第2話 借金のカタに売られた少女

 空が泣いていた。身体を刺すような凍えた風がビュービューと音を立て、馬のカッポカッポといった足音、車輪のギコギコというきしむ音、そして少女の心を表すかのような雨がザーザーという音が初老の男性と少女のいる馬車の空間に響いていた。


「うっ、うっ、うううううう……」


 馬車に揺られながら、見るからに高い服を着た良家出身であろう少女が膝を抱えて泣いていた。


「嬢ちゃん、いい加減に泣き止んだらどうだ? お前はもう父ちゃんと母ちゃんに借金のカタとして売られちまったんだよ」


 少女はすぐに答えなかった。ただただ、馬車の車輪の進むギコギコとした音が不気味に耳に入っていた。顔を上げた少女は、細々とした弱い声で答えた。


「私……売られたの?」


 少女は自分が何故この馬車に乗せられたのか理解が出来ていない。ただ、いきなり怖い顔をした男に馬車へ連行されたのだ。父と母は連行される少女を見て、泣きわめいていたが、助けてくれることはなかった。


「ああそうだ、お前は売られたんだよ。これもな、ぜ──────んぶ、金が無かったからこうなったんだよ。お前達は自分達の事を貴き身分である”貴族”だと言っているが、結局のところ世の中金を持っている奴が偉いんだ。だからお前はこの馬車に乗っている、どんな気分だ?」


 少女に話しかけた初老の男性は、一見好々爺のようだが、その瞳から鋭すぎる眼光で、少女を値踏みするように見ていた。

 少女はこのナニワ王国の中流階級の貴族の家で生まれ育っていた。だが両親が上流階級へ憧れ、そのための金銭を工面するために様々な事業に手を出した。

 この王国の中で新進気鋭の商人として一代でのし上がったこのカール・フォン・オットーという男は、黒い噂の絶えない男であった。だが、確かな実力によって地盤を固め、そして周囲の商人達を駆逐していった。そのためか、この王国で商売をするためには、この男を通さなければ何も動かすことが出来ないともっぱらの噂だ。


「どんな気分? 最悪よ!」


 先ほどまでは薄幸の美少女であったその顔は、ニヤニヤして話しかける老人を憎らしいという気持ちで精一杯睨みつけている。貴族の矜持として、彼女は庶民に媚びへつらうつもりはなかった。


「お? おおお? おいおいおいおいおい、ま……まさか俺を恨んでいるんじゃないだろうな?」


「貴方のせいで、私のお父様とお母様は泣いていたわ。貴方が私達の生活を壊したのよ、返してよ!」


 少女は怖くてたまらない気持ちを精一杯抑えつつ、目の前の怪物に立ち向かった。少女は父と母を泣かした相手を許したくはなかったのだ。


「私達は貴族として、この王国を守っているの。そのおかげで商人は仕事が出来るってお父様とお母様が常日頃から言っていたわ。貴方は最低のクズな人間よ!」


 少女の仕草は母親の真似事であったが、それなりに様になっていた。

 だが、その仕草が良くなかった。カールはわなわなと怒りで震えだし、少女に向けるには無惨な言葉をかけ始めた。


「おい商才の欠片もなかったへったくそド貧民貴族の親を持っちまったクソガキ! お前らの家が失敗したのは俺のせいじゃない! お前らがただただ返せもしない金を借り続けたから落ちぶれているんだよ! 経営とマネーゲームを間違えたヘッポコ一族が俺に文句言ってるんじゃねえぞ!」


「貴方が返せないようにお金を貸したんじゃない! どうせ土地が目当てだったのでしょ!」


「おおん? お前達が貸して欲しいと言ったから貸してやっただけだろうが! 身の程を弁えず、上流階級に憧れたという理由で事業を起こし、それを失敗しただけじゃないか。むしろ事業に挑戦するために金を出してやった俺は神の如く奉られる存在のはずだ! それを返せなくなったとたんに鬼畜だの、心が無いだの、商売人如きと言ってのけるポンコツ貴族様は大したもんだよ! お見事! これが貴族の矜持ですかな!」


