第1話 夏の校長先生の話は殺人的②

 

『えー、であるからして、夏休みには悪い誘惑がたくさんあります。皆さんには、本校の生徒としての自覚をしっかりと持って、強い自分でそれらの誘惑を——』


 体育館の中には、じめじめとした生暖かい空気が充満していた。

 室内のあちこちには大型の扇風機がいくつも並び全力で羽を回転させていたが、空しく不快な空気を送り出しているだけだった。

 そこにいるだけで体力を削っていくようなその空気は、明らかに夏の湿度と気温のせいだけではなく、広い体育館にぎっしりと押し込められた全校生徒たちの汗と吐き出された二酸化炭素から発生していた。

 すべての生徒が一刻も早く解放を願う中、しかし壇上に立つ校長の話は延々と続き、終わる気配を微塵も感じさせない。

 校長先生の話というのは、大抵どこも長いものというイメージがあるが、小学校や中学校の校長とくらべても明らかに二倍以上は長かった。

 サウナ染みた室内の空気に、生徒たちはもはや誰も校長の話になど耳を傾けていない。

 ひたすらに校長の話を右から左に受け流していると、ついに待ちに待ったその時が訪れた。


『……私が学生の頃も、悲しい事件がありました。私には当時涼子さんというお付き合いしている女性がいたのですが、夏休み中に悪漢どもの毒牙に掛かり、学生の身で妊娠をしてしまったのです。当時は今よりもお堅い時代でしたから、当然大問題となりました。不覚にも私が彼女の事情を知ったのは、彼女が学校を去ってからのことであり、最愛の恋人を守れなかったことを深く後悔しました。しかし、その一方で知らない間に恋人を寝取られていたことを知った私の胸には、呼吸ができなくなるほどの痛みや苦しみとともに、なぜだか血潮が熱くなるような、言いようのない興奮が————』

「……校長、……校長! そろそろこの辺で……」

「む、もうそんな時間かね……」


 教頭の言葉に校長は一瞬だけ不満そうな表情を浮かべた後、一つ咳払いをし、言った。


『えー、それでは最後に注意事項を』


 ようやく来た! と死んだ魚の目をしていた生徒たちの目に光が戻る。

 最後くらいはちゃんと聞いてやるか、と生徒たちが姿勢を正す中、校長がやや渋い顔となる。


『えー、皆さんもご存知かと思われますが、先日我が校に迷宮が発生しました』


 ————ざわ、ざわ。


 今、生徒たちが最も興味のある話題に、にわかに体育館が浮足立つ。


『静粛に、静粛に! 静かにしないとまた最初から話しますよ!』


 その言葉に、ピタリとざわめきがやむ。

 借りてきた猫のように大人しくなった生徒たちに、校長はやや複雑そうな顔をしつつ話を続けた。


『えー、我が校に発生した迷宮を調査するため、自衛隊やギルドの職員の方が出入りしていますが、決して仕事の邪魔はしないように。特に、迷宮の内部に無断で潜りこんだりなどは絶対にしないこと。これはれっきとした法律違反であり、たとえ未成年であっても確実に刑事罰に問われるでしょう。当然学校も最も厳しい処分を下さざるを得ないので、気を付けるように』


 開幕から刑事処分や退学を匂わせてくる校長に、生徒たちの間に若干の緊張が走る。

 新たに発生した迷宮は例外なく、自衛隊とギルドによって一度徹底的に調査される決まりとなっている。その間、一般人はもちろんプロの冒険者であっても立ち入りは許されていない。

 これは、新しく発生した迷宮が『これまでにない特性を持っていないか』や『一般公開の是非などを調べるため』と表向きにはされているが、その真の理由は『迷宮の初攻略報酬を国が独占するため』と言われていた。

 真偽のほどは定かではないが、新しく発生した迷宮を踏破した際、主から高確率でカードがドロップするという噂があった。

 そのドロップ率は、なんと通常の千倍。Cランクカードまでは確定で、Bランクカードであっても半々の確率でドロップするのだ、と。

 これにより、国は通常のドロップ率ではほとんど手に入らない高ランクカードを効率的に集めている……という噂が、ネットではまことしやかに流れていた。

 実際、迷宮の出入りをほとんど管理していない発展途上国であっても、新しく発生した迷宮に限っては必ず真っ先に軍を送っていることから、それなりに信憑性のある噂とされていた。


