第20話 ポケットティッシュみたいに無造作に使い捨ててきた癖に……。
「これは……」
翌朝、学校へ登校した俺は、違和感に眉を顰めた。
久しぶりの学校は、以前とは明らかに雰囲気が異なっていた。
まず、登校時間だというのに、明らかに生徒数が少ない。
記憶に残る光景よりも、三分の二から半分程度に感じる。
また、生徒たちから俺に向けられる視線も大分変化している気がした。
以前は、好意よりの好奇心や羨望が半分以上を占めていて、嫉妬や邪推といった悪感情もあったが、それもさほど強いものではなく、無関心の生徒が多かった。
だが、三週間ぶりの学校では、無関心の生徒は消え、八割ほどの生徒が強い尊敬や羨望を、残りの二割が強い嫉妬や憎悪を向けてくるようになった。
前者の生徒の中には、俺がすれ違う際に廊下の端によって頭を下げてくる者すらおり、逆に後者の生徒は、わざと肩をぶつけてきたり、舌打ちを聞こえるようにしてくる者がいた。
感情の正負の差はあれど、両者とも明らかに同じ学校に通う生徒に対する対応ではない。
前者の対応など、どちらかというと防衛大とかの上下関係に近い感じすらした。
まるで自分が異物になってしまったような感覚に、拭いきれない違和感を覚えつつも自分のクラスへと到着すると、四之宮さんが以前と同じ笑みで迎えてくれた。
それに内心でホッとしつつ、席へとつく
「おはよー、マロ。なんか久しぶりだね」
「おはよう、四之宮さん。……他の皆は?」
挨拶を交わしながら、他のカーストトップグループが見えないことを問いかけると、四之宮さんは曖昧な笑みを浮かべた。
「あー……たぶん、みんな今日も来ないんじゃない?」
「え? どういうこと?」
「いや、最近みんな迷宮に潜って学校来ないからさ」
は? 学校を休んで迷宮に潜っていたのは、俺だけじゃなく、みんなもってことか? ……って、まさか。
俺は、半数近くが空席となっている教室を見渡しながら恐る恐る問いかけた。
「……もしかして、この空席ってみんな迷宮攻略に?」
「全員じゃないけど、まあ大体そうかな。今、クラスの三分の二くらいは冒険者だから」
「マジかよ……」
それって冒険者部のせいだよな……? 普通のクラスメイト達が、そう簡単にDランクカードを買えるわけがないし、冒険者部がレンタルしたからとしか考えられない。
「それって、このクラスだけ? まさか……学校全体の話じゃないよね?」
「うーん、ウチのクラスは特に多い方だと思うけど、でも学校の半分くらいはもう冒険者部かな……」
「……………………」
俺は絶句した。
ウチの学校って、全学年で600人以上いるんだぞ。
その半数って……そこまでいったら、もう部じゃねえだろ。
「ってことは、学校の半分くらいが授業にも出ずに迷宮に潜ってるってこと?」
だとしたら学級崩壊ってレベルじゃねーぞ。
「さすがにそこまでは……。ローテーションしてるみたいだから、その半分くらいかな」
ってことは、ウチのクラスでは三分の一、他のクラスでは四分の一って感じか。
それでも大分休んでいるが……。
「それ、先生とかは、なんも言わないの?」
「うーん、それがねえ、先生たちの間でも大分意見が割れてるみたいでさー。先生たちも冒険者部派と反冒険者部派に真っ二つになってる感じなんだよね」
うわぁ、先生たちにまで波及してるのかよ……。
「ヒヨリちゃんなんかは冒険者部派の筆頭なんだけど、ずっと迷宮に潜って生徒たちの引率をしてて。授業も全部自習だし……他の冒険者部派の先生たちも似たようなもので、逆に反冒険者部派の先生たちが自習の見回りに来てるくらいで……」
それ、もう教師失格だろ……。
反社養成校と呼ばれるような高校でも、もうちょい教師に熱意があるぞ。
