第11話 備えあれば患いなし②

 


「では、今日のところはこれで終わりということで。皆で無事にアンゴルモアを乗り切れるよう、明日から頑張りましょう!」


 アンナの号令に拍手で応え、ようやく長時間に渡る会議も終わった。

 部室の鍵を閉め、皆で学校を出る。

 そのまま駅前まで差し掛かったところで……。


「じゃあ、俺は立川でちょっと買い物があるから、ここで。また明日」


 そう言って、改札へと消えていく皆を見送った。

 そのまま近くの喫茶店に入ると、紅茶だけ頼み、一人静かに待つ。

 それから二十分ほどして……。


「お待たせしました、先輩」


 遠目にも目立つ赤毛を揺らし、楽し気な笑みを浮かべてアンナがやって来た。


「会議が終わったら皆にバレないように二人っきりで話したい……なんて」


 アンナは、悪戯っぽい笑みを浮かべて俺の顔を覗き込み。


「もしかして、愛の告白とか?」


 そう言ってクスクスと笑った。


「……楽しそうだな」

「フフ、そうですか? ……そうかもしれませんね。あ、お姉さん、レモンティーのホットを一つ」

「かしこまりました。他にご注文はよろしいですか?」

「大丈夫です」


 店員の女性を見送り、アンナがこちらへと向き直る。


「それで、愛の告白じゃないのなら何のお話ですか?」

「まあ、それは紅茶が来てからにしよう」

「へぇ……? わかりました」


 それから店員さんが紅茶を運んでくるまで、俺たちは無言で静かに待った。

 何が面白いのか、アンナは店内にいる人々の様子をじっと眺めている。

 テーブルの拭き掃除をしたり注文を取りに行く店員や、仕事帰りに一服している様子のサラリーマンなど、店内に特におかしな物や人は見当たらない。

 だと言うのに、アンナは美術館か博物館の鑑賞でもしているかのような眼差しで、飽きもせず店内の人々の様子を眺めている。

 彼女の目に何が映っているのか気になって、俺は問いかけた。


「……さっきから何を見てるんだ?」

「ん~? 日常……ッスかね」

「日常?」


 辺りを見渡す。……確かに、この店内の様子は日常の光景だ。つまり、どこででも見られるものであり、何も特別なものではない。

 俺がその意図をさらに問おうと口を開きかけたその時、店員さんが紅茶を持ってきた。

 ……なんとなく、機を逃した感があるな。まあ、大したことでもないから良いか。

 と防音結界の魔道具をカバンから出そうとして、俺はテーブルの上にすでにそれが置かれていることに気付いた。

 思わずアンナの方を見ると、彼女はチェシャ猫のように悪戯っぽく微笑んでいる。


「こういうのが必要なお話かと思って。もしかして、違いました?」

「……いや、そういう話だ」


 俺は妙に乾く喉を、紅茶で一口潤した。


「今日、アンナを呼んだのは……アンゴルモアの前に俺の秘密を話しておこうと思ってさ」


 そこでチラリと反応を窺う。

 アンナは、テーブルに肘をつき組んだ指の上に顎を乗せ、薄く微笑んで話の続きを待っている。

 そのどこか妖艶な貌に少し動揺しつつ、俺は続けた。


「アンナは俺の運が良すぎると感じたことはないか?」

「運、ですか? ……確かにレース中にサキュバスを手に入れたり、パックでアテナを当てたり、『持ってるな』と思ったことはありますね」

「まあ、サキュバスに関してはマジで偶然なんだが……アテナの方は偶然じゃない。必然だ。それがアテナだったのは偶然だが、Bランクが当たるのは、わかっていた」

「……まさか」


 アンナの顔から笑みが消える。

 ここからが、正念場だ。俺は一つ唾をのみ込み、言った。


「単刀直入に言おう。俺は自分の運をある程度コントロールできる。そういう力を持つカードを持っている。……ッ!?」


 その瞬間、俺は全身を視線が一瞬で這い回るの感じた。

 俺の挙動から、ありとあらゆる情報を抜き取ろうとしている……。

 まるで昆虫の複眼にじっと見つめられているかのような感覚。

 アンナは、すべての感情が抜け落ちたような無表情で、蒼い瞳だけ小刻みに動かしながら、しばし俺を注意深く観察していたが……やがて。


「……何か、証拠となるものは?」


 そう、囁くような声で問いかけてきた。

