第17話 薬漬けな彼女

 あれから時がどのくらい経っただろうか。

 相変わらずダニエルは道具を作り続けては、カールが売りさばくという毎日を送っていた。まともに収入が入ってくるため、カールは貸していた金を回収する以外に、貸し出すことは無くなっていた。むろん、返済に至るまでに紆余曲折あったが、愉快なものではなかった。

 カールはカリンに教えることが無くなってきたのか、あまり外へ連れて行くことは無くなってしまった。


「カリン、お前は自分の身を自分で守れるようにしなきゃならん。どれだけ口が上手くなったとしても、暴力で押さえつけれらたら敵わんもんよ」


 こんな一言で、カリンは町の外れにある道場に通うことになった。道場には生徒が誰もおらず、ただ師範代のような人物が一人だけいるような寂しい場所だった。


「カール殿から聞いているよ。ワシはワン・ヂィンと申す。なんでも遠慮なく鍛え上げて良いってな。生徒は厳しくし過ぎて全員逃げてしまったから、最近寂しくて仕方なかったんじゃ」


「お……お手柔らかにお願いするわね……よろしくおねがいします」


「ああ、安心するとええ。お孫さんの薬を大量にもらっておいたからのお。おかげで道場の物置は薬まみれで、薬局が開けるほどじゃわい」


「あの……薬を使うようなことになって?」


「骨が折れた程度で逃げる生徒が多かったが、これで安心じゃ。それに……カール殿が言っていたんじゃが、『逃げるようなら奴隷』って言っておったわい。言っている意味はよーわからんが、つまるところ最後まで容赦無く育て上げて良いってことじゃな」


「あ……はい、頑張りま……す」


 カリンは逃げ場を抑えられ、ただただ師範代とワンツーマンで教え続けられることになってしまった。その日以降、カリンは死んだ魚の目をして過ごすことになったのは言うまでもなかった。

──────道具屋を閉めた休養日、カールはダニエルと共にカリンが鍛えられている道場に向かった。ダニエルはせっせとお弁当を作って、一緒にみんなでご飯を食べるピクニック気分であった。


「お爺ちゃん、カリンは喜んでくれるかなぁ」


「カリンが元気なら喜んでくれるだろうな。だが、もしかすると俺達に反応出来ないかもしれないな」


「ん~?」


 ダニエルが不思議そうに首を傾げた。ダニエルは知らないのは無理もない。何せワンは厳しすぎる師範代で有名だったからだ。かつてナニワ王国で仕えていた際に近衛兵を全員ボコボコにしてしまい、王の子息や貴族の子弟まで忖度なく熱烈指導した結果クビになっていた。だが恩給という形でのんびりと町の外れで生活していたという状況だ。


「カリンならきっと大丈夫だろうよ、それにお前の作った薬があるから怪我しても問題なしだ」


「うん、馬車にも新しい薬をいっぱい持ってきたもんね! これで喜んでくれると思うんだ」


「ああ……きっと“泣いて”喜んでくれるぞ」


 カールは違う意味で泣くことは分かっていたが、これもカリンのためであると心を鬼にしていた。

 ──────一方、道場では


「うわあああああ、くたばれ、くそジジイ!」


「甘いのお、そんな簡単に隙を見せてはつい折りたくなるわい」


 カリンの伸ばした右腕を左手で掴むと、ワンの右腕はカリンの腕を下から殴り上げ、ポキッという音が道場に響いた。


「あああああああ、もう治療しないでいいから……休ませて……」


 カリンは腕を抑えて倒れ込んだ。


「時間は有限じゃよ。それに、これで最後の薬じゃ、気張らんかい」


 カリンはワンに介抱されていた。そんな時にカール達が道場の扉を叩いた。


「おーい、ワンさん、カリン。届け物と陣中見舞いにきたぞ」


 カリンにとっての救いの天使がやってきた声だった。


「うむ、しばらく休憩じゃな。せっかく様子を見に来てくれたのじゃから、顔を見せるとええ」


「今の顔、誰にも見せたくないのだけど……」


 カリンは仕方なくと言った様子で道場の玄関に向かった。玄関では荷物を抱えたカールと、お弁当を携えたダニエルがニコニコしながら待っていた。


「おお、元気そうじゃないか、カリン。随分と目が座っているぞ」


「反論する元気すら出ないわ。でも貴方達のおかげで休憩時間を得ることができたわ、ありがとう」


「カリン! お弁当持ってきたんだ、みんなで食べようよ!」


 ダニエルは少し大きめなお弁当箱をカリンに差し出した。


「ワン師範、いいかしら?」


「ああ構わん。家族との時間は大事にした方がええ。ワシは次の鍛錬のための準備をしておるから、ゆっくりと過ごしなさい。ちょうど庭は良い景色になっておろう、そこで家族団欒水入らずじゃな」


