第9話 ダニエル・フォン・オットーという天才少年(2/2)

××年××月××日 ダニエル・フォン・オットーの手記


 お父さんへ。お父さんが言っていた通り、お爺ちゃんはとても優しかったよ。突然お父さんがいなくなってとても寂しかったけど、お爺ちゃんはきっともっと寂しいよね。僕ね、お父さんの代わりにいっぱい親孝行するんだ! それでね……良い子にしていたらいつかお父さんに会えるよね?


××××××××××××××××××××××××××××××


 ダニエルとカリンは町中から道具屋に帰宅した。ダニエルは店内の中央にある大きなテーブルを掃除し、花瓶に入れた花を飾り付けてカールの帰りを待っていた。  ───日が沈み始め、歩き疲れたダニエルが少しウトウトし始めたころ、道具屋の扉が開いた。


「ただいま、爺ちゃんが帰ったぞ。ダニエル、今日も一日良い子にしていたか?」


「……あっ! お帰り、お爺ちゃん。お爺ちゃんが帰ってくるのを楽しみにしていたんだよ!」


「おお、そうかそうか。爺ちゃんもな、お前が作った商品が全部売れて帰ってくることが出来たんだ。お前の作る物は世界一だ、客もみんな喜んで買っていたわい」


 カールはダニエルの頭を撫でながら言った。


「あら、私に対しての言葉はなくて?」


「おう、お前も今日はダニエルに一日付き合ってくれたな、助かったよ」


「な……何よ、今日は素直に褒めてくれるじゃない」


「おおん? お前は貶される方が嬉しい変態野郎だったのか。それは悪かった、今度からどんどん貶してやるからな」


「違うわよ!」


 カリンは抗議するようにポカポカとリズミカルにカールの腹を叩いた。だがカールはくすぐったそうな顔をするだけだった。


「しっかしお前……力が弱すぎるぞ。肉もしっかり食え、それと身体も鍛えろ。デカくなるものもデカくならんぞ」


「私は元々は令嬢だったのよ、貴方みたいに山の中を駆け巡っているわけじゃないの。それに……私のお母様はとてもスタイルが良かったわ、私だって……」


「ションベン臭いガキが何言っていやがる。ああ、せっかくだからこの町の道場に放り込んでやろう、お前の性根が叩き直されるかもしれんからな」


「お爺ちゃん!」


 ダニエルがカールとカリンの会話に口を挟んだ。


「お爺ちゃん、晩御飯食べよ! 僕ね、おなかペコペコなんだ!」


 ダニエルは少し焦って不自然ながらも食事を催促した。きっと例の件が来るまでに準備をしたいのだろう。


「おお、すまんな。それじゃあすぐに作るから待っているんだよ」


「僕も手伝う!」


「私も手伝うわ」


 ダニエルはカールの手を力いっぱい引っ張った。倉庫に向かうカールは、珍しくふたりとも付いてくるので、不思議そうな顔をしながらも少し力が強くなった孫の成長を感じながら倉庫まで歩いて行った。


「違う違う! そんな包丁の持ち方をしたら指が吹き飛ぶぞ! 母親から何も学んでいないのか!」


「そんなもの、メイドが全部やるわよ!」


「立派な何も出来ない小娘に育ってるやんけ! お前は何ができんねん!」


「令嬢としては普通の成長よ!」


「女なんだから飯ぐらい作れるようにしろ、馬鹿貴族!」


「え~女なら貴族でも食事を作らなきゃダメってどこの基準ですか? 根拠あるんですか?」


「俺の変な所だけ覚えおってからに!」


「お爺ちゃん、怒っちゃだめ!」


 ダニエルは抗議するようにカールとカリンの間に立った。カリンはハッとして、彼と町中で過ごしたことを思い出した。彼女は、もしこれ以上言われても静かにしておこうと決めた。


