第21話 ハンプティダンプティは元に戻らない


 

『12月1日より、冒険者協同組合(ギルド)・自衛隊共同でのAランク迷宮攻略を行う。

 ついては、攻略に参加する人員の募集を行う。

 参加資格は、個人での三ツ星ライセンスの所持か、四ツ星以上のチーム及び個人。

 参加者には、三ツ星にはCランクカードを一枚とDランクカード五枚、四ツ星以上にはBランクカードを一枚貸し出すものとする。

 報酬は————』


「————貸し出したカードを、踏破の有無に関わらず作戦終了時点で与える、ねえ」



 ギルドから届いたクエスト通知をそのまま読み上げたアンナは、最後に軽く鼻で笑うと、俺たちの顔を見渡した。


「答えは決まり切っているようなものッスけど、一応聞いておくとします。冒険者部として、このクエスト、どうすべきと思いますか?」


 翌日、早朝。

 俺たちは、昨夜届いたギルドからのクエストについて話し合うために授業前に部室へと集まっていた。


「最初に言っておくけど……冒険者部の結論がどうであれ、僕はこれに参加するつもりだ」


 アンナの問いに真っ先に答えたのは、師匠だった。

 師匠の参加発言に、アンナはピクリと一瞬だけ眉を動かしたものの、何も言うことはなく発言の続きを待つ。


「以前話した一時的離脱ってのが、コレでね。悪いけど、冒険者部の方でどういう結論が出ても参加させてもらう」

「ああ……やはり、絶対に断れない用事ってこれでしたか」


 アンナは、納得したように頷いた。


「了解です。事前に聞いていた通りですし、神無月先輩はクエストに参加してもらっても大丈夫です。……一応聞いておきますが、ちゃんと戻ってきてもらえるんスよね?」

「そのつもりだよ。……その時にちゃんと居場所が残ってたらだけど」

「ありゃ、なんか一気に信用無くなっちゃった感じッスね。ちゃんと残ってるんで安心してください」

「うん。ありがとう」


 表面上は穏やかだが、どこか寒々しいやり取り。

 昨日までは確かにあった暖かな友情や信頼は消え、二人の関係はビジネスライクなものとなってしまっていた。

 俺が内心でため息を吐いていると、アンナは次に織部へと視線を向けた。


「小夜はどうする?」


 クエスチョンマークを付けつつも、微塵も織部の答えを疑っていない様子でアンナが問いかける。

 それに織部はしばし苦悩するように沈黙し、そして答えた。


「……私は、参加したい」


 アンナが、露骨に「はあ?」という顔をした。


「小夜、狂ったの? この依頼、どう見ても冒険者を最下層までの露払いに使う気満々でしょ。露払いと言えば聞こえは良いかもしれないけど、軍の体力を温存するための肉の盾じゃん。そりゃ神無月先輩みたいに四ツ星ライセンス持ちで、自衛隊にコネがあるなら大事にしてもらえるだろうけど、私や小夜程度じゃ良いように使い潰されて終わりだよ」


 ……アンナの言い様に師匠が苦笑するが、特に反論する様子はなかった。

 実際、この依頼はかなりキナ臭い。

 常は自衛隊だけで攻略しているAランク迷宮に、なぜ冒険者を募集するのか。

 少なくとも、冒険者を大事にして活躍させるような接待はしてくれないだろう。

 師匠が参加するのだって、たぶん元自衛官のお姉さん絡みだろうしな。

 冒険者を募集するくらいなんだから、予備自衛官なども当然集めていることだろう。


「……そ、それでも私は、アンゴルモアを阻止できる可能性があるなら、参加したい。この日常を守れる可能性があるなら……」

「さ、小夜……」


 目じりに涙を浮かべ、微かに震えながら言う織部に、アンナが絶句する。

 よく見れば、化粧で隠されてはいるが、織部の顔には濃い隈があった。

 きっと、一晩思いつめた結論に違いない。

 俺は、ここで初めて彼女がかなり追い詰められていたことに気づいた。

 織部が、かなり保守的な人間であることは知っていたが、そんな彼女にとってアンゴルモアによりこれまでの日常が崩れるかもしれないというのは、かなりストレスだったのだろう。

