第4話 ギリシャ系の神はヤベー奴しかいないという風評被害(事実)


 夏休み、二日目。早朝。


 強めの雨が地面を叩く中、俺は一人迷宮へとやって来ていた。

 目的はもちろん、昨日手に入れたカードを試してみるためである。

 今回来たのは、高尾駅にある熱帯林のDランク迷宮だ。

 秋や冬は、そこそこ賑わう熱帯林の迷宮も、ただでさえ暑くてジトジトしている夏の時期は、滅法人気がない。

 この暑い夏、せっかくなら海や涼しい山の迷宮に潜りたいと思うのが人情である。

 そんな中、なんで俺がわざわざ人気のない迷宮に来たのかというと、アテナという超高級カードをあまり人目に触れさせたくなかったからだ。

 いずれ世間にお披露目することもあるだろうが、事件の影響で世間の注目が集まっている今は、あまり悪目立ちしたくない。

 迷宮に入り、一応周囲に他に人がいないのを確認した上で、俺は昨日手に入れたカードをカードホルダーから取り出した。

 まずは、何と言ってもこのカードからだ。


「来い! アテナ!」


 まばゆい光と共に、白を基調とした鎧と金色の大盾を身に纏った少女が姿を現した。

 歳の頃は、十歳をちょっと超えたくらいだろうか。黄金のように輝く波打つ髪は、お尻に届くほど長い。瞳は角度によって青色にも灰色にも見える不思議な輝きを宿しており、その顔立ちは幼げながらもすでに美しいと言って良い完成度だった。

 彼女は最初キョロキョロと周囲を見渡し、やがて俺の顔を見るとその端正な顔を引きつらせ。


「ヒィ!? 男ッ!? お、犯される!」

「そんなことするかッ!」


 バッとしゃがみこんで、身の丈ほどもある大盾に隠れる少女に、俺は激しくツッコんだ。

 このガキ、なんて人聞きの悪いことを! 俺は慌てて周囲を窺った。

 良かった。誰もいない。念のために人気のない迷宮を選んでおいて助かった。ただでさえ蓮華のせいでロリコン疑惑をかけられつつあるのに、こんなところ見られていたら人生詰むところだった。

 ホッと胸を撫でおろしていると、アテナが恐る恐る盾から顔を覗かせる。


「……た、確かに貴方は未だ清い身のようですね」


 さすがはギリシャの三大処女神というべきか、俺を一目見て童貞と見抜いたようだった。

 大盾から姿を現して、偉そうに胸を張り俺を指さして告げる。


「この堕落した時代に純潔を保つとは感心です。そのまま一生、女を知らずに生きるように。良いですね?」

「いや、さすがに一生童貞はごめんなんだが……」


 俺がそう言うとアテナは「騙された!?」という顔をし。


「ヒィッ!? や、やはり妾(わらわ)を手籠めにするつもりで呼び出したのですね!? ニケ! ニーケー! 助けて! 犯される!」


 アテナの半泣きの助けを呼ぶ声に、光の柱が天より降り注ぎ、そこから二十歳ほどの金髪をショートボブにした美女が姿を現した。

 その背中には立派な白い翼が生えており、古代ギリシャ風の布の薄いドレスからは豊満な身体のラインが透けている。

 ……これが、ニケか。どうやら、眷属召喚は普通に使えるようだ。


「アテナ様、お呼びですか〜?」

「助けてください、ニケ! この男に犯されそうなのです!」

「だからそんなことしねーって!」

「あらあら」


 俺の抗議を他所に、ニケは母性溢れる笑みを浮かべて縋りつくアテナの頭を撫でる。


「よしよし、大丈夫ですよ。このニケがついていますからね〜」

「頼みましたよ、あなただけが頼りです、ニケ!」

「あぁ〜……! あのアテナ様がこんな風に私に縋りついてくる日が来るなんて……ハァハァ」


 頬を紅潮させて恍惚の表情でアテナの頭を撫でるニケ。やや怪訝そうな顔で見上げるアテナ。

 あれ? ちょっとこっちもおかしいかも?

 ニケがアテナの小さな頭を撫でながら、こちらへと向き直る。


「さて、主の主様。どうか非力なアテナ様を組み伏せ、獣のように荒々しく蹂躙し、幼い秘部に白濁液を注ぎ込むのはちょっと待っていただけませんでしょうか?」

「ヒィッ!?」

「言い方ァッ!!」


 なんだその官能小説に出てきそうな表現は!?

