第7話 カール・フォン・オットーという老人(2/2)
××年××月××日 カリン・フォン・シュペーの手記
最近お父様の酒量が増えた気がするわ、それと何かとイライラしているの。お母様がお父様にすごく怒っていて怖いな。怒った後に『カリンは絶対に手放さないわ』と言っていたけど、一体どういう意味かしら? お母様、カリンはずっとお母様の子よ。
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「さて、どこから話したもんかな……」
カールは困ったように顎鬚を触っていた。カリンは、いつもなら立て板に水の如く語りだす彼が言葉を詰まらせていることに驚いていた。
「俺はな……元々ただの猟師だった。だが負傷して狩りにいけなくなった時、息子に頼まれて、息子の作った魔道具を売る仕事をすることになったんだ」
「ダニエルのお父様ね……となると、すごい魔道具職人さんだったのかしら?」
「ああ……自慢の息子だったな。あいつの作る物は多少吹っ掛けても飛ぶように売れて、狩りに行くのも馬鹿らしくなるぐらい金が集まったもんだよ。だが金を持つってのも不幸なもんだなと知ったよ」
「お金を持つことが不幸? ありえないわ!」
ダニエルは飲み終わった湯呑みを回しながら、何かを見つめるように底を凝視していた。
「町中で、俺が金持ちだという噂が流れたんだよ。まあ実際間違っちゃいないし、そんなものぐらい問題じゃなかった」
「じゃあ何が問題だったのかしら?」
「“たかり”に来やがったんだよ。一度も会ったことのない親戚! ガキの頃に追い出された孤児院! 自称神を名乗るおっさんを祀っている宗教団体! 金を集めることが“教義”と言わんばかりの教会! どれだけ困っていても一度も奢ってくれなかった飲み仲間! 誰を救っているのかよう分からん慈善団体! “自称竹馬の友”を名乗る不審者……誰やねんお前!」
「それは……すごいわね」
カールは手に持っている湯呑みをそのまま握りつぶさないかと心配になるほど手が震えていた。
「数え切れん連中が本当によく来た。俺は……息子に相談した。俺の金なんぞ、息子が作った道具を売っただけのおこぼれだったからな。俺は毎日飲む金があれば充分すぎるほどだった。それに、特に買いたいと思う物が無かった」
「あら? 随分と無欲なのね。【大金を手に入れた者は人生が狂う】という言葉を聞いたことがあるわ。でもカールはそうならなかったのね」
「息子に恵まれ、孫の顔を見ることも出来た。そうだな……贅沢を言わせてもらえるなら旨い酒が飲みたかったぐらいか。────人には人の領分がある。俺の領分は満たされた、いや満たされ過ぎていた。後はダニエルが大人になるまで見守ることが出来れば、天に召されても一切文句はなかった」
「今の貴方からは想像できないわ」
落ち着きを取り戻したカールは、湯呑みをそっと置いた。
「息子は優しかった。『父さんが頑張って売ってくれたおかげで得たお金だから、お父さんの好きに使ってくれたらいいんだよ』って言っていた。だから……流石にくれてやるのも癪に思ってな、借用という形で良ければと貸し出してやった。貸出と聞いて奴らは当初渋っていたが、一人が借り始めると、止まらなかったよ」
カールはくっくっくと笑い始めた。当時の状況がよっぽど滑稽だったのだろう。
「じゃあみんな借金まみれじゃない。それでどんどん破産していったのかしら?」
「息子は無理に返済を迫らなくても良いって言ってたさ、返済期限はとっくに過ぎていたのにな。どうせ自分が作った魔道具でどんどん金が入ってくるんだ、特に何も思うところは無かったらしい」
「順風満帆ね、それで事件が?」
「その通りだ。───ある日……本当に突然だった。王宮で暴発事件があったと聞いた。俺はたまたま王国から離れていたから、事件を知ったのは遅かった。事件の内容を聞いて驚いたよ。俺の息子が王宮内で王族を狙った爆破テロを行ったことになっていたからな」
カールは両手を組みつつ、爪を立てていた。力が強すぎるのか、手の甲から血が滴っていた。
「カール、手が……」
「いいから聞け。息子はそんなことを絶対にしない。むしろ召し抱えられて国に魔道具を供給していたことを喜んでいたんだ、不満なんて持っているはずがない。だが犯人を追及しようにも、証拠もなにもかも王宮内で全て終わらせられていた。どうしようもなかった……だからせめて残されたダニエルを救ってやるしかなかった」
「確か……私も聞いたことがあるわ。王室をまとめて暗殺する計画の事件があったって。でもまさかダニエルのお父様が!」
「やってない! 俺の息子はぜ──────ったいにやってない! だが判決を覆すことが出来ない以上はどうしようもない」
カールは諦めと悔しさで唇を噛んでいた。
「俺はこんな身体だからな、ろくに金を稼ぐ手段がなかった。だがダニエルを食わしてやらなきゃならないんだ。すぐには困らんが、持っていた金のほどんどを貸し出していたんだ」
「それじゃあ……生きていくためには、お金を返してもらうしかないわね」
カールはため息を付いた。カリンはすぐに返事が返ってくると思って待っていたが、沈黙が続いた。
──────カールは突如立ち上がり、おもむろに足元に転がっていた石を拾い上げて川辺に向かって思いっきり投げ込んだ。
「奴らは……金を返すことを拒否したんだ。なあ、奴らに貸してやった金は“バカ息子の形見”なんだよ! 貸した金は息子の善意だ! 返済を迫ると悪魔だの鬼畜だのと言われるが、俺から言わせれば形見を踏み倒す連中こそ悪魔よ。だから……だから俺が全力で取り立ててやったんだ」
