第15話 とんでもない鋭利なブーメラン(2/3)

「ありがとう、お嬢さん。こんな私のためにごめんね」


 試着室からコミーの声がかかった。最初の気の強い姿はなんのその、普通に接すれば、普通の人なのだ。


「コミーさん、私達の事恨んでる? 自分の事をボロボロにしたカールやその場で立っているだけの私の事を憎んでる?」


「正直に言えば恨んでいるわ。頬は全然痛くないけど、痛かったことは覚えているもの。それに……まだ私はクレイちゃんを信じたいという気持ちがあるの。カールさんはあれほど違うって言い放っていたけど、女の涙を信じる人がひとりぐらいいてもいいと思うの」


「そう……私からかける言葉はあまり思いつかないわ」


「それでいいのよ。私が信じたいだけなのだから」


 試着室のカーテンが開かれた。


「これは本当に良いワンピースね、着ているだけで幸せな気分になるわ。魔法のワンピースかも」


「ダニエルはいつも、他人が喜んでくれる姿を想像しながら幸せそうに物を作っているわ。きっとその心が貴方に届いているのね」


「うっ……ぐすっ……」


 コミーは突然泣き出した。カリンは泣かせてしまうようなことを言ったのかと焦った。


「慌てないで、お嬢さん。今日はね、ずっと怒りっぱなしだったの。クレイちゃんの話を聞いて、ずっとイライラして、このお店の扉を開いた時なんてそのまま殴りかかろうとも思っていたわ。でも……もしその場でこの服を着ていたら、きっとここまで怒り狂うことなんてなかったかもしれないわ」


「そこまで変わるものなの?」


 カリンは服だけでそこまで変われるものなのか不思議だった。


「この服は……人の感情から【憎い】という感情をなくしてしまうくらい強力だわ。私の心の中は今、あの無邪気なダニエル君がニコニコしながら抱きしめてくるの」


 コミーはその場でクルっと一周した。


「じゃあ今の貴方は、私達への敵意は無いのかしら?」


「少しはあるわよ。でも燃え上がるような気持ちは無いかも」


 コミーは言葉を紡いだが、これ以上の言葉は出ないようだった。しばらく考え込んでいると、試着室から出てきたコミーの姿を見たカールとダニエルが近づいてきた。


「ねえねえ! 僕の作ったワンピースの着心地は?」


「最高よ、そのまま商品になっていても、言い値で買いたいと思えるぐらいね」


「やったー!」


 ダニエルはコミーから褒めてもらったことに舞い上がっていた。だが対照的にカールは冷淡だった。


「おい、着替えは済んだな。カリンがお前を馬車に乗せてやりたいって言ってんだ。行先はホワイトの店に行くことになるぞ。お前は付いてくるか?」


「何をしに行くって言うの?」


「借金の催促さ、それ以外に会いに行く意味なんて無いだろう」


「……分かったわ、でも酷いことをするなら止めるから」


「酷い目に遭うのはホワイトだけとは限らんさ……」


 カールはカリンとコミーを連れて馬車に向かった。馬車に乗ったカール達は、ホワイトの店に向かって馬を走らせた。

 朝一番に出て行こうとしていたにもかかわらず、既に昼間になろうかと思う時間だった。


「随分と遅くなっちまったな、これも全部奴が悪いんだがな」


 カールの横に座っていたカリンに目配せをするように後ろをチラッと見た。


「あの人ね、まだまだホワイトさんのことを信じたいって言ってたわ。でもカールの言う通りだと、彼女の心は耐え切れるのかしら?」


 カリンは、自分から借金のカタとして売られた事を知った時のことを思い出して、胸を締め付けられた。まだ心の傷は癒えていない、時の流れが解決させるしかないだろう。


「良い歳したおばさんが、その程度で壊れるようなら、壊れておいた方が幸せさ。年を重ねただけで、歳上を気取って偉そうにする奴が多い昨今、優秀な若手を消しかねないとんでもない毒薬は早めにこの世から捨てるに限る。俺自身もそんな事を言われないようにするために、頑張らんといかんのだよ」


 カールは歯を見せて笑った。カールは乱暴な話し方をするし、怒鳴ったり、人をなじったりする事もあるが、それ故に本質を付いている事が多いとカリンは感じていた。


「私はどんな大人になれるかしらね? カールみたいにお金を貸す仕事でもやるのかしら?」


「こんな仕事をする必要はないさ、人間の醜さばっかり見えて嫌になっちまう。お前が必要ならやればいいがな。ただ……お前は何かしらの事業を興して経営を学んだ方が良いだろうな」


「あら? 私の両親と同じようにボロボロになって没落すれば良いのかしら?」


「違うさ、あれは大して勉強もしていないくせに全財産を賭けちまった。あれは経営じゃねえ、ギャンブルって言うんだ。お前はギャンブルの種銭のために差し出された哀れな令嬢だ、だからきちんとした経営で自分の人生に復讐してやればいい」


 恨んだり復讐することの辛さを知っているカールから意外な言葉が出てきた。


「人生に復讐するの?」


「ああ、お前は両親を恨む事を嫌がっている事は分かっている。だが実際問題、お前は借用書に名前を書かれて両親の下を離れなければならなくなった。お前は悪くないだろう、何せ自分から売ってくれと言ったわけでもなく、クッソしょうもない親の名誉欲に巻き込まれただけなのだからな」


