第11話 金で買えない価値がある



 その時、すべてがスローとなった。

 振り下ろされる鎌。背後の敵に気づいた座敷童が身を捻りながら躱そうとするが、あまりに手遅れ。どう足掻こうともその鎌は少女の華奢な身体を引き裂くだろう。

 座敷童のような後衛型のカードは、総じて生命力と防御力が低い。ランクの差があるとはいえ、大ダメージは確実。あの大鎌にもどんな特殊効果があることか。下手すれば、一撃でロストすることもあり得るだろう。


 ロスト——座敷童を失うと考えた時、全身に鳥肌が立つのを感じた。


 待て、待ってくれ、それだけは。

 目が合う。座敷童は、悔しそうな、それでいて泣きそうな顔をしていた。

 なんだよ、それ。そんな顔……。

 そこでスローになった世界が終わった。

 そこからのことは、本当に一瞬のことで、俺は最初何が起こったのかわからなかった。


「ッ!?」


 何かが座敷童を突き飛ばした。ソイツは、肩から袈裟切りにされて真っ二つになって崩れ落ちる。

 何だ? 何が起こった? 自問し、すぐ自答した。馬鹿が、決まってるだろうが。そんなことができるのは一人しかいない。

 グーラーだ。隣に立っていた彼女が、座敷童を庇ったんだ。

 その意味を理解した時、俺と座敷童は同時に咆哮した。


「「嗚呼あああああアアアアアアアアぁぁ!!!」」


 見えないラインが繋がる感覚。座敷童の怒りが俺に流れ込み、俺の怒りが彼女に流れ込む。

 二人分の激情を乗せた座敷童が怒涛の弾幕を放った。死神がフッと姿を消し、弾幕が空を切る。

 瞬間移動。この隠していたスキルで死んだように見せかけたのだ。現れないドロップアイテムと、死神が消えてから時間差で消えた鼠たちで、それに気づくべきだった……!


 同時に、奴が生きている絡繰りも連鎖的に理解する。今も奴の胸元には大穴が空いている。致命傷。にもかかわらず何事もないかのように動いていたのは、実に簡単な理由から。

 奴は、頭を潰さなければ死なないのだ。それがアンデッド系の特徴。この異様なまでの悪臭で、気づくべきだった。

 すべては俺の経験不足のせい。

 だが、今はそんなことどうでもいい。


「グーラー!!」


 俺は上半身だけとなってしまったグーラーを抱き上げた。彼女は虚ろな瞳で俺を見上げている。

 まるで感情のない瞳。だが実際にはそう見えるだけで感情はちゃんとある。

 それを俺たちは今、確かに目にした。


 ——なぜなら、俺は仲間を庇えなんて命令をしていなかったのだから。


 コイツは、自分の意思で座敷童を庇ったのだ。

 絶対に助けてやらなくては。大丈夫だ、コイツはアンデッドだ。頭を潰されない限り死なない。そして屍喰いによる再生能力もある。

 俺は周囲を見渡し、鼠の死体がいくつも転がっているのを確認した。よし、良かった。どうやら奴が消せたのは生きている鼠だけだったようだ。

 俺は死体を運ぶと、グーラーの傷口を合わせ、鼠を与えた。

 グーラーは、俺が何も言わずともそれを喰らう。

 やはり、自分の考えで動ける範囲が広がっている。

 転がっていたすべての鼠を与えると、どうにか体の芯の方は繋がったようだった。

 その途端立ち上がろうとするグーラーを押しとどめる。


「待て、まだ動ける身体じゃあない!」


 その俺の命令に、グーラーが動きを止める。そして、訴えかけるような眼で俺を見上げた……ような気がした。

 グーラー……。だが今は戦わせるわけにはいかない。

 そうこうしているうちに、死神がさらなる行動に移る。


「男は街中から子供たちをかき集めると、そのまま森へ連れ去ってしまいました。大人たちは子供たちを連れ戻そうとしますが、どこからともなく現れた鼠たちがそれを邪魔します。彼らはそこでようやく一連の流れを仕組んだのが誰かを知りました。無事、大好物の子供たちを手に入れた男は、豪勢に楽しむことにしました。

