第4話 人生で最も長い一日④

 

 アンナの言い方は、疑問形でありながら、まるで断罪するかのようであった。

 まるで空気が電気を帯びているかのような、ピリついた雰囲気。

 それに、俺は内心で嘆息した。


 さすがにこのまま、なあなあで済ますわけにはいかないか……。


 もはやこうなれば師匠がスパイを続ける意味もないが、だからといってスパイだったという過去が消えるわけではない。

 リーダーであるアンナとしては、決して見過ごせぬ点だろう。織部もすでに、身内判定を完全に解いた表情で師匠を見ていた。

 そんな二人の顔を見た師匠は一つ頷き、言った。


「そうだね……さすがに、国のスパイであることがバレた以上、このままここにいられないことは理解してるよ」

「別に出てく必要は無いだろ」


 俺は、咄嗟にそう言っていた。

 アンナがピクリとその細い眉を動かす。


「……国に色々と情報を流されるのは困るけど、それさえ止めてくれたら、貴重な戦力だし、このまま残ってくれると嬉しいんだが」


 スパイされていた身で我ながらお人よしだとは思うが、師匠がリンクを教えてくれていなければ、今の俺はいない。

 独学では、現時点でパーフェクトリンクを習得できていなかっただろうし、下手したら猟犬使いの襲撃の時に普通に死んでいた可能性もある。

 それらを抜きにしたって、俺よりもリンクの技量が高く万能型の師匠は、戦力として価値がある。

 シークレットリンクについても、自衛隊が頼りにならないとわかった今、秘匿し続ける義理もないはず。

 というか、俺の秘密を探っていた分、絶対に吐いてもらう。

 特に、ピーピングリンクとテレパスの応用については今後の生命線となり得る技術だからな。

 そんな強い決意を秘めた俺の言葉に、アンナは少し考え込むような素振りを見せ……。


「ふむ……ウチとしても、他の方々が良いのなら、残ってもらえると助かりますが。もちろん、スパイ行為は止めた上で……っスけど。小夜は?」

「……ふぅ。スパイされていた先輩がそれで良いと言うのだから、我から言うことはないな」


 俺とアンナが、師匠の残留を賛成した事で、織部も嘆息しつつ頷いた。


「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、やっぱり出ていくよ。スパイがいるとみんなも落ち着かないだろうしね」

「そうッスか。残念です」


 アンナが、さして残念そうじゃない感じで頷く。

 いや、気持ちはわかるが、もうちょい本腰入れて引き留めてくれ……。

 スパイだったとはいえ、シークレットリンクの唯一の情報源なんだから。

 俺が、師匠を引き留めようと口を開きかけた時、わずかに早く師匠が言った。


「……ただ、その代わりと言ってはなんだけど、僕の妹を受け入れてもらって良いかな?」

「妹……?」


 アンナが、コテンと首を傾げる。

 俺も内心で首を傾げた。

 師匠に妹がいたなんて初耳である。


「うん。四ツ星ではないけれど、それだけの実力を持つことは僕が保証するよ」


 俺は、そこでピンときた。

 おいおい、まさか……!


