第三章

第1話 夏の校長先生の話は殺人的

 

 ——それは例えるならば、微睡みの中でおぼろげに見る夢に似ていた。


 闇の中にたゆたう俺と、前方に広がる無数の可能性の道。そして、その道中に浮かぶ無数の窓(ビジョン)。

 近い可能性の道は太く、そのビジョンもはっきり見える。しかし、遠い可能性の道は細く、そのビジョンも霞んで見にくい。そればかりか、ところどころ道が途切れているモノすらあった。

 道が途切れている、ということは今の俺ではその可能性を掴み取れないことを意味する。

 その可能性の道は、先日視た時は確かに繋がっていたもので、逆に今日になって繋がっている道もあった。

 それは、人の運命がその日その日の星の巡りによって変動することを意味していた。

 こればかりは、当人の努力でどうにかできるものではない。

 人はどう足搔こうとも途切れた道の可能性をつかみ取ることはできないし、逆に繋がっている可能性の道といえどもその道を歩めるかどうかは『運』次第だ。

 だが——今の俺はその可能性の道を見ることで最良の結果を引き寄せ、さらには途切れた道を『幸運』を消費して穴埋めして繋ぐことすら可能だった。

 もっとも、それはすべてを思い通りにできるというわけでは、決してない。

 人一人が持つ『幸運』の量など、たかが知れている。痛みを避け、楽な方へ楽な方へと好き勝手に道を選び取っていればすぐに『幸運』は底を突くだろうし、そもそも『存在しない可能性』を歩むことは出来ない。

 簡単に言えば、いくら俺が『幸運』を消費しようと次の天皇陛下にはなれない、ということだ。

 それに……。


「……………………」


 俺はもっとも遠い道の先を見ようと目を凝らした。

 しかし、どれほど眼を凝らそうとも一定以上未来の道は見通すことができなかった。

 基本的に可能性というものは先の出来事であればあるほどより枝分かれして不安定なモノとなる。

 故に、遠い先の事であればあるほど見通し辛くなるのはわかるのだが、気になるのは数か月ほど先の道の先からすっぽりと闇に覆われて見えなくなっていることだ。

 最初は、そこが俺の未来を見通す力の限界なのかとも思っていたが、何度かこの力を試すうちに違うことに気づいた。

 たとえば、俺が一週間先まで視ることができるとするならば、一日経ったらその分先のことが見えなくてはおかしい。

 だが、この闇はと言えば日が経つにつれて遠のくことはなく、それどころかむしろ日に日に近づいてくるのだ。

 もしやこれは『俺の死』を意味しているのではないだろうか……。

 そう考え蓮華に相談したこともあったが、死ぬのならばその可能性がはっきり見えるとのことなので、どうやら違うらしい。

 では、この闇は一体なんなのか……。

 俺はさらに眼を凝らして闇の正体を見定めようとして。


 ————ズキン!


「……グッ!!」


 そこで、俺は激しい頭痛に襲われ、能力のコントロールを失った。

 急速に意識が浮上していく感覚。

 ハッ! と眼を開いた時、そこは自室のベッドの上だった。

 開けっ放しの窓からは、ひっきりなしにセミの鳴き声が聞こえてくる。

 俺は全身にびっしょりと汗を掻いていて、まるで頭から水を被ったようにTシャツが重くなっていた。

 重たい体を起こすと、ふいに鼻を熱いモノが伝わる。慌てて手で皿を作るとポタポタと赤いモノが滴り落ちた。

 ヤバッ! また鼻血が出てきた!


「——ホラよ」


 そこで、スッと差し出されるティッシュの箱。


「おお、サンクス!」


 まずはそこから何枚かのティッシュを取って鼻に当ててから手の主を見ると、そこにはサイズの合わない男物のTシャツとカーゴパンツを履いた黒髪の少女が、漫画片手に椅子に腰かけていた。

 人形のように顔の整った少女は、その形の良い眉を呆れたようにひそめ、こちらを見ている。


「……まったく、毎日鼻血出してまでやる必要あんのか?」


 少しだけ眉間に皺が寄ってしまっている彼女に、俺は若干バツの悪い思いをしつつ答えた。


「しょうがねぇだろ。この『パーフェクトリンク』の能力はいざという時の切り札になる。いつでも使えるように訓練だけはしておかねぇと」


 ——パーフェクトリンク。


 狼と七匹の子ヤギとの戦いで目覚めたこの新しい力を、俺はそう呼ぶことにした。

 このパーフェクトリンクは、師匠ですらその存在を知らない、俺自身が発見した独自のリンクだ。

 もしかしたら自衛隊なんかでは既に発見済みで、ちゃんと正式な名前が付けられているのかもしれない。だが、その情報が冒険者のところまで下りてきていない以上、発見者である俺が自分で名付けるしかない。

