02-1:蒸気都市ギレット
引き続き快晴の空の下、舗装された道をエレメンタル・バイクが駆けていく。目指す先は蒸気都市ギレットだ。古都セージバルの整備屋からギレットに腕が良い技師がいることを聞き、バイクを見てもらう為進路を決める。燃料は万全、立ち往生はしないと安心した結城は背もたれに体を預けてサイドカーに乗る優に話しかけた。
「ギレットには行ったことある?」
「近くを通り過ぎる程度ですね。中を見て回ることはした事ありません」
「そっか。場合によっては数日位はいるかもしれないから、のんびりしようか」
「ええ、良いですね。ギレットにも支部はありますので挨拶もしたいです」
「真面目だなぁ。宿だけとったら自由行動にしようか」
「わかりました。レミリガンドまでは急がなくていいのですか?」
「うん、急ぎではないよ。今更急ぐ用事でもないし」
「そうでしたか。ではゆっくり行きましょう」
「良いね。観光がてら近場の都市には寄っていこうか」
「是非。運が良ければ教主様にも会えるかもしれませんね」
「そうだね。どうせなら会いたいな」
毒にも薬にもならない世間話は、それでも時を忘れさせる効果はあったらしい。一人では最短距離を行っても長く感じた道中は存外早く終わりを告げる。視線の先には機械音を響かせながら煙を吐き出す都市がそびえていた。
──蒸気都市ギレット。
世界に流通するエレメンタル・ギアの7割を生産する機械産業の最先端。最新の技術は此処から発生すると言われるほど技術が結集しているが、同時に昔ながらの職人も多い最新と伝統が入り乱れる都市である。騒音の出る主要工業は朝の6時から夜の20時までと厳命されており、夜になるとそれまでの騒音が嘘のように鳴りを潜める。その代わり一日稼働させ続けた熱を夜間に放熱することで熱帯夜になった。放熱の際に出る煙が都市を包み隠す事から蒸気都市と呼ばれるに至る。
「凄い音ですね」
隣りにいても声が小さく聞こえるほどの騒音。機械が何かをせん断するような甲高い音に、何かを潰しているようなひしゃげた音。打ち付けるように響く反響音。モーターの駆動音。挙げればきりがない程、様々な音に包まれる都市は昼間でも薄いガスに包まれている。宿をとった二人は溜息をついた。
「あんまり長居はしたくないね」
「ええ。幸い建物の中は防音されているようですが、それを工場にするべきかと」
「とりあえず僕は整備屋を回ってみるよ」
「わかりました。私も支部を訪ねてみようと思います」
そう言って二人は宿の前で別れた。
バイクを押して歩き始めた結城の背を見送り、優も歩き出す。薄いガスはどこか鉄臭く粉っぽい。工場から漏れる粉塵が混じっているのだろうと口元を手で覆う。太陽の光が遮られているのか直射日光が届くことはなく、全体的にはぼんやりと明るい。それでも薄暗いからか街灯には薄く明かりが灯っていた。生温い都市は遠い視界をぼかしている。しばらく周囲を見て支部を探すも環境に負けた優は近場の軽食屋へと逃げ込んだ。
「いらっしゃい」
店も小さく客も数人ほどしかいない店内は、優が負けた環境を日常であると断言するように落ち着いていた。優はカウンターに腰を掛けて店員に飲み物を注文する。
「お客さん、外の人だよね。ひどい顔してるよ」
「ええ、凄い街ですね。平気なんですか?」
「慣れちゃったねぇ。今日はまだマシな日だよ。酷い日は外なんて歩けないからね」
他の注文はなかったのか優の注文はスムーズに通り、飲み物が提供された。
「お客さんも技術者かい?」
「いえ、私は一緒に来た方の付添の様なものでして」
「そうかい。最近は物騒だからあんまり出歩かない方がいいよ」
「何かあったのですか?」
「んー、何か変なものが出るんだよねぇ」
「はぁ、変な物ですか」
「夜とかガスが酷い時なんだけどね、人を襲うらしいんだよ。実際、それで怪我した人もいるみたいだし」
「それは怖いですね」
「街の警備してる人も巡回してるけどなかなかね」
そこまで話すと店員はカウンター裏へと戻り洗い物を始めたようであった。
「うちはこう言った技術の街だから宗教関連は殆ど無いんだけど、天上教団っていう物好きな人達だけは支部作ってさ。警備の人が出ない時間に巡回してくれてるんだよ。ありがたいんだけど、それで怪我しないか心配でさ」
