第13話 大人たちも頑張っていたんだよ②

『オードリー、念のためにどこかに隠れていろ』


 アレースの姿を確認すると、俺は即オードリーを後方へと下げた。

 アンゴルモアが迫る中、貴重な異空間型スキル持ちをロストさせるわけにはいかない。


『かしこまりました。ご武運をお祈りします』


 俺の命を受け、オードリーが一礼して姿を消す。

 さて……こうも早くアレースが突っ込んでくるのは些か予想外だったが、これはこれで悪くない。

 軍勢召喚持ちにやられて最も嫌なパターンは、姿を隠されて延々と眷属を呼ばれることだからな。

 向こうが、わざわざ姿を現してくれるなら、むしろ好都合。

 まずは、アレースと共にマヨヒガに入り込んできたアマゾネスたちの駆除からだ。


『蓮華!』

『了ー解ッ!』


 蓮華が、半身である黒闇天を呼び出す。

 その姿は、かくれんぼのスキルで隠されているため見えないが、リンクで繋がっている俺には確かにその存在が感じられる。


 ————世界終末の夜。


 マヨヒガの中に、漆黒の呪いの雨が降り注ぐ。

 ありとあらゆる呪いが凝縮された雨は、まるで溶かすようにアマゾネスたちを消していく。

 強力な狂化のスキルであるが、その弱点は衰弱や毒、呪いといった生命力を削っていくモノと相性が悪いことだ。

 ただでさえ生命力が削られる中、それを加速させてやればあっと言う間にロストさせられる。

 効果中無敵状態となれるベルセルクのスキルとは、そこが違うところであり、バーサーカーが劣化ベルセルクと呼ばれる所以(ゆえん)だ。


 アレースもまた、身体を毒と呪いに蝕まれ、苦悶の声を上げる。

 それを確認し、俺は小さくほくそ笑んだ。

 ……レースの時にすでに吉祥天と黒闇天を手に入れていたのを織部に見抜かれた時は、一体どうなるかと思ったが、こうして大っぴらに黒闇天が使えるようになったのは僥倖だった。