 俺は、なんとか生唾と共に動揺を飲み込むと……。


「そうだな……次の迷宮攻略で、吉祥天になった蓮華を見せる。それじゃ足りないか?」

「いえ、十分です」


 そう短く答え、アンナは肘を抱えて無言で俯いた。

 その顔は、赤い髪で覆い隠され、その表情を窺い知ることはできない。

 俺はそれを最初、話の信憑性を吟味しているのだろうと思っていたが、よく見ると微かに身体が震えていることに気付いた。


「……アンナ?」

「いえ、すいません。……少し、興奮してしまって」


 アンナが、ゆっくりと顔を上げる。

 その時には、身体の震えも収まり、少なくとも表面上はいつも通りの彼女となっていた。心無しか、頬が紅潮して瞳が潤んでいるように見える程度だ。


「先輩には何か秘密があるとは思っていましたが、これほどとは……。ちなみにこの話、他の人には?」

「いや、今のところアンナだけだ。……今まで黙ってて悪かったな」

「いえいえ、秘密にして当然のことですから。むしろ先輩が慎重な性格で良かったです。……本当に。しかし、そうですか、私だけ。フフ……」


 一瞬微笑んだアンナは、そこで指をコメカミに当て困ったような顔をした。


「しかし、そうなると少し困りましたね。……先輩がそういう力を持っているとなると、それに見合うだけの報酬を払うことができるかどうか」

「あ、いや、そういうつもりで言ったわけじゃないんだが……」


 俺がこの話をアンナへと話したのは、ガーネットを換金ではなく俺に回してもらい、冒険者部をより効率的に強化するためだ。

 能力をアピールして、報酬の配当を増やすことを目論んでのものではない。

 だが、そんな俺にアンナはキッパリと首を振り。


「いえ、能力と成果に対して正当に報いなければ、いずれその組織は必ず崩壊してしまいます。先輩は何か欲しいものはありますか?」

「……ある。今回アンナに秘密を話したのも、それに関係した話だ」


 俺の答えにアンナが満足げな笑みを浮かべ、頷いた。


「お伺いしましょう。なんでも言ってみてください」

「さっき俺がある程度運をコントロールできるって話はしたと思うんだが、当然ノーコストって訳にはいかない。これまでは普段の運を少しずつ貯めて、主と戦う時とか、ギルドのパックを引く時とかに貯めた運を一気に使ってたんだが……最近幸運のエネルギーを外部から補充できる方法を見つけたんだ」


 俺の言葉に、アンナは顎に指を当て、数秒ほど考え込むような仕草を見せると……。


「……もしかして、それってカーバンクルガーネットですか?」

「ッ!?」


 な、なんでわかったんだ!?

 俺が愕然としていると、アンナは少し自慢げに微笑んで。


「先輩の迷宮攻略中の様子から、もしかしてそうかなーと。ただの高額な換金アイテムに対して、妙に執着しているように見えたので」

「マジか……もしかして他の部員も気付いてると思う?」

「どうでしょう? ウチは普段から部員たちの様子に気を払うよう気を付けているので気付けただけですし、もしかしたら小夜あたりは気付いてるかもしれないッスけど……先輩の能力を知らなければ特に疑問にも思わないんじゃないッスかね?」

「そうか……」


 ホッと胸をなでおろす。まあ、ガーネットの効果を知らなければ、気のせいかな? で終わるだろうしな。


「しかし、ガーネットですか……なるほど。と、なるとやはり国もこの能力については気付いてるんスかね?」

「やっぱ、アンナもそう思うか?」

「はい。まず間違いないと思います。そう考えると色々と納得できることも多いですし。……ちなみに、その能力は宝籤カードにも有効だったり?」

「一応有効だ。でも、Aランクカードは、どうやらどれだけガーネットがあっても無理っぽい」

「ふむ? なるほど、Aランクは色々と特殊って話ッスからね。まあ、そういう話なら報酬はガーネットと宝籤カードってことで良いッスか?」

「まあ、そうしてくれるなら有難いけど、織部や師匠への分配はどうするんだ?」

「ああ、それについては現金での分配に切り替えようと思います。この先、普通に考えたらアンゴルモアに向けてガーネットとかの装飾品に関しては間違いなく値下がりしますからね。ガーネットでの分配よりも現金での分配の方が、皆も有難いはずですから納得してもらえると思います。

