第10話 カリン・フォン・シュペーという元令嬢(1/2)
××年××月××日 カール・フォン・オットーの手記
カリンに話せるだけ話してやった。あいつはすぐに全てを受け入れることが出来ないだろう。だが、自分の娘を商品に見立ててしまった親の元にいさせるよりも、まだ引き取ってやった方がマシだろうな。突然親を失ってしまったダニエル、突然借金のカタに売られてしまったカリン。親の命が有るか無いかの違いだけで本質は同じなのかもしれん。
ただ、カリンが親を失ったタイミングは、借金の差し押さえの時じゃあねえわな。借用書に名前を書いた段階で、あいつは親を失ったんだ。カリンが泣くのは分かるが、てめえら両親は泣く資格なんてねえんだよ馬鹿野郎!
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カールの楽しい誕生日から一夜過ぎた。結局ダニエルはそのまま寝かしつけ、彼がいないままケーキを食べるのも可哀想だと話し合い、残ったふたりもそのまま寝ることにした。
───朝の陽ざしがカリンの目を覚まさせると、すでに起きていたカールが水を暖炉で沸かしていた。
「すまんな、起こしたか?」
薪がバチバチと音を立てて、心地よい暖かさが部屋を包み込んでいた。
「いえ、朝の陽ざしで目が覚めたわ。せっかくのケーキも食べずじまいね」
カリンはお菓子屋の店員を思って、少し申し訳なさそうに言った。
「あのバスケットに入っている以上、ケーキは劣化せんよ。それに……茶屋で買った良い茶葉があるからな。それで朝から優雅なティータイムといこうじゃないか」
「あらあら、令嬢の頃よりも良い生活をしているかもしれないわね。流石に朝から豪華に食べてこなかったもの」
「今のお前の両親の状況は、少なくともお前よりは生活水準が低いだろうさ。だがこれもお前を売った天罰だと思えば皮肉なもんよ」
「ノーコメントで……」
カリンの胸中は、売られた恨みがあると言えば確かにある。だがそれでも今まで育ててもらった恩もあり、複雑な気持ちだった。
「お前が何を思っていても構わんさ。だが理性を失った者は全てを失う。気を付けるこったな、経験で教訓を得ること以上に学ぶことはなかなか無い」
「随分とお高い授業料だったからね!」
カリンは抗議するように叫んだ。だがそんな声を出した後で布団の擦れる音が聞こえた。
「う~ん……お爺ちゃん?」
ダニエルが寝床から声を上げた。一番最初に眠りについたにも関わらず、寝坊助さんだ。
「お……おはよぉ───あっ大変だ! お爺ちゃんをお祝いしないといけないのに、寝ちゃった……」
「ダニエルや、お爺ちゃんは充分満足したよ。それにケーキもほれ、バスケットの中に入れておいたからホカホカだ、何も問題なんてありゃしないさ。今日は朝からゆっくりとお茶の準備をしていたからね、いい朝を迎えることが出来たぞ。ふたりとも、目覚めたらなら暖炉の前においで」
カールは手招きをして暖炉の前にふたりを座らせた。カールは暖炉に数本薪を放り込むと、『薪を割ってくるから、火の番を頼む』と言って外に出て行ってしまった。
ダニエルはまだまだ眠かったようで、暖炉の前でゆりかごのように揺れていた。カリンは彼がそのまま暖炉に突っ込まないか心配で、“ダニエルの番”をしなければならなかった。彼女はずっとダニエルを見ていたせいか、彼と目が合った。
「ん……カリン? なんでそんな心配そうな目で僕を見ているの?」
「貴方がそのまま暖炉に突っ込まないのか心配で見張っているのよ」
「ああ……うん、確かに眠いね。そうだ、僕と一緒にお話しをしようよ。おしゃべりしている時はね、眠くならないんだよ」
「いいわよ。それじゃあ何のことを話しましょうか?」
「う~ん……」
ダニエルは腕を組んで、上を向きながら思案していた。背もたれが無いので、どんどん後ろに傾いており、そのまま彼がひっくり返らないかと心配していたが、『あっ、そうだ!』と声を上げて元に戻ってきた。
「カリン! そう言えば僕ってカリンの事を全然知らないや! カリンのことを教えてよ!」
「ふふっ、私に興味があるのね? よくってよ」
カリンは、ダニエルに興味を持たれたことにとても気分が良かった。いつもカールの事ばかりを考えているダニエルを、今だけは独占している気分になれた。
