第15話 ホームズとワトソンとモブ

 

 放課後。いつものファミレスへと向かうと、そこにはすでに冒険者部の二人の姿があった。

 夕食の時間にはまだ早く人影もまばらな店内において、赤毛のハーフ美少女とゴスロリパンクな中二病ファッションな美少女の姿は、否応なしに周囲のお客さんたちの注目を集めている。

 毎度のことながら……こいつらのいる席に向かうのは微妙な気恥ずかしさがあるな……。

 などと思いつつ軽く挨拶を交わして席に着くと、さっそくとばかりにアンナが話を切り出してきた。


「では作戦会議をはじめましょう……っと、その前に」


 アンナはセリフの途中に何かを思い出したように鞄を漁り始めると、手のひら大の水晶飾りを取り出した。


「それは……?」

「簡単な防諜魔道具ッス。周囲に音が漏れにくくなる程度の効果ッスけどね。結構市販にも売られてますし、先輩も見たことあるんじゃないッスか?」

「……ああ、そう言えばカラオケ店で見たことあるな」


 と俺は納得して頷いた。

 確かに、襲撃犯やその仲間がこの周辺に偶然いるとは思えないが、念には念を入れて用心した方が良いのは確かだ。

 防諜の魔道具を起動したアンナが、話を再開する。


「さて、今日ここに集まってもらったのは、他でもありません。先日先輩も襲われたという襲撃犯……呼び方は狼や犬のモンスターばかり使うことから『猟犬使い』とでもしておきましょうか……その『猟犬使い』を見つけ出し捕まえるための作戦を立てるためッス」


 なるほど……『猟犬使い』か。狼系統のカードを使うあの襲撃犯を言い表す言葉としてはピッタリだろう。俺が内心でつけていた新人狩りよりもセンスが良い。

 俺が密かに感心していると、織部が手を挙げた。


「……ちょっと待ってくれ。まずは我からいいか? 大体の話はアンナから聞いてはいるが、実際に『猟犬使い』と出会った先輩から、話を聞いておきたい。迷宮に潜る前から、病院で目覚めるまで。何を思い、何を感じたか。すべてを、な」

「ああ、わかった。……というか、織部は自然に混じってるけど、協力してくれるってことで良いのか?」


 病室で意思を確認しているアンナはともかくとして、織部は強引に巻き込まれているのでは……? と思い問いかけると、彼女は拗ねたような表情を見せた。


「なんだ……我だけ仲間外れにするつもりか?」

「いや、そういうわけじゃないが……やっぱ危険だしな」

「危険、というなら普段の迷宮探索だって同じことだ。いいから、まずは話を聞かせてみせろ」

「あ、ああ……」


 俺は頷くと、改めて一連の流れを話し始めた。

 すでに何度か話したことがあるため、説明自体は滑らかなものだったが、織部が所々俺の感じたことや疑問に思ったことを突っ込んで聞いてくるため、意外と話が長くなってしまった。

