第14話 被害総額一億二千六百万円ナリ

 

 ————微睡みの中、俺に話しかけてくる声があった。


『……あの犬野郎を捕まえるって?』


 耳当たりの良い、しかし生意気そうな声。それに『当たり前だ』と俺は答えた。


『言っとくが、あの犬野郎はお前がどうにかしなくとも、そのうち勝手に破滅するぜ。アタシが見たところ、奴が逃げきれる未来は一つとしてない。いや、逃げる気がないというべきか……』


 関係ない。これは、意地の問題だった。俺は蓮華たちを捨て駒にして逃げたのだ。そのまま終わりにしてしまえば、俺はずっと逃げたままということになる。それは、俺の歩む道を少なからず歪めるだろう。

 蓮華風に言うならば、逃げ癖がつく、という奴だ。

 俺が関わらずとも襲撃犯が捕まるというならば、むしろ結構だ。逆に言えば、その結末に関わることができるかもしれないのだから。


『ククク……なるほど、意地か。なら仕方ねーな。まあ精々頑張れ、お前がどこまでやれるか……その眼(・)を通じて見ててやる』


 何かが近づき、触れる気配。そこで、目が覚めた。



 朝、というものは誰にとっても憂鬱なものだ。

 よほど学校や仕事が好きでもない限り、眠気を我慢して出かける準備をするのは億劫なもの。

 どうしてもテンションが下がる。

 特に——。


『————迷宮の消滅については、未だに詳しい理由が判明しておりません。国の研究チームが現地入りしておりますが、確実にそこにあった迷宮は消滅しているようです。迷宮の消滅の原因を探ることができれば、迷宮の数をコントロールできる可能性があると世界中で注目が集まっております。

 次のニュースです。先日午後二時ごろ、家族で川へキャンプにやってきていた小学一年生の男児が、川で溺れ死亡しました。川の流れは全体的に穏やかということですが、中心部は水深が深く流れも急で——』


 ——朝から気の滅入る様なニュースをやっていれば、なおさらだった。


「はぁ……」


 TVから視線を切り、小さくため息を吐く。

 ……俺が迷宮で襲われてからはや三日が経った。

 TVでは、朝から晩まで迷宮が消滅したニュースで持ち切りだ。無理もない。なんせ、世界で初めて迷宮が消滅したのだから。

 当初は消滅した迷宮にいたということでマスコミの取材を警戒していた俺であったが、今のところ奴らが来る気配はなかった。おそらく、警察やギルドが個人情報を守ってくれているのだろう。もっとも取材に来られたところで『何も知らない』以外に答えようがないのだが。


 その一方で、迷宮内での行方不明者多発事件については軽くだが触れられていた。

 もっともそれは、連続殺人犯が冒険者たちを襲撃している……という内容ではなく「低ランク迷宮での未帰還者の数が増えているので、冒険者は気を付けるように。特に単独での攻略は絶対に避けるように」という程度のものであった。

 これは、俺の証言だけでは他の行方不明者たちも襲撃犯の仕業だと断言できないことと、襲撃犯の仕業と断言することによって犯人たちに地下に潜られることを警戒してのことと思われた。