 思い返せば、クダンの予言以降、彼女の口数はだいぶ減っていたように思える。

 そんな哀れな親友の姿に、アンナはその手を握り、訴えかけるように語り掛ける。


「小夜、落ち着いて……ね? Aランク迷宮を攻略することでアンゴルモアが阻止できるって決まってるわけじゃないでしょ? ただ、一番最初に現れた迷宮で、これまで踏破されてない迷宮だから、そこに鍵があるって思われてるだけで、何の確証もないんだよ?」

「そ、それは……そうだけど、でも……」


 いつになく弱弱しく視線を彷徨わせる織部に、アンナは一つ頷くと言った。


「じゃあ、こうしよう。ここは、多数決で決めるってのは、どう?」

「多数決……?」

「そう。小夜は参加に賛成、私は反対。一人でも参加するって言ってる神無月先輩は除くとして、浮いている票が一つある。ここは、先輩の選択次第で決めるって言うのは?」


 お、俺……?


「もし先輩が参加したいって言うなら、私も、冒険者部みんなで参加しよう。だから、先輩が参加したくないっていうなら……小夜も諦めてくれる?」

「……それなら」


 三人の眼が、俺に集中する。

 決断は、俺に委ねられた。

 なんだか妙に重圧を感じる立場になってしまったが……俺の答えはすでに決まっている。


「————俺は、参加するつもりはない」


 その瞬間、何かが決定的に定まった気がした。

 それは、運命操作を使った時の感覚にも似ていて……。

 しかし、これは誰に操作されたものでもなく、間違いなく俺の自身の選択によるものだった。

 きっと、この選択は、世界には何の影響もないものだが、俺の人生にとっては極めて重要なものだったのだろう……。

 俺が冒険者になると……百万円のカードパックを引くと決めた時のように、蓮華にアムリタを使うと決めた時のように、俺の人生を左右する選択の一つだったのだ。

 それが、なんとなくわかった。


 俺の答えに、アンナが満足げに頷き、織部が項垂れる。

 そして師匠は……俺をまっすぐ見つめ、問いかけてきた。


「理由を聞いても、いいかな?」

「……家族だよ。もしAランク迷宮に入っているうちにアンゴルモアが起きて、それが原因で家族や友人の危機に間に合わなかったら……俺は耐えられない。あるかないかわからない希望のために、そんなリスクは冒せない。それが、理由だ」