『今夜はご馳走だ!』

 森には子供たちの奏でる悲鳴が演奏となって響き渡ります。それではお聞きください。【仔羊たちの晩餐会】」


 その宣告と共に死神の胸の大穴から無数の音符が飛び出す。音符たちは出鱈目に宙を彷徨っていたが、そのうちの一つが座敷童目掛けて飛来すると、大きく歯を剥いた。


「なっ!」


 座敷童が飛び退きながら襲いかかってきた音符を打ち落とす。すると音符は……いや、音符のように見える子供たちの魂が、苦悶の表情を浮かべて悲鳴を上げた。


「良い音楽とは生きた音のことです。どうです、私の旋律は。実に活きが良いでしょう?」

「くたばれ、下種が!」


 座敷童は憤怒の形相を浮かべ光弾を放つも、そのすべてが音符の魂に防がれてしまう。

 逆に、音符たちが弾幕となって襲い掛かってきたことで防戦一方となってしまった。

 それを見たグーラーが、ググッと身体を動かそうとする。


「グーラー!」

「マスター、ご命令を」

「!」


 グーラーが命令を求めてくるのはこれが初めてだった。間違いない、自我が……ここにきて急速に成長してきている。

 それは俺に喜びと、躊躇を与えた。

 彼女が自分の意思で仲間を救おうとしている。それは嬉しい。だが、だからこそここでコイツを失ってはならないという躊躇いを生んだ。


 俺は、どうすれば……。

 視線を落としたその時、俺は胸元が微かに光っているのに気付いた。

 これは……。

 ホタルの光のような淡い点滅をするクーシーのカードは、何かを俺に訴えかけているかのようだった。

 クーシー、そうか……。


「グーラー、戻れ。よく頑張ったな。あとは、俺とコイツに任せとけ」

「マスター」


 ぼんやりと俺を見上げるグーラーの頭を撫で、彼女をカードに戻す。

 さあ、行くぞ。


「クーシー!」


 それは、自分を奮い立たせるかのような咆哮と共に現れた。


「グオオオオオオォォォン!!」


 大気を震わす轟音。獰猛に歯を剥きだし唸るその姿は、いままでの気弱な子犬の姿ではなかった。

 それを証明するように、カードのスキルも変貌している。


【種族】クーシー

【戦闘力】150

【先天技能】

 ・妖精の番犬

 ・集団行動

【後天技能】

 ・従順→忠誠(CHANGE!)

 ・臆病→小さな勇者(CHANGE!)

 ・本能の覚醒(NEW!)


 弱虫だった子犬は、群れの危機に初めて勇気を灯し、ここに勇者に至った。

 あまりにちっぽけな勇者。だがその姿はまさしく俺にとっての希望だった。

 敵の姿を捉えたクーシーが、弾丸のごとく死神へと駆ける。


「ヒヒ……」


 死神は向かってくるクーシーに気が付くと、大鎌を構え迎え撃つ。それに対しクーシーは地面スレスレまで身を屈め、跳ねた。

 死神の顔色が変わる。躱そうと身を捻った死神だったが、あまりに遅い。クーシーの鋭い鍵爪が、二の腕の肉をごっそりと抉る。着地したクーシーが更なる追撃を掛けようとしたとき、音符の魂がクーシーを襲う。振り払おうとしたクーシーだったが、爪は音符を素通りし、音符が腕に纏わりついた。クソ、あの音符……ただの技じゃあなく、死霊系のモンスター扱いなのか!

 さらなる音符たちがクーシーを襲わんと殺到した時。


「調子に乗んなよ!」


 座敷童の光弾が音符たちを消し飛ばした。さらには彼女が軽くクーシーの腕を掃うだけで、纏わりついた音符も消えていく。


「音符はアタシに任せな。ちょっと癪だが、あの糞野郎をぶん殴るのはお前に譲ってやるよ」

「グルルルル……」


 クーシーはコクリと頷き、死神へと飛びかかった。

 迎え撃つ死神だったが、身体能力は完全にクーシーが上回っている。ここにきて、本来のランク差によるステータスの違いが活きてきた。銀色の旋風が、少しずつ、少しずつ、敵の肉体を削り取っていく。

 飛来する音符たちは座敷童が打ち落とし、もはや勝負の天秤はこちらに完全に傾いていた。

 俺が脳裏に勝利を描いたその時、死神が再び語り出した。


「子供たちを失った大人たちの怒りは、報酬を支払わなかった市長へと向きました。

『アンタが報酬をちゃんと支払えば!』」


 この流れは、ヤバイ……!