そりゃ、反冒険者部派なんてもんもできる。自分たちに仕事を押し付けて迷宮に行ってる同僚がいるんだからな。苛立たしいなんてもんじゃないだろう。
ここに来るまでの俺に対する視線も理解できた。要は、生徒たちも冒険者部派と反冒険者部派に分かれてるってことか。
前者は、冒険者として格上の俺に敬意を払い、後者は半ば教育システムを崩壊させた冒険者部にヘイトを向けている、と。後者の中には、冒険者部に入りたくても面接で落とされた奴らも混じっていそうだ。
……まあ、いいや。これ以上は、アンナに直接聞くことにしよう。
「……クラスの三分の一くらいは迷宮に行ってるとして、それ以上に空席が目立つ気がするけど?」
「その子らは、家の事情で休んでる子らだね。学校に行くこと自体が危険って家に籠ってたり、中には家族みんなで迷宮が少ない県や島に引っ越した家とかも結構あるみたい」
「あー、なるほどね」
確かに、そろそろそういう家庭も出てくるころか。
学校自体は冒険者部のおかげで安全ではあるが、多くの生徒はそれを知らないし、そもそも通学自体がリスクではあるもんな。迷宮の数は人口に比例するという統計もあるし、人のいない土地に引っ越しという選択肢も理解できる。
……特に、今は学校に来ても授業すらやってない教師もいるらしいしな。一般の生徒からみて、マジで来る理由がない。
ってか、逆に四之宮さんはなんで学校に来ているんだろうか。
「……四之宮さんは、なんで学校に来てるの? いや、悪い意味じゃなくて」
「あー、ウチは、まあ、その、ね……」
四之宮さんは、微かに頬を染め、チラリと見て、俯いた。
…………………………………………この、反応は。
いや、待て。勘違いするな。中学時代の黒歴史(教訓)を思い出せ。
隣の席の女子に脈があると思って、毎日頑張って話しかけた結果どうなった?
あの時の「毎日毎日、よくしゃべるねえ……」という言葉と、うんざりした顔を思い出せ。
……うん。……落ち着いたわ。
ふっ、危うくまた一年くらい女子と話せなくなるところだったぜ。
勘違い、ダメ、絶対。
「まあ、ホラ、ウチはアパートだからシェルターとかも無いし、学校の方が逆に安全かなって」
「なるほどね」
ホラな? ちゃんと理由があんだよ。
ここで「もしかして、俺に会いたくて……?」なんて勘違いしてたら即死だったわ。危ない危ない。
迷宮じゃなく、日常の中にこそ危険なトラップはあんだね。
『……哀れなり、歌麿』
黙れ、蓮華。
同情するならカノジョをくれ……!
『なんだ、まだ彼女作ること諦めてなかったのか?』
諦めてねーわ。
……いや、今恋人が出来たら困るっちゃ困るんだけどな。
ぶっちゃけ、俺がどうしても守りたい枠は家族と友人たちでいっぱいいっぱいで、これ以上抱えきれない……って、そうそう。
「あ、そうだ。これ、渡しておくよ」
俺は、四之宮さんらに渡そうと思っていたものをコッソリと彼女へと手渡した。
「これ……!」
Dランクカード六枚を受け取った四之宮さんが、眼を見開いてこちらを見る。
「さすがに受け取れないって」
四之宮さんは、周囲を見渡し言う。
「いいから。受け取っといて」
「でも……」
「あげるわけじゃなく、預けるだけだから」
「うーん、それでも申し訳ないっていうか……もはや怖い。これ買ったらいくらするの? ヤバ、なんか手が震えてきた……」
「うん、まあ、お守り代わりだと思ってさ。あくまで登下校中とか休日にアンゴルモアが起こったら、それで無事に避難できるようにって感じで。だから悪いんだけど、それで冒険者活動とかはしないでほしいかな」
「や、もう迷宮とかはどっちにしろ怖くて入れないんだけどさ。……お守りかあ」
「それと、これは牛倉さんの分。……ってか、神道が冒険者になったのは知ってるけど、牛倉さんも?」
「あ、静歌のもあるんだ。静歌は、休学組かな。あの子の家って地主だから結構大きいし、立派なシェルターもあるから」