 ワンはそう言って、道場の奥に下がっていった。


「じゃあ遠慮なく行くか、俺はワンさんに用があるから、ダニエルと先に食べておいてくれ」


 カールは大きな箱を抱えたまま、ワンの後を追った。


「ダニエル、庭はこっちよ」


 カリンはダニエルの手を取って庭へと案内した。ダニエルの手を久しぶりに握ったカリンであったが、以前手をつないだ時に比べて、かなりゴツゴツしていた。ワン師範代が武器で作ったタコのような、形が違うような、そんなことを考えながら歩いて行った。

 ──────ワンの道場の庭は枯山水が広がっており、質実剛健が好きなワンらしいと思える者であった。


「「いただきます」」


 カリンとダニエルは庭の光景を見ながら、お弁当を食べ始めた。


「綺麗だね、きっと毎日の手入れも大変だと思うな」


 ダニエルが庭を見て、何気なく呟いた。カリンは、まったりとした時間を過ごしているのは久しぶりの感覚だった。家に帰るとすぐに食事をし、食べ終わるとそのまま寝てしまっていた。


「ふふっ、最初はもっと綺麗だったわ。最近は少し手を抜いているみたいなの」


「ええっ! これでもまだ手を抜いているの? すごい世界だねえ」


「私を育てるのが楽しいみたいよ、だから枯山水に手を出すぐらいなら、鍛え上げる方に時間を使うって言っていたわね」


「うわぁ、大変そうだなぁ。どんな鍛錬をしているの?」


「う~ん、そうね……」


 カリンはダニエルが驚かない程度の言葉を選ぶために考えていた。きっとそのまま話せば、『そんな危険なことをしない方がいいよ、帰ろう!』と言うに違いない。有難いが、きっとカールに怒られてしまうだろう。


「身体を鍛えるための基礎的な鍛錬が多いわ。それこそ腕立て伏せや腹筋もするし、走り回ったりさせられたわね。後は組手かしら」


「よかった! いつも死んだ魚の目をして帰ってくるから、一体何事かと思ったんだ! よかったよかった!」


「ええ、ただ私に体力がないから疲れているだけよ、安心してよね」


 大嘘だった。走りまわされて、服を着たまま水の中に放り込まれて泳がされたり、組手という名前の殺し合いをさせられて、全身骨折の刑。嫌になって投げ出した時には、折れた骨の治療もされずに縛り付けられて、くすぐり地獄で全身が大激痛に加えて人間の尊厳を放出と色んな目に遭わされていた。


「楽しそうに話しているじゃないか、俺も弁当をくれ」


「あらカール、もう終わったのかしら?」


 ワンと積もる話でもあるのかと思っていたが、思いのほか早く帰ってきた。


「ああ、鍛錬の準備に集中していたからな、あんまり話しかけると悪い。それに残った荷物は全部ワンさんが運んでくれるらしいから、俺ものんびりさせてもらうさ」


 ダニエルは弁当の中のおにぎりを摘まむと、食べ始めた。


「うん……よく塩の利いた美味いおにぎりだ。ダニエルはなんでもできるな、お爺ちゃんがやることが無くなってどんどん楽になってしまうな」


 カールはダニエルの頭を撫でながら言った。


「お爺ちゃんはずっと僕たちの世話をしてくれていたからね、今度は恩返ししていく番だよ!」


「ああ、それは有難いな。思えば、お前達も随分と大きくなってきたな。子供の成長は早いものだ」


 カールはふたりを見てしんみりと言った。


「お前達の成人まであと数年、それまでは踏ん張らないとな」


「僕が成人になったら、もうお爺ちゃんは遊んでいるだけでいいよ! ちゃんと恩返しさせてね!」


「ああ、老後の楽しみってことだな。お前達が育つ姿を見ているだけで、充分すぎるほど楽しませてもらったがな……良い孫に育ったな」


 カールは何か含みを持たすように言っていた。


「ああ、カリン。お前への誕生日プレゼントをワンさんに渡してきたから、後で見せてもらうと良いぞ」


「あら、何かしら? 別に家で渡してくれてもよかったのに……」


「カリン! カリンのために、僕が頑張って作ったんだよ!」


 ダニエルが興奮気味にカリンに詰め寄った。


「貴方が作ってくれたの? じゃあそうね……服でも作ってくれたのかしら?」


「ううん、違うよ。お爺ちゃんがね、作ってくれたらきっと喜ぶよって言ってくれたんだ」


「う~ん、服意外だとアクセサリーとかそういった物かしら?」


「へへっ、それも作ったけど、答えはね、“鍛錬用の薬”だよ!」


「???????????」


 カリンは理解が追い付かなかった。この無邪気な同居人は口からとんでもないことを口走っているのではないかと思ったが、理解したくなかった。恐ろしすぎて、顔が固まってしまった。