『えー、調査にかかる期間は未定ですが、少なくともあと1、2週間はかかるとのことです。夏休み中、校内で活動を行う部活の顧問の先生方は生徒が危険な行為をしないよう、くれぐれも注意を払ってください』


 これにピクリ、と反応をしたのは校内に少数存在する冒険者たちであった。

 校内に迷宮が発生してからすでに一週間。

 通常、迷宮の調査はアマチュアクラスならば長くとも一週間程度で終わると言われている。

 調査にかかる期間が二週間から三週間というのは、この学校に出来た迷宮がプロクラスの迷宮、あるいはより慎重な調査が必要となるシークレットダンジョンであることを意味していた。


『えー、最後に。校内に迷宮が発生したからと言って、皆さんの日々には何も影響はしません。せいぜい、校内にダンジョンマートの支店ができてちょっと便利になるくらいです。良いですか、くれぐれも、浮ついた行動は取らないように!』


 これまで以上に熱を入れて話す校長。

 この発言をわかりやすく意訳するならば「校内に迷宮が現れたからって冒険者になろうなんて考えないように」と言ったところか。

 冒険者になるな! とストレートに注意出来ない辺りに、大人の苦しい事情が察せられた。


 だが……。と、俺はさりげなく周囲を見渡す。


 校長の話を聞いた生徒たちは、明らかにソワソワとした様子だった。とりわけ、一年生の男子生徒は、その様子が顕著である。

 校内に現れた迷宮は、先の事件とあいまって生徒たちに、それまで非日常であった冒険者と迷宮という存在を身近に感じさせる要因となってしまったようだった。

 受験の控えている三年や同学年に死者が出たばかりの二年はともかく、高校に入ったばかりでテンションの上がっている一年生は、冒険者になるリスクなど全く目に入っていないのだろう。