 俺が何も知らなかった以上、国が迷宮消滅の鍵を襲撃犯たちが握っていると考えるのは当然のことで、犯人を確実に捕まえるために慎重になるのも頷ける。

 ただ、すでに多数の行方不明者という犠牲者が出ている以上、ギルドや警察としても何も警告しないというわけにはいかず、その結果がこの形だけの注意勧告なのだと思われた。

 実際に襲われた身としては、もっと深く掘り下げて注意喚起すべき……と思わないでもないのだが、こればかりは人類の未来がかかっているため何とも言えなかった。

 結局、冒険者の原則として自己責任がある以上、仕方のないことなのだろう。

 迷宮に潜らなければ、それで危険は回避できるのだから。

 そんなことを考えながら朝食のトーストに齧りついていると、ふいにお袋が話しかけてきた。


「……アンタ、学校なんか行って大丈夫なの? 昨日退院したばっかりなのに」


 そのお袋の心配そうな眼差しに、俺はムズ痒いような思いと、ちょっとした罪悪感を覚えつつ答えた。


「大丈夫だよ、点滴打って安静にしてたおかげで体調は良いし」

「でも迷宮に潜りすぎて過労で倒れたんでしょう?」

「あ〜、あれは……泊まりがけの攻略でよく眠れなかった上に、ちょっとモンスターハウスに遭遇して疲れただけだよ」

「なら良いけど……しばらく迷宮は控えなさいよ」

「わかってるよ」


 俺は短くそう返すと、ごまかすようにハムエッグを大きく頬張った。

 ……今回の一連の事件について、俺は家族に対し「迷宮攻略を終えた後、過労で倒れて病院に運ばれた」とだけ説明していた。

 それは、事件について警察から口止めをされているから……ではなく、もし本当のことを言えば確実に冒険者を辞めるように言われるだろうからだった。

 さすがに迷宮内で犯罪者に殺されかけたと聞いて息子を止めないほど、ウチの親は放任主義ではない。

 入院時は、警察から詳細を伝えられているかもと気が気ではなかったが、何故かは知らないが警察からも特に事情は伝えられていなかったので、これ幸いにとこちらに都合が良いように事実を捻じ曲げさせてもらったのだ。

 嘘をつくことに多少の罪悪感はあったが、この件に関してだけはどうしても自分の手でケリをつけたいという思いがあった。


 ……とはいえ、俺もすぐにリベンジマッチに挑むつもりはない。

 主力メンバーが壊滅した今、かつての戦力以下であの襲撃犯に挑むのは無謀を通り越して、もはやただの馬鹿である。

 まずは地上で犯人の情報を探りつつ、蓮華たちの復活費用を稼ぐのが当面の目標であった。


「……しかし、最低でも一億強、か。はぁ〜……」


 思わずため息が出た。

 現在の相場では、エンプーサが最低価格で六百万からで、座敷童が四千万から、女ヴァンパイアともなると八千万からとなっている。

 しめて、1億2600万円。見るだけで眩暈がする金額だ。

 しかもこれは、あくまで最安値で買えた場合の話だ。市場での需要や所持スキルで値段は上下する。正直この値段で買えたら運が良いレベルだ。

 特に、蓮華の活躍のせいで座敷童の人気が上がり、相場が全体的に上昇しているのが、地味に痛かった。

 ちなみに、現在のすぐに現金化できる俺の資産は、凡そ3500万円ほど。内訳は以下の通り。


 ・モンコロなどの収入:約1200万円。

 ・現金化していない踏破報酬の魔石:約1700万円分。

 ・ドロップアイテムの魔石:約600万円程度。

 この他にこれまでの迷宮攻略で手に入れた様々な魔道具類に、ライカンスロープのカードが二枚、Dランクカードが百数十枚ほどあり、以上が俺の全財産となる。


 Dランクカード百数十枚と聞くと一財産のようにも聞こえるが、実際はライラプスやオークなどの安価なカードばかりで、ギルドに売っても買い叩かれて大した金にはならないものばかりだ。

 いかに魔道具やカードを高く買ってくれる人を探せるかが、蓮華たち復活のキーになるだろう。


「ん、じゃあそろそろ行くわ」

「気をつけなさいよ、まだ病み上がりなんだから」


 御袋の見送りの声を背に、家を出る。

 学校へと向かいながら頭を悩ませるのは、次のモンコロの試合についてである。

 使用できるカードが人型の女の子カードに限定されている以上、さすがに今のままでは試合に出ることもできない。とりあえずユウキと鈴鹿は確定として、あと一枚女の子カードが必要だった。

