第5話 ヒヤシンス

 

「とりあえずここまでは順調にこれましたね」


 ドサリと教室の椅子に座りこみアンナが言った。

 教室の窓から見える外はすっかり暗い。

 時刻は夜八時。目標であったEランク階層への到達と、道中のカーバンクルガーネットもすべて回収した俺たちは、今日の攻略はここまでとし、地上へと帰還していた。


「しかし、予想以上に手古摺(てこず)ったな。やっぱ環境の変化とフィールド効果が地味にキツイわ」


 さすがに低階層ということもあり道中の敵に苦戦することはなかったが、それ以上の敵として立ちふさがったのが、急激な環境の変化と嫌がらせのようなフィールド効果であった。

 炎天下の砂漠、吹雪の雪山、大雨の密林、冷気漂う鍾乳洞、溶岩の流れる火山、夜の墓場……。

 暑さにはサラマンダーの外套、寒さにはエスキモーの熊の毛皮、雨風にはアンナから借りた嵐除けのルーンのお守りと、各種魔道具で対策はとったものの……こうも一階層ごとに気温差も昼夜も出鱈目に変わると恐ろしく体力が削られていった。

 もちろん魔法で体力を回復させながら進んだのだが、自律神経とかが狂うというか、精神の方がすり減っていくのだ。

 一階層ごとに、魔法で回復させても取れないダルさが少しずつ蓄積されていくのがわかった。

 それに拍車をかけたのがフィールド効果で、敵のバフの類はまだ敵が雑魚なので問題なかったのだが、スキル封印やら特定属性召喚不可やら……こちらの能力やカードを制限してくるものには参った。

 特にスキル封印については、千里眼の魔法も罠解除も使えなくなることもあって、二ツ星昇格試験以来の手探りでの迷宮攻略を強いられることとなった。

 どこにあるかわからない罠に警戒しながら進むのはかなり精神が削られ、自分が迷宮攻略において如何にイライザへと依存していたのかを改めて自覚した出来事だった。


「予想以上に手古摺(てこず)らされたと言えば、カーバンクルッスよ。まさかこんなに見つけるのに時間が掛かるとは……」

「それな……」


 俺たちは同時に深々とため息をついた。

 早朝から始めて15時間以上にも及んだ迷宮攻略であったが、こうも長時間の探索となった最大の要因が各階層のカーバンクル探しであった。

 Eランク階層に到達してからは俺も捜索に合流したのだが、すでに攻略開始から十時間近くが経っていたというのに合流時点で4階層までしか回収できていなかったほどだ。

 途中で織部が俺のキマリスの権能なら隠された財宝の在り処……すなわちカーバンクルの居場所がわかるのでは? と気付かなかったら今日中にすべてのガーネットを回収できなかったかもしれない。


「しかし、こうなると先輩に先行してもらうメリットもほとんどないッスね。結局先輩がいないとカーバンクルも探すのに時間がかかるわけですし」

「うーん、あるいはガーネット回収係にキマリスを預けるって手もあるが」


 俺の提案にアンナは数秒ほど難しい顔で腕を組み……。


「……いや、それはやめておいた方が良いでしょう。同じチームとは言え、カードの貸し借りはトラブルの元になるんで」


 ……確かに、鷲鼻の男こと田中さんのチームが解散した最大の要因も借りたカードを失ったことだったな。

 田中さんを襲った不幸は、ハーメルンの笛など色々と俺に通じるところがあって他人事とは思えない……。貸す側が俺の方だとしてもカードの貸し借りはやめておいた方が無難だろう。

 カードのレンタルは、最悪失っても構わない物、関係が切れても良い者に限るべきだ。


「どうしても仲間のカードが全体に必要になるならチームで買い上げて共有財産にするべきですね。……報酬の分配を増やす形での分割払いでも良ければその方がウチとしても助かるんスけど」