 彼ら彼女らの頭に浮かんでいるのは、迷宮で屍を晒す自分の姿ではなく、冒険者になって華々しく活躍する光景のはずだ。


 しかも、学校側にとっては最悪なことに、校内にはその『モデルケース』が何人も存在していた。


 ならば自分も……と、彼らが思うのは当然のことだった。

 唯一の救いは、冒険者になるには高額の初期費用という高いハードルがあることか。

 だが、夏休みという期間は絶好の稼ぎ時でもある。

 果たして、夏休み明け、校内の雰囲気は一体どうなっていることやら……。


『学生の本分は勉強です! 夏休みだからと言って浮かれず、怪我などをするような行為は慎むように! いいですね!』


 そんな校長先生の注意は、静かに興奮する生徒たちに空しく響くのだった。




 終業式が終わり教室へと戻ると、クラスの雰囲気はすっかり夏休みのそれへと変わっていた。

 教室のあちこちには大小様々なグループが形成され、夏休みの予定を楽しそうに話し合っている。

 その様子からは、凄惨な事件によりクラスメイトが一人犠牲になったことへの陰りは見られなかった。……獅子堂と仲の良かったグループですらも、だ。

 それは、薄情というよりもむしろそのことを忘れるかのようにいつも以上に明るく振舞っているようにも見えた。

 もっとも、それは俺も少なからず同様で……。


「北川はさ、やっぱ夏休みの間ずっと迷宮漬けなのか?」

「いやまさか。そりゃあ迷宮にも行くけど、家族で旅行行ったり友達と遊びに行ったりもするよ」


 他のカーストトップグループメンバーが、それぞれの仲の良いクラスメイト達と話す中、俺は珍しく神道と二人だけダベっていた。


「へぇ〜、意外。北川って言えば冒険中毒、みたいなイメージあったからさ」

「なんだそりゃ」


 と軽く笑うと、神道も笑って言った。


「だって北川って休日はもちろん、平日も学校終わった後ほぼ毎日迷宮行ってるんだろ?」

「ん……まぁそうだな」

「やっぱ迷宮中毒じゃん。うちの高校で冒険者やってる奴も、月に四回くらいしか潜らないらしいぞ。神経が持たないってさ」

「まあ、でもそいつらは言っちゃなんだが、エンジョイ勢なわけだろ?」

「まぁな。でも、小野に聞いた話では、プロ目指してるレベルでも週に三〜四日潜る程度らしいじゃん」

「ん……」


 確かに、神道の言う通りセミプロと呼ばれる三ツ星冒険者であっても、Dランク迷宮を三〜四日かけて踏破した後は、同じくらいの日数を休養に費やすのが普通とされていた。

 いくら魔法で傷や疲労が取れるからと言って、精神的消耗まで癒せるわけではない。安全地帯があるとはいえ、外敵の殺気にさらされた状態で寝泊まりは、生物としての生存本能を刺激され、それらは膨大なストレスとして蓄積される。

 積み重なったストレスは集中力の妨げとなり、Dランク迷宮ともなれば些細なミスが命取りとなった。

 そのため、迷宮攻略にかかった日数だけきっちりと休み、心身をリフレッシュするのが安全の秘訣とされていた。

 ……もっともそれは、迷宮で寝泊まりせざるを得ない一般的な冒険者の話であって、ハーメルンの笛でいつでも帰れる俺はまたちょっと話が違ってくるのだが。

 それを説明するわけにもいかず、微妙な顔をしていると神道が笑う。


「別に貶してるわけじゃないって。みんなスゲェって思ってるよ。特に俺らみたいな運動部とかはさ。俺らもインターハイとか目指して頑張ってるけど、北川ほど身体を痛めつけらんないし。やっぱそれくらいしないとプロにはなれないんだなって感じ」


 神道のストレートな賞賛に俺はなんだか照れ臭くなって話題を逸らした。


「そう言う神道だって夏休みはほとんど練習や合宿だろ?」


 俺がそう言うと、神道はがっくりと項垂れた。


「そうなんだよなぁ〜。も〜朝から晩までずっと練習練習よ。彼女作る暇もねぇわ」

「あれ? 神道って彼女いねーの?」


 俺は驚いて神道の顔をマジマジと見た。

 神道は短めの茶髪が爽やかな、優し気な顔立ちをしたイケメンだ。身長も180センチ後半と高く、日々テニスに打ち込んでいるからか体つきも引き締まっておりスタイルも良い。

 性格も社交的で明るく、男女問わず話しかけやすい雰囲気を持っているため、この青年に彼女がいないのは意外と言う他になかった。


「いや、まぁ……彼女作りたい気持ちはあるんだけど、ほら、テニスが忙しいじゃん? やっぱ構ってあげられないと長続きしないだろうしさ、そういうわけで今は作ってない。うん」

「神道ならそれでも別に良いって娘たくさんいると思うが……それに部活だって全く休みがないわけじゃないんだろ?」

「うん、まぁ、さすがに日曜は休みだけど……お、俺のことはともかく! 北川こそどーなんだよ。彼女作らねーの? 今の北川ならより取り見取りだろ。金持ってるし、学校のヒーローなんだしさ」


 神道の言葉に、俺は曖昧にほほ笑んだ。

 確かに、あの事件以降俺は校内のちょっとしたヒーローだった。

 なんせ、報道規制がかけられるレベルの大犯罪の解決に協力したのだ。

 しかも、高校生にしてTVに出るレベルの冒険者。

 これで人気が出ないわけがない。

 冒険者志望だという下級生が弟子入りを希望してきたり、他のクラスや学年の女子が俺の顔を休み時間に見に来たりもした(なお、実際に見てみてがっかりした模様)。

 ここまで来ると、イケメンじゃなくてもプロ野球選手がモテるように、俺のようなモブ顔でも普通にモテるようになる。

 そう、モテるようにはなったのだが……。


「あ、ねぇねぇ、神道くん、北川くん」


 と、そこでクラスの女子二人が俺たちの元へとやってきた。

 クラスでもイケてる系に入る、右野さんと佐野さんのウノサノコンビだ。

 彼女たちは、ワイシャツのボタンを二つほど外し、平均より大きめな胸元の谷間を見せながら、俺たちへと黄色い声で話しかけてくる。


「神道君たちってぇ、もう夏休みの予定全部埋まっちゃったぁ?」

「良ければ、ウチら海行く予定なんだけど、一緒に行かない?」


 ————海……!