「あ、その支部ってどこにあるんですか?」
「なんだい、お客さん関係者かい? それなら無茶をしないように言ってくれない? やっぱり普通の人が見て回っても被害者が出るだけだと思うんだよ」
「わかりました。伝えておきます」
優が席を立つと、店員は支部の場所を教えてくれた。ここからそう遠くないこともあり、常連もいるらしい。顔見知りもいるから心配だよと言い残す店員と別れ、優はガスに溶けた。
幸い方向はあっていた為、無駄にガスの中を歩く必要はなくなった。ぼやける視界で鉄板張りの街並みを眺めながら街を歩く。街の中に入ったのは初めてだが、こうも特殊な街なのかと感嘆が漏れる。
「ガスがなければなぁ」
コツコツと硬質だが高い足音がなる。今まで騒音に隠されていた足音が、騒音に慣れ始め耳に届く。地面の上に鉄板が敷かれている様な乾いた音が響いていた。
「お兄さん」
不意の声に肩が跳ねた。振り返った先には青い制服を着た男性が立っていた。十中八九、警備の人間であることは店員の言葉ですんなりと理解できた。
「何してるの? どこ行くの?」
「はい、これから天上教団の支部へと行く所でした」
「あそこの関係者にお兄さんみたいな人居なかったはずだけど?」
「ええ、私は外の街から今日来まして挨拶に向かうつもりでした」
「ふぅん、そぅ。じゃあ、案内するよ。ここから近いから」
「ありがとうございます」
この不審な目も現状を考えれば納得ができた。少し前を歩く警備員に声をかける。
「さっきお店の人に聞いたんですが、変なものが出るんですか?」
「あぁ、聞いたの? 外の人に余計な事を……。そうなんだ。そのせいで今は出歩く人も減ってたんだけど、こうやってたまに来る人は無防備で困るよ」
「はは、すみません」
「教団の人にも注意はしてるんだけどやめてくれなくてね。困ってるんだ」
「お人好しが多いもので」
「それで怪我しても責任が取れないんだよ。自分たちは仕事だけど、彼らはそうじゃない。自分たちは立場上市民の安全を守らないといけないのに注意を聞かずに怪我されたらたまったもんじゃないの」
溜息をついた警備の方は立ち止り、霞んだ街の一角を指差した。
「ほら、あの街灯のところ。あそこが支部だよ」
「はい、ありがとうございました」
「くれぐれも言っておくけど、無茶な事しないでね。自分達も市民を守る為にこうやって巡回してるんだから」
「ええ、わかりました」
「後、夜は出ないように。今日はまだマシだから昼間は出ないとは思う。それでも日が暮れてきたら危ないから」
踵を返した警備の方が、ガスに飲まれて見えなくなるのを見届けた後に優は教団の支部に踏み込んだ。
「すいません」
「はい、どうしました?」
奥からパタパタと軽快な音をたてた信徒が現れた。見た感じでは自分よりも若そうな女性に優は頭を下げた。
「はじめまして。私はセージバル支部で副支部長をしている夏目優といいます。ギレットへ立ち寄りましたので挨拶をと思いまして」
「なんと!! 外の支部の方でしたか。それも副支部長だなんて。少々お待ち下さい、支部長を呼んできますので」
来た時と同様にパタパタと奥へと消える慌ただしい女性を微笑ましく見送ったすぐ後に、またパタパタと足音が帰ってきた。
「すいません、そこに座ってお待ち下さい」
ただそれを言いに戻った彼女は今度こそ奥へと入っていった。促されるまま近くの椅子に腰掛けて待っていると静かな足音の壮年の男女が奥から現れた。優は椅子から立つと頭を下げる。
「急な訪問、申し訳ありません。私はセージバル支部、副支部長の夏目優といいます」
「夏目さんですね。私はここの支部長をしている南雲誠司です。横にいるのが」
「副支部長を務めています南雲早苗です。よろしくお願いします」
「おぉ、御夫婦で運営をされているのですね」
「えぇ、他の方々に手伝ってもらいながら細々とやっております。どうぞ、お掛けください」
優は会釈をして席に座る。その対面に二人は腰を下ろした。
「本日はどういったご用件で?」
「はい。先程取り次いでくださった方にも伝えたのですが、少しばかりこの街に立ち寄ったのでご挨拶でもと思いまして」
「あら、そうでしたか。あの子はそそっかしいのが治らなくて、ねぇ?」