「もしかして……小鳥(ことり)ちゃんのこと?」

「うん」


 俺たちのやり取りを聞いたアンナが問いかけてくる。


「もしかして、先輩会った事あるんですか?」

「あ~、一応。師匠の……双子の妹さんだよ」

「……なるほど」


 アンナが、師匠へと問いかける。


「一応確認させてもらいますが、その妹さんとやらも国からのスパイじゃないッスよね?」

「ああ、それは安心してほしい。妹は、国とは完全に無関係だ。今後スパイになることもない。断言する」

「……『そういうこと』なら、ウチとしては構いません。小夜は?」

「……ああ、我も、『そういうこと』なら構わない」


 二人は、どこか呆れたように頷いた。

 ……すでに二人も察しているようだが、小鳥ちゃんなんて人物は存在しない。

 その正体は、性転換薬ことテイレシアースの薬を服用した師匠である。

 師匠は、性別を変えてこれまでの身元を捨て去ることで、国との縁を切ると暗に言っているのだ。

 ……と二人はきっと思っているのだろうが、実は違う。


 師匠は、この機会に自分の性癖を満たそうとしているだけである。


 実は、師匠には、隠れた性癖があった。

 性転換願望。女体化して着飾ったり……女体の神秘を探るという性癖が。

 言っておくが、師匠の精神的な性別は男だし、性的対象も女だ。別に、悲しい過去があって、それで心が歪んでしまったなんてこともない。


 百パーセント性癖。師匠は、単に女になった自分の姿が好きなだけなのだ。


 一種のナルシシズムとでも言うのだろうか。師匠曰く、理想の異性が女体化した自分だっただけ、とのこと。

 俺がそれを知ったのは、リンクの修行をしていた頃の話で、休憩中に蓮華とTSモノのギャグ漫画を読んでいたところ、突然暴露されたのだ。

 以降、師匠は俺と二人きりの時は、時々テイレシアースの薬を飲んでくるようになった。

 まあ、性癖については人それぞれである。

 俺たちは、それを生暖かい目で見守ることにした。

 ちなみに、俺が以前師匠に渡した薬もテイレシアースの薬である。

 師匠は、すでに完全性転換分の薬を集め終えているのだが、それはそれとして遊ぶ分のテイレシアースの薬を常に必要としているので、トレードしたというわけだ。

 高校を卒業したらこれまでの姿を捨てて、戸籍も書き換えるつもりとは聞いていたが、この機会に計画を早めることにしたらしい。

 なお、師匠のお姉さんは当然この性癖を知っており、それを心底気持ち悪いと思っているらしく、二人の仲はかなりドライである。


「ああ、それと、妹のデッキ構成は僕と似通ってるけど、偶然だから気にしないで」


 平然とそう言う師匠に、後輩女子二人も呆れたように嘆息する。


「ああ、はい、そうッスか。わかりました」

「……仮に同じ容姿で同名の名づけをしたカードがあっても気にしないことにするよ」


 開き直った変態はつえーな、とそれを眺めていると……。


「ッ……!?」

「どうかしましたか、先輩?」


 微かに息を漏らし、顔色を変えた俺に、アンナが目敏(めざと)く気づく。


「……迷宮からモンスターが出てき始めた」


 マイラの背に乗るイライザの眼からは、ダンジョンマートを破壊しながら路上に溢れだすモンスターたちの姿が映っていた。

 幸い、人々も粗方近くの避難所や自宅の地下に避難済みなのか、人の姿は路上に見えないが……。

 その時、ちょうどマイラの霊格再帰が解けた。

 ってことは、アンゴルモアが始まって約四時間経ったってことか。予定よりもちょっとモンスターが溢れ出すのが早い。

 空から見渡す限り、まだそんなにモンスターが溢れてる様子は見られないから、たぶんこの迷宮が早かっただけなのだろうが……。


「そうですか……モンスターが溢れ出したなら、CランクやBランクが地上へ出てくるのもそう遠くなさそうですね」


 いくら避難所に避難していようと、そこに配備されているカードは精々がCランク数枚とDランクがいくらか。Cランクが地上に溢れ出したら到底抵抗できるものではないし、Bランクは言うまでもない。

 避難している人たちの中に三ツ星やプロが混じっていれば、多少は生存率も上がるだろうが……。


「……モンスターの氾濫が始まった以上、長々と会議をしている時間もありませんか。せいぜい後一つや二つ程度ですが、何かありますか?」


 そう言って、アンナは意味ありげに俺を見てきた。

 ……そうだな、言うならこのタイミングしかないか。


「実は、みんなに秘密にしていたことがある」


 ……といっても、もはや知らないのは織部くらいだが。

 アンナには自分で話したし、師匠は自力で探り当てたからな。

 そう思いながら師匠をチラリと見ると、コクリと頷き返してきた。


「……そうだね。これ以上は、スパイだった僕はここにいない方が良いだろう。それじゃあ、妹が到着したらよろしく頼むよ」


 そう言って、師匠は部室を出ていった。

 いや、そういうつもりで見たんじゃないんだが……まあ、いいや。ここにいられるとややこしいのは事実だ。

 俺は気を取り直すと、主に織部へと向けて俺の秘密を話した。


 ――――蓮華の持つ、運命操作の能力について。ガーネットの真の能力。それを使って、宝籤カードを使ってBランクカードを得て、アンゴルモアに向けて準備を整えてきたこと。そして、アンナにだけは事前に話して、ガーネットの裏での買い取りを協力して貰ってきたこと。