 一番手っ取り早いのはメアを先に復活させることだが……C×D×Dの組み合わせでは戦力に不安がある。

 それと、こうなった以上復活資金を稼ぐためにも試合の回数を増やしたいところだが……果たして蓮華やイライザのロストをいつまで隠し通せるか。

 TV局が俺をモンコロに起用するのは、蓮華というスター性のあるカードのマスターであることが大きい。

 それがロストしたとわかれば、いくら復活できるとはいえ、当然TV局からの評価は下がるだろう……。


「お、師匠やん。おはようさん、もう体の調子はいいんか?」


 そんな風に悩みながら学校近くまでやってきた頃、背後から聞き覚えのある声がかけられた。


「小野か……おはよう。体調は問題ないよ」

「ふぅん……? その割に暗い表情やけどな」

「ああ……」


 俺は一瞬適当に誤魔化そうとし、すぐに考えを改めた。

 コイツにも……一応言っておくべきか。


「小野、ちょっと耳を貸せ」

「え〜、なんか気味が悪いなぁ〜、なんやねん一体」

「いいから。実は、俺が入院してた理由なんだがな……」


 俺は小野へと耳打ちをし、迷宮で何者かに襲われなんとか命からがら逃げ延びたことを伝えた。

 最初はニヤけ面だった小野も、すぐに顔が強張っていく。


「……マジか。怪我は……無さそうだな。カードは? どれくらい被害が出た?」

「え? あ、ああ……。蓮華と、イライザ、メアの三枚だ。……関西弁はどうした?」

「そんなんどうでもいいだろ! よりによって主力のCランクカードが全滅じゃねぇか! その話、他の人間には?」

「いや、お前のほかには後輩のアンナだけだ」

「ということは、クラスのみんなにはまだ知らせてないってことだな?」


 俺が頷くと、小野は深い安堵の息を吐いた。


「はあぁぁぁぁぁぁ〜〜……ならギリギリセーフか。北川……じゃなくて、師匠。その話、もう他に話さん方がええで。クラスの奴、特に獅子堂にはな」

「獅子堂? どうして?」


 俺がそう問い返すと、小野は露骨に呆れたような表情を見せた。


「……師匠、最近学校の方を気ぃ抜き過ぎなんとちゃうか? そりゃあ冒険者の方と比べたら小さい世界なんはわかるけど……人の恨みっちゅうんはどこで買うかわからんで? なんだかんだ言うてこの世で一番恐ろしいバケモンは人間なんやからな」

「…………………………」


 その小野の物言いに、俺はグッと言葉を詰まらせた。

 なんせ、つい先日に人間という怪物の恐ろしさを思い知ったばかりなのだから。

 人間にとって一番の天敵は、人間なのだ。それは、迷宮の中でも外でも同じ話。

 確かに、小野の言う通りだ。冒険者が強いのは、迷宮の中で限定のこと。外の世界では、ごく普通の人間と何ら変わりない。そこで物を言う力は、数の力。世論の力だ。

 いくら冒険者というもう一つの世界があるとはいえ、学校という世界を疎かにして良いわけがなかった。

 しかし……人の恨み、か。

 俺の脳裏に、南山の顔が一瞬だけ過った。

 まさか、まさかな……。

 さすがに被害妄想が過ぎる、と俺は自分を戒めた。


「……悪かったよ。肝に銘じる。それで、獅子堂がどうしたって?」

「獅子堂の奴が前々からカーストトップを狙ってるのは、さすがに知っとるよな?」

「馬鹿にすんな、それくらいは気付いてるっての」


 うちのクラスの奴で気付いていない奴はいないだろう。それぐらい、獅子堂の下剋上思考はあからさまだった。


「じゃあ獅子堂が特に敵視しとるのが師匠って事も、もちろん気づいとるよな?」

「も、もちろん……?」


 俺は顔を引きつらせつつ、知ったかぶりをした。

 ……えッ? 獅子堂が、俺を? なんで? アイツが敵視してるのは神道じゃなかったっけ!?


