第3話 玉のように育てられた子と玉のように売りさばかれた少女
馬車から降りたカールは、馬車の中で見せた厳しい商人の姿ではなく、孫が可愛いだけの好々爺だった。
「おーいダニエルや、爺ちゃんが帰ってきたぞ!」
カールが道具屋の扉を叩くが、反応が全くなかった。カールの手はダニエルへのプレゼントで一杯であり、早く反応が返ってこないかとヤキモキしている。
「全くダニエルめ、また物作りに没頭して話しかけても聞こえんくなっとるわ。おいクソガキ、扉を開けてくれ」
「私はカリンって言う名前があるもん。クソガキって言うのはやめて!」
カリンは年相応の少女のように跳ねながら抗議する。先ほどまでは地獄から来た悪魔のように思えていたが、馬車から降りた後のカリンの眼に映るカールの姿はただの老人であり、恐ろしい商人だとは思えなかった。
「チッ、自分の孫以外は嫌いだ。やっぱり借用書で奴隷にしてやれば良かったか……まあ良い、おいカリン、扉を開けてくれ」
カールは悪態をつきながらカリンに声を掛ける。
「ええ、お願いされたからには開けて差し上げますわ」
カリンの小さな手はドアノブを簡単に回すことができず、両手で懸命に回してようやくギギギと小気味の良い音を鳴らしながら開いた。
「ふう、子どもには随分と優しくないお店だわ。こうやってどんどん使われていくのね」
「おう、だがお前に商売を教える以上もっともっと使ってやる。そして俺に富を与えろ、それがお前に出来る善行だ」
道具屋の中は中央に正方形のテーブルがあり、壁際には商品棚があった。奥にはカウンターとおそらくは倉庫か何かに通じる入り口があった。不気味なことに商品棚は空っぽであり、寂しい空間が広がっていた。
「おい……ダニエルどこだ! お爺ちゃんだぞ!」
中央のテーブルにプレゼントを置いたカールは店の中を探し始めた。
「ダニエ……おお! カウンターの席に座っていたのか。お前は小さいな、見えなかったぞ」
カウンターから引き上げられた少年は、金髪の短髪、良い服を着させてもらっているものの小柄であるため、可愛いといった印象だった。手には毛糸玉と鉤と途中まで編んでいる帽子が握られていた。
「あれ……お爺ちゃんだ! お帰りなさい、外は寒くなかった?」
カールに抱かれた少年は、無邪気に好々爺の皮を被った鬼に甘えていた。顔をスリスリさせて、本当にこの男の事が大好きだと言うことがよくわかる。
「お爺ちゃんは最強だからな、全然寒くないわい。ダニエルも一人で留守番をさせて悪かったな、寒くなかったかい?」
ダニエルの頬をゴツゴツとしたカールの手が撫でていた。少しくすぐったい顔をしたダニエルは、カールの耳元に口を近づけて囁くように話した。
「お爺ちゃんがね、いつもいっぱいプレゼントをくれるから、僕も頑張って編み物をしていたんだ! この道具屋の倉庫を冒険していたら、これが残っていたの。お爺ちゃんが寒くならないように帽子と手袋とマフラーを作るんだ。」
「ダニエルや、お前はなんて可愛いのだろうか。お爺ちゃんはお前のその心だけで心が温かくなってしまったよ」
「ダメ! ちゃんと僕の作った物で暖かくなってもらうんだから」
ダニエルは作りかけの帽子をカールに見せつけるように目の前に持って行った。眼を細くしたカールはダニエルの頭をぐしぐしと撫でていた。くすぐったそうにしながらも、甘えているダニエルの姿を見て、カリンは少し泣きながらも呟いた。
「いいなぁ。お父様が欲をかかなかったら今頃私も……」
言っても詮無きことだった。あの子は悪徳商人に愛されている可愛い孫であったが、対照的にカリンは金を借りるための道具にされたのだ。カリンは自身が置かれている状況があまりに残酷で悲劇的であった。喜劇の舞台は観客だから楽しめるのであり、主役になったのはとても笑えないものであろう。
「あれ? お爺ちゃん、この子はだぁれ?」
ダニエルの2つのクリっとした眼がカリンを見つめていた。穢れを知らない純粋な眼は、羨ましくもあり、憎らしくもあった。
カールはカリンに向かって首をくいッと動かした。話せと言うことだろう。
「私はカリン・フォン・シュペーと言うの。貴方のお爺さんに借金で買われた……」
「こらカリン! 人聞きの悪いことを言うな。お前はダニエルの遊び相手としてやってきたんだ」
慌てたカールから速やかな訂正が入る。何をどう考えて良い回答があるわけがないのだが、どうも溺愛している孫が絡むと恐ろしいほどアホになるのではないかとカリンは感じていた。
「へえ~そうなんだ! 僕はダニエルって言うんだ。僕はね、何かを作ることが大好きなんだよ! お爺ちゃんが色んなものをくれるから、僕も何か作ってお爺ちゃんにプレゼントしたいの!」
両手の道具をぶんぶんと動かしながら自己紹介をするダニエル。確かに物を作ることが好きなのだろう。あれほど大きな声で呼んでも反応せず、カールに持ち上げられてようやく反応することが出来るぐらい集中していたのだ。