「どこから話せばいいかしらね? そうね……まず私の家について教えてあげるわね」
「うん!」
ダニエルはキラキラした目で彼女を見つめた。
「何度か言っていると思うのだけど、私は中流階級の貴族の令嬢として過ごしてきたわ。比較的に豊かな土地を持っていてね、特に生活に困ったことは無かった」
「へぇ~羨ましいなぁ。きっと毎日楽しく過ごせるんだろうなぁ」
ダニエルが暢気な声を上げた。確かに働かなくても過ごすことが出来る環境は羨ましくて仕方がないだろう。
「楽しいと思える日々はあったわ。でも我が家は私以外に子宝に恵まれなかったのよ。そのせいか、お父様は日頃から『良い男を見つけるんだよ』と私に言い聞かせていたわ。社交界には多くの貴族が集まるの、そこで相手を見つけてこないと家が断絶しちゃうってお父様から言われ続けたわ。だからね、社交界に出ても恥ずかしくないようにってお母様から……それはとてもとても躾をされたわ」
「カリンは何だか難しいことをしないといけなかったんだね」
「ええ、それに私が跡継ぎを産まなかったら、シュペー家の領地は全てナニワ王国に返還されてしまうのよ。だからお母様も必死だったわ」
ダニエルは冒険譚を聞くかのようにワクワクしていたのだが、複雑な家庭事情がいきなりやってきたので困惑していた。
「僕ね……お母さんとの思い出が無いんだ。僕を産んだ時にお星さまになったってお父さんが言ってくれたんだ。とても優しい人だったんだって。カリンのお母さんは優しくなかったの? 厳しいだけだったの?」
「優しかったわよ、ただ、厳しさの中に優しさがあったという表現が相応しいかもしれないわね。お母様は領内で色んな所に連れて行ってくれたわ。そこで誰が何の仕事をしていて、その人達のおかげで私達が食事をすることが出来るっていつも言っていたわね。この人達の上に立つ者が情けない人物であってはいけないのよ」
「うわぁ、厳しいなぁ……僕には絶対出来ないや……」
「ふふっ、案外できるかもしれないわよ。お母様が教えてくれたの、『環境が人を育てる、嫌でも無理やり育てる、逃げても追いかけて育てる、泣いても問答無用で育てる、悪さをしてもお尻ペンペンしながらでも育てる……』」
カリンの目からどんどん光が消えていくのをダニエルは見てしまった。
「わあああ! カリン、帰ってきて!」
「私もなかなか要領が悪くてね、でも怒鳴られたりはしなかったわ。ただやってくることが怖くて……私のお気に入りの食器を何故か持ってきて、頭に載せて落とさないように領内を1周する特訓をさせられたの。あの時は我慢できずに泣いてしまったわ。どんどん食器が割れていくのよ、とても心に来たわ!」
カリンは母からのスパルタ教育を思い出していた。歩く姿勢を矯正するために当初は本を頭に載せていたが、中々上達できなかった。母から言われたのが、『危機感が足りないから練習に身が入らないのね、分かったわ!』と言われてやらされた特訓が食器を頭にのせることだった。
最初は何かの冗談だろうとカリンは思っていた。だがお気に入りのティーカップが粉々になった時、惨い現実だと知らされたのだ。
「僕のお母さん、もし生きていたら厳しかったのかなぁ……僕のお爺ちゃんが優しくて本当に良かったよ」
「ふふっ、ダニエルのお母様はきっと優しかったわよ。たぶん私のお母様だけちょっと……“ほんの少しだけ厳しかった”だけよ。だってティーカップを落として割った時も、『割れたティーカップを誰かが踏んだら危ないわね。はい、トンカチを使って粉になるまで潰しなさい。“あなたが割ってしまった”もので怪我をさせちゃうと申し訳ないものね』って他人を気遣っていたもの……」
「そのトンカチって、ティーカップじゃなくてカリンの心を砕くために使っていない? 本当に大丈夫だったの? あと、お母さんが気遣うべきは赤の他人じゃなくて、カリンだと思うのは僕だけかなぁ?」
いつも穏やかにゆったりと話すダニエルが、見たこともない早口で彼女を必死に慰めていた。彼女の過去の話がまさか踏んではいけないものだったなんて知らなくて、後悔していた
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