 俺と神道は顔を見合わせた。

 これは、なかなか魅力的なお誘いだ。

 ウノサノコンビは、某アイドルグループメンバーのように、可愛いがどこか没個性な顔立ちと髪形をしているものの、スタイルもノリも良い。

 そんな彼女たちと、海で水着姿となって遊ぶ……。

 一歩道を踏み外せば、そのまま一夏のアバンチュール的な過ちを犯してしまいそうな、そんな怪しい予感があった。

 ど、どうする……。この誘いに果たして本当に乗って良いのか?

 良く言えばノリの良い、悪く言えば軽い雰囲気のウノサノコンビだ。もしかしたら、もしかすると、かなりエッチなイベントが起こる可能性も無きにしも非ず。

 だが、それを期待して頷いたと思われれば、クラスの皆に「実はむっつりスケベの北川くん」のイメージがつく恐れもある……。(注・すでに手遅れ)

 かといって、硬派を気取って断れば何も起こらず、何も手に入れられないだけだ。

 こんなチャンスが、俺の人生にあと何回あるか……。

 ……ハッ!? その時、俺の脳裏に電流が走った。

 いや、待て! 違う! 次などないのか……!

 三年生になれば、夏休みは受験勉強の時間に当てられ遊ぶ予定など無くなる。一年の夏という貴重な時間をバイトにすべて費やしてしまった俺にとって、クラスの女子と海に行くというイベントは、これが最初で最後である可能性が高い!

 だ、だが……、もしウノサノコンビと海に行ったことが牛倉さんらの耳に入ったらどう思われるか……。

 あるかないかもわからない牛倉さんのフラグではあるが、それがぽっきりと折れてしまうことは、想像に難くない。

 ど、どうすれば……どうすれば良いんだ。

 俺が一秒にも満たない時間の中で懊悩していると、神道が同じく苦悩しているような顔で問いかけてきた。


「ど、どうする……?」

「どうしようか……?」

「……お、俺は北川が行くって言うなら付き合うけど?」

「ッ!?」


 こ、コイツ……!

 俺に判断を押し付けてきやがった。

 おそらく、神道も乗り気ではあるのだ。テニス漬けの日々を送る彼にとっても、クラスのわりと可愛い女子とエッチなことができるかもしれないチャンスは貴重。だが、その一方で自分の爽やかなイメージは崩したくない……。

 そこで、神道は決定権を俺に委ねることで、ウノサノコンビと海に行く可能性を残しつつ、自らの爽やかなイメージも崩さずに済むという選択肢を選んだのだ!

 糞! 神道め! 好青年のような顔をして、なかなかやる!

 だが、策士とは言うまい。むしろこんな簡単な方法を思いつかなかった自分の間抜けさ加減を笑いたい気分だ。

 マズイ……。ウノサノコンビに誘いをかけられてからすでに五秒が経過している。これ以上思考に時間をかけると乗り気ではないと判断されかねない。そうなれば彼女たちは自らのプライドを守るために自ら退くという選択肢を取るだろう。

 そうすることで逃した魚はデカかったかもしれないと思わせるのだ。

 とりあえずここは時間稼ぎしかない!


「そうだなぁ、迷宮攻略の予定もあるし、いつかにもよるかな。メンバーはこの四人?」


 俺が何気ない風を装ってそう問いかけると、くせ毛風ミディアムヘアの佐野さんがピースと共に答えた。


「もち! あんまり人数いると恥ずかしいしね」


 人数いると恥ずかしいだと!? 俺は目を見開いた。つまり、そういうデザインってことか!?

 心の中の天秤が一気に傾く。

 神道を見ると、表面上は平静を装いつつも、その眼は縋るようにこちらを見ていた。

 ……………………ふ、しょうがねぇなぁ。今回は俺が泥を被ってやるか。コイツは貸しだぜ?