「……なるほど、家族か」


 師匠は小さく嘆息すると、苦笑した。


「それじゃあ、仕方ない」

「ああ……」


 そこで、笑みを浮かべたアンナがパンと手を打った。


「じゃ、決まりってことで。小夜も、それで良いよね?」

「……うむ。ここに来てダダをこねるつもりはない。家族が大事なのは……我も同じだしな」


 口調がいつものそれに戻った織部は、小さく笑い。


「正直、ちょっとホッとしたところもあるしな」

「柄にもないこと言うから〜」

「返す言葉もない。アンナの言う通りだ」


 弛緩した空気が流れる中、予鈴のチャイムが鳴った。


「おっと、もうこんな時間ッスか。じゃあ、また放課後に」


 そうして皆で部室を出て、各々の教室に行こうとしたところで、俺は師匠に呼び止められた。


「マロ、ちょっと付き合ってもらって良いかな」


 それに、アンナがピタリと足を止めて振り返る。

 釣られて織部も振り返った。

 アンナは無表情で、織部は不安そうに俺たちを見る。

 俺は、そんな二人に手振りで先に行くように促し、二人の姿が見えなくなったところで、師匠へと問いかけた。


「で、なに?」

「ここじゃちょっと」

「……わかった」


 師匠の後に大人しく付いていく。

 階段を下り、一階に降りて、昇降口で靴を履き替え、ついには校門を出てしまった。

 一体どこまで行くのか……。

 聞きたい気持ちもあったが、グッと堪え、黙ってついていくと、近くのダンジョンマートに着いた。

 ……コンビニに用があるわけではないだろう。それなら屋上に行けば良い。迷宮に用があるのだ。

 だが、ここにある迷宮はFランクだ。今更Fランク迷宮に何の用があるというのか。


「ここから一気に最下層まで駆け抜けたいんだけど、大丈夫?」

「良いけど……最下層じゃないとできない話なのか?」

「うん」


 一応調べてみたが、別にイレギュラーエンカウントが発生しているというわけでもないようだった。

 ……嫌な予感が膨れ上がっていく。何かが、終わる予感。

 このまま踵を返して帰ってしまおうか。

 そんなことを考えながら、ユウキとイライザを召喚して師匠と最下層へと駆け抜ける。

 この迷宮はかなり小規模のようで、全三階層ほどしかなく、あっという間に最下層へと到着した。

 主であったヘルハウンドをさっさと始末すると、師匠はカードをすべて戻した。

 それに合わせて、俺もユウキとイライザを戻す。……ただし、念のため蓮華だけは姿を消して傍にいてもらうことにした。

 そうして、傍目には二人っきりになったところで、俺は師匠へと問いかけた。


「で、何の話なんだ? こんなところまで連れてきて」

「うん。単刀直入に言うけど、僕と一緒にAランク迷宮の攻略に参加してほしいんだ」


 やっぱりそういう話か。俺はため息をつき、答えた。


「それについては、さっき結論が出たはずだけど?」

「家族については心配しなくて良いよ。自衛隊の一個小隊が護衛についてくれるから」

「……はあ?」


 何言ってるんだ?

 なんで自衛隊が俺の家族を守るんだよ。師匠にそんな権限はないし、そもそも一冒険者を引っ張り出してくるために自衛隊を一個小隊も使ったら本末転倒だろ。

 あまりに馬鹿々々しい話に、俺は半分笑いながら問い返した。


「なんでそこまでして俺を参加させるんだよ。レースに優勝したからか?」

「君が迷宮を消滅させたからだよ」

「……………………」


 ああ、やっぱ、そうなのか……。

 怒りは無かった。ただ、失望だけが静かに心に広がっていった。


「悪いけど、それは勘違いだよ。アレは俺じゃないし、理由も知らない」

「それは、君が忘れてるだけだ。いや、記憶を改竄(かいざん)されてると言うべきかな」

「改竄……?」

「そうだ。マロはおそらく、正規じゃない方法で迷宮を消滅させた結果、そのペナルティーとして記憶を改竄されたんだよ」

「……………………」

「もっと踏み込んだ話をしようか。ユウキちゃんだっけ? そのライカンスロープ、ずいぶん変わったスキルを持ってるようだね」

「ッ!?」


 思わず、ギョッと目を見開いた。


「真なる者、限界突破、真眷属召喚……聞いたことのないスキルばかりだ。そんなカード、どうやって手に入れたのかな?」

「……アンタ、何者だ?」


 俺は耐えきれずに、とうとう問いかけてしまった。

 この数か月間、ずっと我慢していた、決定的なその問いを……。


「もう察しがついてるんじゃない?」

「……やっぱ、国からのスパイだったのか」


 俺の言葉に、師匠が苦笑する。


「スパイなんてカッコいいモノじゃないけどね。精々調査員ってところかな。……その口振りだと大分前から気づいていたようだね」

「まあ、な。さすがにタイミングがあからさま過ぎたし」


 俺たちが猟犬使いの捜査をしているところに捕獲クエストを持ってきて、事件後にわざわざ転校までしてくるなんて……なにかあると思わない方が、無理がある。

 それでもこれまでその疑問を封じ込めてきたのは、仲間だと思い込みたかったからだ。

 裏表などない、本当の仲間だと。

 アンナや織部がどう思っていたかは知らないが……少なくとも俺はそうだった。

 なぜなら、師匠は————神無月は、俺が初めて心から敬意を抱いた冒険者であり、師匠だったのだから……。


「……まあ、さすがに気づくよね。もっとタイミングとか気を配った方が良いとは言ったんだけどね」


 苦笑する神無月に、俺はガリガリと頭を掻きながら言った。


「で、俺のことを探ってなにかわかったのか?」

「そりゃまあ色々とね。国内でも数例しか確認されていない『幸運操作』のカードを所有し、ガーネットの効果にも気づいている。そして何よりも、カードのプロテクトを解除してカードを完全開放してしまっている……」