 口実としては、ウチが実家のコネで売り捌くことにして、みんなからはこれまで通り一つ200万で買い取って、裏で先輩に流す感じッスね」

「うーん、確かに表向きガーネットはただの宝石だし、これからどんどん値下がりしていくか。……つか、その口振りだと織部や師匠には俺の能力については隠すのか?」

「おや? その方が良いと思ったんスけど、違いました?」


 可愛らしくキョトンと首を傾げるアンナに、俺は首を振って肯定した。


「……いや、違わない。読心の魔道具とかがある以上、秘密を知るのは出来る限り少ない方が良いからな。……でもガーネットをだまし取るようで、ちょっと心苦しいな、と」

「うーん、気にしすぎだと思いますけどね。一応、市場価格で買い取るわけですし」

「だが、ガーネットにはそれ以上の価値がある」

「ふむん」


 そこでアンナは少し考え込む素振りを見せ。


「一つお聞きしたいんですけど、ガーネットってウチらでも普通に使えるんスか?」

「……いや、普通は無理だな。通常のカードでは、ガーネットに秘められた幸運を引き出すことは不可能だ。ただ砕いても中に秘められた幸運は使うことはできない」

「なら、やはり気にしすぎですね。ガーネットが先輩の手に渡った瞬間その価値が跳ね上がることを気にしているなら、それは原石とカット後の価値の差と考えたらどうでしょう?」

「原石とカット後? ……なるほどな」


 その発想はなかったな。

 なるほど、普通の人にとって、ガーネットは宝石の原石そのもので、俺はカット職人というわけか。原石を原石として相応の価格で買い取った後、カットしてから高く売ったとして、だまし取られたと憤る人間はいないだろう。その差額は、カット職人の技術と能力分だからだ。

 

「まあ、どうしても気になるなら、その力で異界クラスのカードを入手していただけるとウチとしては嬉しいですけどね。先輩のカードであっても、その恩恵は冒険者部全員が受けられるわけですし」

「いや、さすがに狙ったカードを出せるってわけでもないんだが……」

「ふむ……でも何枚かBランクカードを出して、それを売れば異界クラスのカードであっても買えるわけでしょう?」

「ああ……そうか、言ってなかったな。俺の能力については、そんなに使い勝手の良いもんじゃないんだ。ぶっちゃけ使用にはリスクがある」

「……リスク、ですか?」


 眼を細めるアンナに、俺は頷いた。


「ああ、自分の好きなように未来をコントロールしようとする行為は、あとで幸運の揺り戻しが襲ってくる可能性がある。俺は因果律の歪って呼んでるけどな。確実にBランクカードを出そうとすると、この因果律の歪が溜まるんだ」

「因果律の歪……」


 アンナが顎に手を当て、視線を伏せる。


「因果律の歪は、時間経過で自然と消えていくから、歪を蓄積させないように能力を使うなら、まあ、一月に一回か二回が限界だな。もう一つ幸運操作って能力もあるけど、おそらく数倍のガーネットを消費する上、確実にBランクカードが出るとは限らない」

「なるほど……まあ、月に一~二枚Bランクカードが手に入るって時点で十分凄いッスけどね。……ちなみに、ガーネットと言っていますが、ヴィーヴィルダイヤの方はどうなんですか?」

「わからない。試したことがないから」

「なるほど、では次にその能力を使う時はこれを試してみてください」


 そう言ってアンナが渡して来てのは、ヴィーヴィルダイヤだった。


「これは……」

「前回の迷宮攻略で、ガーネットと違って割り切れないためウチが預かっていたヴィーヴィルダイヤです。ウチのコネでガーネットと交換して分配する予定でしたが、これを使って実験してみてください」

「ふむ、その分の皆への分配はどうするんだ? というか、ガーネットを一括で買い取って換金するってさっき言ってたけど、その金はどうするんだ?」

「それについては、先輩頼りで申し訳ないんですが……次Bランクカードを出したら、それを預けていただけませんか? それを売ったお金で小夜と神無月先輩にはガーネット分の分配金を払うという形にしたいんです。その代わり、ウチの分のガーネットの分配金は要りませんので」


 アンナの提案に俺は眉を顰めた。


「Bランクカードを渡すのは良いけど、お前の分の分配が無しってのはダメだろ。ちゃんと受け取ってくれ」

「お気になさらず。先輩がウチのチームに所属してくれる報酬としては少なすぎるくらいッスから」

「いや、受け取ってくれ。それが、Bランクカードを渡す条件だ。というか、俺がBランクカードでアンナからガーネットやダイヤを買い取るって形にした方が、シンプルで良くないか?」


