第016話

 次の日の朝早く、ビンセントさんとその護衛達は予定を一日早めて北へと旅立っていった。

 交易都市で森芋を売り捌いた後、早速ダンテス焼きとケチャップを売って反応を見るんだそうだ。

 交易都市まではそれ程大きな起伏もなく、草原と丘陵とそれなりの森林地帯が広がっているそうだ。大森林近辺に比べれば弱いけど、魔物も出るらしい。あまり安心はできない。

 しかし、一番怖いのは盗賊だそうだ。


 大森林近辺は辺境だけど、意外にも盗賊は居ない。なぜなら、身を隠す場所が無いからだ。

 森の中は凶暴な魔物がウジャウジャ居るので、そんな場所に隠れることは出来ない。そんなことが出来るくらいの手練れなら、冒険者として大成しているだろう。

 しかし、大森林から離れた場所なら、ある程度の腕があれば生き残れる。それが集団であれば生存確率は更に上がる。

 そうやってならず者達が徒党を組み、いくつかの盗賊団を形成しているらしい。大森林から北では、最も大きな脅威なのだそうだ。


 この国、実は治安が悪い?


 荷馬車を見送った後、日課の紙の木の葉集めと漬け置き、薪割りを終えてから畑に向かった。

 漬け置きと薪割りは、最近俺の仕事になった。『まだ畑仕事や魔物狩りはさせられないが、お手伝い程度のことはさせてみよう』という事らしい。出来るけどね、魔法使えば。

 俺と入れ替わりで父ちゃん達は畑から引き揚げていく。父ちゃん達はこれから周囲の見回りだ。

 見回りは村の男達が四交代のローテーションを組んで行っている。早朝から昼前までの組、昼から夕方の組、夕方から深夜までの組、深夜から早朝までの組だ。日中に二組、夜に二組ってことだな。

 妻帯者は日中の組になる。家族揃って食事をとれるようにという、村長の配慮だ。色々考えてるな。


「ビート、西の芋畑は種芋さ植えたばっかだで、掘り返すんじゃねぇど」

「掘り返さないよ!でも今日はトンバ畑のほうで遊ぼうかな」

「おう、夕方には帰ぇるんだぞ」


 父ちゃんと他愛もない会話をして畑の一角へ向かう。


 と、すぐに何やら妙な気配を感じて立ち止まる。何者かが村に近づいてきているみたいだ。

 森のある南からではない。北からだ。しかも、かなり急いでいる。もうすぐ門に辿り着くな。歩哨に立っている見張りも気付いているはずだ。

 行ってみるか。



 来訪者はビンセントさん達だった。けど、どうも様子がおかしい。酷く慌てている様だ。誰かが知らせたようで、村長がやってきた。


「どうしたビンセント、盗賊でも出たか!?」

「それどころじゃありません、ダンテス様!」


 盗賊よりも大変な事とは尋常じゃない。もしかしてドラゴンとか!? 『異世界で死ぬまでにやりたい事』の一つが叶うのか!?


「い、イナゴ、イナゴの大群がこちらに向かっています!」

「なに!」


 それどころじゃなかった! マジでヤバい事態だった!!


 凡そ人の力の及ばない災いを『天災』という。地震、洪水、津波、干ばつ等々、命の危機に繋がるものがほとんどだ。

 そしてイナゴの襲来、所謂『蝗害(こうがい)』も天災に分類される。

 イナゴと呼んでいるけど、正確には元の世界で言うところのイナゴではない。飛ぶことのできる大型のバッタ全てがイナゴと呼ばれている。この国の昆虫学はそれほど発達してはいない。

 蝗害が起こると、その被害地域は全くの誇張なしに、草一本残らない不毛の地になる。

 人間や動物は咬まれるくらいだけど、木綿や麻の布、茅葺屋根、家の柱など、植物や樹木で出来たものは全て喰い尽されてしまう。

 そして、それによって引き起こされるのは猛烈な飢餓だ。何しろ、全てをイナゴに喰い尽くされて、食べるものが全く無くなってしまう。雑草の一本も残っていないのだ。

 貯えを切り崩してなんとか一年凌ぎ、翌年の収穫を待つにしても、蝗害はそれすらも許さない。

 イナゴの群れは死ぬ前に卵を残す。その卵は翌年孵化し、新たなイナゴとなる。つまり、大量発生したイナゴは翌年も大量に発生するのだ。そしてその翌年もまた大量発生し……数年間は蝗害が発生し続けることになる。そうなれば、もうその土地では他の生き物は生きていられない。捨てるしかないのだ。

 たかが虫ではある。けど、想像を遥かに超えて恐ろしいのが蝗害なのだ。


 ちなみに、この知識は村長から教えてもらった。冒険者時代に、被害に遭った村を見た事があったのだそうだ。

 食料輸送の護衛として雇われた時の事だったそうだけど、それはそれは酷い有様だったという。

 皆ガリガリに痩せて僅かばかりの襤褸ぼろまとい、一個の芋を取り合って醜く争う様は、まるで話に聞くゾンビのようだった、この世の地獄かと思ったと語っていた。


 今、この村にそんな絶望が訪れようとしている。


 北の空を見ると、どういう理由だか分からないけど、地表付近が赤黒い。あれがイナゴの群れなんだろう。

 距離は五十キロくらい先だろうか。早ければ二〜三時間でこの村へ到達しそうだ。あまりにも時間が足りない。


「……避難……いや、しかし何処へ……隠すか……一時的に埋める? しかし時間が……」


 いつも即断即決の村長が、珍しく悩んでいる。当然だ。今回は選択肢が限りなく少ない。逃げるにも対策を取るにも時間が足りなさすぎる。

 村人や村そのものを無傷で残す手段は、もうない。たった一つを除いて。


「村長」


 自分でも驚くほど冷静な声が出た。


「……ビートか。すまんが、今は構ってやれる時間が無い。後にしろ」


 当然、そう来るよな。でも、ここは引くわけにはいかない。この村の、生まれ育ったこの村の危機だから。だから続ける。


「村長、僕ならなんとか出来るかもしれない」

「……ビート?」

「村長、僕、魔法が使えるんだ」


 ついに明かしてしまった。いつかは明かすことになるだろうと思っていたけど、それが村の存亡の危機の時だなんて、まるで出来の悪い読み切り漫画みたいだ。連載なら単行本二巻で打ち切りだな。