 黒闇天を呼び出す時のエフェクトがカード召喚のそれと異なるため、召喚する時に注意する必要があるが、それもかくれんぼで姿を消した状態で呼べば問題ないしな。


 マヨヒガ内のアマゾネスが粗方消え去ったところで、オードリーに命じさせて大穴の空いた壁を閉じさせる。

 これで新たなアマゾネスは、正面玄関以外から入って来られない。

 さらに、マヨヒガは、すでにアレースの襲撃に備えその内部構造を変化させ、玄関からこのホールまでの道筋を複雑に迷路化させている。

 外で召喚済みのアマゾネスたちがここまでやってくるには、今しばらくの時間が掛かるだろう。

 もちろんアレースが再び壁をぶち破れば、そこから新しいアマゾネスたちが入ってこられるだろうし、この場で眷属を再召喚することもできるだろうが……その時間は与えない。


 アレースが新たな行動を起こす前に、全員で総攻撃をかける。


 たとえ主補正とフィールド効果によって強化されたBランクカードであろうと、総勢三十枚を超えるカードの集中砲火に耐えられるものではない。

 特にこのホールは、アレースの突入に備えて包囲網が敷けるよう内部構造を弄ってあるのだ。

 アレースがそのスキルでこちらの『陣地』……有利な効果を破壊しようとも、『地形』という有利までは無視できない。

 蓮華を始めとする高等攻撃魔法持ちの重力魔法により地面に押さえつけられたアレースへと、容赦なく降り注ぐ攻撃・状態異常魔法と弓矢の雨。

 みるみるうちに削られていくアレースの生命力に、俺が内心で勝利を確信したその時。


「む……!」


 ドクリ、と空間が脈動した。

 同時に、アレースが急速に膨張していく。

 マヨヒガの天井を突き破り、どこまでも高く伸びていくアレース。

 もはやこちらからは、膝をついた下半身しか見えず、その脚すらも高層ビルのように太く高い。


「巨神化か!」


 巨神化。状態異常に弱くなる代わりに、生命力、耐久力、筋力を数倍するという巨人化の上位スキルだ。

 強化の倍率を上げれば上げるほどその身体も大きくなっていき、最大である十倍まで強化した時の身長は、元の百倍ほどにもなる。

 元のアレースの身長が2メートルほどだったから、最大まで強化しているならば全長は約200メートルにもになる。

 その圧倒的な体格差は、そのままリーチと攻撃範囲の差となっており、ただの張り手、足払いが全体攻撃になるほど。

 ただでさえステータスが強化されている主の生命力やら耐久力が十倍になるというのは、絶望的である。


 ————ただし、アレースが男でないならば、とつくが。


 巨神化は確かに強力なスキルであるが、デカくなればなるほど状態異常に弱くなるという致命的なデメリットがあった。

 俺から見れば、先ほどまでの通常形態の方がやりにくかったくらいだ。


『作戦通りだ! やるぞ!』

『おー!』『りょーかーい!』『はあ、しょうがないなあ……』


 友情連携——『真・吉祥天の真言』×『真・黒闇天の真言』×『可愛さ余って憎さ百倍』×『巫山の夢』


 神の属性を持つカードは、特にスキルを持たずとも状態異常に耐性を持つ。

 それに加えて主補正とフィールド効果で強化されているアレースは、男性特攻で耐性貫通を持つメアであっても確実にスキルが通る保証はない。耐性貫通は、確率で耐性を貫通するだけのスキルだからだ。

 しかし、自らのスキルにより状態異常耐性が低下した今ならば話は別。

 そこへ、真スキル化した吉祥天と黒闇天の権能スキル、鈴鹿の呪術強化とモリモリにバフを盛っているのだ。

 ここまですれば、いくら主といえども確実に通る。

 通らなかったとすれば、それはもうフィールド効果で状態異常そのものが無効化されていた場合のみ。

 しかし、それは無いことは、ここまでの戦いで確認済みだ。

 ぶっちゃけ、ここまでの戦いは、アレースが状態異常無効のフィールド効果を受けているかを確認するためのモノだった。


 が、ここで誤算が一つ。

 それは、巨神化アレースの身体の大きさだった。


「マズイ! アレースが倒れるぞ!」


 グラリと身体を傾けたアレースを見た師匠が、顔を青くしつつ叫んだ。

 あの巨体の下敷きになったら、カードのバリアがあろうとなかろうと一発で死んでしまう……!

 俺たちは慌てて逃げだした。

 アレースが、マヨヒガを潰しながら倒れる。

 なんとか下敷きを免れた俺たちは、転倒の衝撃でアレースが目覚めないかじっと見守り……目覚める気配がないのを確認してホッと一息ついた。


「いやー、危なかったッスね。アレースの巨体を計算してませんでした」


 額の汗を拭いつつ言うアンナに、織部が冷や汗を浮かべつつ頷く。


「巨神化スキルのことは知っていたが、やはり知識と実際では大違いだな」


 切れた緊張感の中、二人が軽く反省会に突入しかけていると、師匠がパンパンと手を叩いた。


「ほらほら、まだ気を抜かない。アレースはほぼ倒したようなものだけど、召喚されたアマゾネスは健在だよ。マヨヒガが半壊した今、どこからでも入り放題なんだから」


 師匠の注意に、女子二人が『あっ……!』と慌てて周囲の警戒をした。

 ちなみにだが、俺はちゃんと周囲の警戒をしていた。

 これが、後輩二人との経験の差だ……と言いたいところだが、以前同じように師匠に注意されたことがあっただけである。

 その後、続々と現れだしたアマゾネスの始末をしながらアレースの様子を窺っていると、ようやくメアがアレースの生命力を削り切った。

 あと一口でアレースを食い終わるというところでストップさせ、アンナへとアイコンタクトを送る。

 それを受けてアンナが頷き返すのを確認し、俺は蓮華とパーフェクトリンクを行った。


 ————迷宮攻略中、運命操作を使うに値する主が出た際は、運命操作を使うと決めていた。


 何が出るかわからない宝籤のカードに対して、実際にその眼で見てその価値を測れる迷宮の主をみすみす逃す手はない。

 織部と師匠に運命操作のことを隠している現状、このアレ―スの所有権は冒険者部で共有のものとなってしまうが、仕方ない。これで冒険者部全体の生存率が高まれば、俺はそれでよい。