ダニエルはカールの腕から降りてき、カリンに向かった。本当に純真無垢と言う言葉を体現しているかのような子だ。馬車から降りるとき、カリンにダニエルは同じぐらいの年齢だと言うことをカールから教えてもらっていた。それでもなお弟がいればこんな感じなのだろうかとカリンは感じていた。
「あら? 貴方のお爺さんは随分と大金持ちみたいだから、作ってもらわなくても物を揃えることが出来そうね」
母から淑女たれと言われてきたカリンは、いつもならこんなことは言わないだろう。ただ、惨めに売られてしまったカリンは、自分よりもはるかに幸せそうにしているダニエルが憎らしかった。
ダニエルはカリンに言われたことを嫌味だと受け取っていないのか、表情を変えることなくニコニコしていた。
「ううん、そんなことないよ。お爺ちゃんは僕が作るものをいっつも喜んで受け取ってくれるんだ! 僕が作った物はどこで買った物よりも一番なんだって言ってくれて、僕もまた作りたいなって思うんだ。受け取ってくれた人が喜んでくれると、僕の心がポカポカするんだよ」
ダニエルは作りかけの帽子とともに胸に手を当て、今まで受け取ってくれた人の表情を目を閉じながら思い出していた。沢山の人からの感謝の気持ちを純粋なまま受け取ってすくすくと育ってきたのだ。
「ああダニエルや、その通りだよ。お前の作る物はワシがどれだけ大金を使って買ってきたものよりも嬉しい。お前の受け取った人の喜ぶ顔を想像しながら作った物はどれも暖かくて、そして優しい気持ちにしてくれるのだ」
だったら馬車の中で私にあれほど罵詈雑言を浴びせていたことは一体どうやって説明する気なんだとカリンは心の中で抗議していた。だがそんなことをすると、100倍以上になって返ってくること間違いなしだ。
「ふふっ、貴方はそれほど他人が喜ぶ顔が好きなのね。きっとこの毛糸の帽子以外にも色々作ってきただろうけど、貴方に教えてくれた人も喜んでいるわ。毛糸ということは、お母様かしら?」
カリンは本当に素朴な質問のつもりだった。それこそ、明日の天気はどうなるだろうか、ぐらいの軽い気持ちであった。だが、ダニエルは初めて暗い顔をした。
「ううん───僕のお母さんはね、お星さんになって僕のことを見守ってくれているんだ。僕が赤ちゃんの頃にそうなったって……」
「あらごめんなさい。辛いことを聞いてしまったわね。ではお父様に教わったのかしら?」
カリンは慌てて次の質問を繰り出した。カールは苦虫を嚙み潰したような顔をしている。やってしまったと後悔したが既に遅かった。
「──────僕のお父さんもお星さまになったんだって。お父さんはこの国でも有名な魔道具作りをしている職人さんだったんだけど、事故に遭ったんだって……」
「ごめんなさいダニエル、辛いことを話させてしまったわ」
カリンは慰めようと色んな言葉を頭の中で必死に巡らせたが、良い言葉が思い浮かばなかった。するとカールが横から口を挟んできた。
「やっぱり貴族様は人の気持ちが分からん様だ。だが安心しろ、お前はもう貴族でも何でもない、人の気持ちが分かるように俺が教育してやる」
カールは目が全く笑っていない満面の笑みでカリンに言い放った。きっとこれから地獄のような教育が始まるのだろう。カリンは、人の心についてはこんな鬼に教わるなんてないだろうと少し心の中で反抗した。
「全く……だから俺はダニエルを引き取ったんだ。俺はダニエルにとって父であり、母代わりでもあるのだ。だが俺には母親役は厳しくてな、同じ年ぐらいと言うのはわかるが、ダニエルによく寄り添ってくれ」
怒るのに疲れたのか、少し疲れた顔になったカールはカリンに優しく語りかけた。
「母親役……私は母親役なんてできないわ、だからせめてお友達としてダニエルに付き合う。これで良いかしら?」
「構わん。ダニエルには悪いが、俺が無理やり引っ越しさせたせいでダニエルの友達は誰もいなくなってしまった。それに俺は商売をするからずっと見てやるわけにはいかんのだ。ダニエルを独りぼっちにさせないならそれで良い」
随分と優しい扱いをする奴隷だ。カリンに拒否権なんてものは無かった。それに、カリンはダニエルと話していると癒された。両親に売られたという残酷な現実による心の傷が、和らいでいく気がした。
「ダニエル、私の友達になってくれるかしら?」
「うん! そうだ、お友達の印に、お爺ちゃんの帽子を作ったらカリンの帽子を作ってあげる」
そう言って、ダニエルはまたカウンターの椅子に戻ったかと思うとまたせっせと帽子を編み始めた。最初に道具屋に入った時、カリンは寂しい場所だと感じていたが、今は少し心地よい所だと感じた。
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