 こうした冒険者自身が自力で発見、開発したリンクを『パーソナル(個人用)リンク』と呼ぶ。

 パーソナルリンクは、その大半がすでに軍によって発見済みと言われているが、中には国ですら未発見のモノも眠っていると言われている。

 そのためパーソナルリンクは、それを使える冒険者にとって切り札と呼べる力であり、現にこの『パーフェクトリンク』はそう呼ぶに相応しい力を持っていた。

 しかし……。


「お前、ちゃんとわかってんのか? その血はただの出血じゃねーぞ。ポーションや回復魔法で治らないってことは、それは魂そのものに掛かった負荷だってことだ……」


 蓮華が、腰に手を当てながら、睨むように俺の顔を覗き込む。それに、俺はスッと視線を逸らして沈黙した。

 俺にとっての切り札となりえるこのパーフェクトリンクだが、その力に相応のリスクもまた存在した。

 パーフェクトリンクは、一般的に言われているシンクロリンクの限界点(シンクロ率99%)の壁を越え、完全にカードと魂を重ね合わせるリンクだ。

 これによりカード自身ですら知らなかった潜在能力を引き出すことが可能となるが、その一方でマスターの魂に多大な負荷が掛かる。

 神や悪魔と言った霊的に格上の魂と触れ合うことに、脆弱な人間の魂が耐えられないのだ。

 そのため、パーフェクトリンクを使うごとに徐々にマスターの魂は傷つき、徐々にカードに吸収され、最終的には生きた屍となってしまう危険性があった。


「……それでも、練習の成果は出てる。パーフェクトリンクの持続時間も伸びたし、お前の能力についてもわかってきたしな。それに、魂の傷はアムリタの雨で治る。だろ?」


 この一ヶ月、毎日のようにパーフェクトリンクの練習をし続けてきた結果、蓮華の能力の本質のようなものが俺にも見え始めてきた。


 蓮華の運に関する能力は大きく分けて三つ。


 第一の能力は、恒常的な『幸運の増加』である。

 人の幸運と不幸が、長い目で見ればプラスマイナスゼロで釣り合っているとして、蓮華の加護によって俺は常にちょっとだけプラスの状態で過ごすことができる。これにより、俺は何をしなくとも他の冒険者よりも高いドロップ率を誇る。


 第二の能力は、『幸運の貯金』だ。

 起こり得るはずだった幸運をあえて抑え込むことで、大きな幸運を作ることができる。これにより、日々の小さな幸運を貯めて貯めて貯めて……一気に解放することで奇跡とも呼べる大きな幸運を引き寄せることができる。あるいは、幸運と打ち消すことで大きな不幸をなかったことにすることもできる。


 これら二つの能力に関しては、デメリットは存在しない。福の神である蓮華の加護のようなものだからだ。

 だが……。


「リスクは魂の傷だけじゃない。むしろ、因果律の歪みの方こそ問題だ」


 第三の能力——『運命の操作』。これは、リスクのない前者二つの能力と違い、諸刃の剣とも言える能力だった。

 パーフェクトリンクを使用時のみ使用可能なこの能力は、二つ目の能力をさらに先鋭化させたものだ。

 第二の能力で貯金された幸運は、極めて漠然としたプラスのエネルギーであり、その結果は全くのランダムだ。宝くじが当たるのか、あるいは運命の人との出会いか、最悪の場合百回連続でアイスの当たり棒が出るだけ、ということもあり得る。

 第三の能力は、このランダム性の高い幸運のエネルギーに指向性を与えることができる。


 かつて俺は、雌のライカンスロープを手に入れるために何ヶ月も同じ迷宮に潜り、雄のライカンスロープというスカを引き続けたことがあった。

 だが、今の俺ならば幸運をしっかり貯めてから挑むことで、一発でアタリを引き当てることができるだろう。

 望む結果に幸運というリソースを投入することで、無駄なく最良の未来を掴むことができるのだ。

 さらに、その副産物として俺は、極めて限定的だが未来を垣間見ることができる。結果がわからなければリソースの投入しようがないからだ。

 もっとも見えるビジョンは、自分の行動による結果を一部切り取ったモノに過ぎないため、未来が完全にわかるというわけではない。だが、それでもそのビジョンからその過程は推測することができる時もあった。


 …………一見万能にも思えるこの能力だが、当然リスクも伴う。

 それが、因果律の歪みと、その反動だ。


 幸運と不運の関係は、椅子取りゲームにも似ている。

 誰かが幸運の席に座る時、必ず席に座れない者が出てくる。

 なぜなら、誰もが座れる幸運の席は、もはや幸運ではないからだ。

 幸運とは、それと比べられる不運な者がいて成立するのだ。

 蓮華のパーフェクトリンクによる運命操作は、いわばその幸運の席を横取り、あるいは間借りするようなものである。当然、その席からはじき出された者の運命も、変わる。


 たとえば一等十億円の宝くじがあったとして、俺が運命を操作しそれを引き当てたとしよう。

 この時、本来一等を独占出来ただろう者は、俺と五億ずつ折半することになる。

 結果、本来十億の金を手に入れられただろう者の運命が五億分変わることになる。

 十億あれば免れたかもしれない会社の倒産が、五億になったことで倒産してしまうかもしれない。十億あれば救えた難病の我が子が、五億になったせいであと一歩救えずに終わってしまうかもしれない。