 むしろ精神的には、こちらの方が楽ですらある。

 アンナは、アンゴルモア後に正式に俺に所有権を移してもしても良いと言っていたが、これは隠し事をしているペナルティーみたいなもんだ。

 アレースは、アンゴルモア後もそのまま冒険者部の共有とするつもりだ。


 さて、ドロップに必要な幸運量は……ガーネット十四個か。

 ほぼ吉祥天と黒闇天をドロップした時と同じ数。

 特殊型での二枚同時ドロップも、単体でのドロップも同じドロップ率ということなのだろうか?

 そんなことを考えながらも、ガーネットの幸運を注ぎ込んでいく。

 やがて、アレースが消え去り……。


「……や、やった! ドロップした! 皆さん見てください、カードがドロップしたッスよ!」


 アンナが、歓喜の声を上げた。

 裏事情を知っている俺からするとわざとらしいくらいの大袈裟な喜びようだが……。


「な、なに!? ホントか、アンナ!?」

「え!? ホントに?」


 他の部員は特に疑問に思わなかったようで、というかそれどころではないようで、小走りにアレースのいたところへと走っていく。

 俺もそれに「おいおい、マジかよ……!」などと言いつつ続いた。


「うわ、ホントにドロップしてる!」

「まさか、こんなにも早くBランクカードがドロップするとはな……!」


 普段クールな師匠と織部も、めったにないBランクカードのドロップに興奮しているようだ。

 これを見ると、アンナの大袈裟な喜びようも満更不自然な演技というわけでもなかったのかも知れないと思いつつ、俺もなるべく興奮したように……。


「アレースって市場価格いくらだっけ? これ一枚でアンゴルモアに必要な物資全部揃うんじゃね!?」

「アレースは……確か少し前で四十億くらいで、今は六十億くらいだったかと。アンゴルモア向きの能力ですし、これからもっと値上がるかもしれません」


 五十億という金額に、皆に見えない衝撃が走った。

 それは、この状況を仕組んだ俺も例外ではなかった。

 まさか……そんなに高いとは。

 ちょっとだけ、ディオニュソスじゃなくこっちが宝籤のカードで出てくれれば……と思ってしまったくらいだ。


「……どうするんだ、アンナ? 売るのか?」


 言葉もでない様子の皆の代わりに、動揺の少ない俺が代表して問いかける。


「皆さんはどう思いますか?」


 こういう時、まずアンナは皆の意見を聞くことから始める。


「我は……すまん、正直判断がつかん。売ればアンゴルモアの備えに関しては大体解決するだろうが、アンゴルモア時の戦力としても欲しいしな」

「僕も、判断つかないな。売るにしてもタイミングが難しいよね。アレースは今後も値上がっていく可能性が高いけど、当然他のアンゴルモア向けのカードも値上がっていくだろうし……どっちが得なのか。残しておくとして、誰が使うかって問題もあるよね」


 織部と師匠は、実質保留か。

 つまり、俺とアンナの意見が結論に大きく影響することになる。

 アンナの事前の読み通りだ……。


「俺は、取っておくべきだと思う」


 みんなの視線が俺へと集中する。


「アレースは、アンゴルモアの時に真価を発揮するカードだと思う。アレースの眷属の強化に特化したスキルは、俺たち全員の眷属持ちの価値を一段階上昇させる価値がある」


 眷属の戦闘能力を実質ワンランクアップさせられるということは、ウチのメアならBランクカード相当のサキュバスを無限に召喚できるということだ。

 確かに、売れば物資問題は一気に解決するだろうが、手放すにはあまりに惜しすぎる。


「売るにしても、アレースならこれからも値上がりしていくだろうし、今焦って売る必要はない。もしアンゴルモアが間近に迫ってきて、それでも物資が揃ってなかったらその時売れば良い。それまでに物資が揃えば売る必要もなくなる」


