第369話 信念

日がすっかり落ちたにも関わらず、

オフィス街はまだ仕事をしている人の明かりで溢れかえっていた。


最初の時こそ、

誰かが仕事をしている中で自分が先に帰れる優越感みたいなものを感じていたが、

現時点においてそんな感情は一ミリも湧かなかった。


というのも、この社会は常に誰かの支えがあるからこそ生きていけるものであり、

今もまだ仕事をしている人に対して自分が優越感を感じるのは

間違っているように感じたからだ。


何を当たり前のことを言っているんだと思うかもしれないが、

その当たり前を意識することを人はしばしば忘れる。


毎日食べるご飯や使ってる水道・電気・ガス、

何気なく歩いている道路や毎日目にする街路樹の剪定に至るまで、

誰かが仕事としてやってくれているから

我々は普段と変わらない毎日を何不自由なく送れている。


一見、自分と関わりが無いように見える仕事でも、

実は自分の気づかないところで関係があったりするものだ。


メディアはスポーツ選手や芸能人、

ネット上で活躍しているインフルエンサーなど

分かりやすく目を引く人に対してスポットを当てることが多く、

そんな彼らを見て将来の夢を抱く子供も少なくないはずだ。


だが、そんな誰もが憧れる人になれるのはごく一部の人間でしかなく、

多くの人は社会の歯車の一部となるだろう。


その歯車になりたいかどうかは個人の自由であるが、

現代社会において歯車の一部、

特に現場で働く下っ端の人間が劣っているように捉える人は少なくない。


何処かの会社の役員とコンビニで働くアルバイト店員、

世間的に見たらどちらの方が評価されるか?と問われれば

多くの人が前者と答えるだろう。


この世界ではお金をより多く稼ぐことができる人が正義なのだ。


別にそれを否定するつもりはないが、

だからといってお金を稼げない下っ端の人間を見下していい理由にはならない。


職業に貴賎きせんなし……なんて言葉があるが、

本当にそう思っている人はどれだけいるのだろうか?


この社会を回しているのは常に現場で仕事をしている人間だ。


縁の下の力持ちとして活躍している人がいるからこそ

日々の社会は成り立っており、

その人たちが前線を退いたとき、

この世界は少しずつその化けの皮を剝がしていくのだろう。


ここで一つ断言しておこう。



表向きは美辞麗句を連ねているが、

そのじつは差別が大好きで自己利益のみを追求する怪物の蔓延はびこるディストピアだ。


誰かにとっての正義が誰かにとっての悪であり、

誰かにとっての悪が誰かにとっての正義だとするならば。

この世に純粋な善悪なんてものは存在しないのだろう。


何が正しくて何が間違っているかなんて、

結局その人の価値基準でしか判断できないものだ。


多くの人が同じ意見だから正しい……。

頭の良い人、偉い人が言ってるから正しい……。

そんな自分の価値基準を持たない

思考を停止した人間の方がよっぽど危険な存在である。


何にせよ、私は私の信念のもと

為すべきことを為さなければない。


天網恢恢疎てんもうかいかいそにして漏らさずってところかしら……」


そう一人呟いたスーツ姿の女性は、

カツカツとヒールを鳴らしながら人混みの中へ消えていった。

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