第19話 巨星堕つ(2/2)

××年××月××日 カリン・フォン・シュペーの手記


 ただただ、毎日平穏に送ることがどれだけ幸せなことか、全然分かっていなかったわ。毎日変わらない食卓で、他愛のない話を繰り返す日々。本当に大切な物は、失った時に初めて気が付くって言葉を聞いたことはあるわね。でも変化を感じ取れないから、目に映らなかったかもしれないわ。でも知っていても、本当に失った時に分かってしまう私は愚か者なの。

 私は彼が憎かったわ、でも同時に感謝しているの。これからって言う時にいなくなってしまうなんて、最後までずるい人だったわ


××××××××××××××××××××××××××××××


 ダニエルの誕生日の日、彼を祝うための準備をしていると、あっという間に夜を迎えてしまった。ダニエルは相変わらず倉庫に引きこもっていたが、その分はカリンが道具屋の中央テーブルに飾り付けを行い、食事の準備も終わらせてしまった。

 カール自身も、書斎に引きこもって何かを書いているようだった。もしかすると、ダニエルに何かのプレゼントでも作っているのかもしれなかった。

 やることのなくなったカリンが外を眺めていると、道具屋の扉がノックされる音が聞こえた。

 


「カリンさん! ダニエル君のためのケーキをお持ちしましたよ!」


 もう何回と繰り返してきた光景だった。カールも、ダニエルも、そしてカリンも。誕生日が来たときは、いつだって町のお菓子屋さんでケーキを買っていた。


「いつもありがとう、これが料金分ね」


「ありがとうございます。あんなに小さかったダニエル君が、もうあっという間に成人になっちゃったのね。やっぱり時の流れは早いわ」


「ええ、後はお爺ちゃん孝行するって張り切っていますわよ」


「あらあら……それはカールさんも喜ぶわね。なら私はお邪魔になるので、ここらで退散しますね」


 お菓子屋の店員はバスケットを渡すと、そくさと帰っていった。今日注文したのは、お酒を少し使った大人の味のケーキだ。

 道具屋の扉のノックに気が付いたカールが、書斎から出てきて、カリンの持っているバスケットを見ていた。


「おお、カリン。注文したケーキは届いたようだな、それじゃあダニエルを呼んで、パーティーといこうじゃないか」


「今日が成人の誕生日って言うのに、相変わらずね、ダニエルは」


 カリンは呆れたように言いながら、ダニエルのいる倉庫に向かって行った。


「これが……最後の誕生日会だな。本当にあっという間だった、楽しいことは時間が過ぎるのが早いというのは本当だな」


 カールは誰にも聞こえないように呟いた。ただ、身体にいる精霊だけが、返事をしてくれた気がした。

──────作業着から着替えたダニエルは、良家の出身とも思えるような上品な服装になっていた。彼こそが今日の主役なのだ。


「ダニエル、お誕生日おめでとう! これで大人の仲間入りだ!」


「お爺ちゃん、僕嬉しいよ! カリンも準備をしてくれてありがとう!」


「ああ、お爺ちゃんもとうとうお前が成人を迎えることが出来て、本当に嬉しいよ。あっという間に大きくなったもんだなぁ……」


「お爺ちゃん……今までありがとう。本当に、これから先はずっと休んでくれていて大丈夫だよ。僕はお爺ちゃんが周りに自慢できるような立派な孫として頑張っていくからね!」


「お爺ちゃんにとってはな、ダニエルが大活躍しなくても大丈夫だよ。ダニエルが毎日元気に暮らしている。それだけで充分なんだ、だからあまり肩に力を入れすぎんようにするんだぞ」


「うん!」


 ダニエルはカールと仲睦まじく話していた。年を重ねたためか、今では毒を感じない完全な好々爺だとカリンの眼には映っていた。


「それじゃあお爺ちゃんが買ってきたワインを開いて、少しだけ入れてあげよう」


「僕、ワインを飲んだことなんてないからドキドキだよ!」


 カールは高級そうなワインを開けると、ほんの少しだけダニエルのグラスに注いだ。


「酒を飲めるか飲めないかは色々あるかもしれんが、物の価値は知っておいた方がいいからな。少なくとも、このワインは町一番の高級ワインだ。これ以上のものは町中探しても見つからん」