「チッ、やっぱアタシのことまで気づいてんのかよ」


 これまで黙って聞いていた蓮華が、俺を庇うように姿を現した。


「どーする? 全部バレてるみてーだけど」

「ああ……」


 参った……。こうも丸裸にされてるんじゃあな。

 完全に手のひらの上だったってわけか。


「一応聞くけど、どうやってバレたんだ? 読心の魔道具か?」

「いや、読心の魔道具は、僕ごときには使用許可は出ないよ。アレは、国にとっても諸刃の剣だからね」

「じゃあ、なぜ?」

「まあ、実際、マロは上手く隠してたよ。少なくとも、お金の動きで秘密を探ることはできなかった。……でも、蓮華ちゃんとのリンクでは秘密を垂れ流しだった」


 リンク? ……まさか。


「リンク・ピーピング。他人のテレパスを盗聴するシークレットリンクだ」


 ……………………やられた。俺は、天を仰いだ。

 そんなリンクがあるとは、完全に盲点だった。

 いや、よく考えれば気づく余地はあった。

 リンクにより、ようやく人間はカードの戦闘速度についていくことができる。口頭での意思疎通では、指示が間に合わないのだ。だと言うのに、人間同士で高速で意思をやり取りできる技術や魔道具が存在しない。

 これでは、Aランク迷宮の攻略など出来ようがない。

 あるいは読心の魔道具こそがそれかと思っていたが、ちゃんとあったのだ。

 人間同士でテレパスを繋げるリンクが……。


「テレパスには、他の人にも聞こえてしまうオープンテレパスと、限られた相手だけ届くようにするクローズドテレパスがあるんだ。まあ、ネトゲのオープンチャットとグループチャットみたいなものだね。どちらも気づいちゃえば、マロならすぐ使えるようになると思うよ」

「……ソイツはどうも。できればもっと早く教えてくれればありがたかったけどな」

「そうしてあげたかったけど、そうもいかなくてね」


 こちらの皮肉にも平然と返してくる神無月に、俺はため息を吐いて気分を切り替えると問いかけた。


「で、これからどうなる?」

「別に、どうもしないよ。このアンゴルモアを回避できたら、これまで通り好きに迷宮に潜ったり、モンコロの試合に出たり、ガーネットの効果で荒稼ぎしても良い。心配しなくとも、完全開放したカードを従えてる人間相手に力尽くでどうこうってのは、国だってできないよ。ただ、時々迷宮の消滅に協力してもらうだけだ。ちゃんと報酬だって出ると思うよ」

「ふぅん……」


 意外と、自由にさせてもらえるんだな。……それが本当なら、だが。


「だが、俺はマジで迷宮の消滅の方法なんて知らないぞ」

「そこは、当時の状況を再現して探ってみよう」


 そう言って神無月が取り出したのは、遭難のカードだった。


「気づかなかったと思うけど、迷宮消滅直後すぐにマロには読心の魔道具によって尋問が掛けられていた。その際、君の思考に矛盾があることが判明した」


 ……やっぱ読心の魔道具も使われてたか。あの見舞いに来た刑事さんか、あるいは看護師や医師の誰かか。仕方ないとはいえ、クッソ気分悪いな。

 しかし、矛盾ね。


「調書によれば、マロは猟犬使いに襲われた際、転移のカードで逃げたことになってる。でもハーメルンの笛を持つマロにとって転移カードって最も無用な物だよね?」

「……まあ。でもさっさと売り払わなかったことを言ってるなら別におかしくないぞ。税金の関係で、普通冒険者が魔道具を売り払うのは、何か欲しいモノがある時だ」

「そう、だから転移のカードを売らずにいたことは、おかしくない。おかしいのは、使う予定の無いカードをわざわざ使いやすい胸ポケットにしまっていたことだ」


 …………確かに。

 まあ、手に入れたマジックカードをとりあえず胸ポケットに入れてそのまま忘れてしまうことはたまにあるので、そこまでおかしいことではないが、それが転移のカードとなると話は違ってくる。

