第13話 物欲センサーは実在するか否か②
両者の初手は、定石通りの行動から始まった。
すなわち、防御と奇襲である。
俺はイライザに献身の盾を発動させ、後方へ退避。ヘレンは、デュラハンを身に纏い、防御を固めた。
同時に、俺は縮地でユウキを彼女の後方へと回り込ませ、得体のしれない小人の始末を謀る。
この小人が俺の知らない厄介な能力を持っていたとしても、それを発揮する前に始末してしまえば問題はない。
ユウキの抜き手が小人を貫く————寸前、暗緑色の影が横合いから彼女へと飛び掛る。驚異的な反応を見せた敵のクーシーが割って入ったのだ。——速い! やはり俺の知るクーシーの戦闘力ではない。
これに対しユウキは咄嗟に抜き手を裏拳へと変化させると、自分の喉元へと喰らい付こうとする魔狼の鼻先を痛烈に薙ぎ払った。ギャン! と悲鳴を上げて壁へと叩きつけられたクーシーだったが、その時には小人は主の元へと避難していた。
主の肩の上に乗った小人はそのまま溶けるように鎧と一体化していく。するとデュラハンの漆黒の鎧の上にルーン文字を連想させる文様が浮かんだ。
リビングアーマーやデュラハンなどの鎧化とはまた違うタイプの装備化スキル……。俺の知るディーナシーの能力ではない。
————やはり、本場アイルランド産のネイティブカードたちか。
カードの性能は、その土地の伝承や知識に影響を受ける。
同じ名前のカードであっても、日本とそれ以外の土地ではまったく別のカードと言って良い。
例えば座敷童などは、日本のカードであれば神・妖怪属性のCランクカードであるが、海外においてはEランクの家精霊に過ぎない。
デュラハン、クーシー、ディーナシー……。どれもアイルランドを本場とする妖精たちだ。
そのランクは、他国のそれよりもワンランクからツーランク高い。あの三枚のカードもランクも、おそらくB×C×DかB×C×Cと言ったところだろう。
Bランクは、プロクラスのカード。それを持っている時点で、この日本では無名の女性が、三ツ星冒険者でもかなりプロに近い選手であることを示していた。
さすがに、番組側が用意した推薦枠と言ったところか……。
ヘレンが兜越しにくぐもった声で告げてくる。
「なかなか痺れる奇襲でしたよ。ですが……次はこちらの番です」
そう言って、ヘレンは一枚のカードを二本の槍へと変化させた。
彼女の身長よりも長い槍と、その半分程度の短槍。
……アイルランド人で長さの違う二本の槍。嫌な予感がプンプンするな。
俺は冷や汗を浮かべつつ、こちらもイライザにダーインスレイヴを装備させ、シンクロ率を高めていく。
それを見たヘレンから微かにほほ笑む気配がした。
「いざ、尋常に……!」
ヘレンが、恐ろしいほど力強い踏み込みでこちらへと切りかかってくる。
その突きは信じられないほど速く、フルシンクロしているイライザでも完全には知覚出来ないほどに鋭い。
それでもこの多彩な吸血鬼が持つ直感は、その軌跡を捉え『的を誤ることはない』という逸話を持つ魔剣を以て、正確無比に槍の切っ先を弾いた。
しかし、金属音がこちらの耳へと届くよりも尚速く、二本目の牙が間髪(かんはつ)を入れずに襲い掛かる。
ボクシングのワンツーにも通じるその隙の無い連撃は、素早く身を捻ったイライザの脇腹をわずかに穿った。
すぐに後ろへと飛びのいて、傷を血の貯蓄を持って癒す。
『ッ!』
……が、いくら再生させようとしても、傷は一向に癒える気配がない。
ならば、と蓮華に回復魔法を掛けてもらうが、こちらも効果がなかった。
————クソ、やはり治癒阻害の能力か!