「なるほどねー。まあ、一応渡しておいて」
「うーん、自分でわた……いや、ううん、わかった。ありがとう、預かっとく。……けど、ホントにいいの?」
「うん。他にも親しい友人にはみんな配る予定だし」
小野と一条さんには、Cランクカードを一枚ずつ。東西コンビや四之宮さんらカーストトップグループの皆にも、Dランクカードを六枚ずつ配る予定だ。
今回の四ツ星昇格試験で家族分のカードは十分集まったので、そろそろ友人たちにもカードを回しとかないとな。
友人の身の安全のためにも……ってのもあるけど、アンゴルモア後の信用できる人材ってのは、カードよりも貴重になってくるだろうし。
「でも、そんなに配って大丈夫なの?」
「平気平気」
俺は、それこそ昼飯のパンを奢るような軽い態度であえて応えた。
ちょっと成金っぽくて感じ悪いかもしれないが、これくらいの方が相手の申し訳なく感じなくて良いだろう。
しかし、全校生徒の半数が冒険者部に、ね……。
クラスメイトに一人でも冒険者になった奴が出てきたら大騒ぎしていたのが、嘘のようだ。
アンゴルモアが間近に迫ればこうなるのもわかるが……。
俺は、空席が目立つ教室を見渡した。
……学校の日常を、もう味わえそうにないのだけが、少し残念だった。
「先輩の実技突破を祝ってカンパーイ!」
アンナの音頭に合わせて、俺たちはジュースのコップを打ち鳴らした。
放課後。俺は、冒険者部の初期メンバーの皆に、いつものファミレスでお祝いパーティーを開いてもらっていた。
「や、ごめんね、僕の都合でマロには面倒を掛けて……」
乾杯をしてすぐ、師匠がそう頭をさげてくる。
「いやいや、良い経験になったんで」
「しかし、あっさり一発で実技をクリアするなんて……。マロも、もう完全にプロクラスだね」
これまでも世間には、完全にプロクラスと言われてきたが、本物のプロである師匠からもお墨付きをもらい、俺は内心でかなり誇らしくなった。
「筆記試験や諸々の条件も簡略化されたことだし、マロもこの勢いで四ツ星になっちゃえば?」
「うーん……」
「まあまあ、今はそんな話いいじゃないッスか! せっかく皆で集まったんですし、もっと面白い話しましょうよ!」
俺がなんて答えたものか迷っていると、アンナがそう割り込んできた。
「なんか面白いカードとか魔道具手に入れました?」
師匠や織部から見えない角度からそう言うアンナの眼は、余計なことは言うなと語っていた。
ふむ……Bランクカードのドロップは当然言えないとして、家族に渡した分も言いづらいとなると、残りは……。
「そうだな。アラクネー、付喪神、モルモー……こんなところかな? 魔道具は特に面白いのは無し。コールドアイロンが出たから売って金にしたわ」
「へえ、確かに面白いのが出たね」
「アラクネーッスか。生産系は揃えたつもりでしたけど、食材系に偏ってましたし、地味にウチらに欠けていた要素ッスね」
「うむ。服を自分たちで作れるのは助かるな」
アラクネーの名に、女性陣……特にファッションにこだわりのある織部のテンションが上がる。
やっぱ、そこらへんは気になるところなのか。
「僕としては付喪神も面白いと思うね。……アンゴルモアが始まったら学校そのものを付喪神化できるか試してみたいな」
その師匠の言葉に、俺たちは三人で顔を見合わせた。
学校そのものを付喪神化? その発想はなかったな……。
「……確かに、試してみる価値はありそうッスね」
「もし内部の人工魔道具を取り込んで付喪神化できるなら、機械破壊で破壊されなくなったり、回復魔法で治せるようになるかもしれん」
「もし可能であれば、付喪神の価値は跳ね上がりますね」
「人工魔道具の付喪神化は、すでにデータがあったはず。確か機械破壊が効かなくなったはずだよ」