「突然セージバル支部の副支部長が呼んでますって言うから何事かと思いましたよ」
「元気そうな方でしたね。本当に挨拶をしようと思っただけでしたので、執務中に手を止めさせてしまい申し訳ありませんでした」
「いやいや、いいんですよ。外の方とは会う機会がありませんので貴重な情報交換が出来ます。今日は田原支部長と?」
「いえ、別の方とレミリガンドへ向かう道中でして。支部長とは交流を?」
「年に一回ある支部長会でね。その時に聞いてましたよ。うちの副支部長は修道士だって」
「自分の事のように誇らしげでしたよ」
「はは、ありがとうございます。そう言われると気恥ずかしい限りです……」
──天上教団には階級がある。
最も多いのは信徒であり、主に教団の司祭以下の教団員を指して使うが、天上教団に所属する人間全体を指して使うことも多い。更に狭義で使う場合は洗礼前の団員を指す言葉となる。次いで信徒からは数が絞られ修道士となる。この階級は洗礼を受け、その際に教主より聖具を下賜されることで信徒とは区別される。支部長・副支部長になる条件の一つは修道士である事が定められていた。その上には5人しかいない天上司祭と呼ばれる主要都市の管理者がおり、直上に大司祭、教主となる。
修道士は下賜された聖具を扱えるかどうかで区分されるが一般的には修道士にまとめられている。それは修道士の数に対して聖具を扱える人間がごく少数なためである。呼称は同じであるが特定の単語として使用される場合、聖具を扱えるものとして使われた。審問課、天上司祭はこの聖具が扱える修道士の集団である。審問課が階級に含まれないのは大司教の選別による組織の為、階級を問わない事が理由であった。
「ここに来る途中に聞いたのですが、最近は変なものが出ると?」
「あぁ、聞きましたか。困ったものです」
大げさなため息をついた南雲支部長は首を振る。
「一月程前から目撃談がありまして、今日までに三人が怪我をしています。幸い軽症で済んでいますが、何分正体がわからない。出没するのが視界の悪い日としかわかっていない。対処ができなくてどうしたものかと」
「ここに案内してくれた警備の方も言ってましたよ、無茶はしないで欲しいと。貴方方が怪我をしてしまっては元も子もありませんよ」
面目ないと支部長は恥ずかしそうに頭に手をおいた。
「一応、危ない時間は警備の方に任せてまして。私達は明るい時間で警備の方と被らない所で見回っていたのですが」
「ほら、言ったじゃないですか。駄目ですよ、危ない事は」
「奥方様の言う通りですよ。ご自愛ください」
「いやぁ、うちの支部には修道士がいなくて……」
「あんたねぇ」
ぱしんと副支部長が支部長の頭を叩くと、申し訳無さそうに頭を下げた。
「すみません、うちのが。悪い人じゃないんですが……」
「いえ、お気になさらず。街の問題を解決しようとする姿勢は素晴らしいものです。大半の方は人に任せて行動が出来ないものですよ。それを実践できるのは凄いことです」
ほれ見ろといった表情を作った支部長は、また副支部長に頭を叩かれた。
「あのねぇ……」
支部長を窘めようとして語気を強めた副支部長の言葉を見るに見かねた優が遮った。
「私は数日しか居ない予定ですが、良ければお手伝いしましょうか?」
あぁ、言ってしまった。反射的に出た言葉は不要な責任を肩に載せてくる。自分が誰に言われるでもなく誰かの手助けをするのは好きであったが、それは自分の行動に起因する責任からである。こう言った他人の期待を背負う責任は背負いたくないのが本音であった。それでも教義を信奉する優にとっては、他人の期待の有無は関係なく、自身にできる事であれば手を差し伸べようと心掛けていた結果、自然と安請け合いをしてしまっていた。
そこからは支部長に押される形で副支部長が言いくるめられ、自分から申し出てしまった優も断れるわけもなく巡回をすることになった。その中で取り付けた約束は巡回するのは夕方までで以降は警備の方に任せる事、もし見つけても深追いしない事。見つけた場合は情報共有をして整理した後、警備の方に伝える事の3つであった。
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