 絶対に使う予定のない転移のカードは、完全に別の場所にしまっておくか、家にでも置いてくるはず……。


「可能性として考えられるのは、マロがすごく物臭な性格だったか……転移ではない別のカードだった可能性だ」


 あるいは……。チラリと、俺は難しい顔で考え込む蓮華を見た。

 胸ポケットにしまったまま忘れるよう、干渉されていたか……。


「……で、遭難のカードってわけか」

「そう。まあ、何度再現実験をしてもダメだったらしいんだけどね。マロなら違うんじゃないかってね」

「まあ、やっても良いけど。ダメだったら、もう俺のことは放っておいてくれ」


 俺は家族を守らなきゃならないのだ。


「うーん……それについては僕にどうこうできる権限はないんだけど、マロが再現できないんなら国も興味を失うんじゃないかな」

「だと良いが……」


 言いながら俺は遭難のカードを無造作に使用し————そのまま意識を失った。




「……い! おい、起きろ!」

「う……」


 俺は、蓮華に頬を叩かれ、気が付いた。


「ここは……」


 そこは、無数の球体が宙を漂う白い空間だった。

 学校の体育館ほどの空間に、シャボン玉のような球体が漂っており、その中には……。


「カード?」


 その時、俺の脳裏に強烈なデジャヴが過った。

 いや、待て、知っているぞ。俺はこの空間を知っている!

 そうだ、俺はここでユウキのランクアップに使用したライカンスロープを手に入れたのだ。


「……その様子だと、思い出したようだな」

「蓮華……お前らはここのことを知っていたのか?」

「いや……」


 蓮華が首を振る。


「アタシはその時ロストしたばっかで意識がハッキリしてなかったし、たぶんユウキもその時はカードキーじゃなかったから、お前同様に記憶の改竄が行われたはずだ」

「カードキー?」

「……この空間に入れる資格を持ったカードのことだ。本来はAランク迷宮を攻略した時にマスタキーが手に入り、そのマスタキーを使って各クリアランスレベルのカードキーを手に入れるのが、本来の手順らしいが……」


 ……よくわからんが。


「俺がこの空間に入れるのは、そのカードキーを持っているからってことか?」

「ああ、ユウキがそうだ。ユウキはDランクまで迷宮に入ることができる」

「……ユウキがカードキーだとすると、なんで最初は入れたんだ?」


 ……お前か、蓮華?