 逆に、五億損したと考えて慎重に金を使った結果、悪意あるモノに狙われずに済むこともあるだろう。宝くじに当たったことを隠した結果、身内や友人にたかられずに済むかもしれない。十億あれば引っかかった詐欺に、五億だったおかげで引っかからずに済むかもしれない。

 いずれにせよ、本人やその周りの本来歩んだであろう道筋が歪むことは間違いない。


 それが、因果律の歪みだ。


 因果律の歪みは、小さな物であれば時間の経過とともに自然と解消されていく。

 ところが、度重なる運命操作により歪みが連続で積み重なり、それが一定量を超えた時、蓄積された歪みはそれを引き起こした者に直接『試練』として帰ってくる。


 試練……すなわち、不可避の不幸である。


 試練からは、決して逃れることはできない。幸運の力を使って打ち消すこともできない。予知をして備えることもできない。完全なる不可避。

 だがその一方で、試練は、自らの意思の強さと積み重ねてきた努力によって打ち勝つこともできる。


 そう、かつて俺が戦った『ハーメルンの笛吹き男』の時のように……。


 また、運命は試練に打ち勝った者にそれに相応しい報酬を与える。

 俺がこの因果律の歪みによる反動を単なる不幸や副作用ではなく、試練と呼ぶのはそのためだ。


 …………この能力の最も恐ろしいところは、『幸運の前借り』ができてしまうことだろう。

 本来であれば俺の持つ幸運では引き寄せることのできない奇跡であっても、未来に起こるはずだった幸運を持ってくることで起こすことができてしまうのだ。

 貯めてきた幸運を使用しての運命操作では生まれる因果律の歪みも最小限となるが、『幸運の前借り』による運命操作は大きな因果律の歪みを生む。

 それこそ、一発で試練を引き寄せるほどの歪みを、だ。

 この能力は、誘惑だ。

 いっそ使えない方が良かったと思うほど、露骨にこちらを自滅の道に誘っている。

 ならば自らの意思で封印すれば良い、と思うかもしれないがそれが出来ないのが人間という生き物だ。

 たとえば自分の家族や最愛の人が死ぬ運命にあり、この能力を使えば救えるとしたら、果たして使わずにいられるだろうか……?

 最初から使えなければ、そういう運命と諦めもつく。

 だが、救える手段があるにもかかわらず見捨てたとなれば、その事実は確実に精神を苛む。

 使うべきではない、しかし手を出さずにはいられない、禁忌の力……。

 まさに、悪魔の誘惑と呼ぶべき力であった。


 とは言え、実のところこの能力を心の底から危険視しているわけではなかった。

 なぜなら……。

 俺は蓮華へとニッと笑いかける。


「——でも本当にヤバイ時はお前が体張ってでも止めてくれるだろ?」


 なぜなら、この能力も蓮華の一部だからだ。

 ならば、この能力で俺が破滅することはない。

 痛い目を見ることがあっても、俺が欲に飲み込まれそうになった時は、きっと彼女が張り飛ばしてでも止めてくれる。

 そういう確信があった。

 ならば俺の役割は、いざという時のためにこの能力をいつでも使えるようにしておくことだった。


「…………はぁ〜」


 そんな俺の笑みを見た蓮華は、深々とため息を吐いた。

 それは、母親がおもちゃ売り場でダダを捏ねる子供を見る時のような、あるいはOLが同棲してる安月給のバンドマンの彼氏を見る時のような……妙にこちらの肩身が狭くなる感じのため息だった。


『まったく、どうしてこんな子(人)になっちゃったのかしら。もっと厳しくしないとダメだってわかってるんだけど……どうしても最後は甘やかしちゃうのよねぇ』


 って感じの目である。


「……ま、今はいいや。そんなことより、そろそろ時間マズイんじゃねぇの?」

「あ、やべ」


 蓮華の言葉に我に返り、時計を見ると遅刻するかしないかギリギリの時間だった。

 俺は急いで制服へと着替えると、机の上に置いてあった教科書の入っていないスカスカのカバンを手に取り、慌てて部屋を飛び出した。


 今日は7月18日。終業式の日だった。




【Tips】パーソナルリンク


 冒険者が自力で発見、開発したオリジナルのリンク。その大半は、国や軍によって既に発見済みか既存のシークレットリンクの劣化品に過ぎないモノも多いが、中には完全オリジナルの優れたモノも存在する。

 パーソナルリンクは、その発見者にとっても切り札のため、大半は独占され秘匿されているが、中には仲間内で積極的に教え合っているチームも存在する。

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