 俺の言葉に、皆は確かに頷く。


「取っておくとして、誰が使う? 所有権はチームとしても、これだけのカードを眠らせておくのは惜しいだろう」


 織部の問いかけに、俺は唸った。


「うーん……とりあえず、俺は却下だな。男カードだし」

「そういう意味では、ウチも無しッスね。アレースは何気に悪属性ッスから、ウチとは相性が悪いッス」

「ふむ。我は、相性は悪くないが……無しだな。趣味に合わん」


 皆の眼が、一人残った師匠へと向かう。


「……じゃあ、僕が使わせてもらおうかな。相性も悪くないし」


 師匠は、極まれにいるというどの属性とも少しだけ相性が良いタイプである。

 いわば、万能属性とでも言うべきか。

 この手のタイプは、せっかく万能属性を持って生まれてきても結局後天属性によって得意不得意が生まれてしまうらしいのだが、師匠は満遍なくカードを使うことで後天属性も偏りが生まれないようにした、真の万能属性の持ち主だった。

 その最大のメリットは、通常は属性に縛られがちなデッキを、自由に構築できることだ。

 どうしても属性によりデッキの傾向が偏りがちな冒険者にとって、師匠のような万能属性が一人でもチームにいると、戦略の幅が大きく広がる。

 こうして有能なカードを手に入れてもそれを活かせる者がいない時、その受け皿となれる……というのも隠れたメリットだった。



 それから。

 踏破報酬を回収し迷宮を出た俺たちは、いつものファミレスで打ち上げを行うことにした。

 部室に鍵を掛け皆で学校を出た頃には、時刻も夜八時を回っており、辺りはすっかり暗くなっていた。

 それでも、Bランクカードをゲットしたこともあり、皆の雰囲気は明るい。

 織部と師匠も、珍しくテンション高めにアレースを使った戦略などを熱く議論している。


「先輩、例のアレは大丈夫ッスか?」


 そんな中、二人の意識がこちらに向いていないのを確認したアンナが、こっそりと話しかけてきた。

 ……例のアレ。運命操作による因果律の歪みのことか。


「ああ、大丈夫だ」

「そうッスか……何かあったら、即ヴィーヴィルダイヤを使ってくださいね」


 ————ヴィーヴィルダイヤには、因果律の歪みを打ち消す効果がある。


 この効果が判明したのは、二週間ほど前。宝籤カードからディオニュソスを引き当てた時のことだ。

 次の運命操作では試してほしいと渡されたヴィーヴィルダイヤだったが、ダイヤ自体は

 幸運のエネルギーを持っていないことはすぐにわかった。

 だが、カーバンクルガーネットの類似品と思われるヴィーヴィルダイヤに、何の絡繰りもないとは考えづらい。

 そうして色々と調べてみたところ、どうやらこのダイヤには因果律の歪みを打ち消す力があるらしい、ということがわかったのだ。

 使用したダイヤは、ガーネット同様粉々に砕けてしまう。

 打ち消せる歪みの量については、少なくとも運命操作一回分は消せるようだが、それ以上については不明。一定量を消せるのか、あるいは歪みの大きさに関わらず一個で全消しできるのか……実に気になるところだが、それを知るために歪みを溜める気にはなれない。

 今のところは、運命操作による因果律の歪みは出来る限り時間経過で消しつつ、前回の歪みが消えないうちに運命操作を使う必要が出来た時のみ、ヴィーヴィルダイヤを使う……使い方を想定していた。

 因果律の歪みによるしっぺ返しがどうなるか分からないし、万が一『見えない歪み』が溜まっていた場合を懸念しての備えだった。


「ところで、今回ガーネットはいくつ使いました?」

「えっと……七個、だな。本来は十四個消費のはずだったんだが」


 宝籤カードで吉祥天を出した時は、二十個のはずが十個で済み、デュオニュソスの時はさらに少なくわずか四個で済んだ。

 それで、今回は十四個使用のはずが七個……。

 どうやらホープダイヤの効果は、運の揺れ幅を二倍から最大十倍程度にすることで間違いなさそうだ。


「ふむふむ……ホープダイヤがあれば、ガーネット七個から十個でBランクカードが一枚手に入るわけッスか。やはり反則的ッスね、先輩のその力は……」

「俺の……ってわけじゃないけどな。蓮華の力だ」

「あんま違わない気もしますけどね、先輩しか使えないカードの能力なわけですし。……運命操作じゃない、幸運操作でしたか? 因果律の歪みが発生しない方では、どうなってます?」