「まさか、貴方がやっていたことって……」
「信じたかった……俺は人の善意を信じたかった! だが何故俺はこんなにも理不尽な目に遭うんだ、俺は息子の死すら悲しむ暇さえ与えてもらえなかったんだぞ。……だが神はどうやら俺を完全に見捨ててはいなかった。幸運なことに、裁判で貸し出した分の金を全て差し押さえることが出来るようになったんだよ」
「全部奪い去るのね……」
「国が財産の没収を認めたんだよ。俺はクソッタレ借金野郎どもの財産を徹底的に差し押さえてやった! 例え奴らの形見であっても、金になるなら全部売っぱらってやった。金持ってんじゃねえか馬鹿野郎! って思ったね」
カールは少し楽しそうに話している。純粋な差し押さえというよりは仕返しの要素が強いのだとカリンは感じた。
「でも……返済に困った人が許しを請いに来なかったの?」
「なあ、謝罪って本当に受け入れなければならないものなのか? 俺は思ったんだ、“謝罪は暴力だ”ってな。俺は息子の形見を返してもらえなくて傷ついているにも関わらず、『ごめんなさい』の一言だけで許されようとする。受け入れなきゃ器が小さいと非難してくるんだぞ……あまりに加害者に有利すぎるシステムじゃないか、俺だけ我慢しなきゃならんのか?」
カールは優しそうな眼でカリンに問いかける。カリンは返答に詰まった、カールに受け入れてもらえそうな答えが出て来ないのだ。
「カール、ごめんな……あっ、でも私には言葉が出て来ないわ」
「まあ実際、奴らは懇願したよ。『これは先祖代々引き継いだ土地だ、物だ、財産だ、奪わないでくれ!』ってな。ふざけやがって、お前らの言い分ばかり通ると思うなよ」
「それでも、カール自身は辛くなかったの? きっと罵詈雑言を浴びせられているわよね……」
「俺だって気持ちの良いもんじゃなかった、奴らのガキの玩具まで奪ってやった時の泣き声は未だに脳裏に焼き付いているんだ。だがそれでも止まるわけにはいかなかった。容赦をすれば、きっと奴らに全部奪われてしまうんだ……ってな」
カールは子供の手から玩具を奪い取った時のことを思い出していた。子供は悪くない、ただ親が悪かったんだ。恨むなら親を恨めと自分に言い聞かせて当時を過ごしていた。
しばらくすると、カリンに振り返ったカールはおもむろに自分の上着を少しめくり、腹の部分を見せた。
「この腹を見てみろよ、逆恨みされて刺された後だ。医者が駆け付けた時には助からないって言われていたらしいが、息子が死の淵から呼び戻してくれた気がした。『父さん、ダニエルの事を頼む』と言われたんだ。
「痛々しいわ……もう……見せないで」
「悪かったな。……だからこそ、俺はダニエルさえ幸せに出来ればそれでいいんだ」
カールは服を降ろすと、カリンの横に座った。
「今の俺はな、息子の善意で貸してやった金を決まった期限通り回収しているだけだ。もちろん生きていくために、回収した金を更に貸し出して利益を出していたけどな」
「噂では悪徳商人だけどね」
「ふん、すぐに元気な小娘に戻りおったわ。せっかくだから教訓をひとつお前に教えてやろう。自分が正しいと思い込んでいる奴と間違っていることが分かっている奴。どっちが文句を言ってくると思う?」
「えっ……それは当然自分が正しいと思っている方よ。自分が正しいと思っているから強い主張ができるのじゃないの?」
先ほどまで少し暗い表情だったカールは、一気に明るい表情になって高笑いをした。
「ハハハハハハッ! まあ普通はそう思うわな。だが実際は違うぞ、奴らは間違っているからこそ声を大きくするんだよ。俺が金を回収する相手はそんな連中ばっかりだった」
「ええぇぇ……にわかに信じがたいわ。でも貴方が言うならそうなのね」
「ほお、随分と素直に聞くじゃないか」
「それだけの話を聞いたら素直に信じるわよ……」
カリンはずっとカールのことを悪魔のような男だと思っていた。だが実際は家族思いで、自慢の息子の善意が踏みにじられたことに憤り、ただ貸したものを返してもらっていただけなのだ。
「ところでカール、貴方は町で周囲の商人達を駆逐した外道だと言われているわ。それは何故かしら?」
「奴らは優しい息子がいる俺なら金を踏み倒せると思い込んで、散々豪遊していたんだよ。それで差し押さえて返済したら吹き飛んだだけだ、ただの自爆だよ」
「じゃああの噂は……」
「俺を逆恨みして鬼畜だの悪魔だの言っているだけだ。ただその噂のおかげで踏み倒す連中が減ったから思わぬ援護射撃だ」
カールは肩で笑っていた。
「ふふっ、随分と酷いことを言うのね。そんな話ばっかり聞いていたら、可憐な少女が悪いお爺様に染められてしまうわ」
「俺が実地で生きた学問を教えてやるんだから嬉しいだろ? カリン、王宮にはエリートと言われる学者共が沢山いる。だが奴らは無駄に正誤問題を得意になって、“物事を全てインプットした”と言い放っている。だが結局のところ物事の本質を理解していない、それでいて本質を理解している連中をコケにするクソッタレ共よ。奴らは生きた学問をしていないんだ。カリン、俺がしっかりと教えてやるぞ」
「……悪い大人になってしまいそうだわ」
カリンは少し笑いながらも、カール・フォン・オットーという老人を理解できた気がした。
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