「……………………」


 織部はそれを腕組して黙って聞いていたが、途中から指で二の腕を叩き、あからさまにイライラとし出した。

 やがてすべてを聞き終わると……。


「いろいろと聞きたいことはあるが……なぜアンナにだけ話したんだ?」

「それは……正直、師匠のことを内心では疑っていたからだ。だが、それを認めたくはなかった……だから、だな」

「ふん……」


 アンナと小夜だけに話せば、師匠にだけ話さないことになる……。それは、内心では師匠をスパイと断定したも同然となる。俺は、それを精神的に避けたのだ。

 故に、リーダーであり、ガーネットを得るためにどうしても必要となるアンナにだけ話すことにしたのだ。

 まあ、結局師匠はスパイで、こうして織部にだけ不義理をする形となってしまったのだが……。


「つまり、知らなかったのは私だけってことですか、そーですか」


 うわー、めっちゃ露骨に拗ねてる……。

 いつもの中二口調を投げ捨て、普通の女の子口調になるくらい、思いっきり織部はわかりやすく拗ねていた。

 彼女には申し訳ないが、ちょっとかわいいな……と思ってると。


「てゆーか、先輩の理屈はわかるけど、アンナはさあ、私に話せたんじゃない?」

「えっ!?」


 突然矛先を向けられ、アンナが動揺する。


「先輩は自分の師匠だからスパイと認めがたかったんだろうけどさあ、アンナは神無月先輩のこと疑ってたでしょ? ぶっちゃけ私も怪しいと思ってたし、アンナも当然そうだったんでしょ? じゃあ、裏ではこっそり話しても良かったんじゃない? そうでしょ?」

「えーっと、それはぁ~……ホラ、やっぱり人の秘密を勝手に話すのは問題だし……」

「ふーん、ほー、へぇ、なるほど……どーだか!!」


 部屋に気まずい沈黙が落ちる。

 織部はむっつりと黙り込み、俺とアンナは冷や汗を浮かべながら何も言えなかった。

 無言の室内に、織部が机を指で叩く音だけが響いている……。


「……先輩」

「はい!」


 なぜか敬語で答えてしまう俺。

 織部は、まるで刑事のように鋭い目で、しかしどこか不安そうに俺へ問いかけてくる。


「アンナに話したのは、アンナがリーダーで、ガーネットを手に入れるために必要だったから……だけなんですよね?」

「あ、ああ。そうだ」

「二人の間に、他に秘密はもうありませんね?」

「ああ、ない。……あ!」

「……なんです? 他にも何か秘密が?」

「あー、いや、アンナとの秘密というか……最悪の場合、アンナの親父さんから、娘を連れて逃げるようにって避難所を一つ任されてる」


 あまり言い触らさないようにしてほしいとは言われていたが、織部には言っても構わないだろう。


「……ああ、十七夜月のおじさんとあった時の話ですか。なるほど……おじさんのやりそうなことです」

「そ、そうだ。あとはもう、ホントそれだけ」

「ふぅん……一応聞きますが、先輩とアンナだけの最後の逃げ場じゃないですよね? それ、私……と家族も連れて行ってもらえるんですよね?」

「ああ、それはもちろんだ。約束する」


 俺がまっすぐ織部を見つめて断言すると、彼女はようやく納得したように頷き。


「……ま、そういうことなら我から言うことはない。軽々に言える秘密でないのも確かだしな」


 いつもの口調に戻ってくれた。

 俺もアンナも、ホッと胸を撫でおろす。


「だが……次からは、我だけ仲間外れというのは止めてくれ。傷つく……」

「わかった約束する」

「うん。これからはもうあんまり隠すようなこともないしね」


 ……ふぅ、しかしこれでなんだか肩の重荷が全部降りた気分だ。

 色々とあったが、ちゃんと秘密を話せてよかった。


「それで、宝籤のカードで出したBランクで、アンゴルモア用のカードを買ったと言っていたが、それは何を買ったんだ?」

「ああ、これだ」


 俺はヘスペリデスのカードを取りだすと彼女へと見せた。


「……ほう、異界クラスの異空間型カードか。なるほど、良いカードだ。これなら内部の容量も問題ないし、食料問題も解決する。侵入者は黄金のリンゴへと向かっていくから住民の安全の確保も簡単だし、アンゴルモア向けのカードだな」

