第9話「ロリーナ」
無表情に静かな怒りを表すレイシーは、再び夫人の方を見てこう問いかける。
「実験とはどういうことかしら?」
「魔石は感染症に打ち勝つと同時に身体を修復してくれます。呑めば呑むほど若返ることもわかりました。ですから、適量というものを知りたくてメイドたちには実験になってもらいました」
その結果、身体が崩れてあんな姿になってしまったのか。しかもあの状態でも自我が残っているというのか?
夫人は淡々と語る。実験の結果がどんなに素晴らしい効果をもたらしたのかを。
彼女はまるで悪気がないような言い方だった。いや、何が悪いのかも分かっていないのだろう。
人体実験。
自分の美貌を保つだけのために他人の命をもてあそぶ。
もう我慢できない。
「おいおい、おまえ、何したかわかってるのか?!」
腹の底から反吐がでるようなむかつき具合。レイシーに止められているというのに、それを抑えることができずに口を挟んでしまう。
「しかたなかったのよ。感染症を止めるためには」
「若返りの効果に関しては検証する必要はなかったんじゃねえのか?」
夫人のワガママであんなドロドロの身体にされて自我を保っているんだ。さっき見た壁に貼り付いていた者の言葉を思い出す。
あの子は「殺してください」と言っていた。
「なによ! あたくしのメイドなのよ。どう扱おうと文句を言われる筋合いはないわ!」「な――」
俺の怒りを静めるようにレイシーが強い口調で夫人に迫る。
「あなたが持っている石を出しなさい!」
「……」
「エイダ!」
レイシーはさらに語気を強める。
「こ、これはあたくしのもの。誰にも渡さない」
「ここであったこと全て王に報告し、あなたの夫の爵位を剥奪します」
「いやよ……いやよ。あたくしは若返りを維持するんだから」
「エイダ!」
「ひぇええええ!」
夫人が怖い物を見るような形相で座ったまま後ずさりする。そのときに、持っていた鞄から石がこぼれる。
その一つがこちらへと転がってきた。俺はそれを拾って確認する。
ヘイヤが呑んだものと同じ緑色に光る石。中央部に何かの文字が刻印してある。古代文字か?
「返して! それはあたくしのものよ!」
凄い形相で俺の事を睨む夫人。
石に執着する彼女を見て、怒りより哀れみの方が勝っていく。
レイシーも呆れたように彼女を見下ろしていた。
「これからどうするんだ?」
「夫人と石を回収して王都へと戻りますわ。帰還転移でしたらわたくしも使えます。あなたも付いてきて下さりますよね?」
「まあ、説明とかあるだろうしな。それくらいは――」
レイシーとそんな感じで事後処理を話し合っていた時、夫人の方から魔力の異常な増大を感じる。
「姫さま、エシラ殿! 下がって下さい」
それまで静かにしていたティリーが、叫んで俺たちの前へと出た。
夫人の方を見ると、なにやら身体が膨れあがっている。というのも、彼女は持っていた大量の魔石をすごい勢いで呑み込んでいったからだ。
「これはあたくしのもの……これはあたくしのもの」
そうまでして魔石を渡したくないのか。
夫人の身体は魔石の影響なのか、どんどん肥大していく。それは通路を埋め尽くすのではないかと思えるほどだ。
「魔石のために人間をやめたか……ただの肉塊になってまで」
それはただの皮肉だ。
彼女は美貌を追求していたのではないのか? こんな醜悪な姿が彼女の望むものなのか?
「こうなってしまってはどうしようもありませんわ。わたくしの帰還転移では彼女を持ち帰ることもできないですわね」
「置いてくか?」
「彼女はアンデッド。この場に留まれば、さらなる犠牲者を増やすだけです。気乗りしないとは思われますが、エシラの蘇生魔法を使っていただけないでしょうか?」
「成功するとは限らないぞ」
感染しているとはいえ、自我を保っているからな。「死亡」したものを「蘇生」するという前提条件を満たしていないような気がする。
「使うのは一度だけで構いませんわ。それで成功しないのであれば、お父さま……王への言い訳ができます。ダメなら、回復魔法で倒してしまって構いませんですのよ」
さらりと恐ろしい事を言う。まあ、感染源を放置するわけにもいかないからな。
俺はどうせ失敗するだろうと思いながら魔法陣を展開する。
「
淡い青の光ではなく、オレンジ色の光が地下通路内に輝きです。マジかよ? こういう時に限って成功するのか?
そう思っていたら、その魔法の光は夫人にはまとわりつかずに、その近くにいたメイドの幼女へと集まりだした?