「ビート、お前何を言って……」


 当然信じないだろうと思ってたから、右手を差し出し、掌の上に光る透明の玉を作り出してみせる。

 ただの球に屈折を付けた透明の材質を設定して、その中心に点光源を入れただけだ。ライブラリに『偽占い玉』として登録してあるんだけど、使う機会は無いと思ってた。まさか使う機会があるとは思わなかった。


「これは!? お前、本当に!?」


 百聞は一見に如かず、だな。普段は冷静な村長が、球と俺の顔を交互に見て目をパチクリさせている。村長のみならず、ビンセントさんやアンナさんたち、父ちゃんやデントさんたちも驚きの余りに言葉が無いようだ。


「僕が魔法であのイナゴを食い止める。村長は村のみんなで森から木を伐り出してきて。出来るだけ沢山」


「……出来るのか?」

「やるよ」


 コクリと頷いて言う。おそらく問題ないけど、やった事が無いから絶対とは言えない。やれると信じて、いや、出来なくてもやるだけだ。前世で誰かが言ってた。


『世の中に不可能な事は無い。まだやってない事があるだけだ。』


 今、それをやる。それだけのこと。その決意は村長にも伝わったようだ。


「分かった、イナゴは任せる。聞いたな!? 戦えるものは戦闘準備、そうでないものは伐採の準備をして森へ行くぞ! 時間が無い、すぐに準備して門に集合だ!」

「「「はい!」」」


 村長が号令をかけると、皆はすぐに準備へと駆け出した。父ちゃん以外。


「ビート、おめ……いんや、何でもねぇ。一丁かまして来い。こっちは任しとけ」

「父ちゃん……うん、頑張る!」


 父ちゃんは自分の胸をドンと叩いて、準備のために走り出す。言いたいことは色々あるけど、今は言わないってことだろう。そう、今は・・

 なんだかんだで、やっぱ父ちゃんは中身もイケメンだ。マジで神様、贔屓が過ぎませんかねぇ?


 父ちゃんが準備に向かったのを見届けてから、俺も門から北へ走りだす。

 出来るだけ村から離れたところで対応したい。後が怖いけど、身体強化を全開にして走る。おそらく百メートルを九秒台で走れるくらいの速度が出ているはずだ。七歳児でこれだ。この世界にオリンピックがあれば、とんでもない記録のオンパレードだな。



 村から大体五キロくらい離れただろうか。

 赤黒い雲はもう間近に迫っている。こうして近くにくると、その威容に少々腰が引ける。ホラー映画で、ゾンビの群れがワラワラと集まってくる感じ? あれよりもっとダイレクトに恐怖感が刺激される。

 なにしろ、東西約三キロ、高さ約八十メートル、厚みは厚すぎて計測不能という赤黒い壁が時速約二十キロで近づいてくるのだ。

 イナゴの羽ばたく音が波の音のように聞こえてきて、威圧感が半端ない。


「さて、始めますかね」


 誰に言うともなく呟いたのは、多分、緊張しているから。何しろ、これから行う事は俺の限界に挑戦する事なのだから。

 やることは簡単で、『でっかい壁を作って押しとどめる』だけだ。その壁が、今まで作ったことのない大きさである事を除けば。幅三キロ以上の壁を作る機会なんて今までなかったし。


 深呼吸して少し落ち着いたら、いつもより念入りに魔力を練り、壁を作る。大きさはまだ三×三メートルくらいだ。

 厚さはいつものように極薄で材質設定は無色透明。壁の向こう側の様子が分からないと、いつまで続ければいいか分からないからな。

 これを縦横に拡大させる。上方向には念の為百メートルくらい、左右も四キロくらいまで拡大する。

 いつもより少々魔力を持っていかれたけど、まだ全体の一割くらいしか使ってない。特に問題ない様だ。位置は固定にして、絶対村には近付けさせない。



 それからおよそ三分。

 壁に何かがぶつかる、コツンという音が聞こえた。とうとうお出でなさったようだ。

 見ると、少しくすんだ黒い色をしたバッタが壁の向こうを這っていた。

 大きさは四センチくらいで、目だけが妙に鮮やかな赤い色をしている。まるで昭和ライダーの黒い奴みたいだ。こんな時じゃなかったら、喜んで捕まえただろう。ああ、赤黒い雲に見えたのはこのせいか。


 音がだんだん多くなってきた。ひとつひとつの音が聞き取れるくらい疎らだったのが、今はもうノイズにしか聞こえない。

 そして、そのノイズに混じって不吉な音が聞こえた。ギシッとかミシッとか、そんな感じの音だ。


 イヤイヤ待て待て!?

 大爪熊の攻撃も余裕で受けきる平面が、数が多いとは言え、たかが虫相手に!? まだ三十分も経ってないのに!?

 狼狽している間に、ピキピキという音も混じり始める。


 うそん、マジで!? アカンて!!

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