「だろ?」

「異界クラスのカードがあるならば、そろそろ生徒たちを避難させた方が良いのではないか? 今は縄張りの主の効果で弱いモンスターは近づいてこないが、いずれ強いモンスターが引き寄せられてくるわけだろう?」

「ああ、そうだな。その通りだ」


 俺はそのままヘスペリデスを召喚しようとして、思いとどまった。

 待てよ……異空間型カードは、外部にカードを派遣したり、マスター自身が外部に出ている場合は、空間を隔離できず、誰でも出入り自由となってしまう。

 今現在、親父を迎えに行くためにイライザたちを派遣している以上、ヘスペリデスの園を展開してもあまり意味がない。

 それに、俺たち冒険者部員は、今後も外部での活動が多くなる可能性が高いだろう。

 諸々の事情を考えるなら、ヘスペリデスの運用は、むしろ……。


「あのさ、ちょっとお袋に会いに行って良いかな」

「うん? ああ、そういうことッスか。了解ッス」

「なるほど、確かに我々が使うよりも、ずっと内部にいる人間が使った方が良いだろうな。先輩の家族なら信用もできるし」


 二人は、俺が説明するまでもなく俺の意図を読んで頷いてくれた。

 こういう時、頭の回転が速い人間は話が早くて助かる。


「んじゃ、ちょっとお袋のところへ行ってくるわ」

「了解ッス」


 部屋の片隅置かれた壺へと向かう。

 壺に触れ、数秒ほど立つと入場の許可が出たようで、俺は中へ吸い込まれていった。

 内部は伝承通り、中華風の豪奢な建物となっており、奥からは美味しそう料理の匂いが漂ってくる。

 玄関先で待っていると、真っ白い髭を伸ばした仙人風の老人が出迎えにやってきた。


「主のご家族の方ですな? ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ」

「ありがとう」


 壺中之天の核らしき老人に案内され、お袋たちが待つ部屋へと向かう。

 やがて部屋へと到着すると、そこではお袋たちと織部の家族たちが談笑していた。

 祖父母らしき二組のご年配の夫婦が二組。織部の両親らしき夫妻と、おばらしき中年の女性が一人。織部の姉妹か従妹かはわからないが、大学生くらいの美人と中学生くらいの美少女が一人ずつ。

 織部は、付き合いのある親族を全員連れてきたらしい。


「ホント、お宅の息子さんはご立派で羨ましいわあ。アンゴルモアに備えてこんな立派なカードまで用意してるなんて!」

「いえいえ、そんな……織部さんの方でも異空間型カードの用意はされていらしたんでしょう?」

「まあ、一応。ただ、娘の趣味なのか、薄気味悪くてあまり長居したいところではありませんでしたね。なんか幽霊でも出そうで……。それに比べて、ここは実に居心地が良い。料理もおいしいし、お酒もありますしね」

「それでも、ご家族のために異空間型カードを用意してくれるなんてお優しい娘さんじゃないですか」

「ハハハ。そうですね。家族想いで優しい、自慢の娘です」

「ウチの娘、家ではよく歌麿くんのことを話すんですよ~。あれは間違いなく惚れてますね」

「まあ……! ホントに!?」


 うわー……めっちゃ入り辛い話してる。勘弁してくれよ……。

 と俺が部屋の入口で立ち往生していると、子供たちのグループの方で話していた愛がこちらに気づいてしまった。


「あ、お兄ちゃん!」


 その瞬間、全員の視線が俺へと集中する。

 俺は、なぜか体育館でみんなの前で話した時以上の圧力を感じ、背中に汗を流した。


「どうぞー」

「あ、どうも」


 大学生くらいのお姉さんが、お袋たちが話しているテーブルの、空いている椅子を引いてくれたので、仕方なくそちらへ座る。

 近くで見てみると、大学生くらいのお姉さんも、中学生くらいの娘も、顔立ちが織部に良く似ていた。違いはその胸元のボリュームで、二人はかなり豊満であった。……これは、従妹だな(確信)。