「あ〜……」


 伺うような目で見てくるアンナに、今度はこちらが難しい顔になる。


「実はキマリスは買い取りのオファーが来てんだよなぁ……それも結構良い条件で。今は思うところがあって保留にしてもらってるけど」

「ああ……大会の賞品ですし、先輩も結構有名になってきましたもんね。そりゃプレミアもそこそこ付くか……」


 ガックリと項垂れるアンナ。


「申し訳ないッスけど、チームで買い取る形になる以上、相場以上の金を出すのはちょっと難しいッスね。ただ、ウチのチームで買い取るなら、メリットとして先輩にも使用権が残る形になるっていうのは考えておいてください」

「わかった」


 遠野さんのところに売るなら、相場よりもプレミアがついた状態でトレードできる。

 ウチのチームに売るなら分割払いかつ相場通りの査定だが、ある意味で俺の手元に残るのがメリットというわけか。

 名づけやランクアップへの使用はできないが、必要とあらば俺も使えるというのはかなりデカイ。分割払いが終わってないうちは、ガーネット回収以外では俺が優先的に使わせてもらえるだろうし。

 それに何より、分割払いをガーネットでの支払いにしてもらえば自然な形でガーネットの入手を増やすことができる、か……。

 ここにきてキマリスの株価が思わぬ形で急騰してきた感じだ。

 ますますキマリスのトレードが悩ましくなってきた。


「にしても、先輩がカードの貸し出しを提案するって……ちょっと意外ッスね」

「そうか?」

「ええ、先輩は名づけ派ですし、カードに対する独占欲は結構強めだと思ってたんで。二線級のカードならともなく、キマリスは普通に一線級ですし」

「あ〜……」


 なるほどね……そういうことか。


「確かに自分で使うって一度決めたカードなら、まだ名づけをしてなくても絶対に貸し出したりはしないけど……別に俺も手に入れたすべてのカードを使うってわけでもないしなぁ。使ってみて、フィーリングが合わないと感じたり、まだ本格的に使うかどうか決めてないうちは貸し出したり手放したりすることもあるさ」


 例えば、学生トーナメントの時に使ったナイトメアとか、一条さんに貸し出してるフェニアとメニアとか。

 能力的には優れているので一度使ってみたけれど、長く使うにはなんとなくしっくりこなかったので手放したカードというのは、いくらか存在する。

 そういったカードは、碌に使いもせずに俺の元で死蔵するよりも、大事にしてくれる持ち主のもとに流れ着くことを祈って手放してやるのが、マスターとしての思いやりとも言えた。

 そう言う意味では、キマリスはアテナたちのように一発で使いたいと思うほどの強い手ごたえもなく、しかし即座に手放すほど相性が悪いわけでもない、いわば試用期間かアルバイト的な感覚が強かった。

 これからキマリスがうちの正社員になれるかはその働きぶりを見て、といったところか。


「ただいま」

「晩御飯買ってきたよ」


 そこで屋上のダンジョンマートに晩飯を買いに行ってくれていた師匠と織部が戻って来た。


「お〜、ありがとうございます」

「サンクス。いくらだった?」

「いいよ、これぐらい」

「ん〜じゃあ次は俺とアンナが買い出しに行くってことで」

「了解ッス」


 俺は取り出しかけていた財布を戻し、今回は有難くご馳走してもらうことにした。


「……ってわけで、明日からはパーティー全体で進むことにしました」


 カップ焼きそばを啜りながら、アンナが二人のいない間に決まったことを話すと二人も納得したように頷いた。


「了解。まぁ分かれて行動するメリットも無くなったもんね」

「逆に一緒に行動した方が、千里眼の魔法が使えない階層の攻略が効率的になるしな。そういう意味では我の提案は無駄だったな。すまなかった」

「まあそれは結果論ッスから、気にしないで」

「許してヒヤシンス」

「あ、全然気に病んでないな、これ。フォローして損した。……まあ本当に謝る必要はないんスけどね。あの時点では、キマリスがこんな形で役立つなんて、持ち主の先輩ですら気付いていなかったわけだし」


 う、そこを突かれると俺も痛いな。軽く頭を下げておく。


「許してヒヤシンス」

「もしかして流行ってるんスか、それ? 元ネタ知らないんスけど」


 お、アンナはこのネタ知らないのか。漫画には詳しいのに珍しいな。もしかして日常系には興味が薄いんだろうか?