 そう目で問いかけると、蓮華は神妙な顔で頷いた。


「ああ、アタシは廃棄カードキーと言われる存在だ。廃棄カードキーは、一度限りだが、自分のクリアランスレベルまでの迷宮に入ることができる」

「……………………ふぅ」


 色々と聞きたいことはあるが、一気に新情報が入ってきて感情の整理がつかん。

 それでも、一応これだけは聞いておこう。


「お前、なんでそんな重要な情報を今まで黙ってたんだよ」

「言えなかったんだよ。わかれ」

「わかった」


 まあ、そうだと思ってた。記憶を改竄しても、そのカードが勝手にバラしたら意味ないからな。

 なんらかのロックがかかってしかるべきだ。


「ところで、ししょ……神無月は?」

「……別に師匠で良いんじゃねーの? たぶん、スパイになったのは、お前にリンクを教えた後だろうし。無理に心に壁を作んなくても良いだろ。そーいうの、向いてないぜ」

「……だな」


 残念ながら師匠は、国からの諜報員だったが、俺にリンクを教えてくれた恩人であることは間違いない。

 そりゃあ思うところがないとは言わないが、まだギリギリで友情は残っていた。

 俺は一つ頷き感情の整理をつけると、改めて問い直した。


「で、師匠は?」

「ここに入れるのはカードキーを持ってる者だけだ。たぶん、今頃迷宮の外に放り出されてるところだろうぜ」


 なるほどね……。


「さて、これからどうするか……」


 俺は周囲に浮かぶシャボン玉を見渡しながら呟いた。

 たぶん、中のカードを手に入れた時点で出られるんだろうが。


「……特に欲しいカードがないんなら、シャボン玉に触れるのは止めておけ」

「なんでだよ?」


 俺が問うと、蓮華はクイとシャボン玉を顎で示した。


「ちょっと覗き込んでみろ」


 言われるままに、近くのシャボン玉を覗き込んでみる。

 そこには、どこかの競馬場らしき光景が映っていた。

 一斉に馬たちがスタートし、猛スピードで駆けていく。しかし、終盤一人の騎手が振るった鞭が、隣にいた馬の眼を叩いてしまい、騎手が地面へと投げ出されてしまった。そこへ迫りくる後続の馬たち……。幸い騎手は即死こそしなかったようだが、蹄に耕されたその体は、瀕死の重傷であることは明らかだった……。


「グッ……!」


 騎手の痛みと恐怖が、シャボン玉を見るこちらにもダイレクトに伝わってきて、俺は呻きながらシャボン玉から距離を取った。

 これは……。


「これは、近いうちに起こり得る不幸を映したものだ。迷宮はこの不幸を未然に収穫し、モンスターの姿で出現させてるわけだ」


 つまり、それは……。


「迷宮は、不幸を回収して消す装置ってことか……?」

「んー……まあ、そういう見方をすることもできるな」

「でも、それじゃあ……」


 迷宮を消したら、回収されるはずだった不幸はどうなる……?


「当然、不幸はそのまま起こることになる」


 その瞬間、俺を強い吐き気が襲った。

 俺は一度迷宮を消してしまっている。

 Fランクモンスターの不幸でこれなら、俺が消してしまったDランク迷宮は?

 俺は何人殺してしまったんだ……?


「……言っとくが、迷宮を消したとしても、本来の姿に戻るだけだ。怪我をする運命だった者が怪我をして、死ぬはずだった者がそのまま死ぬだけ。お前が殺したわけじゃない」

「だが、俺が迷宮を消さなきゃ助かったんだろ……?」

「そうとは限らない。そもそも、その不幸を消せるだけの回数のモンスターを倒さない限り、不幸が回避されることはない。誰も試練を超えられなかったってことだからな。迷宮もそこまで甘くはない。ついでに言うと、一つの不幸を同ランクの複数で同時に処理してっから、お前が一つの迷宮を消した程度でその不幸が確定するってわけでもない」


 ……ということは、必ずしも俺が助かる可能性を消したとは限らないってことか。

 少しだけ胸が軽くなった気がした。


「ちなみに迷宮を踏破するたびに、結構な量の不幸が解消されるから、お前は結構人を救ってると思うぜ」

「なら、良かったよ……」

「つっても、迷宮を一つ消せば、その分効率も悪化する。迷宮を消してもお前は全く悪くないが、良心が咎めるってなら、どうしても欲しいカードがなけりゃ止めとけ」

「そうする。……ところで、それなら俺はどうやって外に出れば良いんだ?」

「安心しろ。ここで手に入れられるのはカードだけじゃない」


 そう言う蓮華は、シャボン玉の間を縫うように先へと進んでいく。

 その後を黙ってついていくと……。


「あったあった。これだ」


 そこにあったのは、バレーボールサイズの虹色の水晶体だった。


「これは?」

「これは、ガチャだ」

「ええ……?」


 あんまりにあんまりなワードであった。


「お前、それはいくらなんでもねーだろ」

「いや、実際それが一番わかりやすいし……この水晶体に触れば、迷宮のランクよりワンランク以上高いアイテムがランダムに手に入るんだよ。この迷宮だとEランク以上のアイテムだな。ちなみに、このランクは人間が決めたランクとは別だから、そこんところ注意な」