「ソイツを止めろぉぉぉ!」


 俺の叫びにクーシーたちの攻勢は一層強まるが、死神の口は止まらない。


「市長は言います。

『あの鼠を操る姿を見ただろう、最初から仕組まれていたんだ!』

 ですがもはや人々は言葉では止まりません。哀れ、市長は街の住民にバラバラにされてしまいました。後には眼と足が不自由な市長の二人の子供が残されたのでした。それではお聞きください。【ハーメルンの笛吹き男】」


 その宣告と共に音符たちが凄まじい悲鳴を奏で出す。

 カードのバリアに守られた俺ですら、耳を塞いで蹲るほどの音量。その影響を真っ先に受けたのは、インカムをつけていないクーシーだった。耳から血を流した彼女が、ぐらりと身体を傾ける。次に、インカムをつけているはずの座敷童までも地面に倒れ伏した。

 なぜ? その俺の疑問はすぐに解決した。倒れた座敷童の足と眼に、黒い靄が纏わりついている。眼と足……童話では目の見えない子供と、足の不自由な子供だけが街に取り残された。これはその逸話を模した状態異常か!


 一瞬にして形勢逆転されてしまった。

 死神が、満面の笑みを浮かべて俺を見る。それに思わず後ずさりしたその時、奴の姿が掻き消えた。

 一体どこに!?

 その答えはすぐ背後から聞こえてきた。


「これにて演奏会はお仕舞い。楽しんでいただけましたかな? お代はあなたの命で頂戴します」


 振り返った俺が見たのは、大鎌を振り上げた死神の姿。思考が急激に加速する。

 マスターへの攻撃はカードが肩代わりする。それはつまり俺に攻撃をすれば効率よくカード全体にダメージを与えられるということであり、そして俺自身は何の防御力も持たない脆弱な人間でしかない。

 一撃だけなら、なんとかカードたちも耐えられるかもしれない。だが、続けて攻撃されればその結果は明白。その先に待つのは……。

 俺はなんとか身を捻り躱そうとするが、加速した感覚に比べ俺の動きはあまりに鈍かった。

 スローになった世界を、死神だけが普通に動いている。

 ま、間に合わな——。

 その時ガクンと何かを踏み外したような感覚と共に俺の動きが一気に加速した。

 鼠の体液で足を滑らせたのだと判明したのは、戦いの後。座敷童のスキル【禍福は糾える縄の如し】による幸運の賜物だった。

 俺の頭スレスレで大鎌が通り過ぎていく。無様に尻餅をついた俺の頭上を、深緑の弾丸が奔った。大鎌ごと奴の両腕が宙を飛び、クーシーが軽やかに着地する。


(クーシー! 助かった! だが、なぜ動けた!?)


 思考が支離滅裂に交差する。

 答えは、死神が答えてくれた。


「【勇者】スキルか!」


 そう言う死神は、純粋に驚いているように見えた。小さな勇者、あのスキルが状態異常をレジストしたのか。あるいは、座敷童の幸運付与も手伝ったのかもしれない。

 とにかく、最後の最後で、幸運の女神が俺に微笑んだのは確かなようだった。

 死神が笑う。


「キヒヒ、しょうがない。今回は、お代は結構。また次回お会いした時、いただきましょう」

「……何度会っても踏み倒してやる」

「なんてお客だ!」


 それが、ハーメルンの笛吹き男の最後のセリフだった。わざとらしい驚きを浮かべていた奴の頭がひとりでに吹っ飛び、一拍遅れて俺の上に身体が覆いかぶさってくる。腐った血液が顔に吹きかかってきた。