「そっちは正直微妙だなぁ……あんま安定しなくてさぁ」


 すべての幸運のエネルギーを精密にコントロールできる運命操作と異なり、幸運にある程度の指向性を与えることしかできない幸運操作では、どうしても使用する幸運量にロスが発生する。

 ガーネット十個分の幸運量があったとして、カードのドロップ率に割り当てられる幸運量は、ガーネット五個分から八個分が精々で、あとは他の『幸運な出来事』に流れて行ってしまうのだ。

 なので……。


「多分、安定してBランクカード出そうと思ったらホープダイヤ込みで最低二十個以上は必要になると思う」

「そうッスか……それでも因果律の歪みを気にせずにBランクカードが出せるというのは大きいッスね」


 確かに、ガーネットを大量に消費するとは言え、因果律の歪みを気にせずに済むのは幸運操作の大きなメリットだ。

 因果律の歪みを考えれば、運命操作が使えるのは月に一回か二回。大体二月に三回と言ったところか。そこからさらにヴィーヴィルダイヤ一個につき一回。一月に一個手に入るとして、アンゴルモアまでに最大六個か、七個。

 ガーネットは、月に五十個近く手に入るから、そのうち二十個は運命操作用として、一月に三十個はストックできる。幸運操作でBランクカードを出すには二十個は欲しいから、やはり二月に三回か……。

 同じように暗算をしていたのか、指折り数えながらアンナが言う。


「大体二月に八枚はコンスタントにBランクカードを得られそうってわけッスね。となると問題になってくるのは、宝籤カードッスか。前回は二セット落ちたのに、今回は一セットも落ちませんでしたからね……」

「宝籤カードは、ギルドでも売ってないからなあ。冒険者たちから買い集めるって手もあるけど、大々的に募集したら確実に目立つだろうし……」

「国も確実にガーネットと宝籤カードには網を張ってるでしょうからね……」


 つまり、自力で手に入れるしかないということだ。


「……先輩の力で宝籤カードをガッカリ箱から出すってのはできないんスか?」

「あ〜、それは無理なんだよな……カードの種族を選んだり、ガッカリ箱から出る魔道具の指定とかはできない」


 俺に出来るのは、ランクの高そうなカードやアイテムが出る可能性が高い道を選ぶところまでだった。


「うーん……そこまで上手くいきませんか。まあ、そのうち出るのを期待して、それまでは節約して使っていくしかないッスね。ヴィーヴィルダイヤはいつでも使えるわけですし」