ギリッ、と強く奥歯を噛み締める。
嫌な予感はしていたが、これで間違いない。あの二本の槍はゲイ・ジャルグとゲイ・ボウだ。
ゲイ・ジャルグは、どんな魔法も打ち破るという力を。ゲイ・ボウは決して癒えぬ傷をつけるという逸話を持つ魔道具だ。
それ以上の詳細な能力は知らないが、少なくとも治癒阻害の能力はバッチリあるようだった。
試しに、と初等の攻撃魔法を飛ばしてみるも容易く長槍で払われてしまう。宙に解けるように消えていく火球……。通常の魔法の消え方ではない。
これで破魔の力も確定か……。しかし、こりゃちょっと拙いぞ。
今の短いやり取りでも、相手のステータスと技量がこちらを上回っているのが、肌で感じ取れた。
ヘレンは、本人が武術の達人で、装備化と武術スキルの性能をすべて引き出してくるタイプだ。派手さはないが、弱点がなく堅実で、モンコロでは地味に嫌われるタイプである。
戦闘力も、Bランクのデュラハン+ディーナシー(DかC)+魔道具に対し、Cランクのヴァンパイア+デュラハン(C)+魔道具と、こちらが不利だ。
これで剣と槍という間合いの差に加えて一本と二本という手数の差まで加わったら、さすがに厳しい。
——が、それはあくまで一対一ならば、の話だ。
今度はこちらの番だ、と金髪を靡かせ吸血鬼が双槍の騎士へと斬りかかる。相手がそれを迎え撃とうとしたところで、背後から人狼が奇襲した。
デュラハンと魔剣で武装したヴァンパイアに、Bランクの戦闘力を持つライカンスロープ。如何に本場のデュラハンとは言え太刀打ちできるものではない。
しかし……。
「マジ、かよ……」
思わず慄きの声が零れる。
二枚掛かりでの前後に挟んだ猛攻を、しかしヘレンは押されつつも的確に捌き続けていた。
確実に見えていないはずの角度からの攻撃を容易く躱し、一手で二手の攻撃を捌いて、時にはこちらの攻撃すらも利用するその防御は、まるで綿密に打ち合わせされた時代劇の殺陣(たて)を見ているかのようですらあった。
お、おいおい……マジで達人級じゃねぇか。イライザとユウキの二枚がかりで仕留められないとか……冗談だろ?
予想以上のヘレンの技量に俺は冷や汗を流すも、一方で確実に勝利の天秤はこちらへと傾いて来ていた。
このままでも押し切れそうではあるが、このレベルの達人を舐めはすまい。ここはダメ押しの一手を放つ。
『蓮華! 今だ!』
『おう!』
クーシーの牽制を続けていた蓮華に、合図を送ると、突如ヘレンがズルリと足を滑らせた。
スリップの魔法と禍福は糾える縄の如しによる、不可避のトラブルだ。
「なっ!?」
足捌きに絶対の自信を持っていただろう達人の彼女は、あり得ぬミスに目を見開く。
これで、終わりだ。治癒阻害の能力を持つのはそっちだけじゃないってことを教えてやる。
バランスを崩したヘレンへとイライザが渾身の力で斬りかかり——。
『なッ!?』
つるり、と足を滑らせた。
『……………………』
ステンと互いに尻餅を着いた両者は、気まずそうに咳払いをし、何事もなかったように立ち上がり後ろへと飛びのいた。
『おい、デュラハン……』
『あわわ、アタシのせいじゃないです!』
『いや、確実にお前のせいだろ。いや、わざとじゃないのはわかってるけどさぁ』
……まさか、ここでデュラハンのドジスキルが発動するとは。
合宿中、一回しかドジが発生しなかったから、そんなに確率は高くないと少し油断していた。
やっぱ、シルキーのいない場所でデュラハンを使うのはリスクが高すぎるのか。
だが、枚数制限のあるこのレースでシルキーを使う余裕はないし……。
現実逃避気味にそんなことを考えていると、
「今のは、ちょっと焦りましたよ。……そっちが転んだ理由はよくわかりませんが」
「なに? そっちのスキルじゃないのか……?」
俺は怪訝そうな顔をしてそうすっとぼけた。撮影もされている以上、ただのドジですっころんだとバレるのはさすがに恥ずかしすぎる。
ヘレンはしばし訝しむように黙っていたが、やがて。
「……まあ、いいです。とにかく、予想よりも強かったので、ここからは全力でいかせてもらいます」
全力? と俺が首を傾げると、彼女がひらりとクーシーへと飛び乗った。
騎乗と騎獣スキルのコンボか? 確かに厄介と言えば厄介だが、と思っていると……。
「むっ……!」
クーシーとヘレンが空中に溶けていくように消えていく。
これは、透明化のスキルか! なるほど、確かに最初に現れた時も透明になって隠れていた。
自分だけではなくパーティー全体を透明にするスキルは珍しいが……所詮透明化のスキルは姿を見えなくするだけだ。本当に消えてなくなるわけではない!