「うっ……」


 少女は後悔した。ただただ俯いていれば良かったのに、反抗してしまったが故に地獄の釜の蓋が開いてしまったのだ。少女には彼の言っていることが合っているかは分からなかった。ただひとつ言えることは、事実として、彼女は馬車の中に連行されたのだ。


「おいよく聞けよクソガキ! 今日は俺の孫の誕生日だから機嫌が良い。だから俺が脳の容量と回転が足りていない両親に変わってお前に教えてやる。お前らの所領は黙っていたら収益が上がっていったんだよ。それを待てずにグチャグチャに金を投入したら収益が倍になるとかふざけたことを言ってかき回したは自分達だろ。だが貴族の遊びにしては、やり過ぎたな。何に焦っていたんだか」


「それは確か……お父様の周りに、事業をしたら儲かるって言う方々がいたから……お父様は私のためを思って事業を拡大するんだって……」


 カリンは言葉を途切れ途切れになりながらも必死に返事をする。


「そんなもん知らん! そ・れ・に・だ! 返済困難となった以上は差し押さえる権利を俺は持っている。そして土地だけでは返済不能だったからお前の身柄を差し押さえてやったんだ、それも全ては借用書の通りだな。契約内容を履行した俺に文句はねえだろ」


 カールは胸の中にしまっていた借用書を少女に見せつけた。返済期限が来ても返済困難の場合は以下のものを差し押さえる。その欄には、【領地】そして【カリン・フォン・シュペー】というあまりにも無慈悲な文字が記載されていた。そしてシュペー家の封蠟が間違いなく押されていた。借金返済のために売られてしまったんだということを少女は改めて認識せざるを得なかった。


「貴方が無理やり書かせたのよ! お父様がそんなものを書くわけがないわ」


「ハハッ。娘の名前を書けって言った時、お前の両親は何て言ったと思う? 『どうせすぐに返せるのだから、一切問題ない。カリンも仮に知ったところで文句を言わないはずだ、愛する家族だからだから』だとよ。だが結果はこの有様だ、笑えるぜ。大事な娘をギャンブルに使ったんだ、お似合いの末路よ」


 小馬鹿にした笑い声が馬車の中に響く。少女は借用書を見ながら、固まって動けなかった。


「ああ、だがお前達貴族は本当に素敵だ。借金で作った金さえ手に入れば強くなった気がして……自分の望むものが見えたらその先のことを考えずに自分にとっての美しい景色だけを観ようとする。そしてその希望を拡大解釈して更に膨れ上がらせていったんだ」


「希望を持つことの何が悪いのよ。夢を見ることは大切だわ! 夢を叶えようとする心が、人間を発展させてきたのよ!」


 カールはカリンの抗弁を聞いて、馬鹿にしたように鼻で笑った。


「俺からすれば針の穴程度の希望にしか見えなかったがな。融資で渡された金程度で勝てると思ったんだろ、そしてやること全てが正当化されていく……針の穴から見えた光に目が眩み、娘さえも捧げた金をドブに捨ててしまったんだ。貴族っていうものはなんて素敵なのだろう、“夢”と言えば全て正当化できるんだからな」


 カリンは皮肉を言われていることが分かった。馬車を操るこの老人が、堕ちていく自分達の姿を笑っていた他の貴族の人達と全く同じ眼をされていたからだ。


「わ……私はどうなってしまうの? 私は一体どこに連れていかれているの?」


 先ほどまでの堂々とした態度はもう出来なかった。完全に心が折れてしまった少女は、か細い声を出すのが精一杯だった。ただ、自分はどういう目に遭うのかが怖かった。


「お前は、俺の孫の誕生日プレゼントにしてやる。貴族で良い育ち方をしてきたのが良くわかる、適度に教養があって、そして容姿も端麗だ。もしあと数年も経っていたら良い売物になっただろうが、それ以上の価値に化けるかもしれんから、様子見だ」