 俺が席へとつくと、開口一番お袋が問いかけてくる。


「歌麿、お父さんは?」

「今、イライザとマイラを向かわせてる。そろそろ到着する頃だと思う」

「……そう。あ、こちら織部さんのご家族」

「初めまして。北川歌麿と申します。娘さんには、いつも同じ部活でお世話になっております」

「初めまして、小夜の父です。こちらこそ、いつも娘がお世話になって、ありがとうございます」


 続いて、織部母、祖父母、そしてお姉さんと妹(まさかの姉妹だった……)と挨拶を交わす。

 とりあえず社交辞令的やり取りを終えると、俺は本題へ入った。


「お袋、ちょっと良いかな」


 首を傾げるお袋を通路へと連れ出すと、俺は言った。


「ちょっとお袋にお願いがあってさ」

「なにかしら」


 俺はヘスペリデスのカードを渡し、このカードがこの壺中之天よりも大規模な異空間型カードであること、そのマスターになってほしい旨を伝えた。


「ええ……? ちょっと困るわよ。値段は知らないけど、これってすごく高いカードなんでしょ?」


 話を聞いたお袋は、当然のごとく困惑した。


「まあ、ぶっちゃけクソ高い。それだけに信用できる人にしか預けらんないんだよ」

「うーん、歌麿がそのまま使ってのは無理なの? その方が色々と安全じゃない?」

「マスターが外に出てたり、カードを外部に派遣している間は、空間の隔離ができなくなるんだよ。俺は今後も外部で活動する必要があるからさ」

「うーん……それも親としては止めて欲しいんだけど、もう私の言えることじゃないわね……わかった預かっておく」

「よろしく。使い方についてなんだけど……」


 俺が、ヘスペリデスの具体的な運用方法について説明しようとしたその時。


 

『ピ……ガガッーー! ……ガガガッ!』


 突然の異音。その発生源は……俺の腕に着いているカードギアだった。

 なんだこれ……?

 これが、こんな挙動をするのを見るのは初めてだ。

 異空間型の中にいるから電波? 的なモノが届きづらいのだろうか? いや、でも今は空間隔離もされてないしな……。


「ごめん、ちょっと外に出てくる。とりあえずカードのマスター登録だけしておいて」

「あ、うん」


 ひとまずヘスペリデスのカードだけは渡し、壺中之天の外へと出る。

 すると……。


『……ろ! 歌麿……!』

「親父!?」


 いつになく切羽詰まった親父の声が聞こえてきた。


「親父!? どうした!? 何があった!?」

『――――ブツッ!』


 カードギアへと呼びかけるも、今度はうんともすんとも言わなくなってしまった。


「先輩、どうしました!?」


 俺の様子を見て異変を悟ったアンナたちが駆け寄ってくる。


「わからん! 親父になんかトラブルがあったらしい」


 イライザたちは……池袋駅が見えたところか!

 そこまで来たなら十分だ。適当なビルの屋上に降りてもらい、転移で迎えに来てもらう。


『ユウキ、オードリー! 今すぐ俺のところへ来てくれ!』


 リンクで別行動させていた二名を呼び出しつつ、俺はアンナたちへと言った。


「ちょっと親父のところへ行ってくる。すまんが、カードは全部連れて行くぞ。ヘスペリデスの運用方法については、アンナたちの方からお袋に伝えておいてくれ」

「了解ッス。お気を付けて」

「お義母さんたちについては任せてくれ」

「ああ……!」


 部室へ駈け込んできたユウキたちと共に窓から校庭へと飛び降りると、ちょうどイライザたちが転移してくるところだった。

 転移のゲートが消える前に、皆と池袋へと飛ぶ。


『……歌麿!』


 池袋駅が見えるビルの屋上へ到着すると同時に、途絶えていた親父との通信が繋がった。


「親父! 無事か!?」

『は!? 何言ってるんだ? お前の方こそ大丈夫なのか?』

「は? な、なにが?」

『なにが……って。助けてくれ(・・・・・)って連絡してきたのはお前の方だろう!?』


 ――――ゾワリと全身の毛が逆立った。


 とっさに鈴鹿を召喚し、親父へと呼びかける。


「親父、今言ったのはすべて本当か!?」

『あ、ああ、本当だ』

「マスター! 嘘じゃない!」


 まずい……! これは、罠だ……!