 ……クソッタレ、なんて置き土産だ。

 吐き気を必死で我慢していると、奴の身体と血が少しずつ薄れていく。あとには、血のように紅い小石と長い縦笛が残された。

 それが、今度こそ戦闘が終わったのだという実感を、俺に与えてくれた。

 とにもかくにも……。


「つ、疲れたぁぁぁ〜……」


 戦利品を抱えたまま地面の上に大の字になって寝っ転がる。


「ご、ご主人様! 大丈夫ですか?」


 すぐにクーシーが駆け寄ってくる。犬の顔でもわかる気弱そうな顔。俺の知るいつもの彼女だ。どうやらカッコイイモードはもう終わってしまったらしい。

 耳には血がついているが、座敷童に癒してもらったのか耳が聞こえない様子はない。


「だらしねーな。お前は戦ってねーだろうが。むしろ八面六臂の活躍をしたアタシを労われや」


 さっそく軽快に嫌味を飛ばしてくる座敷童。こっちも優しいモードは終わってしまったらしい。その眼と足になんの異常もないことだけ確認し、俺は一安心した。

 よっこらせ、と身体を起こす。


「わかってるよ、ちゃんとご褒美は考えてあるって」

「お? なんだ? もしかして、お菓子の家とか?」

「座敷童さん、カードがマスターに報酬をねだるなんて」


 そう窘めるクーシーだが、その揺れる尻尾は期待を隠せない。


「まあそういう物理的な報酬はコイツを換金してからにするとして、今はすぐに渡せるもんだけだな」

「ここで渡せるもん? なんかショボそうだな」

「まぁそうだな。なんせただの名前だしな」


 苦笑しながらそう言う俺だったが、カードたちの反応は劇的だった。

 クーシーがピンと尻尾を立て、座敷童が真剣な顔つきで俺に問いかける。


「お前……それがどういう意味か分かって言ってんのか?」

「もちろん」


 カードに名前を付ける。それは冒険者とカードの一種の契約だ。

 名前を付けたカードは初期化できなくなる——つまり二度と売ることができなくなる。

 基本的に冒険者はカードを育て、金を稼ぎ、それまで使っていたカードを売り、貯金と合わせてより上のランクのカードを買う……というサイクルでクラスを上げていく。

 モンコロで活躍した冒険者のカードなどは、オークションに出すことで相場の倍以上の値段で売れることもある。

 冒険者にとってカードとは株式のような資産運用の一種でもあるのだ。

 ゆえに、カードに名前をつけるというのはある意味では冒険者失格の行為ともいわれている。

 俺も、最初カードを買う際にくれぐれも考えなしに名前をつけないよう重野さんに注意されたものだ。


 だが、名付けにはメリットもある。それはカードの蘇生が可能になるということだ。

 仮にモンスターが死んでしまってもソウルカードという形でカードの情報が残り、未使用かつ同性同種族のカードを消費することでそのままの人格、容姿のまま復活させることができるのだ。

 ……本来なら、座敷童やクーシーたちはこの蘇生用のカードだったのだろう。蘇生に必要なカードは、性別と種族さえ一致していればそれがどんなスキルを持っていようが関係ない。故に、通常の使用が出来ないカードであっても一定の需要はある。あの日、重野さんが言っていたことはそう言うことなのだろう。

 多分、重野さんは俺がそのまま座敷童を売り払い、そのお金でもっと扱いやすいカードを買うと思っていたのではないだろうか。

 だから、座敷童の買取値段を俺に告げたのだ。

 しかし、俺はそのまま座敷童たちを使い続けた。


 もし俺がコイツらを売り払って扱いやすいカードに切り替えていたらどうなっていただろうか。おそらく、ここまで真正面にカードたちと向き合わなかっただろう。

 使いやすいが故に、便利な道具として見ていたんじゃないだろうか。

 そしてそのままイレギュラーエンカウントと遭遇し、死んでいたに違いない。

 俺の初めてのカードたちがコイツらで良かった。

 本当にそう思う。

 だから決めたのだ……コイツらを一生手放さないと。 


「まずは座敷童、お前の名前は蓮華(れんか)だ」

「蓮華……」


 一見すると黒髪黒目のコイツだが、よく見てみるとうっすらと朱が混じっているのが分かる。それがなぜか俺に蓮華の花を連想させたので、蓮華と名付けた。読み方を変えたのは、そちらの方が少しだけ可愛いからだ。


「次にクーシー、お前はユウキだ。カタカナでな」

「ユウキ……!」


 クーシーの名前をカタカナでユウキにしたのは、色々な意味を持たせたかったからだ。こいつは今回勇気をもって俺の希望となってくれた。その勇気と希望を合わせた勇希でもいいし、優しいということで優希でもいい。いろんな意味を込めてこいつをユウキと名付けた。少し安直だが、コイツにはストレートな方がいいだろう。


 ここにはいないがグーラーの名前もちゃんと考えてある。イライザだ。コイツの名前についてはかなり悩んだ。最初はグーラーということで吸血鬼関連から名づけようかと思っていた。だが、今回座敷童……蓮華を庇ったコイツの行動を見て止めることにした。

 そこで思いついたのが、人形が人間になった逸話のピグマリオンだ。自ら作った人形に恋した男が、恋焦がれるあまり衰弱しそうになるのを哀れに思ったアフロディーテという女神が人形を人間に変えてあげるギリシャ神話。原典ではその人形の名前は出てこないので、それを元にした映画『マイ・フェア・レディ』のヒロインの名前からとることにした。

