閑話 憧れの男


 その日。

 ユージンこと佐藤勇刃は、早朝から数年ぶりとなる友人の来訪に備えて、身支度を整えていた。

 前日にわざわざ美容院でカットしてもらった髪を、今となっては貴重な整髪料で整え、自慢の顎髭を丁寧に整える。

 それからパリッとアイロンの効いたシャツとジャケットを着れば、二十代後半ながらそれ以上の貫禄と渋さの滲む、ダンディなイケオジが鏡の中に映っていた。


「……なにアンタ、デートでも行くの?」


 鼻歌混じりに角度を変えて見栄えを確認していると、後ろからそんな声が掛けられた。

 鏡越しに後ろを見れば、そこには出会った頃と変わらぬ若さと美しさを保つ妻が、今年で五歳になる娘を抱きかかえ、呆れたような表情でこちらを見ていた。

 ユージンはニッと笑って振り返ると、最愛の妻と娘を抱きしめた。


「まさか、俺が愛するのはお前らだけさ。久しぶりに憧れの男と会うんだ。ちっとくらいおめかししねぇとな」


 佐藤勇刃という男にとって、北川歌麿という男は目標であり、憧れだった。

 出会った時は、自分とそう変わらぬ実力だったというのに、あれよあれよという間に冒険者として成長していった男。

 アンゴルモアが始まって再会した時は、人間としてもさらに成長しており、自分も故郷の人間も皆救ってくれた。

 年下でありながら余りにデカイその背中に追いつけるようユージンもここ数年ガムシャラに頑張ってきたつもりだ。

 成長すればするほど遠く感じるその背中だが、少しくらいは縮まったはず。

 今回は、それを確かめる絶好の機会だった。

 そんな浮かれ気味の夫に水を差すように、レイナが言う。


「久しぶりに会うって言っても、来るのは分身なんでしょ?」

「……まぁ、な」


 それに、ユージンも若干肩を落とす。

 来るのが本人ではなく、分身の巻物による分身というのは、彼としても思うところがあった。

 それも、それに同行させるのがカードですらなく、その眷属だというのなら猶更のこと。

 それが意味することが、こちらへの警戒の表れだということに気付かぬほど、ユージンも鈍感ではなかった。

 ……とはいえ、あちらの警戒もわかる。この島も、ここ数年で大きく変化した。それこそ、アンゴルモア前と今では、異世界と言っても過言ではないほどに。

 その変わりようは、ユージンたち島の人々ですら信じられないほどで、実際にその変化の様を見てきた自分たちでそうなのだから、それを知らない北川が警戒し慎重になるのも当然のことだ、とユージンは思っていた。


(あっちも、守るべき家族がいるんだからな……)


 もし無警戒でこの島に来て、自分の身に何かあったら、残された家族は……?

 万が一のことを考えれば、いくら慎重になっても慎重になりすぎるということはない。

 守る者がいるからこそ臆病になる気持ちは、妻子を得たユージンだからこそ、よく理解できた。


「ま、分身といっても記憶は統合されるんだ。ならやっぱ、オシャレしとかないとな」

「ハイハイ。ま、頑張って。次は北川くん自身に来てもらわなくちゃいけないんだから」

「おう」


 素っ気ない素振りで、しかし真剣な目をして言う妻に、ユージンも顔を引き締めて頷く。

 今、この島はいくつかの大きな問題を抱えていた。

 一つは、急増した迷宮とその主たちについて。

 小良ヶ島では、新しく迷宮が現れた際は、その迷宮の主の性質を見極め、その主が人類に対し友好的か無関心であった場合、『同盟』ないし『不可侵条約』を結ぶという方針をとっていた。

 迷宮の主は、迷宮の中にいる間に限り、迷宮に対する若干の管理権限と、迷宮内のモンスターに対する弱い命令権があるらしく、モンスターの階層間の移動を制限したり、迷宮の外へ出ることを禁止することが出来る。

 これをユージンらが知ったのは、新しく現れた迷宮を沈静化しに向かったところ迷宮の主の命乞いされた際のことで、それ以降新しく迷宮が現れた際には、その迷宮の主の性質をまず見極め、主が友好的ないしは無関心であった場合は、同盟か不可侵条約を結ぶ方針となった。

 これは、毎月のように沈静化していては、とてもではないがやってられないためである。

 幸い、こちらにはプロ冒険者のレイナや、ヘファイストスという強力なBランクカードがあったため、これまでは敵対的な迷宮主が現れた際は友好的か無関心な主が出るまでリセマラし、現れた迷宮のすべてと同盟か不可侵条約を結ぶことが出来ていた。

 状況が変わってきたのは、ここ数か月ほどのこと。

 それまでDランク以下の迷宮しかなかった小良ヶ島に、ついにCランク迷宮が現れた。

 幸いにして、その迷宮の主はかなり人類に友好的で、無事に同盟を結ぶことが出来たが、以降毎月のようにCランク迷宮が現れた。

 時には月に複数個現れることもあり、小良ヶ島は、あっという間に計八つものCランク迷宮を抱えることとなった。

 同盟を結んだ主の協力もあって無事に敵対的な主をリセマラし、同盟か不可侵条約を結ぶことに成功したユージンらであったが、気付いた時には人間と迷宮のパワーバランスは大きく崩れていた。

