第8話 ダニエル・フォン・オットーという天才少年(1/2)
××年××月××日 カール・フォン・オットーの手記
バカ息子よ、今日はダニエルが花輪を作って俺に持ってきたぞ。やはりお前の息子だな、手先が器用だ。俺はモノづくりの才能が無かったが、どうやらお前ら親子は恵まれているようだな。俺がダニエルに色んなものを作らせてやって、将来の仕事を探してやる。だからお前は神様にダニエルへ才能を与えてやるようにお願いしておいてくれ。
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カールの自宅となった道具屋の1階は、カールのダニエルへの愛情によって道具屋を工房へと変貌させていた。入口からカウンターまでは列が並んでいるものの、カウンターの倉庫は完全に工房以外の何物でもなかった。
「お爺ちゃん、僕の作った服は売れるかなあ?」
ダニエルは倉庫内の裁縫場で服を数十着作っていた。彼は誰にも服の作り方を教わらず、型を取らずに一気に裁断し、手縫いで仕上げていた。ダニエル曰く、『一目見たらその人の寸法が分かるんだ、それに型なんて取らなくても作れちゃうよ! 町で見た人達の寸法で色んなものを作ったよ!』なんて言っていたが、何をどう考えても頭がおかしいとカリンは顔を引きつりながら笑って聞いていた。
「ダニエル、孫の欲目がなかったとしてもお前の作った服は絶対に売れるぞ。最近どっかの馬鹿野郎が逃げたおかげで、この町から仕立屋が無くなってしまった。おかげで服の欲しい奴はダニエルの服を取る、そして質に驚いた客の評判が町中に広がっていくのだ、ガハハハッ!」
「やったあ! 頑張って作った甲斐があったよ。あとね、あとね、畑を耕すための農具もいっぱい作ったんだ! ほら見て、特にこの鍬はね、びっくりするぐらい土の中に刃が入っていくんだよ!」
ダニエルは小さな身体で大人が使う鍬を持ってきた。鍬の刃先はとても鋭く、誤って触ろうものなら指が飛んでいきそうだ。
「おお、早速鍛冶場も使っているんだな。お爺ちゃんが作らせた甲斐があったってもんだ」
「んんんんんんん?」
カリンは首を傾げながら会話を聞くことしか出来なかった。彼女は、さも当たり前のようにふたりが話している光景が不思議で仕方なかった。ダニエルはきっと仕立屋になっていくのだろうとカリンは思っていた。カールが孫の興味を持てるものを探すために、様々な物に触れさせようとしていただけだと思っていたのだ。
「まだまだあるよ! 体に良いって言われている薬草を調合していたらね、すっごくよく効くお薬が出来たんだ! 塗ったらすぐに傷が治るんだよ、これで怪我した人が喜んでくれるんだ! ほらお爺ちゃん、冷たい水で指を怪我していたよね、使って、使って!」
「そうか、じゃあ早速使わせてもらうか。どれどれ……」
カールはダニエルの持っていた小瓶を受け取り、中から粘度のあるクリーム色の物体を指ですくった。傷口にクリームを塗ると、水分が蒸発していくようにどんどんと小さくなっていき、傷口ごと宙へと霧散したかのようだった。
「私は今、夢の中にいるのかしら? 仕立屋になると思っていたダニエルが鍛冶師もやって薬師にもなっていたの。これを知ったら領内の職人達が泡を吹いて倒れてしまうかも……」
カリンはブツブツと呟いていた。
「こいつは驚いた、俺は怪我をすることが多かったから薬もそれなりに見てきた。だが傷口がこんなあっさりと消えてしまうものは初めてだ。一体こいつにいくらの価値を付けたらよいのか見当がつかん、こんな経験は初めてだ」
「へへへっ、お爺ちゃん、喜んでくれた?」
「ああ、お前のおかげで手が痛くない。それに傷が消えていくとき、とても暖かい気持ちになった。ダニエルの思いやりがきっとお爺ちゃんの手を治してくれたんだ、ありがとう」
無邪気な天災。カリンには目の前にいるダニエルがそう見えた。その道でひとつの事を極めた職人達の苦労をあっさりと乗り越え、たったひとりで同等品以上の物を提供できてしまう。モノづくりで生計を立てている者にとって悪夢以外の何物でもないだろう。
「僕ね、すっごく楽しかったんだ。胸がポカポカして、幸せな気持ちになるの。お爺ちゃんみたいに喜んでくれる人達の笑顔がね、僕の周りを囲んでくれているように感じているんだ」
「ああ、だったらダニエルが作った物を売って、いろんな人に幸せを配ってやらないとな」
カールは道具屋の前に泊めていた馬車にせっせと荷物を詰め込んでいった。ダニエルはカールがひとつひとつ馬車に載せていくたびに、『わあああ』と声を上げながら、目をワクワクと輝かせていた。カールが何往復かすると荷物の積載が完了し、後は出かけるだけだった。
「ダニエル、お前の商品を見たお客さんが、どんな顔をして、どんな言葉をかけてくれて、何を感じてくれたのかを全てお爺ちゃんが聞いてきてあげよう。お爺ちゃんはな、かつてダニエルのお父さんの商品を売っていたんだが、それに遜色はないと思っている。だから安心してお留守番するんだよ」
「うん! 楽しみだなあ……」