 ちなみに彼女が特に深く突っ込んで聞いてきたのは、『グレムリンとの遭遇時のこと』と『実際に襲撃犯と会話をして俺がどう感じたか』の二つであった。


「……で、まぁ二日ほど入院して一日家で安静にして、今日に至るって感じだ」

「なるほどな……」


 すべてを聞き終えた織部は、そう言うと腕を組んで目を瞑り、黙り込んでしまった。

 そんな彼女を余所に、アンナが話し始める。


「まず、犯人探しをする前に最初に言っておきたいのは、私たちで犯人を捕まえられるかどうかはわからない、ということッス。

 現実は、ミステリー小説とは違い、犯人へたどり着くまでの道筋が用意されているわけじゃありません。犯人も登場人物の中にいるとは限らない……。

 それでも、実際に犯人と接触し生き残った先輩の情報が重要なものであることは間違いありません。まずはそこから精査していきましょう」

「ああ」


 俺が頷くと、アンナは人差し指をピンと立てて語り始めた。


「まず、第一に、なぜ犯人は未だに捕まらないのか。

 通常、迷宮内での犯罪は、ゲート前のライセンスによる出入管理と監視カメラによりすぐに特定されます。

 一度や二度の犯罪では偶然と片付けられても、被害者が増えれば必ず捜査の手が入るはず。

 仮にライセンスの偽造、あるいは他者から奪ったライセンスを利用していたとしても、監視カメラの映像がある以上それもいつかはバレます。

 にもかかわらず未だ犯人が捕まっていないということは、よほど巧妙な手口で誤魔化しているのか、あるいは一般には知られていない迷宮の仕組みを知っていてそれを悪用しているのでしょう……」

「まあ、そうだな。だが、それを素人の俺たちが探り当てるのは不可能だろう……」

「はい、ウチもそう思うッス。今は、『迷宮の出入りの方法から犯人を見つけ出すのはおそらく不可能』というポイントだけは押さえておくとしましょう」


 アンナの言葉に俺は頷いた。

 通常、ミステリー小説などでは密室の謎を解ければそれがそのまま犯人特定に繋がることが多い。

 出入りできないはずの犯行現場に入ることができた唯一の人物こそが、犯人に間違いないからだ。

 一方、今回の事件は、出入りの瞬間を確認しているにもかかわらず犯人らしき人物がとらえられないという点において、ある意味で密室殺人に通じるものがある……ように思える。

 では、その謎を解き明かせば犯人への手がかりとなるはず……と思うかもしれないが、そもそも迷宮には解明されていない謎が多いため密室として成り立っていないのだ。

 これが単純にライセンスの偽造や監視カメラのハッキングが要因であればその線から辿れるだろうが、警察やギルドが犯人を特定できていない以上、そう単純な話でもないのだろう。

 つまり、犯人は一般には解明されていない迷宮の何らかの仕組み、あるいは未知の魔道具を利用している可能性が高いということだ。

 その時点で、ただの高校生である俺たちにはお手上げとなる。

 もちろん何か手がかりを手に入れられればそちらから調査していくつもりだが、現時点ではこの線から犯人を追うのは現実的ではない、と言わざるを得なかった。


「次に、『猟犬使い』はFランク迷宮での行方不明と関係があるのか……。これはあると仮定して良いと思います。

 いくら一ツ星とは言え、Fランク迷宮でDランクカードを持つ冒険者たちが多数行方不明になるというのは非常に考え辛いシチュエーションです。それこそイレギュラーエンカウントがあちこちに現れたというのならば話は別ですが、そんなにイレギュラーエンカウントが大量発生したという話は聞いたことがない。

 であれば、外部による要因、つまり人間の手によるものと考えてよいでしょう。

 にもかかわらず、未だ犯人が捕まっていないということは、『猟犬使い』と同様の手段で出入りしているということです。そんなにいくつも迷宮をこっそり出入りする方法がある……というか見つけられるとは思えないッスからね」


 あっ……そうか。俺はハッと目を見開いた。

 迷宮内での犯行ということで無意識にFランク迷宮での行方不明多発事件と『猟犬使い』を繋げて考えていたが、別人の犯行である可能性もあったのか。

 考えてみれば、素人に毛が生えたような一ツ星冒険者を襲うのと、プロ一歩手前の三ツ星を襲うのではリスクとリターンがまるで異なる。前者が道端のひったくりだとしたら、後者は貴金属店を襲撃するようなものだ。もはや別の犯罪と言って良い。

 だが、その犯行の手口が特殊な方法で一致しているならば、これはもう同一犯の犯行と考えてよいだろう。

 ならば、Fランク迷宮での行方不明多発事件を追うことで、俺を襲った犯人をも追えるはず。


「三つ目。犯人の不可解な言動について。

 先輩の話では、『猟犬使い』は、先輩に名づけ済みのカードを含めたすべてのカードや魔道具を要求した上で、ゲートからではなく階段を使って去るように指示をした、とのことでした。