 友のためにあえて汚名を被ることを決意した俺が、ウノサノコンビへと返事をしようとした————その時。


「あ、いたいた」


 中性的な美声が教室の入り口の方から響いてきた。

 この声は……!

 俺だけではなく教室にいたすべての生徒がそちらへと視線を向ける。

 声の主はそれらの視線を気にすることなくこちらへと一直線へとやってきた。


「や、マロ。ちょっといいかな?」

「神無月……」


 夏真っ盛りだと言うのに長袖のブレザー姿の師匠は、しかし暑さなど全く感じさせない涼し気な顔で微笑みを浮かべている。汗腺が存在しないのか? あるいは魔道具を使っているのか……。


「どうしたんだ? 神無月がうちの教室来るなんて珍しいな」


 俺はため口で師匠へと問いかけた。

 なお、ため口なのは校内で「師匠呼び、敬語」は悪目立ちするからやめてくれと師匠から言われたからだ。


「うん、なんか織部さんが放課後冒険者部で集まってほしいってさ。さっき廊下であった時言ってた」

「小夜が? スマホで連絡してくれば良いのに」


 先輩をメッセンジャーに使うとは……あれで先輩を立てるタイプの彼女にしては珍しい。


「うーん、なんか重要な要件なんじゃないかな。どうも深刻というかちょっと怒ってる感じだったし」

「ふーむ?」


 なんかあったんだろうか。

 俺が首を傾げていると……。


「あ、あのぉ〜……」


 おずおずとウノサノコンビが師匠へと話しかける。その頬は、俺と神道と話しているときとは違いほんのりと赤く色づいていた。


「もしよければ……ウチらと一緒に海行きません?」

「今、北川くんたちに誘いかけてたんですけど、どうも二人とも忙しいみたいなんで〜」

『……!?』


 ええっ!? 俺と神道は愕然として顔を見合わせた。なにこれ!?


「え、え〜と……?」

「ね? ね? 海が難しいならプールでも良いし!」

「あ、泳ぐの嫌いなら遊園地とか!」


 俺と神道を誘っていた時は明らかに意気込みの違うウノサノコンビ。

 そんな彼女たちにタジタジとなる師匠。

 と、その時。


「————ちょっと! やめなよ、困ってんじゃん!」


 師匠へと救いの手を差し伸べたのは、周りで様子を伺っていたクラスの女子集団だった。

 ギャル系、文科系、運動部系。グループの垣根を越えて団結した彼女たちは目を吊り上げてウノサノコンビを睨む。

 その視線の圧力にウノサノコンビが怯んだ隙に、ギャル系のグループが師匠を取り囲む。


「アイツらはほっといてさぁ。学校終わったらカラオケ行かない?」

「まだこの辺不慣れでしょ。遊び場とか紹介してあげる」

「は!? ふざけんな!」


 突然の抜け駆けに切れる女子グループとウノサノコンビ。

 どうやらグループの垣根を越えて団結した、というのは勘違いだったようだ。

 そのままなし崩し的に、女子たちによる神無月争奪戦へと移行する。


「ちょ……マロ、たす——」


 女子たちの群れに飲み込まれ、姿を消す師匠。

 完全に蚊帳の外へと追いやられた俺と神道は顔を見合わせ、ふっ……と笑う。


 俺たちは、確かに普通にモテる。が、あくまで普通に、だ。

 イケメン? なるほど確かに神道はイケメンだ。が、あくまで一般的なイケメン。男女の垣根を超越した超美形の師匠ほどじゃない。

 高校生で三ツ星冒険者? 確かに凄い。日本全国見渡しても何人いるか。——師匠はプロだけどね。

 凶悪事件の解決に協力した? 確かにヒーローだ。そのチームをプロとして率いていたのが師匠なんだけどね!