「わああ、これがお酒かぁ。でも怖いからちょっとだけにしておくね!」


「それでいい。酒は飲み過ぎると身体に悪いからな……カリン、お前にも飲ませてやろう」


 カールは道具屋の棚からグラスを取り出すと、カリンの前に置いてワインを注いだ。


「あら? 今日はダニエルの誕生日なのだから、私は飲まなくても平気よ」


「せっかくだから飲んでおけ。今日という1日を忘れないためにもな、そしてお前自身に飲ませてやりたいと思った俺の心さ」


「不気味ね……でも私はお酒が好きよ。せっかくいただけるなら、いただいておきましょうか」


「ああ、せっかくだからそうしておけ。俺も悪いがいただこうかな、成人になる誕生日なんてものは一生に一度しかない、俺も気持ちよくなりたい」


 こうして、3人とも料理、ケーキ、ワインの準備が出来た。


「ダニエル、これから先は自分の足で歩くことを覚えないといけない。お爺ちゃんが過保護だったせいで教えきれなかったことがある。それは全部カリンに教えてやったつもりだ。お前はこれから先、“カリンの言うことはきちんと聞いておけ”」


「うん! 分かったよ!」


「よーし、それじゃあいただこうとするか!」


 カールとダニエルとカリンはワインを堪能し、料理、そしてケーキを堪能した。カールは昔話をしながら、カリンをからかって、それをカリンが怒って、それを見てダニエルが笑って、みんな笑って……こんな時間がいつまでも続けばどれだけ幸せだろうか。だが、始まりがあれば終わりがある。だからこそ、このひとときが一生の記憶に残るものになったのであろう。


「ダニエルの奴、はしゃいで飲み過ぎたな。最初の酒がこれで、しかも沢山飲んだな、贅沢な舌に育ててしまったわい」


 ダニエルは机にうつ伏せになって、その場でスヤスヤと寝てしまっていた。


「ふふふっ、カールの70歳の誕生日を思い出すようね」


 カールは思い出して、ケラケラと笑っていた。


「ああ、そんなこともあったな。お前が初めて来た年の出来事だ、ダニエルは大切な日を寝てしまう癖でもあるのかもしれんな」


「でも……とても幸せそうな顔よ。起きたらまた色々言うかもしれないけど、本当に幸せそうで、起こすのが可愛そうになるわ」


「寝かしておいてやれ、きっと今日も寝不足のままだっただろうからな」


「私は目が冴えすぎたかしら、全然眠くならないわ」


「良い子は寝る時間だと言ってやりたいが、もう子供じゃないからな、お前達は。寝る時間ぐらい、好きにさせてやるさ」


 カールは倉庫に行って毛布を取り出すと、そのままダニエルにかけてあげた。そして耳元に口を近づけて、『ありがとうダニエル、今日は俺にとって最高の1日だったよ。俺の最後の悔いはこれで無くなった。幸せに生きろよ』と呟いた。


「ん? カール、何か言ったかしら?」


「ああ、ダニエルに今日はありがとうって伝えてやったのさ」


「きっとダニエルも喜んでいるわね。彼はいつだって他人が喜んでくれることを自分の喜びにしているもの……」


「ああ、それなら良かった。それとな……」


 カールは酔っぱらって頬が上気しているカリンの頬を撫でた。


「お前も立派に育ったなぁ。初めて出会ってから、馬車で散々罵倒したし、沢山人間の醜さや、汚い手段まで色々教えてしまったな。お前もダニエルのように綺麗な物だけを見せてやるように育ててやれば良かったのかもしれんと今でも少し後悔している」


「ふふっ、カールも酔っぱらっているのかしら? それとも気が弱くなって? まだまだ色んなことを教えてもらわないといけないわ」


 カールは首を横に振った。


「カリン、これ以上俺から教えるのは過保護よな。お前はもう俺がいなくったって問題ないさ。それとお前に対してプレゼントがあるんだ……」


 カールは懐から少し古くなった羊皮紙を取り出して、カリンの前に開いた。


「これは……私の両親が貴方に借金をした時の借用書ね。これがどうしたの?」


「カール・フォン・オットーの名において宣言する。本債権を放棄し、差し押さえ対象であるカリン・フォン・シュペーの身柄を解放する!」


 カールの手元にある羊皮紙は燃やされるように下からメラメラと燃え上がって、そして消えた。


「な……何をしているのよ! その借用書は……私の存在意義なの! 私の居場所のために必要なの! なんで……なんで私をいきなり解放するのよ!」


 カリンはカールの胸倉を掴んで抗議し、カールはその勢いで宙に浮いていた。


「ああ、あんなに弱かったお嬢ちゃんがこれほどまでに力強くなったんだな。よく育ったよ」


「答えになっていないわ! 私のことを解放してどうするつもりなの! まさか裸一貫でやっていけるから出ていけって言うの! 私は……私は貴方に差し押さえられているからここにずっといることができるのよ!」