「イライザ……!」


 バッと振り返った俺の眼に映ったのは、彼女の持つハーメルンの笛が黒く染まっていく姿。

 いくら息を吹き込もうと、かすかな音すら漏れない。


「これは……!」


 そこで、追い打ちをかけるようにアンナからの通信が届く。


『先輩! 今、ピエロみたいなモンスターが来て、妹さんを! ――――歌麿! 愛が、愛がッ! ――――ちょ、お母さん、落ち着いて!』


 アンナとの通話が切れ、続いて重野さんからの着信が届く。

 反射的にそれに出ると。


『北川さん! 今、良いですか!? お預かりした小学校の子供たちが、攫われました! 目撃した職員曰く、イレギュラーエンカウントが現れたと! 大変申し訳ございません!』

「マスター、両方とも本当!」

「くっ……!」


 ガリッと奥歯をかみ砕く。


「やら、れた……!」


 やられた! やられた!! やられた!!!!!

 ここでッ! このタイミングでッ! ここまでやるか……ッ!?

 アンゴルモアが始まったら地上でも使えるようにして、散々活用させ、こちらを油断させたところで、笛を使えなくする。

 すべては、俺が大切にする者たちを確実に攫い、俺に恐怖と焦燥感を与えるため……!

 その瞬間、俺は、あの道化師の嘲笑を確かに聞いた。

 クソったれ……!


「マスター!」


 イライザの声にそちらを見ると、笛が血のように紅い光の糸を彼方へと伸ばしていた。

 あっちは、八王子のある方。

 子供たちを救いたければ、やってこいということか……!

 一瞬これも罠かとも思ったが、直感的にこれ自体は罠ではないと感じた。

 相手の目的が俺の再戦ならば、決闘の地に嘘はつかないはず。

 むしろ、その場自体が罠であることを警戒すべきだった。


「マイラ、これを使え!」

「これは……!」


 俺が渡した物、それは大粒のダイヤの原石……ヴィーヴィルダイヤだった。

 霊格再帰の時間を使い切ってしまったマイラだが、新たな霊格再帰を得れば一時間分の変身時間を追加で得ることができる。

 つまり、一時間だけだが、再びワイバーンに変身できるということだ。

 俺が投げ渡した物を見たマイラが、それをすぐさまかみ砕く。

 ドラゴネット形態だったマイラの身体が光に包まれ、そのシルエットがどんどん大きくなっていく。

 やがて光が消えた時、そこには美女の上半身と飛竜の下半身を持った半人半竜の姿となったマイラの姿があった。


【種族】ヴィーヴィル(マイラ)

【戦闘力】945(初期戦闘力400+成長分195+霊格再帰分50×5+ヴィーヴィルダイヤ分100)

【先天技能】

 ・宝竜玉:生命力と魔力を生み出し貯蓄する宝竜の心臓。

 ・宝竜鱗:極めて頑丈な竜の鎧。魔法攻撃に対する極めて高い耐性を持つが、物理攻撃にやや弱い。

 ・宝竜息:竜の代名詞とも言える技。魔法をブレスとして吐き出すことで、魔法の威力を強化し、詠唱無しで放つことができる。二種の魔法を同時に織り込むことができる。

 ・破鏡再び照らさず:戦闘力が減少するがメイド等のスキルを内包する人間体と、戦闘力が上昇する半人半竜の形態に変身することができる。額の宝石は、一日に一撃だけありとあらゆる攻撃を反射する効果を持ち、人間形態ではペンダントとして他者に貸し出すことも可能。メイド、中級収納スキルを内包。


【後天技能】

 ・霊格再帰

 ・滅私奉公 

 ・初等魔法使い→中等魔法使い

 ・新米メイド→先天スキルに統合

 ・戦術

 ・ヴィーヴィルの瞳(NEW!):一日に一撃だけありとあらゆる攻撃を反射することができる。戦闘力が常時100上昇する。


 ヴィーヴィルとなったマイラの人間部分は、アッシュゴールドの髪をショートカットにし軍服っぽい衣装に身を包んだ、切れ長の蒼眼がクールな美女という、なんとなく彼女に抱いていたイメージ通りの容姿だった。

 いつもならば新たな形態をもう少し観察しているところだが、今は時間がない。

 すぐさまワイバーン形態へと切り替えてもらい、その背に皆で乗り込む。


「行くぞ! 光が指し示す方へと飛べ!」


 光の方へと一直線に飛ぶマイラの背で、俺はイライザに抱えて貰いながらドレスを召喚した。

 現れたのは、優美な女性型のデュラハン……ではなく、冷たいほどの美貌を持つ黒髪の女神ネヴァン。


【種族】ネヴァン (ドレス)

【戦闘力】2000(400UP!)

