった。あまりの大音量で鼓膜が破れるかと思った。
モニター平面を見ると、クリステラは穴の縁を泣きながら両手で叩いていた。相当心配させてしまったようだ。ちょっと心が痛い。早く報告して安心させてやろう。
≪呼んだ?≫
≪ビー……えっ? ビート様?≫
カメラで見ると、穴だった場所の上は黒い鉱物で覆われている。ツヤツヤピカピカとしていて、まるで水面のようだ。黒曜石か? にしては透明度が高いようにも見えるから、黒水晶? 鉱物の種類は良く分からん。
その黒い円の縁を叩いていたクリステラの動きが止まる。
≪皆、無事?≫
≪そ、それはこちらの台詞ですわ! ご無事ですの!? お怪我はありません!?≫
クリステラがスピーカー平面に向かって叫ぶ。ちょっと声がかすれてるな。心配かけて申し訳ない。
ちなみに、皆に分かるようにスピーカー平面は可視化してある。
大きさはA4くらいの長方形。黒いつや消し素材で、表面には赤いゴシック体で『SOUND ONLY』と書いてあるんだけど……いや、このネタも通じない事は分かってる。やってみたかっただけだ。
≪僕は平気。怪我もしてないよ。皆も大丈夫そうだね≫
≪はい、こちらは問題ありませんわ≫
安堵のため息と共にクリステラが答える。見たところ人数も欠けてないし、誰も怪我はしていないようだ。
ウーちゃんも怪我は無さそうだけど、なにやら落ち着きなくスピーカー平面の周りをウロウロしている。声は聞こえても姿が見えないので、俺が何処に居るのか探しているのだろう。愛い奴。
≪今ちょっと閉じ込められちゃってるみたいでさ、壁が堅そうだから出るのに時間かかるかもしれないんだよね。だから先に帰ってご飯作っといてくれる? 夕方には帰るから≫
≪いやいや、閉じ込められとるんとちゃうのん!? 危ないんちゃうん!?≫
キッカがすかさず突っ込んでくる。流石だ。やっぱり関西弁のツッコミはいいなぁ。
≪承知致しましたわ。さ、皆さん帰りますわよ≫
あれ? クリステラがやけにあっさり引き下がった? さっきまであんなに取り乱してたのに。てっきり『わたくしはビート様が出てくるまで待ちますわ!』とか言うかと思ってたんだけどな。
≪お、おい、坊ちゃんを放って置いていいのかよ? 心配じゃねぇの?≫
サマンサが疑問を口にする。うん、俺も心配されていると思ってたんだけど?
≪ご無事なら何も問題ありませんわ。
≪え、そうなのか? ……まぁ、確かに、坊ちゃんが追い込まれてる所は想像できねぇけどよ≫
≪ボスの強さは異常だみゃ。きっと古竜の方が逃げていくみゃ≫
そう言って、あっさりと皆帰っていった。
むう、これも信頼されてるという事なのか? 心情的には少し寂しいんだけど……。
そしてアーニャ、聞こえたからな? 帰ったら尻尾を逆なでの刑だ!
◇
下の方ではまだ猪人が騒いでいる。パニックになっているようだ。
無意味に走り出して壁にぶつかり、それで混乱してまた走り出す奴や、とにかく大声で泣きわめいている奴、身体に触れるモノなら猪人だろうと壁だろうと殴りつけている奴等々。全く収集がつかない。暗闇だし、しょうがないか。
全部始末するのも手だけど、訓練にもならないし魔石も取れない。ここに閉じ込められてるなら街にも来れないだろうし、放って置いていいだろう。いずれ餓死しそうだし。
周囲の確認をしたいけど、暗すぎて肉眼では何も見えない。灯りを点けると猪人共が群がって来そうだしなぁ。
ふむ、ここはひとつ、パーティクル(粒子生成)でも使ってみるか。
平面魔法の機能のひとつであるパーティクルは、主に三つの要素で構成されている。
ひとつは粒子そのものであり、機能名でもあるパーティクル。大きさや形状、衝突や反射、存在できる時間等の設定をする事で、様々な自然現象を疑似的に再現できる。
ふたつ目はパーティクルの発生元となるエミッターだ。点や線から放出するか物の表面から放出するか、その時の初速はいくらか、全方位に発生させるのか特定方向に発生させるのか、秒間いくつ放出するのか等を設定する。
三つ目はフィールド、重力や風、渦巻き等の力場だ。機能的には必須ではないのだけれど、自然現象を再現する際には不可欠だ。でも今回は使わない。
今回は衝突アリの反射無しで、不可視のパーティクルを全方位に放出する。放出されたパーティクルは何かにぶつかるまで直進し、ぶつかったらその場に留まる。不可視なので猪人共には見えないけど、気配察知のある俺には粒子に残った魔力が見えるというわけだ。
放出されたパーティクルが壁面や猪人に張り付き、辺りを雪に覆われたかのような白一色の世界へと変えていく。無論、俺が気配察知を使っているからそう見えるのであって、実際には真っ暗なままだ。
これ、結構きついな。魔力的には問題ないけど、気配察知で認識するのがつらい。全方位が小さな魔力で覆われている為、認識が追い付かずにオーバーフローを起こしてる感じだ。背後まで見えるのもそれに拍車を掛けてる。思わぬ弱点だ。こめかみの奥が痛い。
なんとか我慢して周囲を確認する。俺が居るのは穴のほぼ中心付近の天井近く。穴は直径五十メートルほどで深さは十メートル弱の円柱形。陥没して以降、広がったり狭くなったりはしてないようだ。
内壁まで移動して確かめてみるけど、材質は天井と同じ物のようだ。ツルツルしていて硬い。
猪人を避けるように下へ移動し確かめてみると、土であったはずの地面までこの素材に変わっている。
これが土魔法か、すげぇ。初めて見たけど、有用性は属性魔法の中でもダントツじゃなかろうか。
多分、特定物質の抽出と変形がされてるんだろう。もし金銀や鉄なんかの有用金属も魔法で抽出できるとしたら、簡単にひと財産築けてしまいそうだ。
このレベルの穴を瞬時に作り出せるのなら井戸掘りも楽々だろうし、水路作りなんかの土木工事も余裕だろう。どこででも生きて行けそうだ。
ん? 風か?
なにやら足元を空気が流れている感じがする。どこか外に繋がってるのか?
気配察知でパーティクルを確認すると、南側の壁の一部に横穴が開いている。二メートルx二メートル程の四角い穴だ。少し奥で曲がっているようで、その奥にはパーティクルが届かない。
これ、どう見ても通路だよな? 誘ってる? 何かの罠か?
うーん、まぁ、考えても分からないし、このまま脱出してしまったら相手の意図も分からないままだ。その場合、今後も同じような事が起こらないとも限らない。俺ひとりならどうとでもできそうだけど、他の皆が巻き込まれたら怪我じゃ済まないかもしれない。
実際、今回も俺じゃなかったら十メートル程落下する事になってただろうし。
ここは素直に向こうの思惑に乗っかるしかないな。さて、鬼が出るか蛇がでるか。
……これってもしかして、ひょっとすると冒険っぽい感じになって来た?
いかん、ちょっとワクワクしてきた。先生、ドキドキが止まりません!
静まれ、俺の少年ハート!!
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