 俺が全身全霊でツッコむと、ニケはニッコリと微笑み、頷く。


「もちろん、主の主様のお気持ちはわかってます」

「いや、絶対わかってないと思う」

「確かに、アテナ様のおびえる顔を見ると嗜虐心が刺激されます。この幼く整った顔立ちに全力で拳を叩き込み、前歯が全部無くなるくらいボコボコにしてやりたいという気持ちは、私にもよくわかりますとも」

「ほらぁ! やっぱりわかってない! てかコイツ、ヤベーぞ! こっちに来い、アテナ!」

「は、ハハハハ、ハイ!」


 顔を青ざめさせたアテナが、慌ててニケから離れて俺の背に隠れる。

 俺は彼女を、猟奇系サイコレズ女から庇いつつ、問いかけた。


「何!? ニケって普段からあんなにヤベー奴なの!?」

「そんなわけないでしょう!? 彼女にあんな一面があったなんて妾も初めて知りましたよ! というか知ってたら絶対呼びません!」

「確かに!」


 そんな俺たちを見て、ニケは朗らかに笑う。


「ふふふ、そんなに怯えないでください。実際にする気は欠片もないですから」

「本当か……?」

「ええ。だって、そんなのもったいないでしょう? たった一つの実物を見て、無数の妄想を楽しむのが通のやり方ですから」

「そ、そうか……」

「微妙に安心できない答えなのですが……」


 実行は否定しても内心では自らをボッコボコにしていることを否定されなかったアテナが、不安そうに顔をしょぼくれさせる。


「というわけで、主の主様もどうか実際に手を出すのはお待ちください。アテナ様は終生純潔を誓ったお方。もし純潔を失えばその代償としてロストしてしまうでしょう」

「うん、だから最初からそのつもりはないんだって……」

「ですのでどうしてもしたくなったらロストを免れない瀕死状態の時にすることをお勧めします。それならどうせ結果は変わりませんからね」

「ヒィ!?」

「話聞いてる!? しないって言ってんだけど!?」


 さてはコイツ、言葉は通じても話は通じないタイプか!?

 ニケは恭しく頭を下げ、言う。


「もしもどうしても情欲が抑えきれなくなりましたら、アテナ様にぶつけるより前にアタシに言ってください。このニケが身代わりとなりましょう」

「……ほ、ほほう」


 ……そうなってくると話が変わってくるな。なかなか話が通じるじゃないか。


「落ち着け、アホ!」


 そこでパシンと頭を軽く叩かれた。

 見るといつのまにか勝手に出てきていた蓮華が呆れたような顔でこちらを見ていた。


「お前、本当にその手の誘惑に弱いな……」

「う……」


 だって、オラは童貞だから……。女体に興味津々なお年頃だから……。

 そんな俺たちを、アテナとニケが真剣な顔で見ていた。


「……アテナ様」

「ええ……完全に枷が外れているようですね」


 今のやり取りを見て、蓮華のプロテクトが外れていることに気付いたようだな。

 まあ普通のカードにマスターの頭を叩くなんて真似はできないからな。


「で、どうなんだ、コイツラは。使い物になりそーなのか?」

「ん、そうだな。最低ラインは超えてそうだが。アテナ」

「……なんですか?」


 蓮華の方を警戒しながらアテナが答える。


「カードの方には幼体のスキルが載ってたが、具体的にはどのスキルが使えないんだ?」

「む……」


 アテナは一瞬口籠ったが、すぐに諦めたように嘆息すると。


「……仕方ありませんか。お察しの通り、妾は、代名詞たるアイギスを使うことができません。また、英雄に加護を与えることも、魔法も使うこともできないようです」


 つまり、実質的に彼女は戦う術を持たないということか。

 考え込む俺を見て、ニケが一歩前に出る。


「戦いであればこのニケがおりますのでご安心ください。むしろロストの危険がないという意味では通常のカードよりも使い勝手が良いかと」

「ああ……大丈夫だ。別に売り払おうとかは考えてない」


 俺がそう言うと、ニケはホッとしたようだった。

 ……売られずに済んだことを安心したということは、少なくとも俺の元は悪くないと考えたということなのだろう。

 あるいはこのアテナが「蘇生用のカード」になる可能性を嫌ったか。

 まあアテナをロストする状況なんて考えられないが。どのマスターも最優先で保護するはずだからな。


「手持ちに加えるってことで決めたってことは、他の奴らも紹介したらどーだ? ……さっきから何か言いたくてうずうずしてる奴がいそうだが」

「ああ、そうだな」


 俺は他のカードたちを呼び出した。メンバーは、イライザ、ユウキ、メア、鈴鹿の四名だ。Dランク迷宮の召喚枠は6枚なので、申し訳ないがドラゴネットには今回は、というか今回も遠慮してもらった。

 ……ドラゴネットはどうにも影が薄いというか、こういう時にババを引いてもらうことが多い気がする。

 後で何らかの形でねぎらってやりたいところだ。


「もぉぉぉおお! やっと出れたー!」


 召喚されるなり真っ先にそう言ったのは、案の定メアだった。


「なんで蓮華ばっか自由に出入りできるの!? 迷宮の外でもいつもマスターと一緒なんでしょ!? ズルいズルいズル〜い!」

「うるせぇな〜、しょうがねぇだろ? 羨ましいならお前も歌麿にプロテクト外してもらえや」


 蓮華がそう言うとメアの矛先は当然こちらにも向いた。


「そう! マスター、そろそろ蓮華以外のカードともパーフェクトリンクしてよぉ〜。っていうか、コイツらはどういうこと!? かなり高いカードなんじゃないの? メアのランクアップはどうなったの!?」