 また商品価値を見定めるかのような眼で全身を舐めますように見られている。その眼は人に対するものではなく、物を見定めるような眼であり、カリンは不愉快だった。


「孫はどうやらずっと自室にこもって物を作っているらしいからな、遊び相手としてもってこいだろう。おいクソガキ、俺の孫とせいぜい仲良くしてくれよ。お前は身体で両親の借金を返さないといけないんだからな! ハッハッハッハッハ!」


「こんな残酷な男に孫がいるなんてね、きっと残忍な性格に違いないわ。ああ、世の中は色々と間違っているわ……」


 精一杯の反抗だった。何かしらの憎まれ口を叩かなければ、この男に良いようにされてしまうだろう。私は売られてしまったけど、心までは売っていない。カリンは自分にそう言い聞かせていた。


「ふん、お前は両親よりマシなようだな。俺に反抗できる程度にはある程度賢そうだ。本来ならお前には奴隷として魔法をかけるところだが、その反抗的な眼が気に入った」


「逆らったら怒るくせに、急に気に入ったりして忙しいわね」


「お前の反骨心、育てたら面白いかもしれんな。おい、お前がやる気なら俺が商売を教えてやる。それで働いて親の借金をお前が返すんだ。数年後に元貴族の令嬢と言う売り込みで男に奉仕させる仕事をさせてやろうと思ったが、それよりも稼げる方法を叩きこんでやる!」


「商売? それでまた私を更に借金漬けにするのね、その手には乗らないわ!」


「お前にこれ以上借金を負わせたところで何も出ないだろ、だからこれは完全な好意で言ってやっているんだがな。まあ男達に奉仕したいと言うならそれで良いか……」


 カリンは、断った際にやらされる仕事について、良く分からなかった。だがこの男はただただ不気味だった、それは貴族を憎んでいたにもかかわらず、突然手を差し伸べてきたことだ。カールはそんな様子を察してか、カリンに話しかけた。


「俺は馬鹿が嫌いだ。そして優秀な人間は大好きだ。俺は貴族嫌いだと思っているだろう、それは半分正解、半分間違いだ。生まれて何も努力をせずに、かと言って能力が無いにも関わらず相続した土地に胡坐をかいて、それでいて必死に働いている商人を下に見ている。そんな無能な連中を俺は嫌っているんだ。お前は貴族だが、多少は優秀かもしれん。まあひな鳥程度だが、ちゃんと育った時が楽しみ程度には見てやる」


「こんな馬車の中の一時で私の何が分かるって言うのよ、せいぜい憎まれ口を叩いているだけだわ、気に入らないからね!」


 カールは腰にかけていた水筒を取り出し、思いっきり飲み干した。そしてカリンにまくしたてる。


「おいクソガキ、俺が何故ここまで上りつめたか分かるか? 俺はな、商品を見抜くことに関しては誰にも負けたことがない! この目に自信があるからこそ、他人に売りさばく時に不安というものを感じたことは無かった! お前は良い商品価値がある。だが同時に商人としての才能もあるって見えてんだ! 俺に金をもたらすのは、商人としての道だ、だから俺はお前を商人として働かせるんだ!」


 カールの勢いに圧倒されて、また言葉が出なくなってしまった。だがカリンは目をそらさずに、じっとカールの目を見つめていた。まだ簡単にこの老人に負けたくない。そんな気持ちから、精一杯の言葉を絞り出した。


「どちらにせよ身体で返すしかないのだったら、好きにするといいわ。せいぜい私に教え込むことね、そして逆襲されないように怯えさせてやるんだから」


「その目だ、絶対に負けないという目を絶対に忘れるな。──────さあ、俺が借金のカタに押さえた道具屋にたどり着いたぞ。孫はこの中で遊んでいるはずだ……」


 あれほどまでに恐ろしい男であったカールは、孫に会えるとなると、好々爺へと変わった。この男が唯一損得勘定をしないのは、孫だけなのかもしれないとカリンは感じていた。

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