「拠点内部に置かれただけの物に関してはどうなるかご存じッスか?」
「そこまでは……。そもそもどこまで大きな物を付喪神化できるかもわからないし。たぶんどっかの研究所じゃ研究してるんだろうけど」
「……そうッスね。そこについてはウチの方で調べてみます」
アンナは忘れないようにスマホに何かメモすると、バッグからリストを取り出して俺に渡してきた。
「ついでなんで、うちらが手に入れたカードと魔道具についても共有しておきますね。なにか欲しいのありますか? 買い取りになりますが」
「ん〜」
俺は、ざっとCランクカードとレアドロップの欄にだけ眼を通した。
■カードのドロップ
・Cランクカード合計5枚。
牛頭鬼(ゴズキ):牛頭の地獄の獄卒。二体一対型のカードであり、馬頭鬼(メズキ)とセットでその真価を発揮する。→織部が買い取り。
ヴィーヴィル:美女の上半身と飛竜の下半身を持つ竜人。魔法全般に強い耐性を持ち、ありとあらゆる攻撃を一度だけ反射する先天スキルを持つ。冒険者部でキープ。
ジャンヌ・ダルク:ウィッチの亜種。生まれは人間だが、魔女として火刑に処された逸話により、迷宮においてはモンスターとして出現する。魔女でありながら聖女としての側面も持ち、攻守において高い安定感を持つ。→二年の一条かおりへレンタル。
ウィッチ:冒険者部でキープ。
マギウス:ウィッチの男版カード。→二年の小野弘之へレンタル。
■アイテムのドロップ
・レアドロップ(15)
コールドアイロン(10kg×5):10㎏あたり1億4000万円。合計、約七億で売却済み。
白紙のカードの束:売却済み一千万。
真竜の角:ドレイクの角。使用することで魔法の威力を上げ、鋭い切れ味を持つ角を生やす。5〜10回は使用可能。
龍の玉:東洋の龍が持つ玉。使用することで、高等魔法使いスキルを一時的に付与する。5〜10回は使用可能。
名酒・酒屋殺し
サラマンダーの外套
バロメッツ
短距離転移のマジックカード:ショートテレポートの魔法が封じられている。数メートルから50メートルほどの距離を一瞬で転移できる。緊急回避用。
遭難のマジックカード
レベルアップのマジックカード
クレアヴォイアンスのマジックカード
■カーバンクルのドロップ
・ガーネット合計90個。未回収残り20個
・金色のガッカリ箱
宝籤(5):十枚セットの黒色無地のカード。使用することでランダムでモンスターカードへと変化する。
宝箱(2):両てのひらに乗る程度の小さな宝箱。開けると中にカード化されたアイテムが入ってる。宝籤のアイテム版。「ガッカリ箱の中にさらにガッカリ箱が入ってた……」by冒険者。
髭切:渡辺綱(わたなべのつな)が鬼を切ったとされる刀。鬼属性に対する特効と再生阻害の効果持ち、500相当の戦闘力を持つ。
転移のマジックカード(2)
「ふむ……ガーネットの数にくらべてドロップが少ないな」
「今回は、簡単に地上に帰れないので、一気に迷宮を駆け抜けて踏破する方針にしたんスよ。
とにかく先に進むことを優先して戦闘自体を回避したんで、ドロップは少なくなったんスけど、代わりに現在二周目の踏破目前って感じッス。ただコールドアイロンに関しては高騰中なんでちょっと優先的にドロップを狙ってる最中ですね。売却費は、そのままマヨヒガなどの異空間型スキル持ちの購入に充てました」
なるほど……。コールドアイロンは、今やガーネットなんかよりもよっぽど資金源になるからな。
「お、ヴィーヴィルがドロップしたのか……」
「はい。……先輩買い取りますか? 確か、ドラゴネットが、ヴィーヴィルダイヤに反応してましたよね?」
……確かに、ウチのマイラがヴィーヴィルダイヤに反応を示していた。