 なぜ、犯人は所有権の移動ができないネームドカードやそのソウルカードまで要求したのでしょうか。

 所有権を移せるノーマルカードや魔道具であれば売却目的で欲しがる理由はわかります。ですが、ソウルカードまで要求したということは、単に先輩から戦力を奪う以上の目的があったと思われます。

 次に、なぜその場で殺さずに、階段から逃げるように言ったのか。殺すつもりがないのであれば普通にゲートから逃がしてやれば良い。自衛手段を奪ってモンスターがうろつく上層階へと行けというのは、もはや死ねと言っているも同然です。

 ならばその場で殺した方が自分に繋がる情報は漏れにくいはず。

 単に嗜虐心によるもの……という可能性もありますが、そうでないならばこの矛盾に犯人特定に繋がる何かがあるはず……」


 それだ。

 俺が犯人と話していて一番疑問を持った部分もそこだった。

 なぜ奪っても意味がないはずのソウルカードまで要求したのか。さらには階段から帰るように言ったのか。

 カードを大人しく差し出させるための嘘、というのは考え辛い。なぜなら、カードを差し出そうと差し出さまいと結局死ぬのは同じだからだ。

 もちろんカードを渡した段階でガブリと一息、という可能性も考えられたが、俺には『あのアヌビスが自分の手で殺すのを嫌がっている』ように見えた。

 もちろんそれは、最後の一線を超えたくないとかそんなチープな理由ではなく、何かもっとはっきりとした意味があるような……。


「……とまぁ、長くなりましたが。今の段階で確定している情報はこのくらいでしょうか。問題は、これらの情報からどうやって犯人の特定につなげるか……ッスけど……」


 そこで俺たちは沈黙した。

 情報を整理してみたは良いが、警察でも名探偵でもない俺たちが机上で推理するのには限界があった。

 と、その時。


「行方不明者捜索のクエストを見るに……」


 ずっと沈黙を保っていた織部が、ポツリと呟いた。


「……犯人は必ず被害者が単独の時を狙っている。

 予め迷宮に潜み、獲物が一人で現れた時を狙い襲っているのか……あるいはあらかじめ獲物の目星をつけてから犯行に及んでいるのか。

 効率を考えれば、おそらくは後者の可能性が高いはず。被害者の情報を整理すれば、犯人像もある程度は絞り込めるはず」

「なるほど……」


 思いのほか鋭い織部の着眼点に驚きつつ、納得する。

 確かに、いつ獲物が来るともわからない迷宮で、たまたま一人で攻略しに来た者を狙うのは効率が悪すぎる。

 俺はずっとソロで攻略していたが、一般の冒険者は二人から四人程度で攻略するのが一般的だからだ。

 これは、二人以上であればイレギュラーエンカウントとの遭遇時の生還率が大きく向上すると言われているためである。

 ソロで活動する者は、よほど自分の戦力に自信があるか、リスクを背負ってでも収穫を独占したいか、あるいはそもそも他人と組むのが苦手なのかのどれかだ。

 俺の場合は、初期の蓮華たちがあまりに他人と組むには不向きな性質だったからで、蓮華の特殊性が薄々わかってきてからはそれを隠さざるを得なくなったからであった。

 決して、俺がボッチ気質だったからではない。


「ひっかかるのは、実際に被害者が出ているにもかかわらず、犯人の情報が一切ないことだ。

 迷宮内では他の冒険者とのトラブル防止のためカメラ等の機材を持ち込む者も多い。行方不明者の遺品にカメラが一切ないというのは不自然だし、何らかの方法で破壊されたとみるべきだ。そして……」


 そこで織部は俺を鋭く見据え、言った。


「先輩は、最下層に入る直前にグレムリンと遭遇してしまい、機械破壊を受けている。これは偶然か?」

「いや……」


 俺は、最下層に突入する寸前にグレムリンと遭遇し、機械破壊を受けている。その結果、犯人に繋がる映像や音声を残せずにいた。

 あの日、別のグレムリンと遭遇してカードを手に入れていたため、あのタイミングでグレムリンが現れたことにその時は疑問を抱かなかったが、考えてみればあれは些かタイミングが良すぎる。