【先天技能】

 ・死と勝利の戦女神

 ・三相女神

 ・破壊と殺戮と勝利の宴

 ・毒のある女


【後天技能】

 ・精密動作→メイドマスターに統合。

 ・七転八起

 ・不屈の精神

 ・剣術→高等忍術に統合。

 ・武術→高等忍術に統合。

 ・神のプライド→消滅。

 ・眷属強化

 ・遠見の術

 ・メイドマスター

 ・限界突破

 ・高等忍術


「ドレス! 早速で悪いが、マイラに装備化を!」

「了解でーす!」


 ネヴァンとなったドレスは、その冷たい美貌には似つかわしくないほどの愛想の良さで敬礼すると、マイラへと祝福を掛けた。

 一気に2000も戦闘力が上昇したマイラの飛行速度がグンと加速する。

 もはや眼を開けていられないほどの風圧だが、そこへさらにドレスとマイラの双方へとレベルアップの魔法を蓮華に掛けてもらう。

 これで、マイラの合計戦闘力は、約5000となった。

 イライザに抱えて貰わなければ吹き飛ばされそうなほどの速度に、これならあっという間に到達するな、とわずかながら安堵した……その時。


 ――――バキンという不吉な音が、どこからか鳴り響いた。


 なんだ? と俺が疑問に思うよりも前に。


『ッ!? マスター!?』


 急停止の衝撃が、全身を襲った。

 投げ出されないように黄金の手綱を握りしめながら、マイラの眼を通して前を見れば、突如現れた空間の歪みが、俺たちを飲み込もうとしていた。

 その大きさは、視界全体を埋め尽くすほどで、とっさに避けることも叶わず、俺たちは空間の歪みに為すすべもなく飲み込まれた。


「こ、ここは……?」


 まず感じたのは、潮の香り。

 続いて目に飛び込んできたのは、夕日に照らされた砂浜と、少しだけ濁った黒っぽい海。そしてポツリポツリと立った廃墟のような家屋。周囲には、うっすらと煙のような霧が漂っていた。


「漁村……か?」


 何らかの異空間型カードに飲み込まれ……いや、待て、それはおかしい!

 これほどの広い空間を持った異空間型ともなると、確実にBランク以上。Bランクモンスターが迷宮外に溢れだすには、さすがに早すぎる!

 俺は、カードギアでアンナたちに連絡を取ろうとしたが、連絡できなかった。

 こ、これは……!


「い、イレギュラーエンカウントかッ!」


 こ、ここで……。一刻も早く愛のところへ行かなければならないこのタイミングで……!

 こんな『不幸』が……。

 絶望が俺の心を覆っていき、ぐにゃりと視界が歪む。

 視線を落とした俺の眼にカードホルダーが映った。

 半ば無意識に、カード化したホープダイヤを取り出す。

 カードに描かれたダイヤは、見事に砕け散っていた……。


「……歌麿、悪い知らせだ。今さっき、急激に因果律の歪みが膨れ上がって……そして、消えた」

「ハハ……」


 乾いた笑い声が漏れた。

 そうか……これが、ホープダイヤの真の効果か。

 もたらした幸運の分だけ、因果律の歪みを内部に蓄積し、ここぞというタイミングでそれを解放する……。

 持ち主を必ず破滅と言われる、呪われたダイヤ。それを甘く見たツケが、これか……。



『――――顔を上げなさい! 歌麿!』



 殴りつけるような厳しい声が、俺の心を叩いた。

 ハッと顔を上げると、そこには険しい顔をしたアテナのビジョンが目の前に浮かんでいた。


『英雄が簡単に諦めるな、この愚か者が!』

「アテナ……」

『貴方が諦めたら、貴方の助けを求める人々は、愛は一体どうなるというのですか!』

「ッ……!」


 そうだ、その通りだ! 俺以外に、愛たちを救える人間はいないのだ! こんなところで膝をついている暇はない。

 心のどこかで、ガチン! と強烈にスイッチが切り替わった。

 事ここに至ってもふわふわと定まっていなかった自分の在り方が、いま確かに定まった。

 家族を、大切な人たちを守る。このアンゴルモアで、誰一人失わせたりしない。この手が届く範囲の全員を、理不尽から守り切ってやる。

 それを邪魔する敵は、皆殺しだ……!


『そう、それでよい。それでこそ、妾の英雄に相応しい』


 俺の顔をみたアテナが、満足そうに微笑む。

 それは、まさに英雄を導く女神の笑み、そのものだった。

 それに、思わず見惚れていると――――。


「……ああ、クソッ。完全に先に言われちまった!」


 ガリガリと頭を掻きながら蓮華が言った。

 今までになく悔し気な顔をする彼女を、ここぞとばかりに鈴鹿が煽る。


『ぷぷぷ、いつも偉そうにしてる癖に、一番良いところを持ってかれてワロター! クソガキざまぁ!』

「うるせー! だが、まあ、アテナの言う通りだ。最後まで諦めない者だけが、幸運をつかむ資格がある」

「そう、だな」


 俺は、かつて蓮華の霊格再帰を発見した時のことを思い返しながら頷いた。

 あの時、みっともなく足掻きに足掻いたからこそ、今の俺たちがある。

 ならば、今回も全力で、最後まで足掻くとしよう。


「それで、これからどうする?」


 蓮華の問いかけに、俺は地上を見渡した。

 まずは、敵の正体を見抜かなければ……。


「マスター、あそこに倒れている人が」

「なにッ?」


 イライザの視線を借りて見てみると、家の影から一本の腕が伸びていた。

 白いスーツに、金の腕時計……モンスターじゃない、人間だ!

 慌ててマイラを着陸させ、念のためにレギュラーメンバーたちを全員呼び出した上で慎重に近寄っていく。

 イライザが罠の有無を確認しながら倒れた人の腕を取り、こちらを見て首を振った。

 手遅れだったか。しかし、この死体……妙だ。

 最初は、スーツのデザインやイケイケな腕時計からそれなりに若い人だと思っていた。髪もロン毛で、金髪に染めているから、最初はホストかとも。

 だが、実際に間近で見てみると、その手はかなり皺くちゃで、明らかに老人のそれだった。

 お年を召した方でもイケイケな格好をする人はたまにいるが、さすがにこの格好はチグハグ過ぎた。

 それに、死因も気になるところだ。パッと見、外傷もなく、付近に流血の後もない。

 まるでここでぽっくり寿命が尽きたかのような……。

 漁村のフィールド、外傷もなく行き倒れた老人の死体、そしてイレギュラーエンカウント。

 俺の背筋に、悪寒が走った。半ば確信に近い、嫌な予感。

 イライザに老人の死体を仰向けにしてもらい、その懐を漁ってもらう。

 目的の物はすぐに見つかった。


「孔雀院(くじゃくいん) 綺羅(きら)……21歳」


 ホストクラブと思わしきその名刺には、二十歳ほどの若い男性の顔が印刷されていた。

 その髪型と服装は、間違いなく目の前の死体と同じもので……。


「確定、だな」


 蓮華がポツリと呟いた。

 俺は頷く。


「ああ、間違いない。――――浦島太郎だ」


 それは、日本人なら誰もが知る昔話の主人公にして、全冒険者に最も恐れられている最悪の敵の名だった。

 恐れられる理由は、単なる強さからではない。

 全イレギュラーエンカウント中、浦島太郎だけが持つある特性にあった。


 ――――分速一年の老化。浦島太郎の残酷な結末を再現した、このイレギュラーエンカウントが強制する【ルール】。


 故に、その効果は、カードのバリアでも防げない。




【Tips】装備化のタイプ

 マスターや他のカードに自身の戦闘力やスキルを加算することができるスキルを装備化スキルと呼ぶ。

 一口に装備化スキルと言ってもその性質によっていくつかタイプがあり、タイプが異なれば同じ対象に同時に装備化できる。

 装備化のタイプとしては、装備化スキルの八割以上を占める最もポピュラーな憑依型、本体と装備化対象が別行動可能な祝福型、物品に憑依し同タイプとも同時に装備化可能な物品憑依型、強力な代わりに重いデメリットのある呪い型などがあり、後者になるにつれ希少となる。

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