「おいおいカリン、お前、泣いて喜べよ。なにせダニエルが五日五晩ずっと作り続けた特別配合の最高級の大量の薬だ。今日でちょうど薬を切らしたらしいが、これでまだまだ鍛錬が出来るな。今一番必要な最高のプレゼントじゃないか!」


「うん……だから僕ちょっと眠くて……でも喜んでもらったカリンの姿を見られた気がするんだ!」


「錯覚ですわよ! 薬が無くなったら休めますのに!」


「お爺ちゃん、カリンの満足した顔も見られたし、僕の手作り弁当も美味しいって食べてもらえたんだ。だからお休み……」


「ああ! まだ詰問しないといけないことが!」


 ダニエルは箸を置くと、そのまま横になって寝てしまった。そんなダニエルにカールは着ていた上着を脱いで、彼にかけてあげていた。


「なあカリン、お前が随分と早いペースで治療薬を使うから、あっという間に減っていって1週間も経たずに無くなるって聞いたんだよ。頑張っているな」


「あの鍛錬、めちゃくちゃすぎますわよ! 私、何度も天国に送られかけましたわ! この世とあの世の境目を反復横跳びするような鍛錬は勘弁してくださいな!」


「まあそう言うな、これも全てはお前のためなんだからよ。第一、この町だけにいるだけならいいが、将来外に出ていくってなったらどうするつもりだ。それに俺の取り立てを見ていて、それでも鍛錬が必要ないって言えるのか?」


「……暴力で解決は基本的にはしていなかったじゃない」


「俺に殴り掛かったらボコボコにされるのが分かっているから、奴らは手を出してこんのだよ。俺ももう年だからな、流石にそういうことは厳しい。だがお前は女だ、ある程度の年齢になってきたから言うが、お前は殴られるだけじゃなく襲われる危険性だってあるんだぞ」


「……襲われる?」


 カリンは不思議そうに首を傾げた。ずっと3人で仲良く暮らしてきたせいか、意識をしたことが無かった。


「非常に残念だが、お前はそこそこ美人に育つだろう。だから男から襲われることだって考えられるんだ。自分自身を守れる力がなきゃ駄目なんだ。特にこれから生きていくうちに、商売をやる以上は不幸になる人間は嫌でも出てくるんだよ。恨まれた時、人は何をするのか分からねえ。俺だって腹を刺されてしまった、お前ならどうなるのか、想像に難くない」


「だからこの道場に入れたの?」


「ああ、俺は言っただろ、裸一貫でも生きて行けるようにならなきゃならんと。貴族のご令嬢なら、御付きの奴に守らせればいいかもしれんが、お前は駄目だ。それに……ダニエルの腕っぷしには期待しないでくれ」


 カールはダニエルの頬を撫でながら言った。今のダニエルは、きっとどれだけ撫でても反応がないだろうと思えるぐらい深く眠っていた。


「今日来る時の馬車の中に載せられるだけの薬を載せてやった。今頃物置は薬の箱でパンパンだろうよ。さっき少し話したが、ワンさんは『あの子は見どころがある。そこらの生意気なガキと変わらんと思ったが、良い根性をしているな。最後までやり遂げた日には、ワシよりも強くなれるかもしれんぞ』と言っていたぞ。せいぜい強くなってくれや」


「薬で治されても、痛みは覚えていますわ、心が削られて行きますわ」


「それは良かった。心を削って磨き上げた武力を期待しているぞ、カリン」


 カールはそう言い放つと、ダニエルを抱っこして弁当箱を持った。


「じゃあ頑張れよ、もし本当に嫌なら逃げ出してもいい。ただ、逃げ癖を付けない方が今後の人生を豊かにするかもしれないとだけ言い残しておくとする」


「やりきってみせるわよ」


 カールは手で答えて、道場を後にした。カリンは玄関から出ていく姿を見送ると、頬を叩いて『よし、あのジジイに一撃喰らわせてやるんだから!』と呟いた。


「ほお、それは楽しみじゃわい。今日は1箱で済むかのお」


「あっ……」


「安心せい、今日の残りは無限組手じゃ。骨は折れても良いが、心は折れないことだけを心得よ」


 カリンは宣言を取り消したくなったが、輝く白い歯で笑うワン師範代を止めることは出来なさそうだった。

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