 あとでちゃんと命名してやろうと思う。


「ご主人様! ありがとうございます、ボク、ボク、これからはちゃんと頑張りますから!」


 目を潤ませたユウキが尻尾を千切れんばかりに振って礼を言う。


「あーあ、これで死んでもこのヘボマスターの面倒を見なきゃいけなくなっちまったか。まったくとんだ貧乏くじだ」


 この蓮華の言葉をちゃんと訳せない奴は、ツンデレ検定初級からやり直した方がいいだろう。

 見ろ、ユウキの奴すら察して苦笑してるじゃねぇか。

 俺とユウキが視線を交わしていると、それに気づいた蓮華が眦(まなじり)を吊り上げた。


「お前ら! 何が可笑しいんだ、ああん?」

「ちょ、ちょっとやめてくださいよ! イタッ! ちょ、なにやって!」


 ユウキの背中に飛びつき毛をむしり始める蓮華。そんな二人に苦笑しながら、俺は広場の奥へと目を向けた。

 そこには、豪華な装飾の施された宝箱と、帰還のためのゲートが宙に浮かんでいた。

 通称ガッカリ箱と呼ばれる迷宮踏破の報酬だ。

 未だじゃれ合う二人を他所に、ガッカリ箱へと歩いていく。

 奴が腰かけていた子供の死体はいつの間にか無くなり、今では土で出来た小山に代わっている。森の雰囲気も、上層階に徐々に近づいてきているようだった。

 初の迷宮踏破の報酬に、否応なしに俺の心が高鳴っていく。

 ゆっくりと箱に手を伸ばしたその時。


「あ! お前なに勝手に開けようとしてんだよ!」


 背中に蓮華が飛びついてきた。思いのほか柔らかな感覚と、熱い体温、それと花の良い香りに心臓が跳ねた。


「抜け駆けはズリーぞ!」

「あ、ああ。悪かったよ」

「わかりゃあいいんだよ。ホラ、祝福してやる。良いのが出るぜ?」


 ポッ、と俺の身体が一瞬だけ淡い光を纏う。どうやらスキルを使ってくれたらしい。コイツ……本当に協力的になったよな。

 出会った頃とのギャップにほっこりしつつ、皆で箱を開ける。

 そこには——。


「……なんじゃこりゃ?」

「魔石と、……ポーションですかね?」


 白い小石と、試験管サイズの瓶が入っていた。

 小石の方は、踏破報酬の魔石だろう。白い魔石は、通常の魔石に比べて中に秘めるエネルギー量が多いらしく、階層の深さに応じてギルドが買い取ってくれる。ここなら大体六万円ってところか。瓶の方は、鑑定してみないことには正確なところはわからないが、おそらくはもっともポピュラーな報酬……ポーションだろう。

 患部に振りかければ傷を一瞬で癒し、飲めば胃や内臓を整えてくれ、風呂に一瓶入れればお肌も艶々、口に含んでおけば虫歯だって治る。そんな夢の薬と持て囃されたポーションも、供給の増加に伴いどんどん市場価格を落としている。

 これだと、一回使いきりで……一万円ってところか。回復魔法があるうちのパーティーではあまり使い道がないアイテム。売るか……いや、売るよりも母さんや妹にあげた方が喜ばれるかもしれない。

 そんな命懸けの報酬としてはあまりにお粗末な報酬に、これがガッカリ箱と呼ばれている理由がなんとなくわかった。


「こんな豪華な箱にしょぼいもん入れてんじゃねーぞ! 金銀財宝でも詰めてろ!」


 ゲシゲシとガッカリ箱を足蹴りにする蓮華に苦笑しながら、俺は不思議と納得していた。

 まあこんなもんだよな、Fランクの迷宮報酬なんて。

 実にしょぼいこの報酬が、逆に俺に安心感を与えてくれる。

 考えてみりゃあ、ここまで俺はツキまくってた。たった百万円でコイツらを当てるなんて、どう考えても人生の運を使い果たしてる。もしかして、今回ハーメルンの笛吹き男なんてイレギュラーな強敵とぶち当たっちまったのは、その揺り戻しなんじゃないか?

 そう考えると、この報酬も悪くないと思えた。

 うん、どこにでもありそうな小石と、ポーションなんて俺らしいぜ。

 でもそう思えるのは……。

 楽し気にはしゃぐ二人を見る。


 ————もう金で買えないモンを手に入れたからなのかもな。





【Tips】カードの名付け

 カードには固有の名前をつけることが出来る。名付けされたカードは初期化することができなくなるため、売却が不可能となる。一方で、ロストしてもそのカードの魂を宿したソウルカードが残され、同種族・同性の未使用カードを消費することで復活させることができるようになる。

 カードをカード以上に大事に思ってしまったマスターへの救済措置。

 冒険者の間では、カードに名付けするマスターは「恥ずかしいヤツ」のレッテル張りをする風潮がある。

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