 容姿。性格。実力。実績。財力。俺と神道が持つすべてのモテ要素において上を行く上位互換。それが神無月翼という存在だった。

 いいさ。俺にはカードたちがいる。神道には、テニスがある。


 悔しくなんて、ない——。


 俺たちが、上を向いてこみ上げる何かを堪えていると、クスクスと可愛らしい笑い声が聞こえてきた。

 するとそこにはニマニマとしたチェシャ猫のような笑みを浮かべた四之宮さんと、おっとりとした苦笑を浮かべた牛倉さんの二人がいた。


「ど〜した、二人とも。しょぼくれた顔しちゃって〜。そんなに女子の水着が見たかった?」


 そう言ってウリウリと俺の頬を突いてくる四之宮さん。


「いや、そんな、落ち込んでなんかないッスよ。なぁ、神道?」

「そ、そうそう。俺ら元々断る気だったし。テニスとか迷宮攻略とか忙しいから」

「ふぅ〜ん?」


 苦しい言い訳をする俺たちに四之宮さんは意味深な笑みを浮かべつつ。


「そっか、残念。代わりにウチらとプール行かないって誘いに来たのに」

『マジ!?』

「でも忙しいなら無理か。仕方ない、二人で行こうか、静歌。ナンパとかうっとうしそうだけど」

「そうだね〜、忙しいならしょうがないね」

「いやいやいや、大丈夫です! 行けます! 何なら部活休むし! な、北川!」

「俺もスケジュール調整利くし!」


 このチャンスを逃してなるものか、となりふり構わず喰らい付く俺たち。


「そ? じゃあ後で大丈夫な日送ってくれる? なるべくこっちもそっちに都合合わせるからさ」


 言うことは言った、とクールに去って行く四之宮さん。その後を追う前に振り返り小さく笑顔で手を振る牛倉さん。

 二人を見送った後、俺と神道は顔を見合わせ、グッとガッツポーズを握ったのだった。






 ————それから数時間後。ところ代わり、昼時の喧騒に包まれるデニムズ。


『……………………』


 禁煙コーナー最奥の、もはやお決まりとなった冒険者部専用のテーブル。そこで、俺たちは項垂れるアンナを囲んでいた。

 終業式が終わり、友達と昼飯を食べに来た学生たちや家族連れが楽し気に食事をする中、このテーブルだけは周囲とは真逆の通夜のような雰囲気が包み込んでいた。

 アンナの正面に座る織部が、氷の声音で言う。


「おい、部長」

「はい……」

「なんだ、これは」


 吐き捨てるようにそう言った織部が視線を向ける先には、見事に赤点を取ったテスト用紙が並んでいた。


「誰だったか。『赤点で補習なんてことになったら遠征に行けなくなるから、冒険者部は全員赤点を取らないようにしましょう!』なんて言ってたのは?」

「ウチ……ッスね」

「『もし赤点取った人がいたらペナルティーッスよ!』なんて言ってたのは?」

「う、ウチ……ッスね」


 脂汗をだらだらと流し、哀れなほどに身を縮こまらせる赤毛の美少女に、しかし同情する者は誰もいない。


「しっかし酷い点だな……。あの小夜のテスト予想があって、どうやったらこんな点が取れるんだ?」


 織部が冒険者部のメンバー用に作ってくれたテスト予想は、一年生であるにもかかわらず二年生の範囲まで完璧に対策されており、丸暗記するだけでどんな馬鹿でも高得点を取ることができる代物だった。

 万年平均点の俺ですら、この高校に入って初めて平均90点台の高得点を取れたほどだ。

 ……もしかして、二年の分のテスト対策まで行ったせいで一年のテスト範囲の方が疎かになってしまったのだろうか?