「あれ?」
魔法を発した俺が一番驚いていたかもしれない。
幼女の身体はもげた右腕が修復されるばかりか、真っ青だった肌の色も血色がよくなっていく。
銀髪のツインテールに緑の瞳の幼女は、目をぱちくりさせながら上半身を起き上がらせる。
「あれ、あたしどうしたのかな?」
驚いたな。確率の低い魔法だというのに。しかも、狙いを外れた魔法が成功するなんて、よほど運のいい子なのだろう。
「これは驚きですわ」
レイシーも予想外のことに目を丸くしている。
「えっとあたし……」
立ち上がったところで、肉塊と化した夫人がその子を捕まえる。
「うひゃひゃひゃひゃ、魔石はなくなったけど、そうね、人間を食べればいいのね」
そう言って幼女を触手のようなもので引き寄せると、その足を囓った。自我を保っているものの、すでにその思考は狂っていた。
「痛!!!!」
悲鳴を上げた幼女を見かねたのかティリーが、夫人の身体の一部を切り裂いて助け出す。
だが、幼女の顔から血の気が引いていく。夫人に噛まれたせいで感染し、再度発症してしまったのだ。
せっかく助けたというのに、なんてことを!
俺は沸き上がる怒りを静めながら、魔法陣を展開する。
「
魔法の光は夫人を貫き、その全てを消失させた。
「ティリー、彼女の様子は?」
床に寝かせた幼女の側に近寄ると、ティリーは悲しそうにで首を振る。
「このままだと、アンデッド化して人間を襲うようになるんだよな?」
「ええ、エシラ殿には酷でしょうが、この子の為にも
「わかった」
俺は覚悟を決めて魔法陣を展開する。
「待って!」
それをレイシーが止めに入る。
「急がないと俺たちもあぶな――」
そう言いかけたところで、彼女の瞳がオレンジ色に変化していることに気付く。
「この子は味方。けど、この反応は何? もしかして……」
レイシーが何かを言いかけたまま俺を見る。そして続けてこう呟いた。
「蘇生魔法……また使えるかもしれないわ。いえ、そもそもあれは蘇生魔法なの?」
「どういうことだ?」
「とにかく、もう一度この子に蘇生魔法を使っていただけないかしら? これはわたくしからのお願いですの」
「けど、蘇生魔法は二度目以降は無効になるはず」
「わかっていますわ。けど……これはわたくしの目が何かを告げているのだと思いますの」
真剣なレイシーの顔に、俺は試行してみることを承諾する。
「……まあ、あと4回は使える計算だから、問題はないが」
もしこれが成功しようものなら、それは確率ではなく、必然……。
ぐちゃぐちゃと考えていても仕方がない。
俺は改めて魔法陣を展開する。
「
オレンジ色の光が集まり出す。この時点で俺は成功を確信していた。
それと同時に俺は自分の魔法に疑いを向ける。レイシーがさきほど言っていた「そもそもあれは蘇生魔法なの?」という言葉を反芻した。
いったい、なんなんだ? この力は?
すぐに幼女の顔に再び血色が戻る。
「あれ? あたし……たしかマダムに噛まれて」
「ごきげんよう。わたくしのことは覚えているかしら?」
レイシーが幼女の前で優雅にお辞儀をして話しかける。
「あ、はい。王女さまでいらっしゃいますよね。さきほどは失礼いたしました」
「それよりもエシラに礼を言った方がいいですわ」
と彼女は幼女を目線で俺に誘導する。
「エシラ?」
「大丈夫か? 嬢ちゃん」
「あ、あたし、マダムに殴られて腕が取れて、気を失ってたら、なんだか身体に血の気が戻って、そしたら、マダムに似た魔物に足を囓られて、それでそれで……」
時系列でこの子に起きたことを整理すると、かなり悲惨だよなぁ。
「再び感染して発症したけど、俺の蘇生魔法で助かったんだよ」
「へ? 蘇生魔法? あたし死んじゃったの?」
「ま、そういういこと」
「誰だかわかりませんが、あたしの命を救ってくれた恩人ということだよね?」
幼女は隣にいるレイシーを確認を取るように上目遣いで見つめる。
「ええそうですわ」
それを聞いた幼女は再び俺の顔を見上げ、そして頬を染めながら大きく頭を下げる。
「あ、ありがとう。この恩は一生忘れないよ」
面と向かって礼を言われるとどうにも照れてしまう。まあ、言われ慣れていないってのもあるかもしれないが。
「お礼は済んだようね。それじゃあ、あなたのお名前を教えていただけないかしら?」
「あ、あたしはロリーナ・ロセッティ。えっと、この屋敷に来たばかりの見習いのメイドで」
見た目は6,7歳の幼女。もしかしたらもっと幼いかもしれない。
だが、こんな幼い子が奉公に出されるってのはこの国では珍しくもないからな。
「見習い。そうよね。あなた、年はいくつ?」
「……さい」
「ん? ごめんなさい。聞こえなかったの」
「27歳だよ」
俺より年上かよ! 思わず声に出してツッコミを入れそうになる。こりゃ「ロリ姉さん」と呼んだ方がいいかな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます