第3話 人生で最も長い一日③

 

 小学校を飛び立った俺は、いつ回収の連絡が来てもすぐに迎えに行けるよう、線路沿いに飛んで転移できる場所を増やすことにした。

 立川や八王子の周辺は、転移からすぐに飛んでいけるので、東京方面へと向かって中央線沿いに進んでいく。

 これは、親父の職場にも近づくことになるので、一石二鳥であった。

 そうして、三鷹辺りまで到達したところで、さっそく家族の回収を終えた班が現れた。

 それは、やはりというかなんというか、小野率いる八王子駅班であった。

 八王子駅班は、高校のある立川に近いこともあって、他の駅と比べても生徒数は多めである。にもかかわらず、より近くて生徒数も少ない日野などの班よりも早いのは大したものだった。きっと小野がケツを叩いて急がせたのだろう。

 すぐに八王子駅に転移すると、大分避難も進んだようで、地面が見えないほどだった群衆は、目に見えて減っていた。それでもまだ結構な人が残っていたが、特に混乱している様子は見られない。

 そんな避難する人々の列から少し離れたところで、小野達がこちらへ手を振っているのが見えた。


「ヨッ、さすがだな、お前の班が一番目だぞ」

「へっ、当然」


 ドヤ顔で胸を張る小野の後ろには、リュックサック一つ背負っただけの生徒の家族たちの姿が見えた。

 きっと、半ば脅すようにして、ろくに準備する間も与えずに、緊急時のバック一つだけ掴ませて避難させてきたのだろう。……それで、正解だ。

 そこへ、四之宮さんが小走りに駆け寄ってくる。


「マロ、ちょっと良い?」

「四之宮さん。どうしたの?」

「うん……静歌のことなんだけど」


 俺は、そこで避難してきた人たちの中に牛倉さんの姿が見えないことに気づいた。

 ……そうか、ギルドの方に行ったのか。まあ、普通に考えてそっちの方が安全だろうしな。

 こちらが迎えに行くまでにタイムラグもあった。残念だが、仕方ないか……。

 そう考えていると。


「あのね、ウチが静歌の家に行ったら、誰もいなくて……」


 四之宮さんが、妙に深刻そうな顔で言った。


「……? 普通にギルドにすでに避難してたんじゃ?」

「ウチも最初はそう思ったんだけど、念のため玄関開けてみたら鍵がかかってなくて、中にコレが……」


 そう言いながら、四之宮さんがポケットから取り出したものを見て、俺の顔も思わず険しくなる。

 それは、星母の会のロザリオだった。


「これは……」

「それと、これも……」


 続いて渡されたのは、少しだけ厚みのある封筒。中を覗くと、そこには俺が四之宮さんを通じて渡すように頼んだDランクカードが入っていた。

 一緒に入っていたメモを見ると「せっかくの厚意なのに、ごめんなさい。このカードは私には必要ないのでお返しします」と、書いてあった。

 しっかりとした楷書体の文字。習字をやっているためか少しばかり女の子らしくないこの達筆は、間違いなく牛倉さんの筆跡だった。


「静歌が星母の会に入信してたなんて初めて知ったし、なんで言ってくれなかったんだろうと思って……」

「……………………」


 クダンの予言の発表以来、星母の会は急速にその規模を拡大していた。

 それは、政府に先駆けて予言の発表を行ったことも大きかったが、最大の理由は彼らの持つシェルターと防衛力にあった。

 ギルドのシェルターも、すべての人を収容できるわけではない。この八王子にしても、人口50万人に対して、シェルターの最大収容人数はわずか10万人。一時的に詰め込むだけならその三倍くらいは入れられるかもしれないが、それでもすべての住人を受け入れられるわけではない。

 椅子取りゲームに敗れた場合、自宅かギルド以外の避難所で自衛隊の救助を待つことになるわけだが、誰もがシェルター付きの家に住んでいるわけでもなく、ギルド以外の避難所は防衛力に不安がある。

 そこで、人々が眼を付けたのが、常日頃から星母の会が宣伝していた信者用の巨大シェルターだった。


 星母の会は、かねてからアンゴルモアに備えて巨大シェルターを建設しており、最大百万人を収容できるシェルターを全国にいくつも所有していることを宣伝していた。

 防衛力に関しても会が所有するカードをHP上で広く公開しており、軍勢召喚持ちや異界クラスのカードも豊富で、異空間型カードも含めればその収容力は、ギルドのシェルターにも匹敵すると言われていた。

 ギルドも異空間型カードくらい所有しているだろうが、どのカードをどれくらい持っているかは公開していないため、そのキャパシティーはどうしても不透明となる。

 そのため保険的に星母の会へと入信するケースが増えていた。

 だが、誰でも入れるギルドのシェルターに対し、星母の会のシェルターは当然信者のみであり、また信仰の度合いによって中での待遇も異なる。


 信仰の度合い……すなわち星母の会への貢献度である。


 貢献度は、寄進という形である程度は金で買えるのだが、一定以上のランクに上がるためにはお金以外の方法で会へと貢献しなくてはならない。

 その中でもっとも貢献度が高いとされているのが、家族の教化であった。

 最近は、家も土地も全財産を星母の会に寄付した挙句、家族すらも会へと売り飛ばす――というと些か悪意的すぎる表現かもしれないが――熱心すぎる信者が問題視されており、ネット上では「ついにカルト宗教が本性をあらわしてきた!」と話題になっていた。


 牛倉さんの家も、そうやって一家ごと入信してしまったのだろうか。

 星母の会シェルターなら、自宅のシェルターに籠るよりよほど安全ではあるだろうが……。

 それにしても親友である四之宮さんにすら何も言わないなんて……。

 そんな思いがぐるぐると頭の中をめぐり、暗い顔をする四之宮さんに何の言葉も掛けてやれないでいると……。


「……おい、いつになったら避難するんだ!? こっちは取るモノも取らずに急かされてきたんだぞ!」


 小野の後ろの方にいた偉そうなおっさんが、そう金切声を上げた。

 それにかなりイラッとしたものの、実際のんびりとしている時間もないのは確かだった。

 仕方ない……。かなり気になるが、話はあとだ。


「ごめん、とりあえず先に送るよ。詳しい話はそのあとで」

「うん……」


 ひとまず、小野たち八王子班を学校へとハーメルンの笛で送り届けると、四之宮さんから続きを聞く前に今度は一条さんら高尾班から連絡が来た。

 高尾班を送り届けた後は、日野。日野の次は国分寺と、次から次へとやってくる連絡に、次第に俺の頭は作業に没頭していってしまったのだった。




「なんとか間に合ったか……」


 なんとかモンスターが地上へ溢れ出してくる前に学校へ戻ってきた俺は、足に伝わる地面の感覚にホッと一息ついた。

 すべての班員とその家族を回収し終わり、ギルドへの避難を望む生徒たちも今しがた送り届けてきた。

 まだまだやることは残っているものの、少しだけ肩の荷が降りた感じだ。

 だが、一休みする前に……。


『イライザ、マイラ。悪いが、もうひとッ飛びしてくれ』


 最後の大仕事。親父の回収のために、イライザたちを親父の職場へと向かわせる。


『イエス、マスター』

『了解であります』


 さて、あとは……そうだ、四之宮さんに牛倉さんのことを聞かないとな。


「北川副部長、お疲れ様です!」


 イライザたちを見送りながらそんなようなことを考えていると、後ろから声を掛けられた。

 振り返ると、そこには一年のリボンを着けた女子生徒が二人。

 体育会系なのだろうか? 二人ともやけにキッチリしているというか、なぜか直立姿勢を取って、相当緊張した様子だった。


「えっと……?」

「十七夜月部長より、生徒の護送が一段落したら、部室へと来てほしいとのことです!」


 マジか。

 四之宮さんに話を聞きに行こうと思ってたのに……どうするかな。


 猟犬使いの事件では、終始星母の会の影がチラついていた。

 別に、あの事件の黒幕が星母の会だという証拠があるわけでもないし、客観的に見て被害者側は星母の会の方だ。

 怪しく思う理由も、単にいろいろと星母の会に都合の良い終わり方だったからというだけだが……それはそれとして、あそこはかなりきな臭い。

 少なくとも、知人が入信しようとしたら絶対に止めるくらいには、不信感を抱いていた。

 今ならまだ四之宮さんが説得すれば、牛倉さんだけでも連れ戻せるかもしれない。


 だが、アンナの用件も単なる連絡事項ではないだろうし、俺たち全員の今後に関わる話のはず。

 フェイズ3のこと。今後の対策。俺の秘密と保有戦力について。そして……師匠が国のスパイだったこと。

 どれも、俺自身で参加しなくてはならない議題ばかりだ。

 しかし、牛倉さんのことも気になる……。

 その時、脳裏に閃きが走った。

 そうだ! ここは、四之宮さんの方には、オードリーに行ってもらうってのはどうだ?

 彼女は秘書スキル持ちだ。四之宮さんから俺が聞くより詳細に聞き出して、一言一句間違えずに後で伝えてくれることだろう。

 うん、そうしよう。

 っと、その前に彼女たちにお礼を言っておかなくちゃな。


「わかった。ありがとう」

「いえ! 任務ご苦労様でした!」


 俺の簡単な礼に、頬を紅潮させて走り去っていく後輩女子たち。

 ……やっぱ、おかしいぞ。任務とか言ってるし。この危機的状況に酔ってるんだろうか?

 内心で首を傾げながらもオードリーを四之宮さんの元へ向かわせ、俺自身は部室へと向かう。

 その道中でも、やはり妙にかしこまった態度の生徒たちとすれ違う。……さきほどの後輩女子たちと同じだ。

 昇格試験明けも道を開ける生徒や頭を下げてくる生徒がいたが、それがさらに深まった感じである。彼らが俺に向ける視線には、単なる上下関係以上の畏怖が籠っているような気がした。

 そんな彼らを、彼らの家族らしき大人たちが異様な目で見ているのも、この雰囲気の異常さを証明していた。

 こりゃまたアンナがなんかしたな……と思っていると、部室へと到着した。

 部室の前には、一般生徒やその家族らしい人たちの人だかりができていて、それを新入部員らしき生徒たちが扉の前に立って通せんぼしているところだった。


「あっ、北川副部長! お疲れ様です!」


 俺の姿に気づいた新入部員たちが、俺に一礼して扉への道を開ける。

 それを見た一般生徒たちの家族らしいおばさんが、俺が冒険者部の人間だと気づいたのか近くに寄ってきて――「待った、母さん!」――俺に声を掛ける前に息子らしき生徒に制止された。


「なによ、あの子冒険者部の人なんでしょ? なら貴方もいれてもらえるように頼まないと」「いいから!」


 母親を押しとどめたその男子生徒は、俺の邪魔にならないように道を開けると、ペコリと頭を下げてきた。

 それを見た他の生徒の家族たちも、何かを察したのか声を掛けてくることもなく、遠巻きに見るだけに留めるようだった。

 俺は、その一連の流れに冷や汗を浮かべつつ、無言で一礼し、逃げるように部室へと入り。


「アンナ、この状況は一体なんだよ!」


 開口一番そう言った。

 お疲れ様です、と言おうとしていたのだろうアンナは、口を「お」の形にしたままキョトンと首を傾げる。

 そんな彼女に代わり、師匠が問いかけてきた。


「この状況って? どうしたの、マロ?」

「どうもこうも……」


 俺は嘆息し、言った。


「すれ違う生徒たちが皆おかしな態度取ってくるんだよ……まるで社長か軍の上官に対するみたいにさあ」

『ああ……』


 俺の言葉に、みんなも納得したように頷く。


「それはウチらも一緒ッスよ」

「さすがにマロほどじゃないだろうけどね」

「というか、それはほぼ先輩のせいだぞ」

「俺……?」


 思わず問い返すと、織部だけでなく三人とも頷く。


「まあ、冷静に考えてみてください。アンゴルモアが始まって不安な中、みんなの前に立って不安を鎮め、安全な場所を用意し、生徒たちの家族を回収する。そりゃあ、誰だって『すごい!』『この人がいれば大丈夫だ!』って思うってもんです」

「うむ。加えて、小学校の子供たちをギルドに送り届けた件も徐々に広まりつつあるしな」

「見ず知らずの他人を、しかも子供たちを率先して助けるというのは、見栄えも良いしねえ」

「ああ……なるほどね」


 俺は納得すると、脱力して椅子へと腰かけた。

 確かに、改めて他人から聞けば、我ながら大した働きぶりだった。

 その99%はハーメルンの笛の効果とはいえ、俺が生徒たちやその家族たちを助けたのはれっきとした事実。

 今まで迷宮に潜ったこともなく、初めて転移を味わう生徒らやその家族は、転移という現象そのものを俺の力と錯覚したかもしれない。

 そりゃあ畏怖や尊敬の一つや二つ抱くし、同時に依存するのも当然だ。


「……ところで、お袋と愛は?」

「先輩のご家族なら、小夜の家族と一緒に、あちらに……」


 そう言ってアンナが部屋の片隅へと視線を向けると、そこには一つの古びた壺がポツンと置かれていた。

 これは……壺中之天か。

 壺中之天は、一言で言えば中国版マヨヒガである。外観こそただの壺だが、その内部は立派な建物となっており、核となる老人が美味しい料理やお酒で持て成してくれるというカードである。

 今頃、中華料理に舌鼓を打ちながら、両家族の交流を深めているところだろう。


「このままだと、冒険者部の中枢メンバーの家族ってことで色々と要求してくる輩も出てくるかもしれなかったんで、先輩と小夜の家族は隔離させてもらいました。幸い、先輩のご家族が小型の異空間型カードをお持ちだったので、そちらに」


 さすがアンナ、やることにそつがない。

 俺は、彼女の気配りに感謝した。


「ところで、こちらからも一つ質問が……」

「……なんだ?」


 アンナは、チラリと師匠を見て……。


「神無月先輩とのお話ってなんだったんですか? 一体どこに行っていたんです?」


 ……ふぅ。やはりその話になるか。

 さて、どこから話したものか。

 俺が言いよどんでいると、師匠が言った。


「それについては、僕から説明するよ」

「……どうぞ」


 アンナは無表情に頷き、先を促す。


「うん。まず、察しがついているように、僕は国からの依頼でこの学校に転校してきた……調査員だ」

『……………………』


 その師匠の言葉に、しかしアンナも織部も特に反応を示さなかった。

 やはり、二人とも察していたらしい。

 特に最近のアンナの態度は露骨だったからな……俺が実技試験に通って冒険者部が師匠無しでも学校の迷宮に入れるようになってからは、完全に排除に入っていた。

 二人の冷めた反応に、師匠は苦笑いを浮かべながら続ける。


「目的は、迷宮消滅の鍵を握っているであろうマロの調査だ」

「……それで、何かわかったんスか?」

「それについては、これからマロに聞こうと思う」


 そう言って、師匠は俺に視線を向けてきた。続いて、後輩二人もこちらを見る。

 俺は小さく嘆息すると、答えた。


「ああ。迷宮を消滅させる方法を俺は知っている」

『……ッ!?』


 全員に衝撃が走るのがわかった。

 知っているかもしれない、とは思っていても実際に俺の口から断言されるとやはり驚きだったのだろう。


「マロ! ということは、記憶は完全に取り戻したのか!」

「ああ……。どうやら一度正規の方法で入れば、記憶の改竄は解除して貰えるらしい」

「ちょ、ちょっと待ってください! 記憶の改竄!? 一体なんの話なんですか!?」


 織部が、混乱もあからさまにひっくり返った声で問いかけてくる。


「落ち着いてくれ。順番に話していくから」


 そうして俺は、時系列順にすべてを話していった。

 猟犬使いに襲われた際に、苦し紛れに遭難のマジックカードを使ったこと。

 結果、俺は迷宮のコアルームに不正侵入してしまったこと。

 コアルームに入ることができたのは、蓮華が廃棄カードキーと呼ばれる特殊なカードだったからであったこと。

 コアルームで、ライカンスロープのカードに触れた結果、俺はそのカードを手に入れ、直後迷宮が消滅したこと。

 その後、俺の記憶は改竄され、コアルームのことも、侵入の方法も忘れてしまったこと……。


「すべてを思い出したのは、さっき師匠と迷宮に行って、最下層で遭難のカードを使った時のことだ」


 そこで、俺は一度話すのを止めた。

 みんなに情報の整理の時間を与えるためだ。

 それからたっぷり一分は誰も言葉を発しなかったが、やがて師匠がポツリと問いかけた。


「マロが、さっきの迷宮を消滅させなかったのは、どうして?」

「それは……」


 俺は、これを話して良いものか迷ったが、結局は言うことにした。

 他の皆が、どういう判断を下すか知りたかったからだ。


「それは、迷宮が人々の不幸を消化するための装置だったからだ」

「それはッ!? ど、どういう……?」


 動揺する師匠へ、俺はコアルームで見た光景を話した。

 カードの浮かんだシャボン玉。そのシャボン玉に浮かんだ『不幸な事故』の光景。そして、蓮華から聞いた迷宮のモンスターと不幸の関係を……。

 それを聞いた皆は再び難しい顔で黙りこみ……。


「いろいろと聞きたいことはあるんですが、まずはこれだけ。この学校の迷宮を、その完全鎮静化状態にはできますか?」

「いや、俺が持つカードキーのクリアランスレベルはDランク迷宮までだ。Cランク以上の迷宮は消滅も完全沈静化もできない」

「そうッスか……」


 そう言って黙り込むアンナに対し、織部が明るい声で言う。


「だが、これは朗報だぞ! Dランク以下の迷宮を消滅、あるいは完全鎮静化させられるだけでも迷宮の脅威は大きく減る! このアンゴルモアをフェイズ3のまま乗り切れれば、希望はまだある!」


 もはや浮かれていると言っても良い様子で捲し立てる織部だったが、それに対しアンナはフラットな表情で首を振る。


「それはどうだろうね、小夜。……神無月さん、このことはすでに国には?」

「いや……報告しようとしたが連絡がつかなかった」

「でしょうね……」


 そのアンナの言葉に、織部が睨むように彼女を見る。


「どういうことだ、アンナ? 何か知ってるのか?」

「何も知らないよ。ただ、アンゴルモアが始まってもう数時間は経つっていうのに、自衛隊の姿を見ないのはなぜかな、って」

「それは……」


 織部は絶句し、額に汗を浮かべて考え込み始めた。


「そうだ、確かにおかしい……なぜ、まだ自衛隊が出動していないんだ? すでにDランク以上の迷宮の封鎖や、住民たちの避難誘導を行ってなければおかしい……しかも、ここは基地のある立川だぞ!」


 ……これが数分やその程度の話ならともかく、一時間以上の遅れというのは、極めて致命的で重大なトラブルが起こっていることを意味していた。

 これが、この立川周辺の話なら良い。だが、もしこれが全国規模での話だとすれば、それはトラブルではなく、あるいは……。


「……これは、見捨てられましたかね?」


 ポツリとアンナが呟いた。


「馬鹿な!」

「本当にそう思う? 頭の良い小夜なら、すでにフェイズ3とわかったその瞬間に、その可能性は頭を過ってたんじゃないの?」

「……!」


 織部は、反論しようとしたのか唇を震わせたが、結局その口から言葉が出てくることはなかった。

 確かに、迷宮消滅の方法も、完全鎮静化のことも知らない政府が、フェイズ3のことを知った段階で、一般国民たちをすべて見捨ててもおかしくはなかった。

 各避難所に配られたCランクカードも、所詮はできる限りフェイズ1を長引かせるための方策だ。

 フェイズ2に進んだ時点で、ギルド以外の避難所は棺桶へと変わる。

 すでにフェイズ3ともなれば、なおさらのこと。

 だが……。


「いや……だとしても僕からの連絡すら受け取らないのはおかしい。これは直通回線だ。どんなに忙しくても一言二言聞く程度の余裕はあるはず」


 俺は、師匠の言葉に内心で頷いた。

 そうだ。それが、おかしい。

 仮にすべてを投げ出して逃げたとしても、迷宮消滅の情報だけは知りたいはず。ならば、師匠の回線だけは生かしておくはずなのだ。

 なのに、それにすら出ないということは、やはり自衛隊そのものに重大なトラブルが起こったことを意味する。


「なんにせよ、今は様子見ッスね……自衛隊が無事機能していることを確認してから、そういうことは考えましょう。アンゴルモアの終結や、次のアンゴルモアの阻止を考えるのは、ひとまずこの時を生き残ってからで良いでしょう」

「それは……そうだな。まずは、生き残ってこそか」

「だな」


 織部は、何か言いたげに口を開きかけたが、すぐに自分を納得させるように頷いた。

 俺も、それに続く。


 なぜ迷宮は生まれたのか。アンゴルモアとは何なのか。迷宮を生み出した存在は、善なのか悪なのか。カードキーとは。蓮華は一体何者なのか。

 疑問は尽きないが、それを蓮華に聞かないのは、結局それが今を生き残ることには直接関係ないからだ。

 彼女が、自分からそれを説明しないのが、その証明。

 迷宮消滅の方法と、完全鎮静化。最低限この二つだけあれば、生き抜ける目があるから、それだけは真っ先に教えたのだろう。

 スマホの作り方や仕組みを完全に理解していなくとも、使い方さえ知っていれば問題ないように……迷宮の消し方と完全鎮静化の方法だけ、今は理解していれば良い。

 ならば、今後の世界や、世界の真実やらを知るのは、状況が落ち着いてからで良いだろう。


「でも、その前に……一つはっきりさせなくてはならないことがあります」


 そう前置きし、アンナは師匠へとゾッとするほど冷たい眼を向けた。

 王や女王が敵国の者を見るように厳しく、それでいて昆虫のように無機質な眼差し……。

 場の空気が急速に張り詰めていく中、彼女は言った。


「結論から聞きますが、神無月さんはこれからどうしますか?」





【Tips】ランクごとの先天スキル数の目安

A:5個以上。

B:4~5個。

C:3~4個。

D:2~3個。

E:1~2個。

F:1個。


 ランクが上がるにつれ、下位のランクのスキル効果を内包することが多くなるため、実際のスキル数以上に性能差が開いていく傾向にある。

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