俺はイライザとユウキを自分の周囲に控えさせると、蓮華に全方位へと弾幕を張らせた。
この弾幕が魔槍に掻き消された空間こそが、ヘレンの潜む場所!
————が。
「……………………?」
弾幕は掻き消されることも、何かにぶつかることもなく壁へと当たり消えていった。
どういう、ことだ? 透明化ではなく、転移だったってことか?
『ユウキ、匂いは?』
『それが……消えました』
『消えた? いや、そうか……確かさっきも完全に匂いが消えてたな。……まさか!』
『ッ!? ——マスター!』
俺の脳裏に閃きが走った瞬間、イライザが俺を突き飛ばした。
転びながら振り返った俺が見たのは、彼女が生み出した白色の盾を、ヘレンの槍が紙のように切り裂いてイライザの胸を貫く光景だった。
心臓を貫かれたイライザはグラリと体を傾け、ボンッと煙を立てて丸太へと変わる。ギリギリのところで、ユウキの空蝉の術が間に合ったのだ。
それを見たヘレンは舌打ちを一つして、再び姿を消す。
『イライザ……!』
『大丈夫です。ダメージはありません』
『そうか……』
とホッと一息つき、気を引き締める。
ゲイ・ジャルグは、魔法攻撃を打ち消すだけじゃなく、魔力を使用するスキルの防御も貫くのか……。
いや、それよりも、このスキル……。一体どういう絡繰りだ?
ただの透明化……ではない。透明化では実体の透過まではさすがにできない。
転移……近い気はするが、違う気がする。さっきの奇襲は、明らかに俺を観測した上で隙をついてきた感じだった。
『ッ! マスター!』
そこで再び敵が襲ってくる。
全く予兆のない攻撃に辛うじて反応できるのは、直感のスキルを持つイライザのみ。
彼女は手傷を負いつつも俺を守り抜き、再び敵が姿を消す。完全なるヒットアンドアウェイ。
じりじりとした焦燥感に包まれながら、必死に敵の正体を探る。
奴らは、この場に確実におり、しかしそれは通常の透明化のスキルではない。転移にも似た、転移ではないスキル……。
デュラハン、クーシー、ディーナシー……一体どれのスキルだ?
デュラハンは死を告げる死妖精。クーシーは妖精郷を守る番犬。ディーナシーは、零落した英雄の妖精。……妖精郷?
そうか! これは異空間移動スキルか! カードの中には、妖精郷や神界、冥界と言ったこの世界とはわずかに位相のズレた空間を自在に出入りできるスキルを持つ者も存在すると聞く。
おそらく本場のクーシーは、『妖精郷の番犬』として、能力で自在に妖精郷を出入りできるのだろう。
そしてその空間には、妖精属性を持つカードなら一緒に連れていくことができるのだろう。
そう考えれば、ヘレンが妖精属性のカードばかりで固めている理由も説明がつく。
推測に推測を重ねた憶測だが、おそらく合っているはず……。実際は違うとしても、相手が奇妙な空間を出入りして襲ってきているのは間違いないだろう。
だが、だとすれば相当拙いぞ……。能力の絡繰りはわかった。が、それを打ち破る手段が思いつかない。
この手の敵は、敵が姿を現した瞬間に一気に片を付けるのが定番だが、それができるなら、透明化する前の段階ですでに決着をつけている。
攻撃の予兆を察知できるのは直感スキルを持つイライザだけだし、それすらも本当に攻撃の直前に察知できるだけだ。そこから他のカードが反撃に移ろうとした時には、すでに姿を消している。
あまりに完成された戦略……。これを打ち破るには……いや、そうか!