「はぁ〜、やっぱりわかっとらんかったか」


 そんな俺の顔を見て深くため息を吐く小野。


「まあ正確に言うと、敵視ってよりは攻撃対象って感じやけどな」

「……それは同じことじゃねぇの?」

「ちょっと違う。敵視は個人的感情がメインやけど、攻撃対象は利益が絡んだもんや。ええか? 一から説明するで。今、うちのクラスでカーストトップの素質を持つのは五人。四之宮さん、神道、一条さん、獅子堂、そして師匠や」

「ん? 牛倉さんやお前は?」


 ウチのクラスのカーストトップグループは、俺と四之宮さん、牛倉さん、神道、小野の五名だったはず。

 そんな俺の問いに対し、小野は静かに首を振った。


「いや、僕らはカーストトップグループに所属してるだけでカーストトップちゃうねん。こう言っちゃあなんやけど、牛倉さんは四之宮さんの、僕は師匠のオマケなんや」

「そうかぁ?」


 首をかしげる俺。

 一年の頃からカーストトップだった小野や牛倉さんの姿を知る身としては、いまいちピンとこない話であった。


「うーん、こういえばわかるか? 師匠や四之宮さんは別のクラスでも間違いなくカーストトップになっていた。でも牛倉さんや僕は、師匠や四之宮さんと違うクラスやったらカーストトップじゃなかった可能性がある、と」


 それで、俺も納得した。なるほど、そう言うことか。

 確かに牛倉さんは四之宮さんと違うクラスだったら、カーストトップにいるイメージはない。容姿はカーストトップにふさわしいものであるが、前に出る性格ではないためだ。今彼女がカーストトップグループにいるのは、四之宮さんに引っ張られてという面が強い。

 小野の場合は、牛倉さんの逆だ。カーストトップを狙う意欲はあるが、コミュニケーション能力という周囲に左右される武器しか持っていない。

 もしクラスメイトの中に小野に匹敵するコミュ力を有するものがいたり、他のカーストトップメンバーに嫌われた場合、グループ入りするのは難しいだろう。

 校内でも希少な二ツ星冒険者という武器もあるが、その武器をアピールできたのは、モンコロにも出ている三ツ星冒険者である俺の弟子、という肩書を利用できたのが大きい。

 だが、読者モデルをやっていてカリスマ性もある四之宮さんや、イケメンでテニスでも実績を残している神道、冒険者でTVにも出ている俺は、どのクラスでもカーストトップに自然と入ることになるだろう。


「ボクや牛倉さんはこのクラスでこそカーストトップやけど、一条さんと獅子堂は違う。このクラス以外のどこのクラスでもカーストトップやったはずや。このクラスに四之宮さんと神道がおったことはホンマ運が悪かったとしか言いようがないわ。

 一条さんと四之宮さんは同じ読者モデルで、四之宮さんがカーストトップになったのはクラスの女子の支持が四之宮さんの方が多かっただけ。

 一方の獅子堂は、校内のヤンキー系のアタマでイケメン度なら神道よりも上。神道の方がカーストトップになったのは、テニスの方で全国狙えるレベルなのと……あと師匠のせいや」

「俺?」

「実のところ神道と獅子堂はタイプの違うイケメンやから同時にカーストトップグループに入れるんやけど……ぶっちゃけ師匠ってああいうDQN系の奴、苦手やろ?」

「ああ、うん……正直」


 陰キャの悲しい習性というべきか、俺は獅子堂のようなオラオラ系はどうにも苦手であった。

 さすがに人間よりもよほど恐ろしいものを普段相手にしているので別にビビるようなことはないが、常に周囲を威嚇しているような人種と一緒にいるのは苦痛でしかなかった。


「そんな師匠の感じを読み取ったんやろうな。神道も獅子堂の嫌いな爽やかなスポーツマンタイプということもあって、奴の方から身を引いた形になったわけや。でも、カーストトップまでは諦めたわけやなかった」


 なるほど……獅子堂がカーストトップを一時的に譲ったのにはそういう背景があったのか。


「ここまでの話でわかったと思うけど、実のところカーストトップ争いは五対二やなくて三対二や。一人打ち倒すだけで同数に持ち込める。しかも、実はその三人もモデル業や部活、冒険者業の方に集中しとってクラスカーストの方にはあんま執着しとらんから、数さえ同数に持ち込めたらひっくり返せる可能性が高い。んで狙われたのが……」