「待て待て、まずは落ち着け。ほら、パウンドケーキをお食べ」


 詰め寄るメアの口に上のコンビニで買ったパウンドケーキを突っ込むと彼女は大人しくそれを食べ始めた。

 うむ、口に物が入っている間はしゃべらないように躾けた甲斐があったな。


「まずアテナはギルドのパックで当たったカードだ。だから買うよりもずっと安く手に入ってる。ニケは彼女が召喚した眷属だ。メアのランクアップ先のカードについては外の札商に頼んで探してもらってる」


 ……ただ見つかったとしてもそれを買う金はもう使っちゃったんだけどね。

 内心でそう呟いてると蓮華がジト目をしているのが見えた。

 な、なんとか金策はするんでメアには何卒内密に……。

 はぁ、と小さくため息を吐いて蓮華が視線を逸らす。


「それと、パーフェクトリンクについてはどう頑張っても蓮華以外とのカードだとフルシンクロ(99%)までしかできないんだからしょうがねぇだろ? むしろ、なんで蓮華だけはできたのか俺が知りたい」

「むぐむぐ……ごくん。はぁ……しょうがないか。ねぇ、本当にランクアップのことよろしくね? このままじゃ本当に戦力外になっちゃうよ……」

「ああ……必ずランクアップさせてやるから待ってろ」


 俺は罪悪感を刺激されつつ、メアと指切りをした。

 そこへ少し離れたところで見ていたアテナがやってきた。


「……もし、そのパーフェクトリンクとはなんですか? それがあの座敷童の枷が外れている理由なのですか?」

「ん? ああ、パーフェクトリンクって俺たちが勝手に呼んでいるシンクロ率を100%にするリンクだ。これを使った結果、蓮華は迷宮の外でも召喚できるようになったんだ」

「リンクとは、確か人間たちが呼ぶカードとマスターの繋がりを利用する技術でしたね? カードと完全に魂を重ね合わせるとは……何と無茶な真似を」

「ん〜? もしかしてパーフェクトリンクってヤバイの?」


 メアがそう問いかけると、アテナは何やらニケと二人で話している蓮華を睨みつつ答えた。


「当たり前です。人間とカードでは魂の格が違います。人間にもわかりやすいように例えるならば、人間とカードでは浸透圧が違うのです。半透膜を挟んで2種類の濃度の液体が接するとどうなりますか?」

「……濃度の低い溶液から濃度の高い溶液へと溶媒が移動しようとする」

「カードの魂に満ちるのは、海水。人間の魂に満ちるのは、真水なのですよ」


 ……なるほど、これがパーフェクトリンク使用した時に副作用が起こる理由か。


「うーん? メアにはよくわかんないけど、パーフェクトリンクは使わない方が良いってこと?」

「ええ。枷を外す方法を持っているなら外してもらいたいと思ってましたが、こんな荒業を使っていたとは……これでは諦めるしかありませんね。しかしあの座敷童、あんな親し気な態度を取っておきながらこんなことをしているとは……とんだ曲者です」

「いや、蓮華はちゃんとパーフェクトリンクを使うなと忠告してくれてるよ」


 俺は大切な相棒の名誉のためにもそう説明したが、アテナは首を振って否定した。


「最初の一回をやったこと自体が問題なのです。まともなカードなら絶対にしないし、できない。ましてや善神の類ならば尚のこと。……良いでしょう。これも縁です。よく見れば少しながら英雄の相を得つつある様子。この英雄の守護神たるアテナが貴方を護ってやるとしましょう」

「あ、ああ……どうしてそうなったのかはよくわからんが、よろしく頼む」

「ついては毎日三回祈りを捧げ、神殿を建てて供物を捧げるように。ああ、それから一生童貞でいること。わかりましたね?」

「それは断る」

「ッ!? な、なぜ……?」


 こうして、俺の仲間にビビリ幼女神のアテナと、クレイジーサイコレズのニケが加わったのであった。




【Tips】安全地帯作成スキル

 本来迷宮の限られた場所にしか存在しないはずの安全地帯を作り出すことができる、世界有数のレアスキル。本来はちょっと便利程度の能力のはずなのだが、人類の無知によりAランク迷宮の安全地帯が消滅してしまった今、その価値が非常に高騰してしまっている。

 このスキルで生み出された疑似安全地帯は、転移先の対象とはならないが、これはそもそも安全地帯と転移先の座標が厳密には別物であるためである。

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