俺は、ハッと我に返った。
そうだ、別に打ち破らなくても良いのだ。
俺の閃きはリンクを通じてカード全体に広がっていく。皆が、ニヤリと笑った。
「アオオォォォォォン!!」
ユウキが雄たけびを上げ、人狼へと変身する。
瞬く間に変身を終えた彼女は、片腕で俺を抱えると、守るように俺を胸に抱き駆け出した。
向かう先は————部屋の奥。階段へと続く通路。
階段を下ってしまえば、俺は運営によって逃亡判定を下されるだろう。
だが、それで問題はない。俺は一時間階層の移動を制限されるが、そこはすでに最下層(の可能性が高い)。俺は一時間のボーナスタイムの中でゆっくりと主と戦い、残った時間は休憩に使えば良い。
勝者のヘレンは、指を咥えてそれを待つしかないというわけだ。
最悪、最下層でなかったとしても次の階段まで一時間はかかる。どう転んだところで俺はあまり困らない。
俺の勝利条件は、二つあったのだ。
『マスター!』
俺たちが通路へと入ってすぐ、イライザが警告の声を発する。敵の奇襲の予兆。
やはり、妨害しに来たか! 俺たちがもう一つの勝利に気付いたことに気付いたのだろう。だが……。
『————予想された奇襲なんて怖くねーんだよ、ボケ』
『……っ!?』
その大部分はゲイジャルグによって掻き消されてしまったモノの、彼女の跨るクーシーには少なからずダメージを与えることに成功した。
電流に身体を硬直させる暗緑色の魔狼。
それはつまり、妖精郷への退避もワンテンポ遅れるということで。
「ガアアァァァァッ!」
その隙を、ユウキが見逃すはずもなかった。
鉄槌のような一撃をクーシーの頭へと叩き込み、拳一発でその意識を飛ばす。
「クーシー!?」
ようやく聞けたヘレンの悲鳴のような声に、思わずニヤリと笑う。
予想以上に作戦が上手く嵌った。
俺たちがヘレンの奇襲に苦慮していたのは、それがどこから、いつ来るのかわからなかったからだ。
全方位を警戒する中、攻撃とほぼ同時に警告されたところで、迎撃が間に合うはずもない。
——だが、それが後方からの攻撃に限定されていれば話は別だ。
方向が一つで、しかもそれが直線状であれば、一撃を喰らったとしても相手が再び姿を消すまでの間に一撃は叩き込める。
その一撃でクーシーを沈めることができれば、それで良し。躱されたり効かなかったなら、また階段を目指せば良い。その過程でまた襲ってくるならカウンターを狙うし、警戒して襲ってこないなら次の階層へと行かせてもらうだけだ。
その結果、次の階層が最下層なら実質的に俺の勝ち。最下層でないのなら、俺の負けだが……それを彼女がすぐに確かめる術はない。
なぜなら彼女はこれからチェックポイントへと向かい、さらに三番手と四番手の勝者と戦わなくてはならないからだ。
その間に俺は次の階層の攻略を進めさせてもらう。
故に、彼女は俺の逃走をなんとしても妨害する必要があり、その時点でクーシーの能力のメリットの大部分を自分で殺すことになる。
結果、彼女はクーシーの気絶という致命的失敗を招き————そしてそれはここで終わりではない。
地面に倒れ伏したクーシーへと、間髪を入れずにユウキがその巨大な顎で喰らい付こうとする。
当然ヘレンはそれを阻止しようとするが、イライザが間に入って妨害する。
ここでデュラハンのドジが発動したらかなりヤバかったが、『幸いにも』それは起こらなかった。
ユウキがクーシーの頭をかみ砕こうとした——その時。
「待って……!」
ヘレンの制止の声に、ユウキがピタリと動きを止める。
「参った。参りました」
そう言って、ヘレンがデュラハンの装備化を解いた。
すぐにカードギアを操作し。
『北川勝利! ヘレンのスターが移動します』
そう裁定が下った。こちらのカードギアを見ると、ちゃんとスターも移動している。
それを確認した俺は、ユウキにクーシーを開放させた。すると彼女はすぐにクーシーに駆け寄り、傷があまり深くないのを確認してホッと一息ついた。
「良かったわ……この子は銀行の担保に入れてたカードだから、ロストしてたらデュラハンを回収されちゃうところだった」
そう言って安堵するヘレンに、俺は一瞬首をかしげ、すぐに納得する。
ああ、銀行の融資制度のことか。ってことは、このデュラハンは銀行の融資で買ったカード、と。海外の冒険者は羨ましいねぇ……。