最初にヴィーヴィルを倒した時は、人間勢が集まっていたので遠慮して言わなかったらしいのだが(滅私奉公がマイナスに働いた形だ)、実はダイヤに惹かれるものがあったのだと言う。
つまり、マイラはこれで五種の霊格再帰を持つということになる。
ヴィーヴィルダイヤは、キーアイテムに使うより因果律の歪みの解消という唯一無二の役割があるためこれまで与えていなかったのだが、ヴィーヴィルのカードがドロップしたとなると話が違ってくる。
俺は少し考え、頷いた。
「そうだな。買い取らせてもらえるか? それと、この髭切も」
「髭切もッスか? 他に欲しがってる人もいないんで別に良いッスけど、別に買い取らずとも使いたいなら先輩が使っても良いッスよ?」
「いや、買い取るよ。ちょっと思うところがあってな。合計でいくらになる?」
「そうッスね。後で相場を調べてから連絡します」
まあ、実際はガーネット用の資金から出るんだろうけどな。
「……ってか、ついつい聞きそびれたけど、この学校の有様はどういうことだよ?」
ハッと思い出した俺が問うと、アンナはアチャーと天を仰いだ。
「やはりお気づきになられましたか」
「そら気づくわ」
バカにしとんのか。
「アンナよ、こうなったら年貢の納め時という奴だ。洗い浚い先輩にぶちまけてしまえ」
「そうそう、ちょっとマロに怒られた方が良いよ。いくらなんでもやり過ぎ」
ここぞとばかりに敵に回る織部と師匠に、アンナはバツの悪そうな顔で頬を掻いた。
「や、ウチが特になにかしたってわけじゃないんスけどね……別にウチは学校休んでまで迷宮に潜れとは一言も言ってませんし、部員数に関しても流れによるものというか」
「そうなのか?」
「はい。……先輩やウチらが授業休んでまで迷宮に潜ってるのを見た新入部員たちが、勝手に真似をし出したというか」
「あー……」
そうか、俺たちが率先して授業サボってたら、そりゃ真似する生徒も出てくるか。
「で、それがなんで全校生徒の半分も冒険者になる事態に繋がるんだ?」
「ふむん……。まず、新入部員の皆さんは、自分たちも学校の迷宮に潜りたがったんスよ。彼らにとって迷宮=学校のというイメージが強かったのと、プロがついていれば安心という考えからでしょうね。……でも、当然連れていくわけにはいかないッスよね?」
「まあ、そりゃあなあ……」
ただDランクカードを持ってるだけの新米冒険者が、あの迷宮の過酷さについていけるわけがない。
なんなら第一階層の砂漠すら踏破できないだろう。
「でも、それをストレートに言うわけにはいきませんし、新入部員に詰め寄られる中、どうしたものかと思っていたところ、小野さんがやってきまして」
「小野が?」
「ええ、Cランク迷宮に連れていけとは言わないから、せめて新入部員たちにDランクカードを返済できるチャンスを与えてくれ……と土下座してきまして」
「ふむ……つまり、Dランク迷宮に自分が連れていくって言ってんのか? その代わり、Cランクカードをいくらか貸してくれ、と」
俺がそう言うと、師匠がちょっと驚いた顔をした。
「マロ、よくわかったね」
「いやぁ……アイツの考えそうなことだから」
小野の考えが理解できてしまう、というのはなんとなく嫌な気分だった。
ついでに言うと、新入部員たちが学校の迷宮に入りたがったのも小野の誘導だろうし、土下座もヤツお得意のパフォーマンスだろうな。
「ウチはその提案を飲むことにし、小野さんと女子で唯一二ツ星だった一条かおりさんをそれぞれ男女のリーダーとし、お二人にCランクカードをレンタルしました。さらに、プロの引率もなく学校外の迷宮に行くわけですから、立候補してきた立花先生にマヨヒガを一枚預け、顧問として引率してもらうことにしました」
なるほどね……。あのジャンヌダルクとマギウスのレンタルはそういうことか。