 だとしたら申し訳ないな、と織部の方を見ると、彼女はふんと鼻を鳴らして腕を組んだ。

 アンナが慌てて言う。


「い、いえ! 小夜のテスト対策はいつも通り完璧でした!」


 じゃあなんで赤点取ったんだよ……。


「これはもう、ペナルティーとして部長の座を退いてもらうしかないと思うが?」

「そ、そんな!?」


 織部が冷たくアンナを見やり、宣告する。


「そ、それだけは〜! それだけは何卒!」


 涙目のアンナが必死に縋りつくが、織部のアンナを見る目は屠殺業者が養豚場の豚を見るかのように無慈悲なモノだった。


「まあまあ、とりあえず訳を聞いてみようよ。もしかしたらやむにやまれぬ事情があったのかもしれないしね」


 そうフォローを入れたのは、先ほど見た時よりも制服が草臥れて煤こけた雰囲気となった師匠だった。

 師匠がどこかこちらを恨めし気に見つつそう言うのに対し、俺はその視線をしれっとスルーしつつ頷いた。


「だな、もしかしたら当日高熱があったとか、飼っていたペットが死んだとかで集中できなかったのかもしんねーし」


 上級生二人の執り成しに、何気に目上は立てるタイプの織部が不承不承と言った感じで引き下がる。

 俺たちの眼差しを受けて、アンナは指をツンツンとしながら答えた。


「そ、そのぉ、実は学校に現れた迷宮が気になって勉強に集中できなくて……」

『うん、有罪(ギルティ)』


 満場一致で判決が下る。予想よりも下らない理由だった。


「しかし、どうすんだ、これ。これじゃ遠征なんていけないぞ」


 織部がアンナの頭をヘッドロックして締め上げるのをしり目に、俺はどうしたもんかと天を仰いだ。

 今回、冒険者部では夏休みという長期休暇を利用して日本各地の迷宮を巡る計画を立てていた。

 四ツ星昇格のため、普段は行けない沖縄や北海道などの遠方のDランク迷宮を攻略しつつ、新たな経験と力を得るためにプロクラスの迷宮にも挑む予定だったのだ。

 だが、アンナが補習……しかも複数教科で拘束されることが確定となったことで、その計画もほぼ白紙へと戻ってしまった。


「本当にすいません……ウチのことは忘れて、どうぞ皆さんだけでも遠征に行ってください……」


 どうやらマジで落ち込んでいるらしいアンナに俺たちは顔を見合わせ。


「そうはいかないだろ〜」

「こんなバカでも仲間なわけだからな」

「そうそう、それに仲間はずれがいたら楽しめないしね」

「み、みんな……!」


 冒険者部の温かい言葉に瞳を潤ませるアンナ。


 ……まあ、実のところアンナがいるといないじゃバックアップがだいぶ違うっていう都合もあるんだけどね。


 迷宮に潜る際の緊急避難と転移のカードの用意や、飛行機のチケットや遠征先のホテルの手配、攻略予定の迷宮のリストアップ、出場する予定の大会の情報収集、手に入れたカードや魔道具を安全確実に売却するための札商へのコネ……。

 これらはすべて部長であるアンナが、実家のコネを使ってマネジメントしていた。

 ぶっちゃけ、今更俺たちでアンナ抜きの遠征計画を立てるのは……無理ではないが面倒くさすぎた。


 アンナ抜きだと、ムードメーカーがいなくなるしな。


「まあ、こうなったら仕方ない。近場の迷宮を各自攻略していくってことで。それに補習だってちょこちょこ休みがあるし、夏休み前半で一通り終わるんだろ?」

「は、はい。一週間補習、一週間休みを繰り返して、夏休みの前半には終わる予定ッス」


 俺の言葉にアンナが頷くと、師匠と織部も納得したように頷いた。


「じゃあ、遠征とかはその時にやるってことで」

「……ま、ちょっと合宿の予定も詰め込み過ぎではあったし、これはこれで良いか」


 元々の予定じゃ、友達と遊びに行く予定や、家族で旅行に行く予定もほんの少ししか入れられなかったからな。

 合宿は楽しみではあったが、さすがにそれ一色というのも味気ないのは事実であった。

 予定とはだいぶ違ってしまったが、結果的にはこれはこれで良かったのかもしれない。


「じゃ、そういうことで」


 こうして、初っ端からグダグダな夏休みが始まったのだった。




【Tips】迷宮の初回踏破報酬

 迷宮には初回限定ボーナスが存在し、初回踏破に限り主のドロップ率が千倍となりガッカリ箱の中身も豪華になる……という噂。

 真偽のほどは定かではないが、迷宮が実質スラム街や犯罪者の巣窟となっている発展途上国であっても、現れたばかりの迷宮には軍を派遣し封鎖しているため、それなりに信憑性が高い、と考えられている。

 その一方で、噂が本当ならばAランクカードが世界で数えるほどしかドロップしていないのはおかしい、という反論も存在する。

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