冒険者の社会的信用……というか銀行からの信用が非常に低い日本と比べて、海外では命がけで人々の日常を守っているとして冒険者の信用は軍人の次くらいに高い(日本ではあまりピンとこないかもしれないが、海外では軍人はかなり尊敬される職業である)。
そのため日本ではほとんど降りない冒険者への融資も、カードや自分自身を担保に入れることで受けることができると聞く。
自分自身を担保にする、と聞くと一見奴隷制度が復活したように聞こえるかもしれないが、実際は返済が終わるまでシークレットダンジョンに潜らされ続け、その収穫をほぼすべて持っていかれるだけだ。
カードを担保にしている場合は、その担保のカードがロストした時点で融資を使って購入したカードを一時的に没収される。
色々と制限が掛けられてしまうが、この融資制度により海外の冒険者はより高いランクのカードを所有でき、その結果より安全に迷宮を攻略できるようになる上、その行動も慎重になるという好循環が生まれているらしい。
もっとも、その反面こうして少しでも不利になるとすぐに降伏、撤退しなくてはいけなくなるという欠点も抱えることになるが……それは自腹を切っている日本の冒険者もあまり変わらない。
もしも日本でも冒険者への融資が始まったら、かなりの冒険者が融資を求めるだろう。
まあ、俺に関しては、北川家の家訓としてローンであっても借金はしない、というのがあるから借りることはないが。
それに、手持ちのカードを担保に入れる必要があるから、カードの名づけも出来なくなるのも俺の性に合わない部分ではある。
「……海外の冒険者に会う機会ってなかなかないからいろいろ話を聞いてみたいところなんですが、先を急ぐんでそろそろ行かせてもらいます」
「ええ、私に勝ったんだから良い成績残してね。でないと母国の仲間たちに笑われちゃうし」
「はい、ではまた!」
直前まで死闘をしていたとは思えぬほどにこやかなヘレンと別れ、俺は先へと進む。
……しかし、本場のクーシー、恐ろしく強敵だった。
異空間移動に獣人への変身能力……どちらもかなりレアなスキルだ。たったワンランク違うだけなのに、日本のクーシーとは性能が段違いである。
こっちも異空間移動スキルを持っていれば、対処は容易だったのだろうが……この手のレアスキルは欲しいと思ってもいつでも手に入るものではない。
とは言え、それは日本だからの話で、アイルランドではまたちょっと事情が違うのだろう。
日本で妖怪系や神仏系のカードが強いように、アイルランドやイギリスでは妖精系や精霊系のカードが強いと聞く。
『妖精の通り道』や『
本場の妖精種が、それらのスキルを結構な割合で持っていてもおかしくはない。
もしもユウキが未だクーシーのままだったなら、なんとかしてクーシーのネイティブカードを手に入れようとしていたことだろう。
……まあ、当時の俺じゃ札商とのコネもなかったし、意味のない仮定ではあるが。
海外のネイティブカードは札商でもないと手に入れられないからなあ……。
そんなことを考えながら階段を下ると、安全地帯に番組のスタッフが待機していた。
「選手の方ですね? 先着一位、おめでとうございます!」
……良かった、やはりここが最下層だったかと思いつつ、三十代ほどの男性スタッフに話しかける。
「えっと、どうすれば良いんですか? もう主に挑んでも?」
「その前にこちらの不正チェックと水晶タッチだけお願いします。え〜、それでは、これからする質問に嘘偽りなくお答えください。ここに来るまでの間に、何らかの不正を行いましたか?」
「いいえ」
「はい! 結構です! ……ここだけの話、ここの主はスゴイですよ。頑張ってください」
「ん? あ、はい」
少しだけ厭らしい顔をしてこっそりと囁いてくる男性に首を傾げつつ、俺は主を探すために安全地帯を飛び出した。
……とは言っても敵は気配を隠していないようで、この階層の中心で俺たちを待ち受けているようだった。
敵に近づくに連れ、徐々に甘い香りが漂い始める。
マスターはバリアによって状態異常から守られているというのに、どこか頭の奥が痺れるような、本能を刺激する匂いだった。
俺にとっては警戒心と共にもっと嗅ぎたくなるような香りなのだが、周りのカードたちはその香りに顔を顰めていた。例外は、イライザくらいだ。
「マジかよ……知識としては知ってたけど、実物ってこんなにクセーの?」
蓮華が顔を顰めて言うと、ユウキがコクリと頷いた。