 元々、迷宮主たちの協力関係はこちら側が戦力として上回っていたから成立していた面があった。

 Dランク以下の迷宮の主では、いくら束で掛かろうがヘファイストスの敵ではない。

 中には、友好的な態度をとりつつ、内心では敵対的な主もいただろう。あるいは、最初は友好的であったが、次第に敵対になった者も。

 そんな中、Cランク迷宮の主が一気に八つも現れた。

 もはや、人間どもとの盟約など守る必要などないのでは? そう考える迷宮主たちが、不可侵条約を結んでいた迷宮主たちを中心に現れたのは、必然だった。

 もちろん、迷宮主たちがそれを明言することはない。……が、そう思っているであろう迷宮主が少なくない数いることは、雰囲気から察することができた。

 人間に友好的な主にしても、「上位存在としてか弱いこの生き物どもを守ってやろう」というスタンスであり、当然ながら人間に従属しているわけではない。

 盟約を守るも破るも、人外側の気分次第。

 すでに主導権は、人間から人外側に移っていた。


 問題は、何も内にだけあるわけではない。

 外からのソレも大きな問題であった。

 Cランク迷宮が現れ始めた頃から、ポツリポツリと他の地域から人が来るようになった。

 おそらく、時間差がある程度埋まったことによって、人の往来が可能になったのだろう。

 問題は、彼らが『良い隣人』ではなさそうなことであった。

 というのも、彼らは明らかに大きな集団に属しており、こちらの戦力や豊かさなどを偵察している素振りであったからだ。

 人格も粗野というか傲慢そのものであり、まるでこの地を植民地か何かのように勘違いしているかのような振舞いを見せる者すらいた。

 侵略者。その三文字が、誰もの頭に過った。

 仮にそうなのであれば、状況は極めて不利であった。

 なぜならば、それぞれの門と階段の仕様上、地域の往来は下り方面への一方通行となる。

 侵略者どもが、上り方面から来ている以上、攻めてくる敵を迎え撃つのが精々で、あちらの領地へと反撃することができない。ひたすら攻められ続けるしかないのだ。

 今のところ、あちらもまだ準備が整っていないのか武力衝突は起こっていないが、いずれ戦端が開かれるのは明らかであった。

 内憂外患。内の力を持ちすぎた人外たちに、外からの人間の侵略者たち……。

 北川歌麿から連絡が来たのは、そんな時のことだった。


「北川が、この島に戻ってきてくれれば、それだけで迷宮主たちへの大きな牽制になる。地域を超えた移動が可能な北川なら、戦争が起こった際に反撃も可能になる……」


 北川さえ戻ってさえ来てくれれば、一発ですべての問題が解決する。

 このタイミングでの帰還は、まさに救世主としか言いようがなかった。

 数年前の活躍は、島民たちの記憶にも新しく、特に彼が保護してきた避難民たちを中心に人気が高い。

 この危機的状況で、北川歌麿を『王』と戴くことに島民たちの抵抗は少なかった。


「ま、さすがにヘファイストスは返さなきゃいけないだろうけどね」

 

 レイナが肩を竦めて言う。


「元々は借り物だしな。返すのが筋だろ」

「ま、仕方ないか。……リアちゃんも大きくなってヘファイストスもだんだん言うこと聞かなくなってきたしね」


 七年の月日を経て、美幼女だったヴィクトリアちゃんも、立派な美少女となった。

 特に外国の血が入ったそのスタイルは、グラビアアイドルも顔負けで……当然の如くヘファイストス(ロリコン)の寵愛を失うこととなった。

 今は、幼いころから面倒を見てきたという情もあり、渋々言うことを聞いてはくれているが、近い内に言うことを聞かなくなるであろうことは明白であった。

 その前にユージンとレイナの娘、結奈(ユイナ)に継承すべきという意見もあったが、迷宮に潜らせるにはさすがに幼すぎるというのもあり、様子見をしている段階だ。

 ユージン夫妻の本音としては――ヴィクターの手前言い辛いが――娘を危険な立場に置きたくないというのもあり、ヘファイストスを返還することで娘を人柱に捧げずに済むのであれば、返還にも抵抗はなかった。


「ただ、返すなら返すで新しいカードは貰わないと」

「ああ」


 借りた物はちゃんと返す。返すが……ただ返すだけではこちらも戦力的に困る。

 そこで、この数年間で貯めた魔道具や魔石と交換する形で、なんとか新しいBランクカードを手に入れられないかと目論んでいるところだった。


「……せめてコイツがアンゴルモア前の価値があればなぁ」


 そう言いながらユージンは、手のひらの上で、紅い宝石……カーバンクルガーネットを転がす。

 数年前に現れた準シークレットダンジョン。Eランク迷宮で、一日一体のカーバンクルが現れるだけというショボいシークレットダンジョンではあるが、それでも数年の月日を経て、それなりの数のガーネットが溜まっていた。

 これがアンゴルモア前の価値を保っていれば、Bランクカードも買えただろうが……。


「まぁ、金色のガッカリ箱からそこそこアタリも出たし、塵も積もればで何らかのBランクカードと交換はしてもらえるんじゃない?」

「それを祈るしかないか」


 そこでレイナはニヤッと笑うと。


「ま、北川くんなら、今のリアちゃんがおねだりしたらポンとカードをくれそうだけど」


 それにユージンも「アイツ、おっぱい星人だからなぁ」と苦笑する。

 北川歌麿がおっぱい星人というのは、彼のカードの面々を見れば明らかであり、この島では半ば常識であった。


「っと、来たか」


 そこで、ユージンのカードギアにメッセージが届いた。

 それは、分身を送ったという北川からの連絡であった。


「じゃあ、そろそろ行くわ」

「ええ、頑張ってね」

「おしごとがんばってね」

「おう!」


 愛する妻子に見送られ、ユージンは島の命運を背負い、北川歌麿の分身の元へと向かうのだった。



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