「おお、すまんなダニエル。料理は楽しくやらんとな。包丁の持ち方が危なかったからつい熱が入ってしまった、カリン、悪かったな」


「ええ、私が怪我をするところを守ってくれたのね。よくってよ」


「お爺ちゃん、僕のお願いされたものは全部終わっちゃったよ! 他には何かあるの?」


「ああ、それじゃあカリンが切るはずだった食材を代わりに切ってくれ」


「はーい」


 ダニエルはカリンから包丁を受け取ると、手際よく捌いていった。道具をあれだけ器用に作れるだけあって、料理の才能もあるのかと、カリンは少し悔しかった。

───食材の下準備が終わった。鍋の中には鶏肉と野菜が入っており、カール達全員で暖を取りながら煮込み始めた。全員が言葉を発さずに火を見つめているなか、道具屋の扉が叩かれる音がした。


「ダニエル君! ご注文の商品をお届けに来ましたよ!」


「あっ! お爺ちゃん、ちょっと今日の売り上げから少しだけお駄賃が欲しいんだけど───」


 ダニエルがお爺ちゃんに小遣いをねだるように上目遣いで言った。


「売り上げと言わんでも、欲しけりゃいくらでもやるぞ」


カールは腰にかけていた袋から銀貨を何枚か手渡した。


「僕が作った物の売り上げじゃなきゃ、やなの!」


 ダニエルは少し頬を膨らませながら銀貨を受け取った。彼は一目散に道具屋の入り口へと向かい、力強く扉を開けた。

 入り口には、お菓子屋の店員が立っており、


「僕、ご注文のケーキが出来たわよ」


「お姉さん、ありがとう! 僕の注文通り出来上がった?」


「ふふっ、私達がきちんと喜んでくれるケーキを作ったわよ。今日と言う日がきっとあなたにとっての思い出の日になりますように」


 お菓子屋の店員は、バスケットごとダニエルに手渡した。引き換えにダニエルは先ほどカールから受け取った銀貨を手渡した。


「僕、お金持ちね?」


「あっ! そう言えば値段を聞くの忘れていた……」


「はい、今日は良い日だから、これだけでいいわよ」


 彼女は、ダニエルに数枚返した。彼は、店員が銀貨をほぼ受け取っていないことに気が付いたが、ウインクをして彼女の気持ちを理解した。


「このバスケットは魔法で出来ているの。この中にケーキを入れている限りは焼き立てのままなのよ。あと、1日経ったらバスケットごと消えるから返しに来なくても良いからね」


「わあああ、すごいや! みんなが幸せになる魔法だね!」


「もちろんです、プロですから」


 店員は、満面の笑みで道具屋を後にした。ダニエルはバスケットから暖かみを感じながら、お菓子屋さんの優しさが胸いっぱいに広がっていった。

───倉庫に戻ってきたダニエルが大きなバスケットを持ってきたことに、カールは驚いていた。


「随分と大きなものを買ったんだな、中はなんだい?」


「ふふふっ、まだ見ちゃだめだよ!」


「おやおや、お爺ちゃんに内緒かい。まあ後で見せてくれるならいいか」


「あとお爺ちゃん、これ返すね!」


 ダニエルはポケットから銀貨を取り出してダニエルに手渡した。


「返してもらわんでも良かったのだが、まあお前は言っても聞かんわな」


「お爺ちゃんはいっつも僕に色んなものをくれるもの。お小遣いもちょっとくれているから特に困っていないんだ───今日のはちょっと足りなかったけど……」


 少し困った顔をしたダニエルは、ソワソワしながら鍋が出来るのを待っていた。きっと彼がどのようなものを準備しても、カールは喜ぶだろうなとカリンは感じていた。

 日が落ちたころ、鍋はグツグツを音を立てて良い香りが倉庫中に広がっていた。カールは出来上がった鍋を店内中央の大きなテーブルに乗せ。カリン達は食器の準備をしていた。


「ちょっと遅くなったが……それじゃあいただくとするか」


「「いただきます」」


 カール達は夢中になって食べ始めた。鍋の暖かさが心地よく身体に染みわたり、冬の寒さを跳ね除けるようだった。

 鍋をある程度食べたところで、ダニエルは長椅子の隣に置いていたバスケットを机の上に乗せた。


「お爺ちゃん、これなーんだ?」


「おお、さっきダニエルがもらってきたバスケットだな。中を見ても良いのかい?」


「うん、きっと驚くよ!」


 カールはバスケットを覗くと、『これは……』と呟きながら大きなケーキを取り出した。ケーキには少し太めロウソクが7本立っており、バスケットから完全に取り出した瞬間に火が付いた。