それに、先生にマヨヒガを持たせることで、初心者揃いの新入部員たちでもストレス無く泊りがけで攻略をできるように整えた、と。
「こうして新入部員たちが自力でDランクカードを手に入れられる環境が整ったわけッスけど……ここで一つ問題が発生しましてね」
「問題?」
「はい。……カードを手に入れた部員が、友人にカードのレンタルを始めたんスよ」
「あー……なるほど」
そうか、そういう事も当然起こるか。
俺が、四之宮さんや東西コンビにDランクカードを配ったように、仲の良い友人にDランクカードをレンタルするヤツがいても不思議ではない。
当然、中には悪意を持って異性にカードをレンタルする輩もいることだろう。見返りにカラダを要求したりな。
「小野さんからの報告でそれを知ったウチは、このままでは色々と問題があると判断し、カードのレンタルを始めた生徒へウチからレンタルしたカードの返却を求めました。当然、カードを没収された生徒は、自分が貸し出した方のカードの返却を友人に求めました。
これで一応、だいたい元の形に戻ったんスけど、このままでは再度同じことが起こると判断したウチは、新しくDランクカードを手に入れた生徒にはウチからレンタルしたカードの返却を求めることにしました。
その上で、回収したカードを人格的に問題ない生徒へとより積極的に貸し出すことにしました。無差別に校内の冒険者が増えるくらいなら、せめて冒険者部の方でコントロールした方がマシッスからね。
そうして増えた新入部員たちがDランクカードを手に入れ、それを返却しに来て、ウチはそれをさらに入部希望者へレンタルし……」
「ってサイクルでどんどん校内の冒険者数が増えてきた、と」
なるほどなあ。
校内の半数以上の生徒が冒険者になったカラクリがわかり、俺は深く頷いた。
確かに、その方法なら効率よく冒険者を増産できるか。
三ツ星冒険者が一人でもいれば、一ツ星冒険者を量産できるという良いモデルケースだな。
これまで同様の手法を誰も取らなかったのは、カードを貸す側にメリットがないからだろう。
カードを持ち逃げされたりロストされるリスクを背負って、リターンは精々一月分のレンタル料と恩を売れることぐらいしかないからな。
アンゴルモアが迫り、少しでも人手が欲しいこんな状況でもなければ、誰もやらないだろう。
ただこの方法では、アンナよりも実際に面倒を見ている小野たちの方が新入部員たちへの影響力が強くなってしまうが……まあ、彼女もそれはよく理解しているだろうし、問題はないのだろう。
「ね? 特に悪いことはしてないでしょ? そりゃ、さすがに一気に増やし過ぎたのは認めますが、皆さん戦う力がないことを不安がってましたし、死人はもちろん大きな怪我をした人たちもゼロ。みんな喜んでましたよ。先輩も、廊下で頭を下げられたんじゃないッスか?」
……ふむ。
まあ、確かに悪いことは何一つやってない、か。
校内の半数以上を取り込んだと聞いた時は、反射的にやり過ぎだと思ってしまったが、話を聞けば仕方ない部分もあるし、何より冒険者数の増加は、そのまま自分で身を守れる生徒が増えることに繋がる。
懸念であったカードの力で横暴を行う生徒の存在も、校内の半数以上がカード持ちとなったら、暴力を振るえる相手も減るだろうし、それを止める生徒の数も同じように増えている。
結果的には、アンゴルモア中の校内の治安安定に繋がるだろう。
半ば学級崩壊を超え学校崩壊となってしまって、教頭たちまともな教師たちに迷惑をかけてしまっているが、ぶっちゃけ学校の勉強なんてアンゴルモア中は何の役に立たないしな……。
仕方ない……か。
と、俺が納得しかけたその時。
「————だが、他の生徒たちの日常を奪った」
鋭い一言が、場を切り裂いた。
ハッ、と師匠を見る。
師匠は、いつになく険しい表情で真正面からアンナを睨んでいた。