「カリン、俺は出て行けとは言っていないぞ。手を放せ」


 カリンはカールの言葉に渋々といった表情で彼を降ろした。


「カリン、お前は成人になった。だからお前はもう独り立ちしてやっていけるんだ。だが出て行けと言う意味ではないぞ、ただ、もうお前は差し押さえるにしては立派になり過ぎているんだ」


「納得できないわ」


「もうあの債権はいいんだよ。あれはお前らの両親が金を持ってきたら土地と娘を解放してやるって意味で持っていたもんだ。だが結局両親は金を払ってこなかった、成人になるまで交渉もなかった。俺はもうこれ以上押さえておく気は無いよ、自由だ」


「じゃあ、私はずっとここにいても構わないのね?」


「当然だ……それとカリン、お前はダニエルが好きか?」


「ばっ……急に一体何よ……」


 カリンは頬が急に赤くなった。カールは、成人したとはいえ、男女間のことについては随分と初心に育ててしまったのかもしれないと少し後悔した。


「俺は、お前さえよければダニエルと結婚してもらいたいと考えている。だが、お前の気持ちを無視するわけにもいかんし、借用書を持って迫れば、強引に結婚させてしまうことになるからな」


 カリンは戸惑っていて、答えは聞けそうになかった。カール自身も少し焦って聞いてしまっている自覚があった。


「今日の今日で答えを出してくれなんて言わないさ。ただ、少しだけダニエルの事を考えてもらえたらなと思ってな……」


「うううう……」


 カリンが顔を真っ赤にするあたり、まんざらでもないのだろう。カリンがダニエルの事を少しでも異性として見てもらえる程度にはアシストしてやったのだ。今のままでは仲の良い姉と弟みたいになってしまっているようにカールは見ていたからだ。


「異性として見てしまったら……同じ屋根の下で寝るのが恥ずかしくなるから、意識しないようにしていたのに!」


「すまんすまん……ちなみにどこが好きなんだ?」


「も───! この話はおしまい、私はもう借金のカタじゃないもんね!」


 カリンは舌をベーっと出してそっぽを向いてしまった。


「ふふふ、そんな顔を見ていると、まだまだ子供だと思ってしまうわい。カリン、これから先、きっと辛いこと、悲しいこと、泣きたいこと、怒りたいこと、色々あると思うが、頑張って生き抜くんだぞ」


「分かっているわよ、今日は特に説教臭いわね」


「ジジイの特権だ。それじゃあ俺は夜風に当たってくるとするかな……」


 カールは立ち上がって、道具屋の玄関に向かった。


「外は暗いし危険よ、付いていこうかしら?」


「風邪をひくかもしれんぞ、家にいて構わん」


「あら、じゃあ気を付けてね」


「カリン……元気でな」


「ん?」


 カリンは不思議にカールを見つめた。きっと酔っぱらっているせいなのだろうと納得し、カリンは残ったワインを堪能した。



──────カールは外に出て、かつて馬車を引っ張ってくれた馬の厩舎の外で座っていた。


「ああ、星空が綺麗だな……今日は月もはっきりと見える良い日だ」


 カールが空を見ていると、流れ星がいくつか見えた気がした。


「流れ星か……確か流れている間に願い事を言えば、その願いが叶うって聞いたな。だがもういいさ、俺の願いは叶い過ぎている。───相棒、お前は先に逝っちまったが、本当に色んな所に行ったな。息子の商品を売りさばくために動いて、金を借りた連中の物品を差し押さえるために動いて、孫の商品を売るためにまた動いて……思えば、随分とこき使っちまったな」


 厩舎はもう何もいないにもかかわらず、入ってきた風の音が馬のいななきに聞こえていた。


「もうすぐ日付が変わる。そして俺にかかった魔法は解けて、魔法の解けたジジイは本来の寿命に10年の遅刻をして到着しました……か」


 死ぬことは怖くない。むしろ感謝しか心になかった。ダニエルとカリンが笑顔でこちらに微笑みかけている光景が、頭の中を埋め尽くしていた。それだけで身体中が暖かかった。


「妖精さん、今日と言う日までこんな愚か者を生かしてくれてありがとう。最後に言ってやるよ……“俺の人生、最高だったぞ!!”」


 カールの身体から大きな光の塊が抜けて、空高く上がって森の方へと去っていった。

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