第367話 現存在

火月が自宅で掃除に精を出していた同時刻、

ねぎしおは一人で外出していた。


特に誰かと約束をしている訳では無かったので、

言ってしまえばただの散歩でしかないのだが、

ねぎしおはこの散歩の時間が結構好きだったりする。


ちなみに散歩の自分ルールとして、

ねぎしおは毎回決まったルートで歩くことを避けていた。


それは単に同じ道を繰り返し歩き続けるより、

毎回違った道を歩いた方が新しい発見が多いと思ったからだ。


「なるほどのぅ。

 この道を進むとあの大通りにぶつかるわけじゃな」


頭の中に入っている町の地図を更新する作業は存外面白く、

同時に自分がこの実界に来てそれだけの時間が経過していることを自覚する。


中道火月という修復者と異界で出会い、

なし崩し的に一緒に行動することになったねぎしおは、

自分の記憶を思い出すために異界に入り続けていた……が、

手掛かりはおろか不審者に目をつけられる羽目になるなんて

夢にも思っていなかった。


「記憶が有ろうが無かろうが、

 自分のことを自分が一番理解している……

 と思い込むのは人のさがなのかもしれぬ」


少なくともあの黒い鶏と包帯の男は、

自分の存在を認知しているような口ぶりだった。

ならば、直接彼らに自分のことについて問いただすのが一番手っ取り早いだろう。


だが、それを火月が許してくれるとは思えなかった。


包帯の男が自分に対して明確な殺意があったのは紛れもない事実であり、

相手側が全ての情報を話してくれる保証は何処にもないからだ。


そして、同時にねぎしおは過去の記憶を思い出すのが怖くなっていた。


もしかしたら、記憶を失う前の自分は

多くの人から恨みを買うような存在だったのではないか……と。


もしそうだとしたら、

記憶を思い出したときにその事実を受け入れることができるのか……と。


このまま記憶を忘れた状態で生きていく道を選んだとしても、

誰かにとがめられることはないはずだ。


真実を知ることが必ずしも正解とは限らない。


知らぬが仏という言葉もあるのだから、

あとは自分が思い出したいか、思い出したくないかの問題だ。


最近のねぎしおは、自分の記憶を取り戻すことより、

火月と一緒に扉を修復する事に楽しさを見出みいだしていた。


それはきっと、記憶の無い自分の存在証明のようなものだったんだろう。


誰かの役に立つことで今の自分のままでも良いんだ……と、

そう思わせてくれるからこそ、

先日の同伴禁止の宣告を受けたときはショックだったのだが、

今にして思えばむしろありがたい配慮だった。


「心が乱れてる状態では、本当に足手纏あしでまといにしかならないじゃろうからな」


そう一人呟いたねぎしおは、

目の前に広がる未開の散歩ルートを見つめる。


普段なら特に意識することなく歩みを進めているのだが、

今日に限ってはその足取りが不思議と重かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る