「普通の生徒たちが過ごせる、平和で貴重な最後の日常だったのに」
「……………………へえ」
スッ……と、アンナの顔から表情が消え失せた。
急速に、場の空気が冷えていく……。
「……そんなに大事な日常なら、なぜ皆もっと大事にしなかったんです?」
「なんだって……?」
眉を顰めて聞き返す師匠に、アンナはうっすらと冷笑を浮かべて言う。
「だって、そうでしょう? この日常がいつまでも続かないことなんて、わかりきっていたことじゃないですか。TVでもお偉い学者さんたちが何度も迷宮終末論を唱えて、警告してくれてましたしね。でも、世の大半の人たちは、そんな現実から目を背けて、いつまでも今日と同じ明日が続くと妄信してきた。危機に備えるわけでもなく、かといって残された日常をできる限り楽しむわけでもなく。ひたすら怠惰に浪費してきた。いや、今も浪費し続けている。この平和な時間が嗜好品であることに気づかないまま……」
「……………………」
「私は、大事にしてきましたよ。アンゴルモアに備えて戦力を整えつつ、親友と同じ高校に入って、尊敬に値する先輩と一緒に部活をつくり、夏には一緒に花火をして、学校にお泊りして……。ただ単に危機に備えるだけじゃなく、限りある貴重な日常を、できる限り楽しむ努力をしてきました」
楽しかったこの一年に想いを馳せるように、暖かな笑みを浮かべていたアンナだったが、そこで一転して露骨な嘲笑へと表情を切り替える。
そして、吐き捨てるように言った。
「他の生徒たちの日常を奪った? ハッ、知った事かよ。どうせアイツ等、街中で配られるポケットティッシュみたいに、無造作に一日一日を使い捨ててきたんだろうが。いまさら、ちょっぴり残った日常を大事にしてんじゃねーよ」
アンナが、師匠を睨む。
内に秘めていた怒りを吐き出すかの如く、凶悪に歯を剥き、言った。
「————これまで怠惰に過ごしてきたモブ(キリギリス)どもは、これから来る冬の時代で無駄に過ごしてきた日常をオカズに、自分を慰めてろ……!」
場に、重い沈黙が落ちる。アンナの発する異様な威圧感に、誰も一言も発することができずにいた。
やがて、師匠が絞り出すように言う。
「…………それが、君の本音か」
アンナは、ニッコリと……しかし常のそれとは明らかに違う冷たい笑みで応える。
「だとしたら?」
「学校のみんなや、近隣住民を助けるというのは……嘘か?」
「まさか! ちゃんと助けますし、そこらの避難所よりずっと安全で快適な待遇を約束しますよ。……可愛い可愛い、将来の領民(働きアリ)候補ですからね!」
空気が、異様に重かった。
俺と織部は、頬に冷や汗浮かべて、肩を寄せ合い場の片隅で息を潜めているしかなかった。
なぜ、こんなことに……俺の実技試験突破おめでとうパーティーのはずだったのに。
「……………………ふぅ」
師匠は、しばし難しい顔で黙り込んでいたが、やがて大きくため息を吐くと、言った。
「……近隣住民や一般生徒たちを助ける気があるなら、僕から何も言うことはない。……たとえ君が腹の中でどう考えていようとね」
それを聞いたアンナは、わざとらしく胸を撫でおろし、パンと両手を打ち鳴らした。
「あー、良かった! こんな『くだらないこと』で喧嘩なんて馬鹿らしいですからね。仲良くしましょう、仲間なんですから」
「くだらない、ね……」
師匠が、ポツリと呟いた。
————その後は、とても食事を続ける空気ではなくなり、解散となった。
一人家路へと歩きながら、考える。
まさか、アンナがあんな毒を内に秘めていたとは……。
いまさら、ちょっぴり残った日常を大事にしてんじゃねーよ、か。
これは、耳が痛かったなあ……。
たぶんアンナは、俺に言ったつもりもないだろうし、俺のことをそう思ってないからこそあの場でそう発言したのだろうが、これはまさに俺に突き刺さる言葉だった。