 それに、二体目のグレムリンに対する鈴鹿の反応……。あれはもしかしたら、他のマスターのカードだったことに対する違和感だったのかもしれない。

 魔石をドロップしたことから野生のモンスターだと思い込んでいたが、それもカードに魔石を持たせておけば簡単に偽装できることだ。

 だとすれば、犯人は獲物を襲う際にグレムリンを使い、機械破壊を行って自分の証拠を残さないようにしているということだ。


「犯人が自分の証拠をグレムリンで消去しているのならば、必ずどこかでグレムリンを補充しているはず。まずはギルドでグレムリンを大量購入している者がいないか確認してみるべきだな。もし直接買っているものがいなくても、最近供給が減っていたり需要が増えていたりとかはわかるはず」

「まずはその線で捜査をしてみるか」


 織部の言葉に俺は頷いた。これで、なんとか最初の行動は決まったな。

 そこで、アンナが不思議そうに言う。


「しかし、そこまでして自分の証拠を残さないようにしているのに、なぜ階段から逃がすように仕向けるんッスかね? 迷宮のモンスターにやられたように見せかけるため?」

「それは、その迷宮に出現するモンスターと同じ種族のカードで始末すれば良いだけの話だろ」

「そうッスよね……」

「織部は何かあるか?」


 先ほどから鋭い意見ばかり言う織部にも水を向けてみる。


「ん……理由の半分は、予想がつく。我の予想が正しければ、幾人かの被害者の所持品にはあるものがあるはず。被害者の所持品を調べてみて、アレがあるならばほぼ間違いないはずだ。だがもう半分はわからぬ。おそらく、犯人を捕まえてみるまで分からない理由のはずだ」

「アレってなんスか?」

「確証があるまでは言いたくない。変に先入観を植え付けたくないからな。……だが、我にもわからぬもう半分の理由の方、そちらに先輩が襲われた理由もあるはずだ」

「俺?」


 なぜ、そこで俺が関係してくるんだ?


「猟犬使いは、基本的に一ツ星をターゲットとしている。だが、先輩は三ツ星……。しかも、モンコロにも出ている実力者で実質的なBランクカードである座敷童のアドヴァンテージカードも持っている。さらには、そのカードにはほとんど名付けがされており、襲っても旨味がない。リスクばかりが高くリターンが少ない、本来は獲物として相応しくない相手のはずなのだ」

「なるほど、確かに……」


 先ほども俺自身思ったことだが、一ツ星を襲うのと三ツ星を襲うのではリスクもリターンもまるで別物で犯罪としての質が全く異なってくるのだ。

 特に俺は主力カードのほとんどに名づけをする変わり者で、それはモンコロやTwitterなどを通じて犯人も知っているはず。

 ……俺を知らずに襲撃した? いや、それはあり得ない。なぜなら……。


「……猟犬使いは明らかに先輩対策をして襲撃してきている。夜のフィールドではほぼ不死身のヴァンパイア対策にカードへと銀武装をさせ、複数枚のBランクカードを用意してきている。さらには戦力偵察のためにCランクカードを使い捨てにするほどの用意周到ぶり。これは猟犬使いが先輩だけが持っている『何か』を狙って襲ってきていることを意味している」

「俺だけしか持っていない『何か』……」


 その時俺の頭に真っ先に浮かんだのは、いろいろと普通じゃない我が家の座敷童の事だった。

 蓮華は、明らかに普通のカードではない。モンスターのドロップ率にすら干渉できるのは、普通の座敷童の能力を逸脱している。いや、それどころか、アイツには『マスターの運命』にすら干渉できるのはないか……と思わされる時もあった。

 異常、という意味では鈴鹿にもそれを感じることがあるが、蓮華のそれは鈴鹿よりも底が知れないものがある。

 その特殊性を狙って襲ってきたのだとしたら、敵がソウルカードまでも要求してきたことも少しは頷ける。


「一ツ星を襲う方が本命で、先輩が襲われた方が『例外』だったのか。それとも二つの目的があって両方とも本命なのか。それはわからないが、少なくとも先輩を襲ったことには何らかの意味があるはずだ。あるいは他にも先輩のように襲われている『例外』がいるのであれば、それを調べることで犯人の目的も見えてくるかもしれないが……」