 なるほど、それは確かにガチャだわ……。いわば、Eランク以上確定ガチャチケットってわけか。


「これを触ったら迷宮を壊さずに外に出れるんだな?」

「そうなる」

「……ちなみに、幸運操作とかは?」

「あー、ランダムとは言ったが、アイテム自体はこの迷宮が出現した時点で決まってんだよな。だから今、幸運操作とか運命操作しても出てくるアイテムは変わらない」


 じゃあ、仕方ない。

 ……しかし、中身がすでに定まっているとはいえ、ちょっとドキドキするな。


「……ちなみに、お前ずっと気絶してたから結構時間経ってるぞ」

「それを早く言え!」


 俺は慌てて水晶体へと手を触れた。

 その瞬間、周囲の空間が歪み、気が付くと俺は迷宮のゲートの前に立っていた。


「触れた瞬間放り出されるのか……」


 それに……。


「ゲートが白くなってる?」


 呟く俺に、透明となった蓮華がリンクを通じて語り掛けてくる。


『完全沈静化状態だ。しばらく……まあ一年くらいは、この迷宮を攻略しなくてもアンゴルモアは起きないし、他の迷宮が原因でアンゴルモアが起こってもこの迷宮からはモンスターは出て来ない。それに普通の沈静化と違って、外部からモンスターが入ってきても沈静化は解除されない』


 ってことは、こういう状態を全迷宮で起こせばアンゴルモアは回避できるってことか。

 現実的には厳しいだろうが、この絶望的な状況にあって、少しだけ希望が湧いてきた。


『ところで、ガチャは何が出た?』

『っと、そうだった』


 俺は、いつの間にか手の中に握りしめていた一枚のカードを見た。

 そこには、ポーションらしきもののイラストが描かれていた。

 これは……。


『……ミドルポーションだな。ま、そんなもんだ』

『うるせえ。……しかし、今回は記憶を失わなかったな』

『今回は、正規カードキーで入ったからな』

『なるほどね……』


 そんなようなことを話しながら、鋼鉄の扉を開けコンビニ部分に戻ると……。


「マロ!」


 外で待ち構えていたらしい、師匠が駆け寄ってきた。

 しまった……こっちの問題をすっかり忘れていた。

 さて、どうしたもんか。

 俺の持つカードキーは、おそらくDランク迷宮までしか入れない。

 Aランク迷宮の攻略に連れていかれても無意味だ。

 どうにかして納得して貰い、国を説得して貰わないと……。


「あー……Aランク迷宮の攻略の件なんだけど」

「それどころじゃない!」


 俺を遮り、師匠は叫ぶ。

 その形相を見て、俺はすべてを悟った。



「————アンゴルモアが始まった!」



 終わりが、始まったのだ。




【TIPS】カードキー


 迷宮のコアルームへの入室許可を与えられた特殊なカード。

 蓮華やユウキは、このカードキーであり、『真なる者』『廃棄されし者』といったスキルがその証となる。

 カードキーには、クリアランスレベルが設けられており、下位のカードキーで上位の迷宮のコアルームに入ることはできない。

 本来であれば、どこかのAランク迷宮を踏破し、その報酬として得られるマスタキーを使って下位の迷宮を消滅させることでようやく手に入れられる代物なのだが、廃棄カードキーを使うことで不正に入手することも可能。

 不正侵入であっても入手したカードキーは、ちゃんと正規の物でその使用にも問題はないのだが、不正に侵入した際の記憶は、ペナルティーとして改竄される。

 コアルームへの入室に、遭難のカードは必ずしも必要ではなく、カードキーを所持し、最下層にある出口のゲートを潜る際にコアルームに行くことを望めば入室は可能。遭難のカードを使用しての入室は、裏技となる。

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