俺こそ、アンナの言う日常を大切にしてこなかったキリギリスの一匹だからだ。
日常の大切さに気付いたのは、つい最近のことで、最後にちょっぴりだけ残った部分を、いまさら後生大事にして過ごしている。
しかも、蓮華に忠告されなければそれすら無駄遣いしていた、マジもんの大馬鹿者だ。
アンナが怒る気持ちもわかる。
俺の知る限り、十七夜月アンナほど毎日を大事にしてきた人間はいない。
彼女は、この世界にあって、平和な日常が貴重品であることを認識していた数少ない人間だった。
そんな彼女から見て、怠惰に毎日を過ごしている人々たちは、酷く無駄使いをしているようにしか見えなかったのだろう。
だが……その一方で俺は、それが必ずしも悪いことだとは思わないのだ。
なぜならば、『日常の大切さに気付かずに過ごしてきた日常』も、決して無意味だとは思わないからだ。
まったりした穏やかな時間や、無邪気な笑顔は、そういう日常の中にしか存在しない物だ。
……アンナは、いささか時間に追われ過ぎるところがある。
バイキングで時間制限ギリギリまで好物を腹に詰め込む客のように……まるでゆっくりすることを罪かのように考えているように思えるのだ。
師匠は、あれでのんびり屋さんなところがあって、空いた時間をお昼寝して過ごすのが幸せ……みたいなところがあるから、そういうところも二人は真逆と言えるだろう。
いずれにせよ、今回のことで、師匠とアンナの間に確実に溝ができたのは間違いない。
二人ともリアリストであるため、個人的な感情が冒険者部の行動に支障をきたすことはないだろうが、その思想に差があり過ぎるのは明らかだ。
「はぁ〜……」
思わずため息がこぼれ出た。
アンゴルモアが目前に迫ったここで、アンナと師匠との間に溝ができてしまったのは本当に痛い。
平和な今ですら溝が生まれてしまったのだ。
さらに厳しい判断が迫られるアンゴルモアが始まったら、一体どうなってしまうのか……。
……いや、違う! どうなってしまうのか、じゃねえ!
いつまで他人事なんだ! 二人の間に溝が生まれてしまったのなら、俺がその間に立てば良い。俺だけじゃない、織部だっている。
人間関係、些細なことで溝ができることなど珍しくはない。
そういう時にどう立ち回るのか、それが重要なのだ。
そうとなれば、アンゴルモアが始まるまでの間に、どれだけ両者の関係を修復できるかだな。
どうか、これ以上二人の溝が広がるような事件が起こりませんように……。
俺は、夜空へとささやかな祈りを捧げた。
————全冒険者に向けてAランク迷宮攻略の公募の通知が届いたのは、その夜のことだった。
【TIPS】日常
十七夜月 アンナは、冒険者部の中で最も日常の価値を知り大事にしてきたが、しかしその一方で、自らを異物として排斥し続けてきた日常を構成するパーツ(キリギリス)たちに対しては、深い怒りと嫌悪を抱いている。女王蟻である彼女が愛する対象は、同胞である蟻たちのみ。
織部 小夜は、冒険者部の中で最も日常を愛しているが、しかしそれが限りあるものである事実からは目を背け、それがいつまでも続くと妄信してきた。彼女は、怠け者の働き蟻である。だが、女王はそれを許すだろう。なぜならば異種たちの中にあって、彼女は唯一女王の孤独を癒してきてくれた存在なのだから。
神無月 翼は、冒険者部の中で最も日常を守るために行動してきた人間であるが、みんなの日常を守るためならば自らの日常を切り捨てられる人間である。同じ蟻でありながら、微かに漂う違和感に、女王は疑惑を確信へと変えつつある……。
そして北川 歌麿は――――……。
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