 しかし、それは難しいだろう、と俺は思った。アンナも同じ考えなのか、その表情は渋い。

 未帰還が稀なFランク迷宮と異なり、三ツ星の主戦場であるDランク迷宮は、未帰還も珍しいものではない。

 被害が大量であればわかるかもしれないが、それが少数であればまずわからないだろう。

 そういう意味であれば、なるほど、Fランク迷宮での被害は完全にカモフラージュになっていた。

 俺は嘆息しつつ言った。


「……とりあえずギルドとかでグレムリンを大量に買ったり継続的に買い続けている奴がいないかと、被害者についてから調べてみるか」

「グレムリン方面についてはウチに任せてください。普通に聞きに行ってもギルドはろくに相手をしてくれないでしょうし、ウチのコネで調べてみます」


 自信ありげに胸を叩くアンナ。

 確かに俺たちがギルドに行って購入者の情報を教えてくれるとは思えない。というか、教えてくれるようじゃ逆に怖い。俺の情報も簡単に流されてしまうということだからだ。

 ……大企業様のお力ならそれがわかるというのは、庶民としてはうすら寒いものを感じないでもないが、まあ、今は頼もしいと言うべきだった。


「じゃあ俺らは行方不明者の方から当たるって感じか」

「とりあえずクエストを受けてみるのはどうでしょう? 合法的に被害者の所持品を調べることができますし」


 アンナの言葉に俺は申し訳なく思いつつ首を振った。


「いや、今迷宮に入るのはちょっとキツイ……。俺も主力が壊滅したしな」


 今の戦力でもFランク迷宮の敵ならば問題ないが、もしも猟犬使いが俺を狙い撃ちにしていた場合を考えると今迷宮に入るのは抵抗があった。

 少なくともパーティーを万全の状態までは戻しておきたい。


「あぁ……そういえばそうでしたね。……正直なところ先輩の戦力って今どうなってるんですか? 金策のあては?」

「戦力はCランクカードが一枚とDランクカードが二枚って感じだ。資金については……」


 俺は手持ちの資金について軽く暈しつつ答えた。


「なるほど……一応戦力になるCランクカードはあるんスね。

 そういうことでしたらカードと魔道具の売却はちょっと待ってもらっていいッスか?

 ちょっとウチに考えがあるんで。蓮華ちゃんとイライザちゃんの復活用カードも今は買わないでおいてください」

「うん? ああ、わかった」


 もしかして高く買ってくれる人とか安いカードでも紹介してくれるのか、と内心期待しつつ俺は頷いた。


「とりあえずFランク迷宮の敵と戦えるだけの戦力があるなら大丈夫ッス。クエストを受けて行方不明者たちの捜索をしていきましょう」

「大丈夫って……猟犬使いに襲われたらどうするんだ?」

「その時はこれを使います」


 そう言って、アンナは俺と織部にオリジナルらしきバッジと二枚のマジックカードを渡してきた。

 バッジの方は、カードをモチーフとしたデザインのもので、中心に青い宝石らしきものがはまっている。

 一方、カードの方だが、これは……。


「バッジは我が冒険者部の証ッス。モンコロでも使われる防御用の魔道具とバッジ同士で通信できる魔道具が組み込まれています。機械の類は使われていないので、グレムリン相手でも破壊されないッスから、安心してください。交通事故とかの備えにもなるんで、できれば常に携帯しておいてください。そして、マジックカードの方は、『転移』と『緊急避難』ッス」


 『緊急避難』って……マジか。

 『緊急避難』は、フィールド上のどこからでも安全地帯に瞬時に転移できるマジックカードだ。そこからさらに『転移』のカードを使用することでフィールド上のどこからでも地上に帰還することができる。