「まあ、良いです。話を戻しますけど、計算外だったのはむしろカーバンクルの方って話ッス」

「うーん、確かにね。他のシークレットダンジョンに潜った時はこんなに大変じゃなかったし」


 確かに、俺が師匠と一緒にシークレットダンジョンに潜って経験値稼ぎをした時はこんなにカーバンクルを見つけるのも大変じゃなかった。

 まぁ、あれは地下迷宮型だったからというのもあるが。

 地下迷宮型はモンスターの出現位置が固定化されているから、最もカーバンクルを見つけやすい迷宮なのだ。総当たりで探していけば必ず見つかるのだから。


「……思ったんスけど、この迷宮って普通より明らかに広いッスよね?」

「やっぱり? 俺もそう感じてた」

「うむ、階層の広さはランクが上がれば上がるほど広くなっていくモノだが……」


 皆の視線が師匠へと集中する。


「……うん、そうだね。この迷宮は他のCランク迷宮と比べてもかなり広いと思う。多分、Cランク迷宮の中でも最大クラスなんじゃないかな?」

「ああ、やっぱりッスか……」


 プロ冒険者のお墨付きに、俺たちはガックリと項垂れた。

 ランダム環境、フィールド効果、ローグライクダンジョンの三つに加えてフィールドの広さも地味な障害というわけか……。


「先輩が攻略していて特に厄介だと思ったことは?」


 織部の質問に今日一日を思い返しながら答える。


「やっぱ、一番キツかったのはスキル封印の階層だな……。千里眼の魔法が使えなくなるのも痛かったけど、何より罠解除が使い物にならなかったのがとにかく怖かった。テレポーターの罠とか」


 迷宮の罠もランクが上がれば上がるほど凶悪化していく。ウチは守護神イライザがいるため普段罠の怖さを意識することはないが、本来迷宮の罠というものは、ある意味モンスターよりも恐ろしい存在だ。

 特にCランクからはテレポーターの罠がある。

 これは、某ゲームの『いしのなかにいる』ほどの凶悪さはないが、迷宮内のどこかの場所に完全ランダムで飛ばされるという罠だ。

 それだけなら転移系の魔道具があれば大した脅威でもないと思うかもしれないが、この罠の厄介なところはその時召喚しているカードと引き離されてしまうということだ。

 迷宮内の階層は、基本的に一階層ごとに独立している——仮に地下を掘り進めて行っても次の階層に到達できないことは証明されている——ため、マスターと召喚されたカードが階層を隔てると、カードはスリープ状態へと移行してしまう。

 この状態になると、マスターはそのカードを呼び出すことも戻すこともできなくなり、召喚されていたモンスターも実体化が維持できなくなる。いわば意識はあるが見ることも触ることも出来ない幽霊状態となるらしい。

 この状態を冒険者業界では『迷子状態』と呼ぶのだが、これを解除するにはカードを迎えに行く必要がある。

 迷子状態のカードに下手に動かれると合流が極めて困難になるため、基本的にカードにはその場に留まってもらい、マスターがそこまで迎えに行く形になるわけだ。

 このシステムにより、マスターが安全な一階層に留まってカードだけ派遣して迷宮を攻略するということができないようになっているのである。

 ちなみに、異空間型カードの中に籠ってカードに指示だけ出す……ということができないのも同じ理由によるものだ。異空間型スキルも内部が外部と隔離されているため、カードだけ出すと迷子状態となってしまう可能性がある。そのため、それを防ぐため、異空間型カードは、マスターとカードが内部と外部で別々に存在する場合、空間が遮断されず、誰でも目視可能の出入り自由となってしまうという仕様となっている。