「俺ってことか」

「そう! 元々の容姿に優れてる四之宮さんや神道と違って、冒険者という武器しか持っていない師匠は、付け入る隙があると見たんやろうな」


 ……どうせ俺はモブ顔だよ。カードを失ったらただの人さ。


「女の子モンスターばっかり集めてるキモいオタク野郎とか、冒険者になった途端イキリだした勘違い野郎とか、いろいろと悪評を流そうとしとったみたいやけど、あんま上手くいかんかったみたいやな。モンコロにも出はじめたし、冒険者やり始めてなんか雰囲気変わったとか言って女子からの人気もそこそこ出てきて……」

「え? そこんトコロ詳しく」


 女子からの人気云々というところに食いついた俺であったが、しかし小野は鼻で笑ってこれをスルー。


「まあそんなわけで、これまでは師匠を打ち崩そうとしてあんまり上手くいってなかった獅子堂やけど、そんな時にCランクカードが壊滅したとか聞いたらどうするか……わかるやろ?」

「……ああ、まぁな。ってか、Cランクカードは全滅したわけじゃないんだが。一応あと三枚あるし」


 ……もっともそのうちの二枚は換金用で、一枚はいつの間にかランクアップしてた曰く付きだが。

 そんな内心など知らない小野は、ポカンと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。


「ハッ? さらにCランク三枚!? それをはよ言えや! 心配して損したわ!」


 そう言ってボカリと結構本気目で肩を叩いてくる小野。


「でもまぁ、それでも主力メンバーが壊滅したのは言わん方がええな。いろいろと陰で言い出す奴が出るやろうし……師匠も今そんなん聞いたら楽しくないやろ?」

「まぁ……な」


 カードを失ったのは俺の責任だからそれを馬鹿にされても仕方ない。だが、蓮華たちの奮闘まで馬鹿にされたら……冷静でいられる自信はなかった。

 そんなことを話しているうちにいつのまにか教室まで着いていた

 まだ早めの時間なせいだろうか。登校している生徒の姿もまばらだ。

 カーストトップグループでは、四之宮さんの姿くらいしか見受けられない。

 彼女は、眠たげに自分の席でスマホを弄っていたが、やがてこちらに気付くとヒラヒラと手を振ってきた。


「おはよ、マロっち……と小野」

「おはよう」

「僕はオマケかい」


 四之宮さんは、小野の突っ込みを華麗にスルーすると、俺たちの顔を見比べて怪訝そうな顔をした。


「マロっちと小野が一緒に登校してくるなんて珍しいじゃん」

「偶然登校中に会ってさ。……そっちこそ牛倉さんは?」


 普段何かにつけて一緒の彼女たちがバラバラでいるなんて珍しい……と周囲を見渡しながらそう言うと、四之宮さんに少し呆れたような顔をされた。


「マロっちは相変わらず静歌にゾッコンだねぇ〜。静歌は吹奏楽の方の朝練。ホラ、体育祭近いからさ」

「そんなんじゃないって。でもそうか、五月だもんな、体育祭」


 多少テンションを落としつつ、俺は答えた。

 体育祭。俺のように特に運動が好きではない層にとって、あまり歓迎できるイベントではなかった。

 そんな俺を見た小野がからかい気味に言う。


「師匠は、今年の体育祭は結構活躍できるんとちゃうか? 冒険者になってから結構鍛えとるんやろ?」

「そりゃあ多少はランニングとか筋トレしてるけど、ぶっちゃけ体力をつける用でスポーツのための筋肉じゃねぇからなぁ」

「活躍できてもマラソンとか綱引きとか地味な種目ってことか。まあ、別に体育祭でまで活躍する必要はあらへんしな」


 そんな俺たちの会話を、顎に手を当て何かを考えこみながら聞いていた四之宮さんが、ふいに俺に問いかけてきた。


「……ねぇ、やっぱ冒険者って体力とか結構必要かな? カードの知識とかも」


 普段あまり冒険者業のことに深くまで質問してこない彼女らしからぬ態度に、俺はわずかに疑問を覚えつつ答えた。