 変にややこしくするよりも、その形の方がわかりやすくて良いだろう。


「うーん、本当に気にしなくて良いんですが、先輩がそうしたいというのなら……。そうですね……では、こうしましょう。今から私たちのリーダーは先輩ってことで」

「ええ?」


 なんか予想外の方向に話が……。


「先輩がリーダーなら、自分の能力を使ってチームを強化するのも自勢力を強化してるだけってことになりますからね。こうなったらウチがリーダーをするよりもその方が良いでしょう」


 あれだけ拘っていたリーダーの地位をあっさり受け渡したアンナに、俺は困惑しつつ。


「いや、俺、リーダーとか興味ないんだが……それにアンナはリーダーシップがあるし、リーダーはそのままお前がやってくれると俺としても助かる」

「おっ、なんか意外と高く評価してくれてたんスね」

「まあな。今日の会議も色々なパターンを考えてきてたんだろ? 部員たちがどんなことを言っても瞬時に対応できるようにさ。そんな出来る社会人みたいなことができるのは俺らの中でお前だけだよ。俺には無理だ」


 学校の成績は悪いアンナだが、それは単に興味がない……というか価値を見出していないだけで、頭自体は決して悪くない。いや、むしろある意味では秀才タイプである織部よりも優れているといって良いだろう。


「フフ……ありがとうございます。そう言ってもらえると準備して来た甲斐がありました」


 アンナは、俺のお世辞抜きの賞賛に嬉しそうに笑い。


「でもそうですね、そういうことなら先輩は裏……真のリーダーということでどうでしょう? 表向きのリーダーは今まで通りウチが務め、その裏では先輩の意向を聞く、というのは?」

「うーん、それに何の意味があるのかよくわからんが……要はこのままアンナがこのままリーダーをやるってことだろ? なら、それで良いさ」


 俺がそう言うと、アンナはパンと嬉しそうに手を鳴らし、満面の笑みを浮かべた。


「決まりッスね! 改めて、これからもよろしくお願いしますね、真リーダー!」

「リーダーは辞めてくれ、マジで……。さて、そろそろ大分遅くなってきたし、帰るか」

「ですね。……あ」

「ん?」


 そのまま席を立とうとしたところで、アンナが不意に思い出したような声を上げたので、腰を中途半端に浮かした形で止まる。


「……申し訳ないんですけど、父と会う件、真剣に考えてもらっても良いですか? ちょっと、正式に紹介しておきたくなったので」


 そう言って意味深に笑うアンナ。

 ……正式に紹介ってなんなの? 怖いよ……。

 と内心でビビリまくりつつ、俺は曖昧に頷くしかなかったのだった。













【TIPS】アンゴルモアのフェイズ


 過去の経験を基に、アンゴルモアはいくつかのフェイズに分けられている。


【第一フェイズ】

 迷宮内の安全地帯がモンスター除けの効果を一時的に消失し、モンスターたちが階層を移動可能となる。

 FランクからDランクまでのモンスターたちが、地上に近い順に迷宮からあふれ出し、同時に急速に迷宮が増殖を始める。この段階では、新しく増えた迷宮からはモンスターの氾濫はない。


【第二フェイズ】

 第一フェイズであふれ出したモンスターたちが暴れることで迷宮にエネルギーが溜まり、Cランクモンスターが溢れ出す。さらに、新たに増えた迷宮の一部からもモンスターの氾濫が始まる。


【第三フェイズ】

 Bランクモンスターが溢れ出す。


【第四フェイズ】

 詳細不明。おそらくAランクモンスターが溢れ出すと思われる。そこまで行けばもはや人類の手には負えず、アンゴルモア中に、第四次アンゴルモア分のエネルギーが溜まる可能性がある。


 人類が実際に経験したのは第三フェイズまでで、第四フェイズの存在はあくまで想像となる。

 しかし、パターン的に考えてこの通りになる、あるいはそれ以上の最悪の事態となる可能性は非常に高い。

 第一次アンゴルモアでは、迷宮数も少なく、迷宮付近の封鎖も済んでいたこともあり、第一次フェイズで被害を食い止めることができた。

 だがその結果、人類は、フェイズは進行するという重要な情報を得ることができず、幸運にも第一次アンゴルモアを起こさずに済んだ国が、迷宮数を増やすために自らアンゴルモアを起こすという愚行に繋がってしまった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る