 もしも俺がこの罠に掛かった場合、迷宮攻略の際はイライザを常に出しっぱなしにしているので彼女とも逸れることとなり、かなりピンチなことになると思われる。

 テレポーターの罠は、転移系の魔道具の位置情報を消す効果もあるため、なんとか安全地帯まで来てもカードとすぐに合流することはできない。

 どの転移系の魔道具も一層には必ず飛べるので、またそこから攻略し直しというわけだ。

 トッププロ冒険者の中には、低階層でこのテレポーターの罠を見つけたら敢えて掛かって攻略の効率化を図る強者(つわもの)もいるという。


「確かに、テレポーターの罠は要注意ッスね。もしひっかかった場合は、そこがDランク階層以上だったら迷わず緊急避難のカードを使ってください。命大事に、です」


 真面目な顔でそう言うアンナに、俺たちは了解と頷いた。

 Eランク階層以下は、まあ、この面子なら自力で助かるだろう。


「あと敵に関してもFランク階層だから大した障害にならなかったけど、これがDランク、Cランクの敵だとかなりヤバいと思う。向こうは普通にスキル使ってくるし」

「……どうもスキル封印が最大のネックになりそうッスね。資料によると……Dランク階層に一つ、Cランク階層に三つありますね……。メインルートに一つ、サブルートに二つッス」


 よりによってCランク階層に三つかよ……。思わず顔を顰める。


「師匠、プロの目線から見て他にヤバい効果は?」

「うーん、Cランク階層はどんな効果でもキツくはあるんだけど、眷属召喚付与、不死付与、気配遮断付与、召喚制限二枚……この辺が特に嫌われているかな」


 階層すべてのモンスターが眷属召喚持ちとか想像するだけでうんざりするし、召喚制限二枚などソロでの攻略は無理と断言できるレベルだ。


「どれもバッチリありますね……」


 もちろんDランク階層以上で複数個です、と言うアンナに皆同時にため息を吐く。


「あ〜、やめやめ! 暗い話は終わり! それにCランク階層も悪いことばかりってわけじゃない。……だろ?」

「確かにな。Cランク階層からはアイテムのドロップがある」


 Dランク階層まではカードか魔石ぐらいしか落とさない迷宮のモンスターたちであるが、Cランク階層からはそれに加えてたまに魔道具を落とすようになる。

 例えばワイバーンからは飛竜の翼膜、サラマンダーからはサラマンダーの外套、そして……吉祥天からはアムリタ、といったように。

 モンスターの伝承やスキルに由来した品が手に入るようになるのだ。

 もちろんアムリタなどのレアアイテムのドロップ率は相応に低くなるが、ハイポーションやマジックカードといった有り触れた魔道具などはそれなりの確率でドロップすると言われている。

 そしてこれこそが、プロとアマチュアの間に越えられない収入の差がある理由であり、セミプロたちがリスクを冒してでもプロを目指す動機の一つだった。


 正直なところ、カードのドロップでの収入と言うのは大したことがない。

 確かに、Cランクからはギルドの買い取り価格も市場価格の五割から八割で買い取ってくれるようになるし、踏破報酬もDランクの三倍以上……と一見Cランク迷宮での稼ぎは美味しく見える。

 だがCランクカードのドロップ率は、わずか0.1%。実に千体倒して一枚落ちるかどうかという確率となる。

 いくらCランクカードの買い取り価格が高いと言っても、カードのドロップを収入の柱にできる数字ではないのだ。

 実のところ……フィールド効果や倒しやすさと言った点を考慮すると、Cランクモンスターを一体倒すまでの間にDランクモンスターを五体以上倒す方が「時間当たりの狩り効率」は良いとさえ言われていた。

 モンスターがドロップする魔石に関しても、モンスターが強くなればなるほど大きくなっていくが、特にランクによって買い取り効率が上がるということはない。

 つまり、カードや落とす魔石だけを考えるならば、Cランク迷宮はさほど美味しい稼ぎの場ではないのだ。


 ————しかし、ここに魔道具のドロップが加わると話はまるで変わってくる。


 モンスターが魔道具を落とす割合は、そのモンスターにもよるが大体一割程度と決して低くない。

 落とすアイテムにしても、ガッカリ箱のようにランクを逸脱した大当たりこそないが、その分大外れも存在しない。最低限の質が約束されているのだ。

 つまりこれまでと違いモンスターと戦えば戦うほど利益を得られるようになるのである。

 カード目当てか経験値稼ぎでも無ければ基本的にモンスターとの戦いにメリットのなかったDランク階層までと違い、これは大きい。

 霊格再帰の発見からは二束三文だったアイテムにも値が付くようになったし、今から楽しみでしかなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る