「♪今日は素敵なお誕生日 お爺ちゃんの……ほらほら、カリンも歌って!」


「「♪今日は素敵なお誕生日 お爺ちゃんの 70歳の記念日 いつも助けてくれてありがとう これからもよろしくね お誕生日おめでとう」」


 ダニエルとカリンは家に帰ってからカールを待っている間に練習をした歌を歌った。カリンは自分の口から『カールお爺ちゃん』と言うのは少し恥ずかしかったが、ダニエルに懇願されると断れなかった。

 カールは少し表情が崩れ、顔を見せないように後ろを向いた。彼はしばらくして落ち着きを取り戻し、振り返ってロウソクの火を吹き消した。


「ああ……ありがとうダニエル、そしてカリン」


「私は何もしていないわ、やったのは全部ダニエルよ」


「えへへへっ、お爺ちゃん、ちゃんとケーキの上のチョコプレートを見てくれた?」


「すまんすまん、ちゃんと見ていなかったわい。どれどれ……」


 カールはケーキを置くと、チョコプレートの文字を読み始めた。そこには、【カールお爺ちゃん、いつもありがとう。いつまでも元気でいてね、大好きだよ】と書いてあった。

 

「うっ……年を取って涙脆くなったかな……」


「鬼の目にも涙ね」


「お前は後でしばく!」


「なんでよ!」


 少しでも仕返しをしようとしたカリンは、この後に酷い目に遭うことが確定した。

 ダニエルは席から降りるとカールに近づいて抱き着いて、頭でグリグリっとして甘えていた。


「お爺ちゃん大好き! お爺ちゃんはね、僕のヒーローなんだ! お爺ちゃんとね、ずっと一緒に暮らすんだ!」


「ああ、お爺ちゃんが“ず──────っと”守ってやるからな。ダニエルの作りたいものを作らせてやって、両親の分まで可愛がってやるからな」


「お爺ちゃん、無茶しちゃ……やだよ。お爺ちゃんまでいなくなったら独りぼっちになっちゃう。───お爺ちゃんがいたら僕は幸せなんだ、ずっと……ずっと一緒だからね」


 カリンは目の前に広がる光景が羨ましくて仕方なかった。だがこの空間にまだ入る資格がないような、入ること自体が無粋になってしまうような気がしていた。


「お爺ちゃん。今日のケーキはね、僕を前に連れて行ってくれたレンガのお菓子屋に作ってもらったんだ。お爺ちゃんって甘いものが苦手だから、甘くなくても美味しいチョコレートケーキを焼いてもらったんだよ。お菓子屋さんのお姉さんがね、思い出になるようなケーキにしてくれたんだ!」


「ダニエル、もう充分思い出に残るさ。ああそうか、俺はもう70歳になったんだな。あまりに怒涛の勢いで毎日が過ぎておったから、ついぞ自分の誕生日なんてものは忘れておったわ。年を数えることが出来なくなるぐらい、色んなことがあったもんだ」


 カールはダニエルを抱き上げ、背中をさすりながら『ありがとう、ダニエル』と繰り返した。ダニエルは緊張の糸が解けたのか、そのままスヤスヤと寝てしまった。


「ふふっ、ダニエルの奴、ケーキも食べずに寝てしまったな。しっかしあのお菓子屋……随分と奮発したバスケットを用意したんだな。これは……! バカ息子の作った魔道具じゃないか、確かこれはもう市場に出回っていなかったはずだが? まさかあの店員、それを知っていてわざわざ探して用意したのか。大したプロフェッショナルだよ、脱帽もんだ」


 カールは息子が作ったバスケットとダニエルを見つめながら、ゆっくりと自分の人生を振り返りながら、黙想していた。

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