「……いや、Fランク迷宮程度なら最低限の体力は潜っていくうちにつくし、そんなに知識も要らないけど。……急にどうして?」


 この問いかけに四之宮さんは、周囲のクラスメイトたちに漏れないように声を潜めながら話し始めた。


「や〜、実はさ、この間専属モデルにならないか、っていう話を貰ったんだけど……」

「おお〜! ついに!」

「やるやん! おめでとう!」


 小野と二人、小さく歓声を上げる。

 ぶっちゃけ俺はファッションの世界には疎い。四之宮さんが読者モデルをやっているというのは知っていたが、彼女が読者モデルとしてどの程度の存在なのかまでは知らなかった。

 だが、専属モデルの話がくるという位なのだから、他の読者モデルと比べ頭一つ飛びぬけているのだろうことは、素人の俺でも察しがついた。

 素直に祝福する俺たちに対し、しかし四之宮さんはどこか困った様子であった。


「や……、それが、ただ専属モデルにならないかって話じゃなくて、冒険者モデルにならないかって話だったんだよね……」

「冒険者モデル……? 冒険者アイドルのモデル版みたいな奴か? REIKA(レイカ)みたいな?」


 ——REIKA。今、若者を中心に絶大な人気を誇るトップアイドルだ。

 アイドルでありながら四ツ星ライセンスを持つ実力派の冒険者ということで、冒険者アイドルと呼ばれている。

 元々プロフェッサー型のプロ冒険者だった彼女は、アマチュア時代から迷宮攻略の様子を見やすいように編集してはネット上に投稿するという活動をしていた。

 アイドル級の美少女が、時に面白おかしく、時に命がけで迷宮を冒険する動画は、動画編集のセンスがあったこともあり、加速度的に再生回数を増やしていった。

 動画投稿サイト『My Tube』では、彼女の動画を模倣した動画が溢れかえり、いつしか動画投稿を目的として迷宮に潜る者たちをダンジョンチューバーと呼ぶようになった。

 そんな彼女をメディアが放っておくわけもなく、徐々にTVに出るようになったと思ったら歌とか歌い出して、いつの間にかアイドルになっていた。

 今や、ダンジョンチューバーというジャンルは、日本を発信源として世界中に広まっており、海外においてREIKAは総理大臣よりも有名な日本人と言っても過言ではなかった。

 その人気っぷりを見た芸能界は第二第三のREIKAを作り出そうと躍起になっているらしいが、今のところREIKAに続くほどの人材は現れていない。

 今回、四之宮さんに来たという話も、その手のプロジェクトの一つなのだろう。

 だが、REIKAとは違って四之宮さんは元々冒険者だったわけじゃない。

 つまり。


「……冒険者モデルというキャッチコピーのために冒険者デビューもしてくれってことか?」

「そゆこと」


 ダンジョンチューバーの中からREIKAクラスの美人を探したが見つからなかったので、逆に美人を冒険者にしてしまえ、と。そういうことなのだろう。

 ……なるほど、四之宮さんの様子がいつもと違う理由がわかってきた。


「さすがに所属タレントに冒険者を強要すんのはギリギリアウトちゃうか?」


 小野が眉をひそめつつ言う。

 現在の日本の法律では、「誰だろうと冒険者になるという意思を妨げてはならないが、誰であろうと冒険者になることを強制してはならない」ということになっている。

 冒険者という職業は、完全な自由意志でのみなるべきもの、とされているのだ。

 これは冒険者という職業の生みの親であるアメリカの意向が影響していると言われていた。


「事務所がタレントを冒険者にしたら問題だけど、事務所に入る前から冒険者だったら問題ない。つまりはそーいうこと」

「なるほど……でも、冒険者になるための資金は?」

「登録料は最初の仕事のギャラを前渡し。カードは事務所がレンタルさせてくれる。事務所の仕事中にカードをロストした場合は弁償無し。ただしプライベート中にロストしたら弁償……って感じ」