「確かに、これは酷すぎますね。……ボク、ちょっと吐き気がしてきました」
「そんなにか? 俺にはスゲー良い香りに感じるんだけど……」
と俺が首を傾げると、蓮華はフンと鼻を鳴らし。
「そりゃお前はそーだろうな。……そうだ、イライザ、もしかしてお前のフェロモンで相殺できないか?」
「試してみます」
すると、彼女を中心にフワリと微かな柑橘系の香りが広がり、あの特徴的な香りを一掃した。
「あ〜、スッとした! しっかし、あんなクセー臭いを四六時中プンプンされたら、最悪友情連携のスキルを失っちまいそうだぜ」
「あん? どういう意味だ?」
俺の問いに、しかしカードたちは答えず、蓮華だけが「見りゃわかる」とだけ短く返してきた。
それから少しして……。
主の元へとたどり着いた俺は、彼女の言葉の意味をようやく理解した。
階層の中心に位置する大広間に、不自然にポツンと置かれた豪奢で巨大なベッド。
その上で、人間ではあり得ぬほどに蠱惑的で美しすぎる女が、気怠そうに身体を横たえている。
「マジかよ……」
呆然と、呟く
蝙蝠を連想させる小さな翼に、側頭部から伸びる山羊のような角。
そこにいたのは————サキュバスだった。
透き通るように白い肌。性的な魅力をこれでもかと主張する身体つき。体を覆う申し訳程度の布切れは、乳房や腰のラインが丸わかりで、身体を隠す機能としては全く役に立っていない。むしろ、中途半端に隠れたところを想像させるかのようなデザインだった。ベッドに広がる、波打つ長い銀髪ですらも、どこか艶めかしい。
不意に、サキュバスと眼が合った。魔性の証である金色の瞳が友好的に弧を描く。彼女が身じろぎをしたことでその豊満な胸が重たげにタプンと揺れ、その重量感と柔らかさをこちらへと伝えてきた。
そんな童貞には刺激の強すぎる光景に、思わず生唾を飲み込む。
……まさかモンスターとしてのサキュバスに会えるとは。
一応どんなモンスターでも出る地下迷宮型だからあり得ないことではないが、奇跡的と言って良い確率だ。
もしかして、番組側がTV映えのするモンスターになるように調節したのだろうか。
あり得る。これはキャットファイトだからな。最低でも女の子モンスターに調整してもおかしくない。
『で、どうすんだ?』
蓮華がどこか冷たい視線で問いかけてくる。
どうすんだ、とは運命操作を使うのか、ということか。前回の使用から約二週間。すでに因果律の歪みはほぼ消えている。
仮に使ってもリスクはほとんどないが……と考えつつ、俺は首を振った。
『いや、パーフェクトリンクも運命操作も使わない。幸運の貯金もだ。このサキュバスを手に入れたところで零落スキルは持っていないだろう。レースで確実に入賞するために、切り札は取っておく』
ここは切り札の切り処ではない。サキュバスは欲しいが、それは零落スキル持ちでなくては意味がない。目先の利益に囚われて、本命を取り逃しては本末転倒だ。
今回のレースで使うとすれば、メアのために確実に入賞するために使うべきだった。
『そうか』
俺の答えを聞いた蓮華が、一瞬だけニヤリと笑う。
……コイツ、また俺が欲に目がくらんでないか確かめたな。
そんなことしなくても、パックの時のお灸はちゃんと効いてるっての。
俺は苦笑しつつ言った。
『んじゃ、さっさと倒すか』
『ああ』
これも所詮は通過点。メアのためにも先を急がないとな。
————そして、それから数分後。
「……ええ〜」
俺の手の中には、なぜか零落スキル持ちのサキュバスのカードがあったのだった。
【Tips】ネイティブカード
その国や地域が発祥で、他国に比べて性能が高い種族のカードを、ネイティブカードと呼ぶ。
ネイティブカードは戦闘力がワンランクからツーランク高いだけではなく、そのスキルも他国のカードと比べて遙かに性能が高い。
たとえば、国外産のクーシーが気配遮断、良くて透明化のスキルしか持たないのに対し、本場アイルランド産のクーシーは、妖精を連れて自在に妖精郷(位相の異なった隣の次元)へと出入りすることができる異空間移動スキルを持つ。
これはクーシーという存在に対するその地の人々の『理解』と『親和性』に対する差によるものである……と、主張する研究者もいる。
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