「だな」

「————ところで、明日って特に予定ないッスよね?」

「? ……ああ」


 突然の話題転換に一瞬首を傾げ、織部と師匠の議論が終わりかけていることに気付いた。

 目ざといな……と思いつつ、俺も話を合わせる。


「まあ、さっき明日が休みって決まったわけだからな」

「そうッスよね」


 と、アンナは頷き、ニッコリと笑った。


「では、そろそろ例の件、お願いしても良いですか?」

「うっ……」


 俺は思わず呻いた。

 つ、ついにこの時が来てしまったか……。


「何の話?」


 そこへ、師匠たちが話に加わってくる。


「いやホラ、以前ウチの父が先輩に会いたがってるって話をしたじゃないッスか」

「ああ……なんかマロと十七夜月さんの関係を誤解してるって言う」


 それで、師匠も話の流れがわかったのか、納得したように頷く。


「まあ、この一月は迷宮の攻略が忙しかったんで、それを口実に先送りしてたんスけど、さすがに最近煩くなってきて……」

「なるほど……迷宮も踏破してキリも良いし、ちょうど明日も休みだから……ってわけか」

「そーいうことッスね」

「で、マロは何をそんなに嫌がってるの?」

「何でって……」


 師匠の問いかけに、俺は顔を顰めて答えた。


「普通嫌だろ……こんな、娘さんをくださいみたいな挨拶。しかも、実際は付き合ってすらないんだぞ」

「別に実際は付き合ってないなら良いじゃない」


 どこか面白がるように言う師匠に、気軽に言ってくれるぜと舌打ちする。


「他人事だと思って……。相手がそう思ってるのが問題なんだっつの」

「いや、まあ、そこらへんはウチの方から父に何度か説明したんで、その手の誤解は解けた……と思うんスけど」

「そうなのか?」

「はい。…………たぶん」

「たぶんかよ」


 そこはきっちり誤解を解いておいてくれ……。


「いやぁ、まあとにかく、付き合ってるにせよ、付き合ってないにせよ、一度先輩を連れてこいって煩くて……」

「まあ、しょうがないから行くけどさ……恋人云々って誤解だけはもう一度言っておいてくれよ」

「わかりました」


 俺が改めてそう言うと、アンナは頷いたものの、やや不満そうな顔をして……。


「……けど、そこまで否定を念押しされると乙女心としては少々複雑なモノがありますね。そんなにウチと誤解されるのはご不満ッスか?」

「いや、そう言うわけでもないんだけどさ……」


 実際、アンナは彼女としては申し分ない女の子だ。

 可愛いし、スタイルも良いし、ノリが良くて男の趣味嗜好にも理解がある。きっと恋人に出来たら楽しいことだろう。……最近たまに見せるようになった危険な側面も、彼女の魅力と言えば魅力だ。

 だが……。


「なんかアンナのお父さんって怖そうじゃん。あと、娘を溺愛してる父親と会うってシチュエーションが、もうなんか嫌……」

『ああ……』


 俺の明け透けな本音に、皆が苦笑する。

 ウチにも愛がいるからわかるのだが、ちゃんと娘を愛している父親にとって、娘の彼氏とは、明確に敵なのだ。

 温厚なうちの親父ですら、愛が男子の名前を出すと若干警戒した空気を出すくらいである。

 一説によると、娘に恋人ができる感覚というのは、自分の女に他の男ができる感覚と極めて近いらしい。

 それは、別に娘に恋愛感情を抱いているとか、娘を自分の女と思っているわけではなく、娘を守る父親としての本能がそうさせるのだと言う。

 よって、娘が彼氏ないしそれに準ずるような存在を家に連れてきた時、友好的になる父親など存在しない。

 娘を愛するすべての父親は、娘の彼氏と対面したその瞬間、圧迫面接官と化すのだ。

 しかも、今回俺が会うことになるのは、明らかに娘を溺愛していると思わしき、大企業の社長……。

 Cランク迷宮に一人で挑む方が、まだ気楽だった。


「まあ、明日一日だけ我慢していただくってことで」

「そうそう、殺されるってわけじゃないんだしさ」

「別に嫌われても良いぐらいの気持ちで行けば良い。多少の怪我なら魔法やポーションで治るのだからな」


 ボコボコにされる前提ですか、織部さん?

 俺はがっくりと項垂れるのだった。






【TIPS】迷宮数の推移とランクごとの割合


 迷宮は当初、どこの国でも人口百万人あたりに一個出現し、そのすべてがAランクであった……とされている。

 あやふやな表現であるのは、当時の人類では五十階以上に到達できなかったためである。

 しかし、フィールド効果などの迷宮のギミックから考察するに、初期に現れた迷宮はすべてAランクだったのでは? という見方が主流となっている。

 日本においては、当初百程度であった迷宮数は、第一アンゴルモア千以上に増加し、第二次アンゴルモアで五千を超え、以降一年ごとに約二百ずつ増え、現在では七千以上となっている。


 ランクごとの内訳は、


 Aランク:約100

 Bランク:約200

 Cランク:約500

 Dランク:約1500

 Eランク:約2000

 Fランク:約3000


 となっており、Aランクの数は初期から変わっていないが、第一次の頃はAランクよりも少なかったBランクの数がついに二倍近くなってしまったこと、徐々にDランク以上の割合が増えつつあることが極めて問題視されている。

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