『うぅん……』


 小野と二人、唸る。

 正直、冒険者になるための条件としては、かなり良い。実質タダで冒険者になれるからだ。しかし、それは冒険者に元々なりたかった人の場合の話で、特に冒険者に興味がない人にとってはただリスクを背負わされているように感じるだろう。


「……四之宮さん本人としてはどう思ってるんだ?」

「私は……正直魅力的だとも、怖いとも思ってる。やっぱり読者モデルと専業じゃ報酬の面で変わってくるし、この話を受ければ冒険者やっている分報酬に色をつけるし、仕事も取りやすくなるってスカウトさんは言ってくれてる。……でもマロとか小野を見てると、冒険者って華やかに見えて本当は結構怖いし危ないんだろうな、って」

「なるほど……」


 そういうことなら俺から言える答えは一つだ。

 四之宮さんの家があまり裕福ではない、という噂話は一年の頃から何度か聞こえてきたことがあった。

 小学生の頃に父を事故で無くしており、外に出て働く母親の代わりに弟さんの面倒も見つつ家事もこなしているとか。

 読者モデルを始めたのも少しでも家計の助けになるように、とのことかららしい。

 実際のところどうなのか本人から聞いたことはないが、噂が本当ならば彼女が魅力的な報酬に食いつく気持ちも理解できた。


「結論から言って、その話は、今は絶対断った方が良い」


 俺がそうハッキリと告げた。隣で小野も無言で頷く。


「マジ? どうして……?」


 不安そうに形の良い眉を寄せながら四之宮さんが問うてくる。

 さて、なんて説得するべきか。俺は少し迷った末、微妙に暈して事件のことを伝えることにした。


「……これはあんまり周りに言い触らさないでほしいんだけど、実は最近迷宮内で新人狩りのようなことをしている奴がいるらしいんだ」

「マジ!?」


 四之宮さんの顔がうっすらと青ざめる。


「そんなんニュースとかでも見たことないけど……?」

「低ランクの迷宮で行方不明者が多発してる、ってニュース見てないかな。原因不明って感じの言い方だったけど、それがどうも人間の手による犯行らしい。百歩譲って迷宮の異常だとしても、今冒険者になるのは絶対にオススメしない」


 ……これでも諦めてくれないようだったら、俺が襲われたことを言うしかない。

 警部さんに口止めされているとはいえ、四之宮さんの命には代えられない。

 俺が密かに決意を固めていると……。


「しょうがない、諦めるしかないか。あ〜ぁ、せっかく魅力的な条件だったのになぁ〜」


 上を仰いで嘆息する四之宮さん。よかった、諦めてくれたか。小野と目配せして、ホッと胸を撫でおろす。


「まあ、何事も命あっての物種だからな……」


 俺は目先の利益に囚われて主力メンバーを壊滅させてしまった今回の失敗を思い返しつつ、そう言った。

 そんな俺の様子に何かを悟ったのか、神妙そうな表情となる四之宮さん。

 彼女が口を開きかけたその時。


「みんな、おはよ〜」

「おお、おはよう!」


 朝練を終えた牛倉さんや神道がやってきた。

 周囲を見ればいつの間にかほとんどの席が埋まり、朝のHRまであと一分となっていた。


「おっと、もうこんな時間か。じゃあ四之宮さん、またなんか相談あったら遠慮なく言って」

「あ、うん。ありがとうね。一応小野も」

「またボクはオマケかい」


 四之宮さんたちと別れ、自分の席へと着く。

 そこで何気なくスマホ(予備、というより日常使い用)を見た俺は、アンナからメッセージが届いていることに気付いた。


『放課後、冒険者部で集合! 場所はいつものファミレスで。アンナより』



【Tips】ダンジョンチューバー

 動画投稿サイト『My Tube』に投稿することを目的として迷宮へと潜る冒険者の総称。その大半は一ツ星であり、動画再生による広告収入など雀の涙のようなものであるが、中には一ツ星にもかかわらずプロ以上の収入を得る者もいる。

 動画の撮れ高のために無茶なことをしたり、他の冒険者に絡んだりするダンジョンチューバーも多く、真っ当な冒険者からは嫌われる傾向にある。

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