まだ何も売れていないにも関わらず、ダニエルは手に取ってくれたお客さんの喜ぶ姿を想像して恍惚とした表情をしていた。
カールの馬車をダニエルとカリンは見送った。カリンは珍しく、カールに同行しなかった。カールからは『今日はダニエルと過ごしてやってくれ』と言われていたので、手持ち無沙汰になっていた。
「はぁ……カールに同行すると色んなことを叩き込まれるから大変なのだけど、しなかったらしなかったで、ちょっと暇ね」
「あのねカリン、今日のモノづくりはおしまい! 一緒に行って欲しいところがあるんだ!」
「あら、レディーをエスコートしてくれるのかしら?」
「えすこーと? よくわからないけど、町のお菓子屋さんに一緒に行って欲しいんだ!」
「ふふふっ、いいわよ。珍しく貴方が自分から外に出たいって言うんだもの、断る理由もないわね」
ダニエルはカリンの手を取って町へと繰り出した。ダニエルの手からは暖かさと心地よさが伝わり、お坊ちゃまのような彼にしては意外な手マメが少し手をくすぐった。彼なりに努力をしており、カールからずっと愛されている理由がカリンには少し分かった気がした。
しばらく歩いていると見慣れた街並みが見えた。カリンにとってはカールが罵詈雑言で暴れまわって取り立てている思い出ばかりである町中だ。
「着いた! カリン、ここはね、この町に初めて来たときにお爺ちゃんが連れて来てくれたお店なんだ。僕が泣いてばっかりで、困ったお爺ちゃんが僕のために……」
木材が使われた店が多い中、ダニエルが示した店はレンガ調であり、初めてこの町に来た者であっても探すことが出来る店だろう。
「あら、じゃあこのお店は泣いている男の子を笑顔にできるぐらい素晴らしいお店ってことね」
「……うん」
女の子の前で泣いていた話をしていることに気が付いたダニエルは、少し恥ずかしそうに言った。ただ、すぐに輝くような笑顔を取り戻したダニエルは、元気よく入店した。
「いらっしゃ……あらあら、雨の日に泣きじゃくってカールさんに抱かれていた子じゃない」
「もう……その話はダメ!」
少しウェブのかかった金髪のショートヘアーの店員は、悪戯っぽくダニエルをからかった。ダニエルは飛び跳ねるように抗議していた。
「ふふっ、怒らせちゃったみたいね。そちらのお嬢さんもいらっしゃい」
カリンは軽く会釈をして店内を見渡した。店内は煌びやかな装飾が施されており、町中とは隔絶された空間のように感じた。カウンターには大きな文字で【ご希望のお菓子を作って送ります。味、見た目、香り、その他全ての要望を叶えてみせます。貴方たちの憩いのひとときに寄り添う物から、会場の主役まで何でもお申し付けください】と書いてあった。
「大言壮語なことが書いてあるわね、よっぽど自分達のお菓子作りに自信があるのかしら?」
「斜に構えたお嬢さんね。お嬢さん、このお店はね、お客さんの要望を聞いてからお菓子を作り始めるの。私達はお菓子でみんなを幸せにしてあげたい、例え無茶だと思える注文をされても、それを叶えることでお客さんに喜んでもらいたいのよ。菓子職人としての矜持、生き甲斐ね」
ふわっとした雰囲気だった店員は、職人たちを思い返させるような真剣な目に変わった。
カリンは店員の姿を見て、ふと夜逃げした仕立屋の店主を思い出していた。
“大した実力もないくせに中途半端に投げ出し、他者には関係のない自分の境遇を他者に押し付けようとし、少し正論を言われると嫌になって逃げ出し、慰めてくれるような場所に入り浸り、言われた話を理解する頭が無かったからなのか、拡大解釈して尾ひれを付けて被害者ポジションを取ることで同情を誘い、他者を蔑むことでしか自分自身を保つことが出来ないポンコツ”
では絶対にこの店員のように辿り着けない境地だろう。本気で仕事に取り組んでいるからこそ、大言壮語を吐く資格があるのだと感じていた。
「お姉さん! 僕はね、今日はお客さんとして注文しに来たんだ!」
「あらあら、うふふ。それでは親愛なるお客様、ご注文をどうぞ」
「お姉さん、ちょっとしゃがんで!」
店員はダニエルの顔と同じ高さになるようにしゃがんだ。ダニエルは店員の耳元に口を近づけ、内緒話をするように注文をした。カリンに聞かれたくなかったのか、チラチラと彼女の様子を見ながら話していた。ただ、ダニエルの笑みから彼女は察しが付いていた。
「かしこまりました。配達は今日の夕方頃になるけど、いいかしら?」
「うん!」
ダニエルとカリンは店を後にした。道具屋へと変える際中、花屋に寄って一輪の花を買って帰った。花をよく知らなかったダニエルは、『お爺ちゃんへの感謝が伝わるお花を下さい』と言って店員に選んでもらった。
カリンはある程度の知識を備えていたが、ダニエルがカールのために花を選んでいる姿を邪魔したくはなかった。知っているから教えて選ばせるのではなく、ダニエル自身が彼のために喜んでもらいたいという心がとても美しかった。
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