 もしあの時これがあれば、俺も蓮華たちを失わずに逃げ延びることができたかもしれない。

 にもかかわらず俺が一枚も備えていなかったのは、これが単純に糞高いからだ。

 そのお値段は、なんと『最低』一億円。

 値段が高騰している理由は、そもそもガッカリ箱からの出現率が低いのと、いざという時の命綱となるためプロクラスの冒険者がこぞって買い求めるからである。

 ギルドで売られることは滅多になく、手に入れるにはコネが必要となる。

 それを『転移』のカードと合わせて三組分とは……。

 思わず手が震える。見れば織部もその表情を硬くしていた。


「パパにお願いして万が一のために借りてきました。猟犬使いに遭遇した時はこれを使って逃げましょう」


 あっさりと言うアンナに対し、俺は冷や汗を浮かべつつ言った。


「い、いや、さすがにこんなに高いもんを貰うわけには……買い取る余裕もないし」


 俺の言葉にうんうんと頷く織部。小動物染みた動きがちょっと可愛かった。


「いえ、お気になさらず。部員の安全に気を配るのも部長の役割ッスから。特に今回はウチが「犯人捜しをしましょう」と最初に持ち掛けていますからね。お守りくらいは用意しないと」


 うおおおお……!

 俺は、年下の女の子の責任感の強さに思わず震えた。

 マジか。部長だからって億を超えるものをお守り代わりに渡せるか、普通? いくら親頼りとは言え、何らかの条件はあっただろうに。

 それをこうも惜しげもなく、しかも特に恩に着せるような雰囲気もない。

 これが部長としての当然の義務ですという風であった。

 今更ながら、この少女が日本でも有数の大企業の娘であることを再認識した。

 もしも俺が彼女の立場ならば、交換条件の一つや二つは要求していたことだろう。

 俺のような庶民とは器の大きさが違った。


「今後も冒険者部として活動するときは常に一組ずつ携帯するようにします。なので危険だと思った時は遠慮なく使ってください。……ああ、ただ、さすがに横流しとかはやめてくださいね?」

「ああ、それは、もちろん」


 俺と織部は強く頷いた。

 これはアンナの思いやりであり、信頼の証だと思って大事に持つことにしよう。


「とりあえずこれで迷宮内での捜査も問題ないはずッス。グレムリンをウチのコネで調べている間にウチらは地道に被害者の情報を探っていくとしましょう」

「どのクエストからやるよ?」

「一番直近のモノからやるべきであろうな。迷宮内では腐敗は進まないが、古ければ古いほどモンスターに食い荒らされたりして状態が悪くなっているはず」

「クエスト依頼によれば直近の被害者は……」


 スマホを操作しクエストメールをチェックしたアンナが、顔を上げ言った。


「……佐藤翔子さん。この人から調べていくことにしましょう」



【Tips】安全地帯と転移系マジックカード

 迷宮入り口のゲート前、及び各階層の階段前は、モンスターが立ち入りできない安全地帯となっている。モンスターに襲われた場合であっても安全地帯に逃げ込めばモンスターからの追撃は止まるが、安全地帯から攻撃などをした場合全階層の安全地帯そのものが一時的に消滅する。消滅した安全地帯は主を討伐するまで復活しないため、安全地帯からの攻撃は絶対禁止となっている。

 一度も主を倒されていないAランク迷宮は、残念ながらそのほとんどがこのルールが発覚するまでの間に安全地帯を消滅させてしまっている。

 また転移系の魔道具は、基本的に階段前の安全地帯以外で使用できない仕様となっている。その数少ない例外の一つが、『緊急避難』のマジックカードでこれは階層のどこからでも安全地帯に転移できるマジックカードとなっている。

 絶体絶命の際のお守りとなることと、需要に対して供給が少ないことから値段が極めて高騰している。現在の相場では最低一億から。

 なお、安全地帯が消滅した際は、当然転移系カードも行き場を失うため使用できなくなる。

 Aランク迷宮を難攻不落としている要因の一つ。

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