「また私を責めるの?」


「違う、この話をすると心を閉じるのは止めるんだ、きちんと聞け」


 カリンはまた初めて馬車に乗った時のことがフラッシュバックした。だがカールの大きな左手が、カリンの両手を掴んで、平静を取り戻した。


「お前は人生に遊ばれてしまったんだ。俺は自分にはきっかけがなかったから失敗したって言う人間は嫌いだ。だが人生の選択肢を与えられていない少女に、運命の歯車が狂った責任を負わせるのは酷よな。だからお前は人生を取り戻さなきゃならんのだ」


「私ってまだ取り返しがつくの? もう人生を諦めているのだけど」


 カールはカリンにデコピンした。カリンは『いった〜』と言ってデコをおさえた。


「例え可能性が無限に広がっていても、当の本人が諦めているようだと終わりだな。俺に金を返せない連中は、諦めと怠惰と自棄になって消えて行った。お前もその連中と同じ末路になりたいのか?」


「そうはなりたくないけど、私は……」


「一度貴族という肩書きを外した方が良いな。裸一貫で戦えるぐらいになれば、お前はもう自分の人生を恨まなくても良い、むしろ成長の種になったと喜べるだろうよ」


「そんなに前向きになれるかしら?」


「生きているうちは、嫌でも前に進まなきゃいけないんだ。だったらせめて前ぐらい見ておけ」


「分かったわ、少しは前向きに考えてみる。完全に吹っ切れる事はまだ出来ないけど……」


 カールはカリンの言葉に何も返さなかった。ただ無言で頭を撫でるだけで、馬車を走らせていた。

 ───馬車は町の中心部を通って、道具屋の反対側へ出た。町は活気に溢れており、流れて行く店で働いている従業員達は忙しそうに動き回っていた。


「とても賑わっているわね」


「商売をするなら、こちらを選んだ方が売上は上がるだろうよ。ただ、この辺りは地価が高え、売上の悪い店なんかはすぐに潰されるのが関の山だな」


「もしかして、カールがお金を貸したホワイトさんって……」


「ちょっと調べたらあの野郎、同業他社に勝とうとして”ダンピング”……投げ売りして相手を潰そうとして自爆しやがった。馬鹿な奴よな」


「ダンピング? 投げ売り?」


「ああ、簡単に言うと、利益度外視の安い値段で商品を売る事さ。そうすりゃあ同じぐらいの値段で売っている連中は商品が売れなくて、撤退するって作戦さ」


「まあ! そんな事をするひどい人がいるなんて! そんな競争、許されるはずがないわ!」


 カリンは怒った。カールが悪い事も覚える必要を教えていたものの、感情ではなかなか受け入れられなかった。


「それで? ホワイトさんはダンピングに失敗したの?」


「成功した。ただ使った商品を元の値段に戻した時、誰も買ってくれなかった。勝利に浮かれたホワイトは、俺に金を借りて大量に商品を仕入れたにも関わらず、売れば売るほど赤字を垂れ流すだけのやばい赤字営業よ。そして売れない在庫は倉庫を圧迫して、他の物を仕入れることもできない状況だな」


「よくそんな人にお金を貸したわね。カールなら簡単に見抜けたと思うのだけど?」


「ハッハッハッハ! あいつの店は親と同居している住宅兼店舗よ。もちろん貸した金の担保には家と土地が入っているのさ。あいつは夜逃げをする可能性を否定は出来んが、親がいる以上はなかなか逃げられん」


「だからあんなことをしたのかもしれないわね、許せないけど」


「まだあの子が全部仕組んだこととは決まってないわ」


 後ろからコミーが話しかけてきた。


「カール、貴方は彼女を疑っているかもしれないけどね、真実はまだ分かっていないのよ!」


「商品は黙ってろ、後ろに引っ込んどけ!」


 しっしと手を払ってコミーを強引に馬車の後ろに追いやった。


「カリン、よく覚えておけ。ホワイトにとってあんなのは友達でもなんでもない、狂信者って言うんだ。なんでもかんでも信じてしまって、否定もなにもしない関係は不健全だ。お前も友達を作るならよく考えておくんだな」


 せっかく気分を良くしたカールであったが、少し気分を害したようだった。

───しばらく馬車を走らせていると、木造の年季の入った大きな店に辿り着いた。


「さあ着いたぞ、諸悪の根源ホワイトさんのお家だ、だがやっていることはブラックな作戦指令室だ。カチコミじゃい!」


「待って待って! コミーさんはどうするの?」


「おお、興奮しすぎて忘れておった。おいコミー、お前はこの馬車の中で待機していろ。あとお前は魔道具を持っているな? スイッチを入れておけ」


「私を連れて行けばいいじゃない、なんでそんなまどろっこしいことをするのよ?」


「お前がいたら、奴が本音で話さないかもしれんぞ。お前だって奴の本音を聞いてみたいだろうが……今度は立場が逆だ、お前の目と耳と心が公明正大であることを祈っているよ」


「私はいつだって!」


「冗談は顔だけにしておけ、もうこのやり取りも疲れた」


 カールはあきれ果てたように言うと、『お前は黙って座ってろ』とコミーに命令して、カリンを抱えて馬車から降りた


「あっ……カール、こういう時の、ホワイトさんの家を示す良い言葉を知っているわ! 伏魔殿って言うのよ!」


「ほお、俺の知らん言葉だ。どういう意味だ?」


「悪魔がいて、悪事や陰謀をたくらむ場所よ! ピッタリよね!」


 カリンはこの場面にぴったりで難しい言葉を言えたことが誇らしかったが、カールは頬を人差し指で掻いていると、


「あんなの土台の腐った納屋と同じだ、ひと蹴りでぶっ壊れるほどガタガタになった借金野郎よ。そんなカッコ良い言葉を付けてやるには惜しいな」


 カールはカリンの手を引くと、ホワイトの店の扉を勢いよく開いた。

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